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 月神アルトロより力を与えられ、再びの催促をされたが、すぐにダンジョンに戻れるわけではない。

 得た力の確認が先だし、奇跡を使うのならば奇跡を使うための触媒も必要だった。

 それでもいくらか時間はかかったものの、それは作られ、俺の手にある。

「はッ、だがよ、こいつらが相手じゃわかんねぇな!!」

 オーキッドの統治する神殿都市に潜伏していた病の神の信徒の腹に突き刺した剣を引き抜く。

 血が大きく噴き出し、俺の身体を赤く染めた。

「こ、このぉ!!」

「なぜここが!!」

 悪神の信徒どもが虫けらみたいに騒ぎやがる。

(馬鹿が、何故もクソもあるかよ)

 俺が扉を蹴破って侵入した酒場の外には、星神の娘たる聖女カウスが控えている。

 瘴気渦巻くダンジョン深層ですら使えたその探知の奇跡ならば、都市に潜む悪神の信徒どもを探し出すのはお手の物であった。

「その剣に纏った奇跡、月神の信徒と見た! だが、貴様の好きにはさせんぞ!!」

 よく磨かれた戦斧を片手に突っ込んでくる裸身の巨漢。

 今回は都市での戦闘だ。俺は相手を警戒させないために鎧ではなく布服だけで戦いへと突入している。

 服で斧の刃は防げない。

 裸身全てに悪神を讃える入れ墨をし、不気味な黒鉄の首飾りを身に着けた敵はどうにも強そうだ。油断はできない。

(それでも、半魚蟲人デーモンよりは弱いか)

 相手の動きは巧い。戦士として武を鍛えている。

 だが悪神に魂を譲り渡した程度の相手だ。恐ろしさは全く感じない。

(入れ墨もセンスが悪いしな。もっと禍々しいのがあるだろ)

 だせぇぞ、てめぇも一端の信徒なら、幽閉塔で見た邪神を讃える壁画ぐらいにやばい奴を刻んでみろ。

 相手を馬鹿にしながら神殿から借りてきたドワーフ鋼の長剣を振るう。剣に纏わりついた月神の奇跡が切れ味を補助し、相手を切り刻む。

「つか、てめぇは鎧ぐらい着てこい! どれだけこの奇跡が強力なのかわっかんねぇだろうが!!」

 相手の斧は掠りもしなかった。所詮その程度の相手だ。

「が、あああああ!!」

 とどめを刺すべく倒れた巨漢の首を刎ねれば、視界の端に不気味な光を捕らえる。

「死ねぃ! アルトロの走狗よ!!」

「顔を隠すような輩がよくもアルトロの信徒などやれたものだな!!」

 ローブで全身を覆った老人2人、杖を俺に向けていた。

 そいつらに向かって俺は堂々と全身を晒してやる。こそこそと隠れて呪術を使うしか能のない悪神の信徒ども相手に、弱い部分など見せられるものか。

「何をするかは知らんが、やってみろ! 俺は逃げんぞ!!」

 距離はある。殺すならいつでも殺せる。だが俺は格の違いを教えるべく、相手にまずやらせてやることにする。

「病神よ! 善きも悪しきも等しく殺す病の神よ!」

「病神ゾグゾブよ!」

 ずん、と俺は建物が軋むぐらいに強く足を踏み込んだ。

 オーラを練りながら歩いていく。燐光を振りまく長剣を片手に突き進んでいく。

(オーラを練るのも、地上は楽だな)

 空気がうまいぜ。

 俺を押し止めるためだろう、あちこちに吹き飛んだテーブルや椅子の影から、悪神の信徒が扱う傀儡人形どもが俺へ向かって突っ込んでくる。

 子供程度の大きさの木彫りの人形たちだ。

 それらにはそれぞれ強力な悪霊が憑いており、手にもった呪具らしき刃は人を切り刻むのに適したものに見える。

木偶でくどもめ! おらぁッ!!」

 だが剣を一振り、二振りすればそれらの多くが砕け散る。

「ふッ」

 呼吸をしながらの踏み込み。練ったオーラを周囲に意図的に撒き散らす。

(へッ、てめぇら悪霊にはこの程度でも効果覿面だろうよ)

 オーラの直撃を喰らい、気絶でもしたように動きを止めた人形どもに向けて再び剣を振るえば、突然、剣から燐光が失われた。

(月神の刃の奇跡の効果は一分程度か)

 魔力を吸うだけ吸ってこの程度か。いや、俺の信仰心の薄さだろうな、これは。

 同じ奇跡を使ったとされる大剣の騎士は、この奇跡一つで多くのデーモンを討ち滅ぼしたとされる。

 俺の信仰心の薄さが、強力な奇跡をこの程度の力にしているのだ。

「喰らえぃ!」

 動きの止まった俺に老人2人が杖より奇怪な文様の魔力の玉を飛ばしてきた。

(やっとか。デーモンの魔術師どもはもっと早かったぞ)

