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辺境人の中にも土地に定住しない者たちは存在する。
漂泊の民と呼ばれる彼らは辺境を彷徨い歩き、各地の恐るべき魔性を狩って暮らしている。
そんな
それは死者を束ねる
空洞の亜神。虚ろなる死の揺り籠。生の否定者。死の群れ。
出会うこと自体が不吉の象徴とされる彼らの名は――
―――悪神記『死の領域に関する記述』
月の光をまとった大剣を構え、肉の塊をまとった骨の巨人が目の前にいる。
ボスデーモン『山脈断ちのオーロラ』、その真の姿だ。
「――前進だ。前進するしかねぇッ!!」
迷いはなかった。出入り口はボス出現時の靄によって出入りが不可能になっている。
いや、そもそもここから地底湖の入り口にはたどり着けないだろう。走って逃げるにも距離は遠い。そして距離を取れば月の光にも似た、飛ぶ刃によって斬り殺される。
転移も無駄だ。そもそも聖域を張るための隙が見いだせない。
(否否否、そもそも逃げても後がない。俺は知られた。知られてしまった)
メルトダイナスのことを思い出せ。こいつはボス部屋から出ていた。ダンジョンを歩きまわっていた。
(王妃と同じだ。こいつはダンジョンの法則を無視することができる。だから、ここで殺さねばならない敵だ)
この敵は俺に執着している。俺が逃げても追ってくるだろう。ここで逃げたらダンジョン内での遭遇戦になる。いつ出会うかもわからない強敵にビクビクしながら探索することになる。
(いや……もしかすれば)
封印を破って地上に出てくるかもしれない。
地上の姿が浮かぶ。妻と息子、そして娘。そこに住む彼らのことを。
あの都市で、こいつに勝てる戦士がどれだけいる? これほどのデーモン、聖女様たちとて無傷では倒せまい。
「お前を地上に出すわけにはいかない。お前はここで殺す!!」
大剣が放つ月の光を目の端に置きながら俺は駆け出す。クソ、鎧が重い。もっと速く。速く走れ。
(重いからといって脱ぐわけにもいかねぇ。この敵が放つ瘴気、鎧の持つ対邪悪の耐性がなければ肌を焼くほどに濃いぞ)
聖衣もそうだが、鎧に宿る英霊たちによる加護もまた温かい。この強大な敵と対峙するうえで、とてつもなく心強い。
『月の神に祈り奉る。我が肉体に導きの加護を』
その言葉に、ぞくり、と寒気が背筋を襲った。
龍眼に力を込める。奴の剣の起こりを見ろ。動いてからでは避けられない。大剣を握る奴の触手の動きを、奴の身体を覆う触手を注視しろ。
同時に、聖印を片手に、月の外套を強く強く願う。
(……今、だ……ッ!!)
急停止し、身体を大きく沈めた。頭があった位置を奴の剣が通った感触。横薙ぎだ。兜がなければ触れずとも衝撃で頭を持っていかれていたかも知れない。
「らぁッ!!」
飛び出す。ハルバードを覆う月神の刃に魔力を強く、思いっきり込めた。オーラもだ。ありったけだ。注ぎ込めるだけ注ぎ込む。
踏み込み。オーロラの骨の身体を狙い。両手に握ったハルバードの刃を叩きつける。
衝撃が腕に走る。硬い骨だ。だが通った。俺の攻撃が通った感触がある。
『おぉおおおぉおぉおおおぉおおおお!!』
反撃が来る。オーロラの叫びよりも早くすばやく距離を取る。眼の前を大剣の刃が通り過ぎる。月光が眼の前を通る。
剣が去った後には、空間を斬った魔力の残滓が留まっていた。
(夢のように幻想的に見えるが、危険だ)
魔力の残滓は徐々に消えていっているが、あの神秘の濃さだ。月の刃にも似たあの光は、触れれば容易く俺を切り裂くだろう。
「それで、どうだ……ッ?」
奴から離れすぎず、だが近すぎない距離で奴に与えた傷を確認する。感触はあったが敵は不吉だ。確認しておきたかった。
瘴気のヴェールは引き裂いている。骨に罅も見えた。俺の攻撃は届いていた。
「よし!」
様子を見るのと同時に袋から水溶エーテルを取り出し、瓶の口を指で砕いて、中身を飲み干す。
少し苦い。ソーマとは異なるエーテルの味が舌を通る。
(回復量は8割ってとこか。通常の水溶エーテルの残りは5本)
魔力の減りが思ったよりも早い。龍眼、月の外套、月神の刃、どれも通常以上の効果をあげようと過剰に魔力を注いでいる。
集魔の盾を背負っているが、今回はどうにも短期決戦になりそうだった。
『月の神よ。我が傷を癒やし
先の祈りに対してもそうだった。奴の祈りには、肉塊の触手が反応している。
月神は応えていない。神の祝福を失い、デーモンとなった者の末路だった。
(神に見捨てられた哀れな騎士)
だが、その姿は、月神と契約した俺の未来かもしれなかった。
