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最悪の気分だった。ボスを倒したというのに心が全く晴れない。ムカムカとした気持ちで俺は息を吐き出した。
手の中には白いポーンの駒があった。素材収集人のボスデーモンが残したものだ。白ポーン。兵士の白駒。
「裏の物語。いや、白の部か。こちらも変わらず16体のボスデーモン。黒の部と同じということか」
素材収集人は扉には描かれていなかったデーモンだ。ポーンということは、8体。それぞれの扉の先に1体ずつ配置されているのだろう。
全て泣き虫姫に登場している。だから俺は知っているのだ。
白の部の人物を思い出す。
素材収集人、は俺が倒している。
残るは、
吟遊詩人。
書庫の番人。
『宰相』星の聖女。
神聖帝国騎士団団長。
エリザの姉たるもうひとりの姫。
四騎士、名失いの暗殺騎士。
巨人の長。
「……強敵だらけ、だな」
こちらにも油断できない強敵がいる。四騎士。巨人の長。騎士団団長。そして、
「神聖帝国の宰相たる星の聖女。……ああ? 聖女? 聖女だと。まさか、聖女様までデーモン化してんのか」
はぁぁぁぁぁ、と地面に向かって息を吐く。頭を抱えたくなる。なんで俺が、この辺境人たる俺が聖女様を殺さにゃならねぇんだ?
「四騎士がデーモン化してる以上、聖女様だけ無事ってのはねぇんだろう。だがそれにしたって」
俺が殺さなけりゃならねぇのか。聖女様を。俺が。この俺が。辺境人たる俺が。
あんまりな気分。工房の隅に転がっていた椅子に腰掛けた。金属鎧を含んだ俺の体重はそれなり以上の重い。ぎしりと椅子が軋む。
精神的な疲れだ。あまりにもあまりな事実。今見た記憶に憤怒は湧いた。デーモンの奸計かとも思った。だが、俺は大陸の結末を見ている。あれは偽りではない。そのように滅ぼしたのだ。皇帝自身が手はずを整えて。
だから4000年の時間をかけて、大陸の神秘の全ては滅んだ。滅ぼされた。
その最後には俺が関わった。ゼウレの言葉を告げる『神託の聖女』エルヴェット・
「英雄。そう呼びたくはねぇが英雄は英雄。その執念、時をも超えるってやつだな。……だが、ったく、参ったな本当に」
周囲を見渡す。工房だ。いろいろな道具が転がっている。瘴気はない。ボスデーモンを殺したからだろう。記憶の断片を流し込んでくる瘴気も消え去っていた。
それに、ボスデーモンを倒したからか、色がついている。
それとも始まりたる素材収集人を倒してダンジョンの深度が増したか? これからはもうこの風景か? 何かのし掛けか?
色がついてよくわかる。ここは床や壁に血飛沫飛び散る工房だ。苦い秘密の満ちる邪法の場だ。
過去にここで行われた惨状を知る俺からすれば気分はよくはない。それでも、
「聖域を作っておくか……」
少し頭を冷やした方がいい。足りねぇ頭に情報を大量にぶち込まれて混乱している。憤怒すら一時的に消えるほどの脱力感が俺の身体には満ちている。
聖印とスクロールで聖域を形成する。これで転移ができるようになったが転移はしない。
地上にはまだ戻らない。戻れない。今戻れば挫けそうだった。オーキッドの顔を見て泣き出さない保証がないぐらいに、知った事実が俺を打ちのめしていた。
それから、これから殺さなければならないデーモンたちについてもだ。考えたくはねぇ。憂鬱になる。それでも考えないといけないが。
「とにかくだ。まず、酒呑を助ける」
装備の点検をしながら足りない頭で考える。俺にできることなんてそう多くはねえ。せいぜいが壊すと殺す。その程度。とにかくやれることをやってやる。それで化物どもは全部殺す。それでいいだろう? なぁ、俺よぅ。
使った武器を全て出す。魔鋼のものもだ。魔鋼の武具は使い潰すつもりだが、整備に差別はしない。命を預けるからだ。武具は武具。刃は刃に過ぎない。俺は神官じゃなくただの戦士だ。それを忘れてはならない。
一本一本、刃の調子を確かめつつ、軽く砥石で研ぎ、油を塗り、布で拭く。柄や鞘が緩んでいそうなら修繕する。
(ギザギザ槍と茨剣が少し面倒だったが、こんなものか)
全てが終わったら鎧と盾の調子を確認する。油を塗り、布で拭く。関節部や留め金なども丁寧に、丹念に確認していく。
「気疲れだけじゃないか。少し、疲れたな。本当に。よく戦った」
「もっとも、届いているかは怪しいがな」
ここは瘴気渦巻くダンジョンでも深層に近い。もはや善神の威光も届かぬ
「だがよ。なんだか楽しくなってきたな。おい」
先のことを考えると憂鬱になるが、まだ見ぬデーモンどもと戦うことを考えると楽しくなってくる。これは俺が辺境人だからだろう。俺をここまで引きずり込んだ性質だが、こういうときは助かったと思ってしまう。
気分がよくなってきたのでワインを出した。とっておいたオーキッドの弁当も出す。中に入っていたのは前回と同じものだった。パンに肉と野菜を挟んだもの。ただ量が多くなっているし、エルフの森産の珍しい
「助かる。オーキッド」
「奇跡でも使ったか?」
外界の瘴気を遮断する強欲の大袋に入れていたとはいえ、浄化の気配のする籠に入れていたとはいえ、この瘴気の渦で保存食でもない食い物が欠片も腐ってないだと? どこの神の仕業だ?
