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 逆さ磔にした囚人の死体を12体。

 瘴気と混ぜ合わせた濃縮エーテル瓶24本。

 清められた月の雫が36滴。

 娼婦の顔の皮48枚に。

 色硝子の聖杯60個。

 そして、人の赤子だけを食べて育った狼のへその緒。

 集めた材料は罪なき処女に運ばせる。

 時は新月の夜。瘴毒を流した湖の中心にて、悪神たちに祈りと共に捧げること。


          ――悪神の作り方 作者不明 ザクロ文書より抜粋。



 雑音が脳に響いていた。

 ようやく見つけた絡繰からくりに触れてからこうなっている。

「……なんだ、これ自体に何かあるのか?」

 俺の眼の前に絡繰はあった。石煉瓦の壁に埋まるようにして歯車の連なりが見えている。

 その傍には巨大なレバーが設置されている。

 つまり、これを動かすことでこの仕掛けは動くのだろう。

 カタカタという音が聞こえる。

 俺が倒した巨大な骨のデーモンの残骸から聞こえる音だ。ここを守っていたデーモンだった。龍眼で弱所を見抜き、メイスで砕いて俺が殺していた。ドロップ品は銀貨だった。

 デーモンの死体は消えかけていた。警戒する必要もない。

「つか、この雑音は、死の記憶のときの奴だが……?」

 雑音は死者にまつわるものが放つ、記憶の残滓だ。ボスデーモンを殺したときに聞く音だった。

 周囲を警戒しながらも、俺はレバーをしっかりと握る。


 ――雑音――騎士の記憶だ。月が見える。湖を背景に、美しい女神の手に騎士が唇を触れさせていた。「我が信仰を貴女に」大剣を傍らにおいた、美男という言葉そのものの騎士は、満足げに笑い――雑音――雑音――雑音――


 ふらつく。それでも俺はレバーにかけた手に力を込めると、ぎぃぎぃと錆びつくレバーを思い切り動かした。

 眼の前の歯車がぎしぎしと鳴りながら動いていく。どこかで大きな音が響く。

「これでいいのか?」

 周囲を警戒しながら待っていれば、瘴気の濃度が少しずつ薄れていくのが理解できた。

 呼吸が楽になっていく。身体に纏わりつく汚泥のような重さもなくなっていく。

 待っている間考えていたが、これは、つまり、そういうことか?

「この仕掛けは心象が形になったものか」

 どうりで本当の王城にこんなものがなかったわけだ。

 大剣の騎士の心がここにあったというわけだ。

「だがなぜこんなところに……」

 他のデーモンと違うのはその一点だ。もとよりこんなものがなければ偽物の月を閉ざされることもないというのに。デーモンが自らを弱体化させる施設をわざわざ用意した? なぜだ? 滅ぼされることをよしとするのか?

 思い出すのは司祭のボスデーモンや、庭師のデーモンの最後の姿だ。

 滅ぼされる寸前に人の心を取り戻した彼らの姿は、記憶に強く残っている。

「デーモンと化してなお、信仰こころを、ここに残したのか?」

 ふと、花の騎士リリーを眼の前で失った瞬間が思い出された。

 そうだ。俺の心はあの場所に置いてきた。

(それと、これは、同じなのか?)

 凄まじい男だと思った。自らがデーモンと化してなお、それだけのことができるとは。

 大剣の騎士を、月神や月の聖女が4000年の時が経とうとも気にかける理由の一端が少し理解できたような気がした。

 故にこそ。

(本気で、全てを使って殺そう)

 これだけの男なのだ。弱体化してなお、大剣の騎士は強敵だった。

 必ず勝てるとは思わない。

 だが、それはこの探索の全てが同じことだ。


 ――神を殺すのだ。生きて帰れるとは思わない。


 それでも、俺はオーキッドと約束をしたのだ。

 生きて帰るのだと。

 この矛盾を叶えるには、相応の力と意思が必要だろう。


                ◇◆◇◆◇


 絡繰の先を探索すれば鍵の掛かった扉があり、そこを開いてさらに先に進むとこの領域へ侵入した最初の地点と繋がっている。

近道ショートカットって奴か……?」

 どういう構造になっているのか心底不思議に思うが、ここはデーモンの領域だ。物理的な法則がねじ曲がっていてもおかしくはない。

 それに、戻る時間が短縮できたと思えば喜んでおくべきだろうな。

 近寄ってきたスケルトンの頭部をメイスの一撃で粉砕しながら周囲を探る。このあたりに出現するデーモンどもは、赤黒い骨を持った強いデーモンではなく、白い骨の弱いデーモンに戻っていた。

 周囲の様子も最初の探索の通りだ。絡繰は領域エリア全体に対して効果を発揮しているようだった。

(領域に対する効果、というよりはボスの力が弱まったからか)

