153
「どこから入るんだこれは?」
巨人が使うがごとき巨大な大扉を見て俺は首を傾げた。
漆黒の大扉はまるで冥府の門のようだった。閉じられた扉は夜の闇のようにぴったりと口を閉ざしている。
周囲を見て敵がいないのを確認すると、俺は武器を地面に置いて扉に両の手を掛けた。力を込める。動かない。少しだけ距離を取り、剄力を練って叩きつけるように――「ぬぅ」――反動で腕がイカれるかと焦った。衝撃が通らないからといってこっちに全部衝撃が返ってくるとは。
扉に手をあてる。泰然としている。表面はつるりとして、不思議な素材でできている。殴りつけようが蹴りつけようが銅剣を叩きつけようが時が止まったかのように何の変化もない。
ただし攻撃の全ては反動として俺に返ってくる。
扉に叩きつけた衝撃の全てが返ってきたことで傷んだ腕をさすりながら、再び扉に手をかけた。今度はベルセルクを自力で発動し、全身から力をひねり出す。増大した筋肉の全ての熱量で扉を押す。押す。押す。欠片も動かない。
息を吐いた。虚脱感が全身に襲いかかってくる。疲労で筋肉がへこたれている。周囲に敵影はない。力が回復するまで少しかかるか。ベルセルクはやはり、度し難いほどに安全に欠ける。
「だがこうまでしても開かねぇ……力じゃ無理か。これは」
俺がどれだけの力を込めても、その全てが扉には通っていない感触があった。例え水薬を飲んでやっても同じ結果だろう。単純な力は意味がない。
この大扉は都市を封じていた白亜の門と同じだった。開くにはなにか条件があるのだ。
「周囲をもう少し探索してみるか?」
都市の全てを俺は探索していない。急いでいたし、広大だから後回しにした。というか、何も取っ掛かりがない状態で探索しても良い結果が得られないと考えたからではあるが。これでは都市の方になにか仕掛けがあるのかもしれない。
そこまで考えた所で俺はそれを見つける。
「これは、なんだ?」
大扉の近く。盛り上がったような黒石の台があった。その表面に小さな穴が無数にある。あからさますぎた。どう考えてもこの開かない扉と無関係ではないだろう。
この穴。つまり大扉用の鍵でも探してきて差す必要があるのかと思えば、そんなことはない。
この無数の穴。いや、
「そういうことか……」
俺は袋からチェス盤を取り出した。盤を開く。そこには力を全く感じない、不気味で奇妙な黒駒達が並んでいる。
俺は少しの覚悟をして、駒の一つをつまみ、穴に向かって押し込んだ。
するりと、まるで吸い込まれるようにハマる。そうして、カチリと音を立てた。
「だが、大扉に変化は――いや、まだ1つ目だ。判断するにはもう少し……」
不気味だが、恐ろしいが、他に手はない。
駒を取り出し、穴にはめる。続けていく。
ポーンの駒を4つほど入れたところで扉が音を立てて開き出した。
わかっていたとはいえ、どうしてか辛い気分になってくる。開けてしまったという気分になってくる。
「
まだ入らない。この位置からでも扉の中は見える。
全く同じものとは思わなかったが、上の神殿とこちらの神殿では中身が違う。
扉の先はホールのような空間になっていた。暗くはない。むしろどこから光を得ているのか。そこは奇妙に明るい。
「だが、明るいのか。あれは……?」
暗くないだけに見えた。あれは明るいが、その本質は光ではないのかもしれない。
ただ恐ろしい、という印象だけを俺は覚える。
色を失ったかのような世界がそこにはある。
――灰の世界。
扉の先に、豪奢な神殿の建築物が見えた。精緻な細工の施された柱が並んでいる。紅から紅を抜いたかのように濃い炭色のカーテンが翻っている。燃えカスのような色のない花びらが舞っている。
景色の全てが色あせている。
どうしてか。それに悲しさを覚える。それに美しさを覚える。
「俺のような、無骨な
まだ扉の中には入らない。
ホールの中には扉が8つ見えた。灰の扉だ。その全ては閉じている。
「あー、つまり?」
手元には黒駒がまだ残っていた。黒の台に戻る。その全てを穴にハメていく。
灰の世界側で音が響く。妙に胸に響く振動。振り返れば6つの扉が開いていた。
埋めた穴は12だ。穴の全ては埋まっていない。黒の駒を俺は全て手に入れていない。
ナイト、ルーク、ビショップ、ポーンの駒がそれぞれ一つずつ足りていない。
「ポーンは、あの時になくしたが……」
龍と意識が同化していた時、有り余る力で無理やりに修道女長のデーモンを殺した。だがその後の王妃の出現時のゴタゴタでデーモン討伐の証たる駒を回収できていなかった。
あれはダンジョンに取り込まれたと考えていたが、この黒駒の性質を考えるとそういう楽観はいけないような気がする。
「では、どこにいった?」
考えてもわからない。探すべきだろうか? だが、あてもなく探すわけにもいかない。手がかりすら掴めてない。
……いや、時間がないのだ。手間をかければかけるほどに、地上とここでは時間の乖離が深まっていく。
ポーンの駒は後回しにする。できることから片付けていくべきだろう。
そう、黒駒全てを手に入れるには、倒さなければならない強敵がいるのだ。
「兄龍ダニエル」
先に見た龍だ。都市を焼く炎。炎龍。俺に、あれを殺せるか?
