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 それは外套を被る。走狗が街角に立っている。

 それは暗闇を被る。魔術の霧と共に移動する。

 それは知識を被る。底知れぬ知恵で傍に立つ。

 時としてデーモンより恐ろしい者。魔法使い。

 闇を恐れよ。霧を恐れよ。象牙の塔を恐れよ。


     ――魔法使いについて

   『神聖帝国騎士団団長』ノー・ト・リアス



                ◇◆◇◆◇


 賢者の工房に降り立った怪蟲のボスデーモン。その全貌は外套の闇に隠れ、見通すことはできない。

 だが道中で戦った怪蟲のデーモンたちを思い出せばいくらか想像は付く。

 手足は人より多く、その全身は甲殻に覆われ、素早く動き、毒の刀を振り回す。

 辺境人の熟練の戦士にも匹敵する武術の腕を持ち、奇妙な歩法を使いこなす。虚実交えた戦法で確実に命をえぐりに来る。

 このデーモン。雑魚の方は喋れはしなかったが、確定している。

 怪蟲のデーモンは、知恵あるデーモンである。ダンジョンの法則に縛られていようと、その本質は危険すぎるデーモンだ。

『あ、あ、あ、あ、アッシ、アッシはよぉ。き、き、記憶に過ぎねぇ、んんんんんだぁぁ。元のアッシは既にみやこで死んでいてぇぇ、アッシはこの地に来れなかったァァァ』

「ちぃッ、早いッッ!!」

 喚きながらもするりとした動きで接近してきたデーモン。

(それにでかい!!)

 素早さに見合わぬ巨体。小型の巨人並か?

 すかさずハルバードを振るうも、奴の掲げた毒刀が俺の刃を軽々と防ぐ。

 打ち合う。火花を散らす。膂力が強い。動きも早い。覚悟はしていたがやはり並の相手ではない!!

『あ、あ、アッシはぁぁああああああああ!!』

 奴の身体が宙を跳ねる。巨人なみの巨体が跳んでいる。「うぉ!」ぐるん、とそのまま回った・・・。両の手に握った双剣が、高速回転する歯車のように俺の身体に叩きつけられんとする!!

「ぬぉッ!!」

 慌てて背後に下がるも、奴の振るう双刃は雑魚の刀と違う。その体格に相応しく、それぞれが大剣並の長さを持つ。

 下がる距離が足りねぇ。「くそッ!」奴の振るう毒刀を鎧の硬い部分で防いでいく。衝撃に身体が揺らぎそうになる。肉体に衝撃が通っていく。これだけで致命的なほどに活力が削れていく。

 蟲のデーモンだとわかっていた。だから盾は身につけていない。

 いや、背負っているという意味でなら集魔の盾は身につけている。鼠の指輪もここに入る前にヤマに切り替えている。

 それでも、この攻撃を盾で防ごうとは思わなかった。

(盾ではこの奇妙な武術は防げねぇ。怪蟲相手に盾は不利だ。この剣術、おそらく盾をうまくかわして当てることができる。盾で防ごうと思ったなら、俺を相手にしたアザムトと同じ結果になるだろう)

 そもそもが奴の双剣が大剣すぎて騎士盾でなければ防げないというものある。だがあんな糞重い盾とハルバードを同時に扱ってこの疾さのデーモンを相手にできるわけがない。

 ついでに、だ。

「人の目ではダメかッ!!」

 消耗覚悟で龍眼を発動する。このデーモン、疾すぎるし強すぎる。動きを捉えきれない。

「薬もだ! 使っていく!!」

 大きく背後に跳ね、牽制代わりにハルバードを片手で振るう。急げ。デーモンはすぐ来る。素早く片手を動かし、筋力上昇の水薬と皮膚硬化の水薬を袋より取り出す。瓶の口を歯で砕き、中身を飲み干す。