 歩いていく。結構な時間を探索に費やしたが休息は不要だ。むしろデーモンをいくらか倒して身体の調子がよくなっている今の方が戦いやすい。

(大剣の騎士に対しては、ハルバードを使うのがいいだろう)

 万能の武具たるハルバードだが、相性というものはある。技量がそのまま強さに直結する武器だ。

 ゆえに、俺よりも武に関して上のデーモンを相手にするのは少し不安だったが、他の武具では奴の鎧を抜けない可能性が高かった。

 大剣の騎士のデーモンの姿を思い出す。

 脈動する鎧を着た、巨大な騎士の姿をしたデーモンだった。

 剣の振りを見ただけで、死ぬと思わされたとはいえ、実際の強さはわからない。それでもあの威容だ。幽閉塔の水神のデーモンと同等と考えるべきだろう。

 下手に弱く見積もって一撃で殺されては笑い話にもならない。

(月の女神の奇跡は確認した)

 『月神の刃』は強力な俺の手札となった。積極的に使っていくことになるだろう。

(水溶エーテルはあるが、魔力の使いすぎは気をつけなければな)

 集魔の盾には期待しない。激しい戦闘の中では、自然回復する量では間に合わないからだ。

 それに、龍眼の使用にも魔力を使う。俺の魔力も増えてきたが月神の刃と龍眼の2つを同時に長い時間使えるほどの魔力を俺は持っていない。

 そう考えれば、回復の奇跡たる『月光纏い』や相手を幻惑する『月の外套』を使う機会を作るのは難しいだろうな。

(大剣の騎士ほどの戦士に幻惑は通じないだろう)

 同じ月神の奇跡の使い手だ。『月の外套』の対処法ぐらいは知っているだろう。

 さらに言えば、相手が使ってこようとも俺は平気だ。幻惑を見抜く龍眼を持っているからな。

「おっと」

 歩きながらの思考だが周囲への注意は怠らない。以前の探索で斥力の聖女カウスが見つけ、解除の仕方を教えてくれた罠があったので解除しつつ、俺は近寄ってきた無数のスケルトンをハルバードを振るって蹴散らしていく。

「絡繰を動かすことは大剣の騎士を相手にするのに必要だったが……」

 つまらんな、これは。

 瘴気による強化されたスケルトンどもの方が戦っていて楽しかった。

 強力であればあるほど俺の経験にもなったがこのような雑魚どもの相手は決まりきった作業のようなもので、いくら殺そうとも全く楽しくない。

 それでもボスデーモンのいる地底湖を目指せば、デーモンの集団をあちこちに見つけることができる。

「ふん、ちょうどいい。殺していくか」

 見覚えのある骨の塔スケルトンタワーだった。

 先に戦った強化されたスケルトンタワーは厄介な難敵だったが、瘴気が薄まっている今はそこまで苦労するデーモンではない。

「はッ!!」

 俺は勢いよくスケルトンタワーが密集する地点に飛び込むと、オーラを思い切り込めたハルバードを一回転させた。ばらばらと無数の骨が周囲に散らばる。

 こいつは強敵ではないが強靭タフだ。一撃で殺すことはできなかったが、構わずその場に居座った。そうして攻撃しようと身体を振り下ろしてくる奴から順に叩いていく。

「よッ、ほッ、と」

 月神の刃による神秘に覆われたハルバードはデーモンに対して強烈な効果を発揮する。

 小突かれたスケルトンタワーはダメージを受けて硬直し、俺はそいつを蔑むように見てから、俺に倒れ込もうとしてくる奴を狙ってハルバードを突いていく。

 無論、デーモンどもも馬鹿ではない。こんなことがそう上手くいき続けるわけもないが、それでも危険は感じなかった。

 2体や3体同時に攻撃してくる状況もあるが、見え見えの攻撃であるし、周囲には他のスケルトンタワーがいる。スケルトンタワーの攻撃が他のスケルトンタワーにぶつかるように攻撃を躱しつつ、俺はスケルトンタワーどもが全て滅ぶまでハルバードを叩き込み続けるのだった。

「そうか。ここまで来ちまったか……」

 スケルトンタワーのドロップ品を拾いながら俺は、骨の塔が囲んでいたそれ・・を見つけた。

 そこには真新しいが、瘴気に侵されてグズグズになった肉塊が転がっている。


 ――先の探索で狂い、逃げ出した騎士、メルトダイナス・プロメテウスの死体だった。


 潰されて殺され、そのうえ顔も身体も瘴気で溶けている。

 これではもとが誰だかわかるわけがないだろう。

 それでも、その腕を覆っていただろう篭手の残骸には見覚えがあった。

 膂力を強化するヘルクルスの聖言が刻まれた篭手だったものだ。

「……お前の死後が、善きものであればいいな」

 大陸人ではあるが、ここでデーモンをいくらか殺していれば多少ヤマも考慮してくれるだろう。

 月神に死者の安寧を祈り、俺は通路の先を見た。

 地底湖まであと少しだった。

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