156
茨剣片手に色のない路地裏を突き進んでいく。
ここは薄暗い。そして湿っている。気分はよくならない。徹底的に気が滅入る。
「ちッ、またか」
灰鼠のデーモンは無数に湧いてきていた。姿が見えた瞬間に、シッ、と茨剣を勢い良く虚空に向けて突いた。
意思を持っているかのように、青毒の茨によって繋がれた刃片が毒蛇がごとくに灰鼠のデーモンを襲いかかった。
弱いデーモンなのだろう。あまりオーラを込めずとも灰鼠のデーモンは一撃でその偽りの生命を消失させた。
後に残るのは銅貨が一枚だ。
最近拾えるようになってきた
袋小路の先で長櫃も見つける。といってもよくわからない水薬に、何かの悪言が施された短刀、暗殺者が使う外套だの手袋だのブーツだのだ。
「薬はともかく外套に使い道はないか……」
音を立てずに歩くのにブーツはなかなか便利そうではあるが、今の鎧以上に防具として優秀なものはない。
敵に囲まれずに進むには良さそうではあるが、敵に囲まれようとも生き残れるだけの力のある防具の方が俺の好みだ。
短刀も、
探索の途中では死体も見つかった。
孤児だろうか。ボロ布を着た子供の死体だ。打ち捨てられるように死んでいる。鼠にかじられたのか、肉は残っていない。骨だけが転がっていた。その骨にも欠けている部分が目立った。
――子供の死体だった。
(これが、どうした?)
大人だろうが、老人だろうが、男だろうが女だろうが、それこそ子供だろうが死体は死体だ。今までいくらでも見てきただろうよ、俺よ?
だが、肉の体の内側を探れば、精神が乱れているのが理解できる。
(思ったよりも動揺がひどいな。ジュニアのせいか? 瘴気の影響か? 俺は弱くなったか?)
怒りは力だ。戦士の力の源だ。だが、この戸惑いのような、悲しみのようなものは……。
触れた。ひどい記憶が流れ込んでくる。死だ。大量の死だ。街の人々の死だ。抗いようのない。ただただ理不尽な死の津波だった。子供の記憶だからか。何が起こっているのかはわからない。ただただ強い感情の並がぶつかってくる。強い恐怖の感情が荒波のように俺の意識を揺さぶった。
王都の路地裏に見えて、死体の持つ記憶は神殿街の人の死だった。やはりここは、真実王都ではないのだ。記憶の中の王都なのだ。
死に引きずられないように心を強く持つ。
ゼウレに祈りを捧げた。魂の安寧をヤマに祈った。
「だが、一体どれだけの……」
死が、ここで撒き散らされたのか。
理解できない動揺は吹き飛んでいた。
身中に怒りだけが燃えるように存在していた。
(やはり、地上にこいつらを出すわけにはいかねぇな)
俺が失敗すれば、地上のオーキッドやジュニアがこのようになる。
怒りは刃を研ぎ澄ませた。
灰鼠のデーモンを切り裂き、俺は進んでいく。
◇◆◇◆◇
次第に、デーモンが変化していく。
灰鼠は未だ出る。しかし新たに2種のデーモンを見かけるようになる。
落書きの顔を持つ少女のデーモン。
そして、それを攫う怪蟲のデーモンが現れるようになった。
少女のデーモンは牢獄の調理場で見かけた目玉のデーモンのように無力なそれだ。俺が近付こうと刃を振り下ろそうと逃げようとも抗おうともせずにただ消滅するだけの弱すぎるデーモン。
だがその少女デーモンを攫う、ボロ布に身を包んだ異形のデーモンがヤバ過ぎる。
俺は別に少女のデーモンを護ろうとしているわけではない。目障りなデーモンだからどちらも殺そうと思っただけだ。
「だが、なんだ。こいつは!!」
俺と対峙する人攫いのデーモンは
「くそッ、
まるで風、いや、水のようだった。俺の突き出した茨剣は敵を捕らえられない。毒蛇ごとき茨剣の一撃をすり抜けるようにして、デーモンは俺へ接近。避ける間もなく、両手に握った刃を鎧の隙間に突き立ててくる。
「ぐッ……クソがッ!!」
激痛。苦鳴が漏れる。金剛鋼の鎧とはいえ、関節部まで守れるわけではない。突き刺された部分から激しく血が吹き出た。双剣には毒でも塗ってあったのか意識がくらりと飛びそうになる。
黒の森を抜ける際に高めた俺の毒に対する耐性を抜いてくるなど、どれだけ強い毒を使っているのか。
「ちぃッ! 面倒なッ!!」
袋から解毒の丸薬を取り出し飲み下す。まるで百足が如くに絡みつこうとしてくるデーモンに強烈にオーラを込めた打撃を与え、引き剥がす。
大きく跳躍して距離を取る。殴った感触から理解を得る。茨剣では殺せない。武器を変える。
茨剣を袋に叩き込む。代わりに取り出すのは
茨剣では勝てない。あの剣は軽い。肉の身体を持つデーモンどもを引き裂くには十分役に立つが、このデーモン、ボロ布の隙間から見えたが蟲の甲殻だった。それも酷く硬そうな装甲。
(茨剣の刃は毒々しいが、華奢だ。正面からじゃ、装甲を抜けるか怪しい)
無論、関節部なら抜けるだろうが、奴の速度は早すぎる。レイピアの使い方は熟知しているが、茨剣に賭けるには状況が危険すぎる。
故に、ギザギザ刃の槍だ。幽閉塔で手に入れた鋭く歪な槍にオーラを充溢させれば、どこに突き立てても装甲を抜くことができる。
『キュィィィィィッッ!!』
蟲のような鳴き声を上げ、怪蟲のデーモンが襲いかかってくる。勝負は一瞬。失敗すれば俺はまた傷を負うだろう。
雑魚相手にこれ以上消耗してたまるかよ!!