(帝王の願い、か)
神から自立するという帝王の願いは4000年の先の大陸にて叶った。あの結果を望んだかはわからないが、大陸人は神より離れて生きることができるようになった。
(契約の不自由さはわからんでもないし、神が操る運命が気に食わないのもわかるが、それでも俺は――)
オーキッドと出会い、結ばれ、子供らが産まれたのは神の導きによってだ。
それがゼウレの遠大なる計画の一部だとしても、そこに俺の幸福はある。
(それに、俺が負ければゼウレの計画は失敗だ。遠からず破壊神と暗黒神の軍団によって挟撃され、辺境は敗北する)
ここまで強大なデーモンたちを見て確信した。暗黒神の攻勢を受けながら、ここのデーモンを止められる余裕は辺境にはない。
だからこそだ。今この場に俺がいるということ自体が仕組まれた運命だとしても、その中で努力し、死力を尽くし、敵を殺さぬ理由にはならないのだ。
(必ず勝たねばならない)
思考自体は一瞬のことだ。感慨もまた一瞬だった。
「油断するなよ俺。こいつは強いぞ」
敵は哀れだが、強大な難敵であることに変わりはない。
全身に、それこそ髪先にまで注意を巡らし敵の挙動を見ながら攻撃の隙を探る。
『我が剣よ。月光よ』
「む」
中距離から隙を伺う俺に対して、敵は大剣を地面に突き刺した。触手が微かに硬直する。力を溜めている……?
(なんだ? 何をしようとしている?)
『おぉおぉおおぉおおおおおおお!!』
爆発的に大剣が持つ神秘が膨れ上がっていく。この気配は、何かを放出しようとしている……ッ!?
(――な――まず――逃げ――)
慌てて距離を取ろうとするも――
(いや、待て……距離を取らせて刃を飛ばす作戦……!?)
――刹那の躊躇が回避に遅れを生じさせた。
俺の眼を、膨れ上がった月の光が焼き切った。
だが異様な神秘が全身を覆う感触で理解する。
――俺の全身を、月の光が包み込んだ。
月光は炎のように俺の全身を焼いていた。この攻撃に対して『月の外套』に意味はなかった。敵の攻撃は線ではなかった。面だった。大剣より放出された光が周囲を飲み込んでいた。
だが光も長くは続かない。直後に生じた爆圧によって俺の身体が吹っ飛んでいく。衝撃。叩きつけられる。地面を転がる俺の身体。全身がガタガタにぶっ壊されていた。骨は折れている。筋肉が破壊され、内臓が衝撃で潰されていた。
「あ……? あ、ぁ……?」
俺の身体はどうなっている? 声が出ない。眼が見えない。なんだ? 何をされた?
それでも、身体は自然な動作で袋に左手を伸ばし、ソーマの瓶を取り出している。
『騎士キースよ。我がさせると思うのか?』
死が漂っていた。それでも諦めはない。左腕に宿る何かに押されるようにして、瓶が口に入る。死力を尽くし、顎に力を込めた。瓶を砕く。液体が、ソーマが肉体に入っていく。
肉体の奥底から暖かな熱が溢れてくる。ソーマではない。俺の知らない、だが知っている何かだった。
『死ぬが――』
ああ、肉体は生を諦めていない。だが、死はすぐそこにある。
危機に反応して右腕が動く。右腕に刻まれた聖女の血を通して、指先に魔力が灯った。俺のわからぬ何かを、指先が自然と放っていた。
――オーロラよ。我が信徒よ。
それは『月の外套』の幻惑が混じった『妖精の声』に似た何かだ。
『ぬぉ、な? あ? あ?
オーロラが動揺している。俺の肉体は癒やされていく。立ち上がる。ソーマは残り一本。もう判断の失敗はできない。
オーロラは困惑している。この隙に体勢を立て直す。
「アルトロよ。俺に力を」
聖印を握り、生命力回復の『月光纏い』を祈る。
ふっとばされて消え去ってしまった『月の外套』を祈る。
転がっていたハルバードを拾い、『月神の刃』を更に厚く展開する。
減った魔力を回復するために、水溶エーテルを袋より取り出し、飲み干した。
『お、おお? これは、違う? この声は? この声はなんだ?』
いまだ困惑しているオーロラだが、俺が殺気を向ければすぐにでも戦闘体勢に戻るだろう。
息を吸い、ハルバードを構え、再度突撃しようと構え――
――オーロラよ。月神の騎士よ。
「ッ……!?」
俺の右腕に宿る、
――仕える神の声すら判別つかぬお前はもういらぬ。
『この気配は、シズカ? ま、まさか貴様』
――お前は月の光さえ届かぬこの地の底で、新しき騎士キースに滅ぼされなさい。
『あああ、あああああああああああああああああああ!!』
悲痛なる絶叫が、地底湖に轟いた。
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