 余裕はない。それでもこのクラスのデーモン相手なら気休めでも威力を上昇させたい。亡霊相手なら触れただけで絶命させるほどの威力を持つが、デーモン相手ではそこまで威力は上がらない浄化特化の聖水をハルバード内部の空洞に叩き込む。

 己を強化できる時間はそこまでだった。

『いぃいいいいいいぃいいいいいいいいいいいい!!!!』

 刃を持ったデーモンが鞠のように跳ねて俺に襲いかかる。右の目に宿った龍の眼が相手の動きを捕らえる。しかし動きが見えようとその疾さは人知を超え、その膂力は巨人のようだ。

 そして毒の滴るその刃。如何な酒呑より譲り受けた無毒の指輪を持とうとも、受けるのは厳しすぎる。

 否、否否、そもそもがその刃の長さ。腹にぶち込まれれば俺を上下に分けて余りあるほどに巨大すぎる!!

「おらぁッ!!」

 大きく飛び跳ねるようにして相手の攻撃を避ける。反撃の余裕はない。相手は強い。それでも、それでも戦っていかねばならない。勝利しなければならない。

 だが、このレベルの強敵相手に、気力だけでどこまでいける!?

「どこまでも――」

 双大剣が首刈りの鎌のように振りかぶられる。喰らえば死ぬだろう。

 だが、大丈夫だ。よく見ろ。避けられる。最初はその動きの巧みさに戸惑ったが、攻撃を捨てれば避けることはできる。

 怪魚のデーモンの鞭を思い出せ。あの髭の鞭に巧みさはなかったが、あの鞭は、この刃よりも疾かった!!

『死死死死死ぃぃぃぃいいいいいいいい!!』

 絶叫する怪蟲のデーモン。その刃を躱しながら俺は叫ぶ。

「――どこまでもだ! お前が死ぬまで! お前を殺すまで! 俺はけして折れることはないぞ!! デーモン!!」

 それでこそだと手の内のハルバードが熱情をくれる。

 それでこそだと身につけた聖衣オーキッドとリリーが勇気をくれる。

 それでこそだと胸のうちにある聖女様の肋骨が仄かな暖かさをくれる。

『死ね死ね死ねぃ! アッシの為に死ぃぃいいいいい!!』

「騒ぐな! お前が死ねぃ!!」

 ハルバードを振るう。がきり、という強い音と反発。糞、当てたが、甲殻に防がれた。衝撃が通った様子はない。聖水とオーラだけでは足りない。威力が欲しい。ベルセルク――いや、これは使えない。このレベルの相手に一瞬でも脱力すれば俺は死ぬ。殺される。

「それでも」

 俺は一人だ。だが一人ではない。

「それでも! 殺してみせるぞ!!」

 関節部を狙うのは難しい。内部へ衝撃を通すことを狙ってメイスに切り替えるべきか。

『ああああああああああああああ、ああああ、アッシ、アッシはああああああ!!』

 混乱したように叫び、俺に飛びかかってくるボスデーモン。攻撃するのは諦めて回避に専念する。その殺し方を思考する。龍眼を発動させたまま、刃を避けつつ牽制代わりのヤマの火を投げつけ、


 ――火に触れたデーモンが、燃える・・・


「は?」

『ぎぃぃいいいいい! ぎぃぁああああああああああ!!』

 のたうち回っている。強敵が、難敵が、俺の眼の前で。炎に包まれて。

 ヤマの火の火力があがったわけではない。俺の魔力はそんなに強くないし、火球には今までどおりの神秘しか籠もっていなかった。酒呑との出会いは関係がない。

『よぉぉぉくもぉぉぉおぉ!』

 立ち上がるデーモン。奴の持つふたつの大剣は色のない工房でも鋭く、鈍く光る。だが、俺は滑るように近づく奴の攻撃を大きく避け、ヤマの炎を再度投げた。確信が欲しかった。