肥沃のチコメッコ? 旅のヘレオス? ヤマの浄化はないか。食い物に使う奇跡ではない。
「いや……そうだ。聖女様か」
神殿に滞在していた浄化の聖女アズルカなら腐敗を防ぐ奇跡はお手の物だろう。
「オーキッド。お前。弁当ひとつにここまでするか」
呆れるぐらいの愛情だった。俺は妻に感謝の祈りを捧げた。随分な手の込みようだが、おかげで腹の底から力が湧いてくる。辺境人は粗食でも動けるが、美味い飯は力になる。次の戦いで生き残るための力となる。
「そう。そうだよな」
最初にデーモンを殺すと決めたのは俺がデーモンどもを殺したかったからだ。
次に、時間の流れを知った。誰もやらないと思ったから、俺がやってやろうと思った。
聖女様に頼まれた。殺す理由が増えた。滅ぼす理由が増えた。
そしてデーモンどもの強大さを俺は知っていく。
オーキッドと出会った。結婚した。この欠けた俺が結婚できた。子供もできた。
ジュニア。あの柔らかいガキ。俺にできることをしてやろうと思った。
だから、あいつらに仇なすだろう化け物ども全てを、俺が殺してやろうと決めたのだ。
「ごちそうさま、だ。オーキッド」
籠に入っていた肉と野菜をパンで挟み込んだものを食べ終え、果物を齧りながら俺はワインを飲み干した。
「星の聖女か」
デーモン化しているだろうな。
殺さねばならないだろうな。
俺は鎧を着込み、面頬をつけ、ハルバード片手に立ち上がる。
「休息は終わりだ」
まずは酒呑を助け出す。そして化け物どもを殺す。
それでいい。憂鬱だが、やらねばならない。
そう決めたのだから。
◇◆◇◆◇
牢に戻る。色の戻った道筋はまるで別のダンジョンを探索しているような感慨を俺に与えたが、既に踏破している道である。戸惑いはあっても困難はない。道中で出会ったデーモンどもを殺しつつ、俺は酒呑の前に戻ってきた。
「おう、キース。怪我一つねぇとはなぁ。おめぇはやると思ったぜぇオイラはよぉ」
にっと笑った酒呑は酒入りの革袋片手に俺を出迎えた。
「ちょうどこっちも終わりだぁな。ガッハッハ」
中身の失せた革袋が床に落とされた。酒呑の周囲には同じように中身のなくなった革袋が転がっている。飲み干したのか。これだけの量を。この短時間で。
驚きつつも俺は素材収集人が落とした鍵を使って酒呑の牢を開けると中に入り、酒呑を縛っていた鎖を解除していく。
「キース」
自由になった酒呑が、助かったぜぇ、と言い。のしりのしりと牢を出ていく。
助ける代価は受け取っている。だが、酒呑。お前。
「酒呑、行くのか?」
「行くさ。我が主たるヤマはデーモンどもを滅ぼすことをお望みだァ」
……酒呑?
「おい、待て! 待て酒呑!!」
去っていく酒呑。追いかけようとするも、既に酒呑は走り出している。道中のデーモンが悲鳴も挙げられずに潰される。
俺の言葉は、届かない。
「なぁ、おい酒呑」
その言葉は、違うだろう。
「お前の役目は違うだろう」
地獄と通じた穴を塞ぐのがお前の役目だったはずだ。
デーモンを、化け物どもを殺すのは俺の役目だ。
「なぁ、おい。酒呑。待ってくれよ……」
――俺の言葉は届かなかった。
神や、その眷属には、そういう唐突さが……人と馴れ合わない……そういうものが……。
「畜生」
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