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長き時を生き延び、老獪さを身に着けたその生き物は、とても、とても恐ろしい。
―――『月の聖女』シズカ・
素材収集人のボスデーモンがいた場所に作った聖域に転移した俺は、装備を整えると地下牢獄へと向けて出発し――首を傾げ、深く息を吸って瘴気の味を確かめた。
「おいおい、こりゃまるで別物だな」
久しぶりにやってきたダンジョンの深層は、舌に粘りつくような、喉奥を塞がれるような、濃密な瘴気に満たされていた。
まるで王妃が現出したあの時を彷彿とさせるようなそれに、あの騎士のデーモンが月光の大剣を手に入れたことはそれだけ力を増す要因だったことを理解させられる。
「……それでもやらにゃならんのだがな」
少女篭手の下にある、月の聖女によって
経緯がどうであろうと、力あるものの血を与えられたこの腕にはそれだけの奇跡が宿っている。
聖女の肋骨、リリーの原初聖衣、オーキッドの聖衣、それに加えてこの聖女の血の右腕と心臓。四種の聖衣による祝福は、このような深層であろうと、地上と変わりなく活動できるだけの活力を俺に与えてくれていた。
それでもダンジョンに足を踏み入れるこの瞬間は、まるで初めての戦闘のように、俺の身体に緊張感を与えてくれる。
「まずは慣らしだ。
俺は腰に下げた奇跡の触媒を手にすると、追われるようにして地下へとやってきたために、地上で使えなかった『月光纏い』の奇跡を月神に願った。
暖かな燐光が俺の身体を覆う、攻撃を受けていないため効果のほどはわからないが、問題なく使えることがわかる。
「魔力の減りもそれほどじゃないな」
龍眼を本気で使った時の方が消費は重いかもしれない。そんなことを考えながら、魔力回復の効果がある集魔の盾が腰にあることを確認する。
ドワーフ鍛冶の爺さんに強化してもらった騎士盾の使い勝手も確認しておきたかったが、先にこの瘴気の中でどれだけ奇跡を使えるのか、そして戦闘にどうやって組み込むのかも考えねばならないだろう。
奇跡という強力な手札が増えた。代償も支払っている。ならば、きっちりと使いこなさなければならない。
「で、お前らは強くなったのか?」
奇跡の具合を確認しながら歩を進めていけば、濃くなった瘴気に影響されてか、赤黒く変色したスケルトンどもが俺の行く手を遮るように現れた。
+5まで強化した神聖のメイスを片手に俺は兜の内側で口角を釣り上げる。
まずは地上のぬるま湯のような生活でガタついた身体を、この瘴気に適応させることから始めようか。
◇◆◇◆◇
聖弓の使い手である聖女カウスのいない探索は、地獄を歩くがごとき厳しさだった。
目指すべき場所はわかっている。あの地底湖だ。偽の月の浮かぶあの場所へ向かう道順を俺は覚えている。
それでも先に向かうべきはそちらではない。
泣き虫姫エリザの昔話に出てきた
そのために進まなければならないのだが、濃密な瘴気に汚染された、石煉瓦の通路で俺はスケルトンの集団と戦っていた。
「ッ、しつけぇぞ!!」
メイスを叩きつけ、赤黒い騎士のスケルトンの頭部を兜とともに砕くと、俺は荒くなった呼吸のままに、別の騎士のスケルトンへと足を動かす。
「おらッ! 死ね! 死ね! 死ねぃ!!」
ガツンガツンとメイスを叩きつけ、鎧とともに中の骨を粉々に砕いていく。
「はぁッ、はぁッ、はぁッ……」
雑な戦い方をしている自覚はある。だが、どうにも、ここは、こいつらは……。
(
スケルトンどもの戦闘技術は前回と変わらない。武器の振るい方も、身のこなしも前回のままだ。
だが、敵は瘴気の影響によって力強く、そして
(前の探索の聖女カウスの援護は的確だった)
弱々しかった聖女カウスだが、戦闘となればその技巧は俺の上にある。弱っていれば弱っているなりに、巧い戦い方で俺を援護してくれていた。
今はその、絶妙なタイミングでの的確な援護がない。
(一人ってのは、精神的にきつい……)
だがその分研ぎ澄まされる。一つの失敗も許されないという感覚は俺を強くする。
「で、ここは、どこだ……?」
残ったスケルトンを駆逐し、ドロップを拾い終えた俺は、周囲を見渡した。
聖女カウスとの探索で通った道とは違う道を俺は進んでいた。
俺が歩く石煉瓦の通路は殺風景だ。
並んだ牢屋は瘴気によって毒々しく様相を変えてはいるが、見慣れてくれば代わり映えしない背景でしかない。
牢獄の鍵で一部屋一部屋開けることもできるが、これらの部屋は、長櫃でも置かれていなければ無視する程度に魅力もなかった。
(前回の探索で来た場所でないことはわかるが、この先に絡繰はあるのか?)