『あああああああああああああああ!!』

 燃える・・・燃えていく・・・・・。炎の直撃を受けたデーモンが、燃えていく。

 その生命を奪うまでには至らない。しかし、ヤマの火は奴の命を焼いていた。その瘴気を確実に削っていた。

「効くのか。ヤマの火が」

 だが、俺がちょうど持っていたヤマの火が効くだと? 戦いはそんなものじゃない。このダンジョンにそんな都合の良いことがあるわけが――否、と俺の思考がある事実に至る。

 素材収集人。白の部の第一編に出てきた男の死因。それに、なぜか、今、思い至った。

「あれの死は、大賢者の使った死の霧。そうか、魔法・・魔術・・。刃や打撃ではなく、魔力を用いた攻撃こそが。……だが、それは、つまり」

 泣き虫姫の昔話。あれは、読み解くことでデーモンの殺し方がわかる、のか?

 デーモンは未だ燃えていた。俺の拙い炎が効いていた。これこそが俺のような馬鹿が導き出した推測の答えそのものだった。

 ぶるりと身体が震えた。奇妙な恐ろしさが脳髄に染み渡ってくる。

 そう、そういえば、狩人の話。あれに出てくるのは月狼だ。同時に、狩人のデーモンとの戦いでは巨大な月狼が出現した。月狼の皮は斬撃に強い。槍を持っていたから俺はあの狼を殺すことができた。だが、この事実に最初から思い至って戦えば、俺は初撃であの狼に致命打を与えられたかも知れなかった。

 他にもある。思えば俺は、リリーのような戦士でもボスデーモンと戦えたことを不自然だと思わなかったのか。神の青薔薇。そのデーモンに大陸の騎士でしかないリリーがどうやって勝利した?

 そう。そうだ。リリーは賢かった。

 奴は泣き虫姫の物語を紐解き、それぞれのボスデーモンの攻略法を見つけたのだろう。

(だが、誰だ? 誰がこんなことを考えた?)

 俺は、このダンジョンの探索で、何か得体の知れないものの影を初めて感じた。

 神か? 人か? それともデーモンか? この企みは、誰のものだ?

 幽閉塔、怪魚を倒した先で滅ぼした歌うデーモンの影がちらつく。なぜ奴らは己の滅ぼし方を地上へ向けて放っていた?

 泣き虫姫エリザえりざののろいうた。これは、なんの為の歌なんだ?