「おらァッッ!!」
デーモンの動きは、水を泳ぐ魚のような、風に揺れる柳のような、疾く、滑らかで、捉えようのない動きだった。
判断は一瞬だ。
龍眼。踏み込み。烈火のごとき鋭さで、槍を地面に向かって突きこむ。
ぎぴぃ、という悲鳴。槍が軋む。腕に強い衝撃が走る。だが、御器囓のごとき不気味なデーモンの身体は、煉瓦敷の道に縫い付けられていた。
喜んでいる暇などない。深く呼吸し、袋から銅剣を取り出した。このレベルのデーモンを相手に、槍の固定は一瞬だ。早く! 早くとどめを!! 踏み込む。「おらッ! 死ね!!」動けなくなったデーモンの身体に刃を落とす。「死ね!!」何度も、何度も落とす。「死ねぃ!!」その身体が、魂が滅びるまで。
「……はぁ……はぁ……はぁ……なんだ、こいつら……」
オーラを強く込めたというのに、この怪蟲のデーモン。俺の斬撃に5回も耐えた。銅兵のデーモンなみの強靭さに、それを上回る鋭い攻撃。肉眼で追うのが厳しい奇妙な歩法。
「化物か」
そう例えたのは冗談ではない。並の戦士なら何もできずに切り刻まれる程度にここのデーモンは強すぎる。いきなり跳ね上がった難度に吐きそうになる。
「それで落とすのが銀貨か。安いか。これは?」
地面に転がった銀貨を見て呟く。わからない。俺に金の価値など。それに、何度かこのデーモンを殺していれば銀貨以外に双剣も落とすんだろう。
「しかし、久しぶりに傷を負ったな……」
最近はボスデーモン以外で傷を追うことは珍しかったが、俺の身体に傷をつける敵が現れる……と……は――なんだ、この思考は。
「ちッ、俺よ。神殿騎士になって、慢心したか?」
所詮俺は才なき凡夫だった筈だ。死にかけのクソガキだった筈だ。知らず、思い上がっていたか?
ふん、と鼻から息を強く吐いた。自分に酷く腹を立てる。慢心は己を殺す。おっかなびっくり幽閉塔を進んでいた頃の方が、俺は強かった。
気を引き締め直す。そして傷を改めて見た。鎧の隙間に刃を突き立てた敵の手腕は見事というほかない。畜生が、デーモンめ。その技術に感嘆してやるぞ。
傷は薬を使うほどではなかった。それでも毒消しの丸薬を飲み、肉を食って回復を早める。つけっぱなしにしていた鼠の指輪を外して病耐性の指輪に切り替える。毒耐性でない以上、効果はそこまで高くはないだろうが……槍を振るった。
鼠の指輪を外した途端に、そこらの灰鼠のデーモンが気性も荒く襲いかかってきたからだ。
「ち、面倒な。だが、このぐらいの方が俺にとっちゃいいかもしれねぇな」
多少、気が抜けていた。強くなったと勘違いしていた。
それでも、と俺の口角が吊り上がった。この先、どれだけやばいデーモンが出てくるのか。
戦士としては、それが少しだけ楽しみだった。
◇◆◇◆◇
そうして俺はその死体を見つけた。
それはこの路地裏に無数にある袋小路の一つにひっそりと転がっていた。
なんでもない死体が、魔女たちが行う密やかな秘事のように、隠されるように転がっていた。
それは子供とも大人ともつかぬ、ただの死体だった。
生命超克。死者の記憶を乗り越えることで、辺境人は強さを得ることができる。
だから俺は、死者の安寧を祈り、記憶を再生すべく触れた。
記憶が流れてくる。
それは、とある祭りの日の路地裏の記憶だった。大陸の統一を祝うべく、神聖帝国が国を上げて行った大祭だった。
そんな日の路地裏だった。
申し訳程度に服装をみすぼらしいものに変えた小さな少女がいた。
少女は、顔に微かな喜びを浮かべながら、おっかなびっくり路地裏を進んでいた。
その少女を俺は知っていた。
記憶の主は知らずとも、俺の知っている少女だった。
路地裏に似つかわしくない、貴種の匂いのする少女だった。だが、路地裏にいても不自然ではない少女だった。この少女は、こういう悪癖があった。少女を慕う騎士達が、その度に連れ戻していた。
路地裏から大通りへと繋がる位置に、外套を着た男がいた。少女は気づかない。
なんでもないような顔をした凡庸な男だった。少女は気づかない。
少女は、祭りの喧騒へと飛び込むべく、楽しそうに顔を輝かせ、暗い路地裏から光り輝く大通りへと向かっていく。少女は気づかない。
男が腕を振り上げた。少女は気づかない。
――だから、それは避けようもないことだった。
すれ違い様に男が少女の身体に
少女の身体が路地裏に倒れ込んだ。大通りは喧騒に満ちている。祭りに人々は浮かれている。ほんの少し、闇に目を向けるだけで気づける悪行に、誰も気づかなかった。
男は嗤っていた。そうして、地面に倒れ込んだ少女を荷物のように肩に担いだ。
「ひっひっひ。なんてこった。なんてこった。あまりに隙だらけすぎて思わずやっちまったよぅ」
まるで少女の正体を知っているような口調だった。
仕方ないねぇ、と男はつぶやいていた。
なんでもないように、闇の中に歩いていった。
ぼんやりと、そんな光景を
少女はエリザだった。
記憶は終わる。
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