大陸王城の地図を俺は持っているが、ダンジョン化したことで迷宮のように変化したこの地下牢獄では、それは役に立たないものだ。
それでも未探索領域であることは確かで、長櫃の類は見つからなかったが、ここに来るまでにいくつか見つけた死体から、俺は死の経験を得られている。
「とにかく、先へ進むか」
手に持ったメイスに月神の奇跡である『満ち欠け』を使用し、損耗を回復する。奇跡による修繕よりもドワーフ鍛冶の修復の方が俺は好きだが、このような苦境で選り好みなどできない。使えるなら使い倒すだけのことだ。
『オォォォオオォォォ……』
瘴気によって力強くなった囚人のデーモンどもが、鍵の掛けられた牢獄より恨めしそうに俺を見ていた。
◇◆◇◆◇
石畳の通路を疾走する。追われるようにしてデーモンから俺は
「またてめぇか!!」
俺を追いかけているのは、あの鉄球のデーモンだった。
再びの出現だった。もちろん前回と場所は違う、だが、こいつが現れたということは、ここは……!!
「無限牢獄か!!」
無限牢獄の呪。核を壊さぬ限り永遠に続く回廊だ。
ついでに言えば、この鉄球のデーモンも強化されている。鉄色の球体は赤黒く変色し、道中の邪魔なスケルトンどもをその凶悪な重量で押しつぶしていた。
「ッ!!」
距離があったことと、前回の遭遇があったためにこうして無事だが、このままではすぐにでも追いつかれ、スケルトンたちのように俺も轢き潰されるだろう。
「見つけた!!」
俺は扉の開いた牢獄を見つけると中に飛び込んだ。強烈な振動音を立てて、鉄球のデーモンが背後を通り過ぎていった。
「おらぁッ!!」
逃げ込んだ牢獄の中には当然、囚人のデーモンがいたので、流れるようにメイスを振り回して殴り殺す。
「んで、てめぇだよな!!」
デーモンを殺し尽くして振り返れば、鍵を持った
――前回と同じだ。
だから俺は奴が逃げる前に牢獄越しに右腕で首を掴んでやった。
慌てたようなスケルトンは手に持った短剣を鎧の隙間に突き立ててくるも『月光纏い』の効果もあってか、傷はすぐに塞がっていく。
「ふん!!」
不動のままにオーラを直に流し込み続ければ、スケルトンの身体はボロボロと崩れ落ちていく。
何しろ聖女の腕だ。流し込むオーラもそれなりの神聖を持つというもの。
スケルトンが滅び、床に銀貨と鍵が落ちるも、俺は無視して袋から前回の探索で手に入れている鍵を取り出した。
全ての牢獄に適合する鍵は、問題なくこの牢獄の扉も開けてくれる。
わざわざこうしてスケルトンを殺したのは、ただ目障りだったという理由しかない。
「鉄球のデーモンか」
今回、聖女カウスはいない。
前回はあの聖女が動きを止めてくれたからこそ、苦もなく倒すことができたのだ。
「ふん、やれるだけやってやるさ」
どちらにせよ、転がる鉄の塊ごとき倒せなければ大剣の騎士は殺せまい。
呼吸を落ち着け、湖の指輪と体力の指輪、それから竜刃のハルバードを俺は取り出す。
「月神よ、我が武器に月光の祝福を」
願うのは『月神の刃』の奇跡だ。
ゲッシュと聖女の右腕、そして湖の指輪によって高められた信仰によって、地上にいたときに試したものよりも強力な月の光がハルバードに宿る。
更に『月光纏い』の奇跡を祈る。月の光が俺の肉体を覆うように現れた。
「我が神よ、感謝する」
性格は気に入らないが、その力は主神の娘に相応しい。もう一周したのか、強烈な振動音が近づいてくるのを全身で感じながら俺は口角を釣り上げ、ハルバードを振り上げた。
「おらぁッ!!」
牢獄の中より、鉄球のデーモンが開いた扉の前を通った瞬間に斬撃を叩き込む。
刃は、弾かれない……ッ!!
敵は魔鋼の塊であるというのに、月神の刃は鉄球のデーモンを軽々と切り裂いていた。
(いや、もともとこのデーモン、そこまで強くない、のか?)
動きさえ止めれば俺でも余裕で殺せると聖女カウスが判断した理由がこれか?
横合いから斬りつけられた鉄球のデーモンは傷口から血を噴き出していた。
そして少しの間だけ動きを止めていたが、すぐにまた動き出そうとして「させねぇよ」ハルバードの刃を俺は再び叩きつける。
あとはもう、体力の指輪で増えたスタミナのままに、俺はデーモンが息絶えるまで、ハルバードの刃を叩きつけ続けるのだった。
◇◆◇◆◇
「ふぅぅぅぅぅうううう」
月の光を湛えるハルバード片手に、俺は息を吐き出した。
血溜りに赤黒い鉄の皮が転がっている。デーモンの死骸だ。
ついでにドロップも転がっている。金貨が数枚に、あの見覚えのある金属塊は魔神鋼だろう。
この領域、敵は強くなってもドロップが金貨や銀貨の量が多少増えている程度で、苦労の割には報われなさが強い。
(それでも……)
たった一人での探索で、俺の肉体は、研ぎ澄まされていく。
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