「いや。そんなことを考えている場合じゃない」

 戦いの最中だ。俺は敵を燃やせたが、けして油断していい相手じゃない。戦いの最中に考え事などしていれば容易く殺されるぞ。

 のたうち回っていた怪蟲のボスデーモンが立ち上がっている。

 当然ながらヤマの炎を2度当てただけではボスデーモンの持つ巨大な瘴気は削りきれない。

 それでも効いていないわけではなかった。その身体からは甲殻が燃え落ちていた。柔らかい肉を曝け出している。動きも鈍くなっていた。

『いいぃ、アッシはぁぁ、ただ賢者様にぃぃいいい』

「もういい。お前は滅べ」

 相手が弱っていようとも、油断も慢心もなく、ハルバードを振るう。

 肉に刃が埋まる。筋力強化の水薬の効能は切れていない。大剣を持つ腕を根本から斬り飛ばす。


 ――あとはもう、雑魚の怪蟲のデーモンよりも容易くその存在を滅ぼすことができた。


 デーモンを殺した後にソーマが1本。無数の金貨。鍵。白いポーンの駒が転がる。

 そして、それを拾う前に――雑音――デーモンとなった人物の記憶が――否、これは、素材収集人の記憶ではない。

 素材収集人は全てが始まる前に死んでいる。このダンジョンには取り込まれていない。

 ならば、俺が見るこの記憶は――


                ◇◆◇◆◇


 ――硝子の割れ砕ける夢を見た。


 物音。引きずられる音。悲鳴。悲鳴。悲鳴。悲鳴。人の悲鳴。

「お父様。お父様。ごめんなさい。ごめんなさい。お、お祭りが見たくて……もう勝手に城の外に出ないから……」

 器具の音。硝子の擦れる音。足音。男の声。器具の音。人の悲鳴。

「やめて。やめてください。お父様。マリーン。それは何? そ、それは何なのッ!?」

 足音。沈黙。器具の音。

「アルホホース? え……なんでこんなところに。それに、なんで、そんな目で私を?」

 悲鳴。悲鳴。悲鳴。暗転。

「いやぁ……にいさま……にいさま……いやぁ……もう……いやぁ……」

 声。老人と男性の声。それは聞いてはならぬこと。密室の謀議。

「お望み通りだぞ。王子どもで実験は済ませた。だが、本当にいいのか? あれもこれもそれも、お前の子供らだったのだぞ」

「ああ、構わん。余と妻さえおれば子などまたいくらでも作れる。それにしても、王族が素体にちょうど良いとはな。余でさえ気づかなかった。全く、マリーンよ。お前のところの素材収集人は優秀だ」

「神をも恐れぬ。権威を知らぬ。無知蒙昧とは全く恐ろしいわい。ゆえ優秀とてこんなことに気づくのは危なかっしいからのう。既に殺したわい。だが、この有様。この有様か。神々が見たらなんというか。起点はあの愚昧ラルヴァとて、ここまでするか。帝王よ。お主は恐ろしい」

「何をいうか大賢者。くれてやった我が息子ども8人全てに嬉々として処置を施しておいて何を言う。それに神々。くく。神々か。忌々しい。ああ、エリザは計画通りに辺境に送れ。善神大神殿に馴染ませる。地下のアレの波長とだ。それと、駒は忘れるなよ」

「無論。無論じゃてな。駒は既に護衛の騎士に埋め込んである。本人らは何も知らん。故に、エリザベートは知らずに駒を連れ歩くことになるじゃろう」

「ならばよい。神々。神々か。くく。主神ゼウレ生命神シズラスガトム。化物の分際で人界の王たる余の親を気取りおって。余は人よ。ゼウレの計画には乗らん。人のまま人を超越し、人のまま人として死する。それが人よ。人の王の生き様よ」

「各地の弾圧もそれか。エルフを根絶やしにし、巨人を討伐し、ドワーフを酷死する。世界樹を薪に。黄金銅オリハルコンを鉛に。エーテルを汚液に」

「そうだ。マリーン。我が大賢者。余はやるぞ。奴らの権能を余すこと無く奪い取り、神などという、人の頭の上に立つ気持ちの悪い化物どもを至尊の座から引きずり下ろしてくれる」

「その為に、守護龍を捕獲し、精霊を焚べ、妖精を狩る。辺境人はデーモンどもへの当座の壁とし、その間に大陸の神秘を駆逐し終える。神なき世。神秘なき大陸の出来上がりか。媒介たる神秘がなければ脅威たるデーモンどもも次第に大陸の人間を認識できなくなるであろうな……」

「そうだ。そのようにして我は人の世界を守る。創生の終わった世界に神は不要なのだ。ゼウレの計画など下らぬ。何が、神のきざはしだ。英雄の階だ。神人計画プロジェクト・ゴッズレプリカントだ。神秘などというものはな。所詮、種さえ割れれば価値をなくす幻影にすぎん。故に、余自らがこの世界のハラワタを裂いて開いて暴いて、全てを余すこと無くつまびらかにしてくれようぞ」


 途切れる意識の中。そんな、恐ろしい話を、私は、聞いた。


 ――俺は、冒涜的な悪夢を見た。


 そう、俺は知っていた。

 知っていたのだ。王族こそがもっとも恐ろしいデーモンとなると。

 ならば、先の道中で出会った8体のデーモン。その正体。

 ただ王と王妃と姫が2人消えただけだというのに、不自然に後継者がなく、分解した統一帝国。

 ああ、畜生。この記憶は、けして外には漏らしてはならないものだと、俺は――。


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