 それに動きが遅い。それでも追尾の力ぐらいはあるようで、魔力の玉は俺が避けようと動いた方向に合わせて動きを変えてくる。

「触れれば肉体が崩壊する病の玉よ」

「貴様の命運も尽きたぞい」

 きゃっきゃと醜く喜ぶ悪神の信徒ゴミども

「そうか」

 俺は袋よりリリーの皮膚の張られた聖衣の盾を取り出し、俺へ向かってくる病の玉を2つとも掻き消した。

「な、なぜぇ!?」

 高位のデーモンの魔術さえも防ぐこの盾に、この程度の奇跡が通じるわけがない。

「お前らは生かして捕らえる。悪神どもの情報をさえずってから死ね」

「おべ」

「うぎゃ」

 驚き慌てる老人どもへ向かって踏み込み一つで接近し、力を抑えた拳打を腹に打ち込んでうずくまらせる。

 ふん、と俺は息を吐きながらクズの拠点を見渡した。

「悪神の信徒の拠点に酒場一つ、か。贅沢なもんだな」

 だが放置するわけにもいかない。俺の妻の都市に、ゴミどもが巣を作ってやがるならな。

 表にいた都市の憲兵に老人2人を引き渡しながら、ひと仕事した俺に祝福の奇跡を願ってくれる聖女カウスに言った。

「これから楽しいゴミ掃除だ。付き合ってくださいますか? 聖女カウス」

「もちろん、これも神々への奉仕になるでしょう」

 地下に降りる前に月神の奇跡を試せるならば、月神アルトロも怒らないだろうさ。


                ◇◆◇◆◇


 地下牢を調べるエリザとオーロラの前には不思議な仕掛けがありました。

 歯車の組み合わさった奇妙な仕掛けです。

「これはいったいなんなの?」

「さぁ、私はこんなところには来ないからね」

 星神の奇跡は仕掛けの脇に続く道の先を示しています。まだまだ道は長いのかしら? そんなことをエリザが思っていると一匹のネズミがエリザに向けてちゅうちゅうと鳴きました。

 給仕女という動物を操ることのできる友人のいたエリザは、そのネズミがどうしてエリザに向かって鳴いているのかはっきりとわかりました。

 きっと辺境にいるあの娘がエリザの幸福を祈ってくれているのだ。

 ちゅうちゅうとエリザに纏わりつくネズミに従ってエリザが仕掛けを動かすと奇妙な音が牢獄全体に響きました。

 それこそが――


                ◇◆◇◆◇


「それこそが、牢獄の秘密。月神の闇神殿へと通じる道を開く仕掛けでした」

 一糸纏わずベッドに横たわるオーキッドがそう言って俺の胸板を撫でた。

 まるで黄金の絹糸のような、長い金の髪が柔らかい布団の上で波打っていた。

 美しく賢い妻は、それで地下にこれはあったのか? と、問うてくる。

「聖女カウスの奇跡で最短の道を通ったからな。見つけていない」

 だが、聖女様の言葉やあの地下での経験が俺に確信させた。

 この仕掛けはあるのだと。

「闇神殿、ね。物語はこの後、大剣の騎士がそこに潜むデーモンを倒して終わるが……」

「俺は大剣の騎士を滅ぼして終わらせる」

「なんとも救われないな」

「だから救ってやらなきゃならねぇんだろうさ」

 違いない、とオーキッドが寂しそうに笑った。

(月神の闇神殿か……)

 あの偽りの月の浮かぶ地底湖こそがその闇神殿だろう。

 だが、道は開いていた。

 つまり、閉じるのがあのダンジョンを攻略するうえでの手順ということだ。それも、道ではなく、あの偽りの月の浮かぶ天井をだ。

 そうすることであの大剣の騎士が持つ、月神の奇跡の数々を封じることができるようになるのだ。

「それで、いつ向かう?」

 オーキッドが囁くように問うてくる。

「明日にでも装備を整えて、そしたらすぐだ」

「そうか……。行くか。行くのか」

「もう少し時間をかけてもよかったが、アルトロもそろそろ本当に怒る」

 天罰は怖いからな、とおどけてみせれば、俺の顔にオーキッドが指を這わせた。

「姉様、キースをよろしく頼みます」

 オーキッドの前で俺は面頬はしない。俺もまたオーキッドの顎に指を這わせ、引き寄せるとその唇に唇を合わせた。

「うまくやるさ。今回もな」

「うまくやれ。祈っている」

 俺は妻を抱き寄せる。

 柔らかな妻を楽しませるように、地上での夜を俺も楽しむのだった。


                ◇◆◇◆◇


 ――――月神の特化聖印+2:

 騎士キースが回収した、名も失せた聖女の蝋材を用いて作成された特別な聖印。

 辺境では祈りのために使われる聖印であるが、これは月神の奇跡を扱うための触媒でもある。

 また、作成には騎士キースが手に入れた聖女のローブの灰も使われている。


 国母オーキッドが愛したとされる騎士キースの奇妙な噂話に登場する道具のひとつ。

 聖なる灰と蝋でできたこの聖印は、所有者の信仰心を高めるだろう。


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