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 牢獄を突き進む。次々と遭遇する落書きのような顔をした、神威を発するデーモン。総勢8体。

 最初に遭遇した剣と盾の個体。次に槍。ハルバード。大斧。杖。メイス。錫杖。大弓。

 それぞれが強く、だが俺の敵ではなかった。魔術と奇跡を使ってくる個体もいたが、聖衣リリーの盾が無効化した。

 使っていた武器と鍵をそれぞれが落としていく。今までの道中では鍵が掛かっている為に進めない扉もあったので、一旦戻りつつ、それらの鍵を使って探索を終えた途中で、俺はそいつと再会した。


                ◇◆◇◆◇


 牢獄の一つに繋がれていたのは赤銅色の肌をした、角を生やした、筋骨隆々の大男だった。

 色のない牢獄の中で、その男だけが色を持っている。それはこの男がきちんと生きている証明に他ならない。

 ただし、人ではない。そして俺の知り合いだ。

「んん、おう。久しぶりだなぁ。キースよぅ」

 久しぶりにあったその男の全身はズタボロだった。デーモンどもにやられにやられたのか、傍目にもわかるような大きな傷が目立っている。

 伸びっぱなしの髪は斬られたのか以前より少しばかり短くなり、腰に纏う獣の皮は襤褸切ぼろきれのよう、額に伸びる一本角には微かに汚れがついていた。

(……弱っている? 瘴気吸収の権能があっても瘴気を吸収しきれていないのか?)

 それともここの瘴気が口に合わないだけなのか。今までこのダンジョンで会ってきた人々を思い出し、少し不安になる。

(こいつはヤマの獄卒・・・・・だぞ。俺が心配するようなことは何一つ……)

「どうしたよぅキース。オイラだぜぇ。忘れたのかよぉ?」

 ただ、黒く妖しい闇のような瞳だけが以前と変わらず、剛毅さを湛えていた。

「いいや覚えてるさ酒呑。で、お前、左腕はどうした」

 酒呑しゅてん。ヤマの眷属たる鬼。俺に炎の奇跡を扱う炎獄の指輪を与えてくれた男だ。

 以前見た時と違い、大層なやられっぷりに見える。それに、左腕だ。無くなっている。根本から断ち切られていた。

 俺が問えば酒呑はガハハと笑う。腕の付け根を俺に見せ、「凄まじいデーモンだった! 根本からばっさりよぉ!」と豪快に言い切った。

「何にやられた?」

「わからんぜぇ。深層に踏み込んだらあっという間だったからなぁ。だがありゃ、ちょいと格が違ったな」

 俺は唸る。残りの四騎士のうちの3名、それとも覇王だろうか? いや、刃の魔術を大賢者が使ったかも知れない。またアルホホースは聖人だが武人の側面を持つ。神官の禁忌たる、刃の禁を破ることなく刃と同じ結果をもたらす奇跡ぐらいは得ている筈だ。

 ……該当者が多すぎる。絞り込めない。詳しく聞こうとも思ったがやめる。聞いてもあまり意味はないと気づいたからだ。

「で、おめぇはここまで来たか。来ちまったか。キース」

「ああ。来たよ。俺はここまで来た。酒呑」

 酒呑の闇色の瞳には少しだけ、哀れみが混じっていた。

 俺の口端が釣り上がる。胸を張る。俺は望んでここにいる。

「キース。この先はよぉ、つれぇぞ。どうあってもただ戦うだけじゃ済まなくならぁな」

「知っている。全部覚悟の上だ」

 そうか。と酒呑は言った。それで終わりだ。俺が答えた瞬間に、すっぱりと俺への哀れみを捨て去っていた。

 ヤマの眷属らしい、からっとした地上の太陽のような男だ。奴は口角を釣り上げ、笑う。俺も笑った。

「んじゃ、いっちょ頼み事でもしようかね」

「ああ。わかってる」

 俺は懐から手に入れた鍵を取り出し、牢の扉に合わせ――合わねぇなどれもこれも。

「ちッ、探してくるしかねぇなこりゃ」

「ああ、キース。ここの鍵ならでけぇ蟲みてぇな気色の悪ぃデーモンが持ってるのを見たぜぇ」

 蟲? 怪蟲のデーモンか? ここまで進んでから出会うのは珍しい。この辺りでは魔術師と神威のデーモン以外は見ていなかったからだ。

「素材収集人ラルヴァ。性質は優れた愚物。この工房の主よ。やり合うなら気をつけろよぉ。以前鍵を持ってた雑魚とは比べ物にならんぜぇ」

「主……? ここの主は四騎士じゃないのか?」

「騎士ぃ? 違ぇなぁ。違ぇぞ。ありゃ、ただの蟲よ。地を這うしか能のない。毒を扱う哀れな蟲よ」

 だからよぉ、と酒呑は右目に指をやり、そのまま目玉を引き抜いた。

「お、おい!?」

 俺が叫ぶも、いいから、とそいつを口にし、ごりごりと噛み砕く酒呑。吐き出したその手には指輪が転がっている。

「報酬の先払いだ。持っていけぇ」

 酒呑が指で弾いた指輪を手で受け取る。こいつは? と問えば。酒呑はにやりと笑った。

「鬼の権能の一つに受けた毒の無毒化がある。如何に辺境人と言えど、あの蟲の扱う毒はなかなか辛いだろうよぉ。持っていけ。キース」

 俺は酒呑に頭を下げた。感謝しかなかった。久しぶりにあった鬼は、変わらぬ男だった。

「すまん。恩に着る」

「ガッハッハ。助けられるのはオイラの方よ! ただし気ぃつけな。こいつはオイラの権能を完全に複製できたわけじゃねぇ。毒に耐性はつけてやれるが、所詮はそこまでよ。辺境の戦士よ。油断するな。蟲どもの刃には気ぃつけな。そんでよ」

 酒呑はにっと笑う。

「おめぇの道行きに良い戦いを、だ! キース。旅路に困難は数あれど、その全ては神のお恵みよ。乗り越えた先にはより強いお前が待っている。生命淘汰を生き残れ。万の夜を駆逐しろ。おめぇの成す偉業は、おめぇの魂の階梯を引き上げるだろう」

 それはどこかで聞いたような話だった。どこでだったか、思い出す前に酒呑は残っている手を、俺を追い出すように振る。

「さぁ、行け。おめぇの勝利をオイラはここで待ってるぜ」

 それきりだ。少し疲れたと酒呑は言い。ぐぅぐぅと眠り始めてしまう。

「そういえば、こいつは神の眷属だったな」

 忘れてはいない。少し人間臭さはあったが、やはりこの唐突さは神の眷属で、地獄の住人に他ならなかった。助け合うが、馴れ合う気はないのだろう。

 俺は酒呑に会ったら渡そうと思っていた強い酒を袋より取り出して牢獄に投げ入れておく。

「それに、本当に疲れてるみたいだな」

 寝ている。豪快に、なんの警戒もない、俺の投げ入れた酒入りの革袋がいくつか酒呑の傍らに転がったが起きない。気づいていない。敗北し、弱っているのだ。

 受け取った指輪に指を這わせる。心遣いは受け取った。俺は牢に背を向けて、探索に戻っていく。

 蟷螂の指輪を無毒の指輪に切り替えた。鼠はつけたままだ。鼠の指輪をつけていれば魔術師のデーモンたちと遭遇した際に、奴らの感知範囲のギリギリまで気づかれずに近寄れる。聖衣の盾もあることにはあるが、やはりそちらの方が殺しやすい。

「酒呑が言っていた蟲の主とやらはどこにいる?」

 袋より鍵束を取り出し、使っていない鍵がいくつかあるのを確認した。

「まずは、鍵のかかった扉を探してみるか」

 まずは可能性から潰していこう。


                ◇◆◇◆◇


 鍵のかかった扉を見つけ、中に入っていく。それは死体の入った牢獄であったり、通路を封じる鉄扉だったりした。

 死体に触れたことで想起される死の記憶を乗り越えつつ、長櫃を3つほど見つける。中に入っていたのは瓶が3つ。全部同じものだった。

「んん、こりゃ、危険そうだな……」

 たっぷりと中身の詰まった液体入りの瓶だった。危険な神秘の気配が強い。ここまであからさまだと、おそらくは毒薬の類だろうと思われる。一応回収しておく。長櫃からの入手だ。使い方を間違えなければ有用な道具になるだろう。

「それで……ここか」

 神威を放っていた8体のデーモンども、それから回収した8本の鍵。その最後の扉を開き、その先の通路を進む。

 相変わらず通路に色はない。だから、この先にあった巨大な実験工房もまた、色のない空間だった。


 ――幻影が見えた。いつかの記憶で見た外套の男がいる。工房の中心で少女を老人に捧げている。


「ッ……!! 油断、するなッ!! 俺!!」

 強い瘴気を天井から感じた。警戒は最大。幻影を振り払い、周囲を注視する。

 色のない巨大工房。その天井より一体のデーモンが降ってくる。

 それは怪蟲のデーモンを大きくし、少し以上に凶暴に彩ったらこうなるだろうなという個体だ。

「ここにいたかッ、ボスデーモンめ!!」

 袋に茨剣を叩き込み、竜刃のハルバードを取り出す。

るぞ!!」

 戦いが始まる。


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