「無双たる銀剣アルファズル」
それを俺は見ていない。だが残るエリザの物語の表の登場人物は彼だけだ。帝国最強の騎士。王の四騎士に匹敵……いや、物語では彼こそは最強と言われていた。恐らくは四騎士よりも上だろう。
この都市で俺はボスたるデーモンを見ていない。
兄龍ダニエルが核たるボスかとも思ったが、これだけの闇を抱えたエリアだ。恐らくは、アルファズルこそがボスだろう。
考えて、武者震いとも恐怖ともわからぬ震えが俺を襲った。勝てるか? それでも勝つしかないんだが……。
俺も強くなった。だが、デーモン化した騎士の最強に勝てるとは全く思わない。なにより、俺はアルファズルの戦いを知っている。商人の死の記憶が、大陸最強の強さを記録している。
美しい剣だった。勝てるとは、微塵も思えないほどに。今の俺と差がある。
「それでも、一体一体、倒していかなければな……」
最強だろうが、無敵だろうが、俺が倒す。俺が殺す。地上のオーキッドを想う。ジュニアのことを考える。俺が、やらなければならない。
ままならんな。この探索の全ては、そうしなければならない、で溢れている。
「最初は、どういう理由だったか……」
自棄も混じってたが、楽観しかなかった気がする。デーモンが殺せる歓喜だけしかなかった覚えがある。
だが奥へ奥へと進み続けてこんなところまで来ちまった。爺がこんなやばい場所を隠してるなんて全く想像もできなかった。
あんな、ぼろっちい納屋の地下にこんなもんがあるなんて欠片たりとも考えなかった。
ただのデーモンの巣だと思ってたんだよな……。
「爺。あんた結局、ここの何を知ってたんだ?」
俺は爺にここのことはひとつたりとも聞かされなかった。だが、爺は、知っていたのか? あの得体のしれない爺。知っていて黙っていた可能性は――あるだろうが。
「死んじまったからな。問いただすこともできねぇか」
神殿に頼んで降霊術を行って貰えば可能性もあるだろうが、それにしたってそこまでして聞くような話とも思えない。謎があろうがなかろうが、どちらにせよ。ここの首魁を殺せば済む話だ。
「そう、だな。全部終わってから報告するってんでもいいかもな……」
むしろそちらの方が面白いかもしれない。降霊術ってのは、死者の安寧を考えればあまり面白いことでもないんだが、俺がやってやったぞと爺に自慢できるならそちらの方が面白い。俺を小僧小僧と馬鹿にしくさったあの爺のことをしばし考え、俺は息を吐いた。
「落ち着いた」
俺はなんでもないように、あっさりとその灰の世界に足を踏み入れた。
空気が変わる。ざらついている。死者の記憶に関わる雑音のような響きが満ちている。俺の肌へぴりぴりと刺激を齎してくる。
「……あまりよくないな。ここは……」
瘴気の質が変化している。おぞましさではない。なにか不安を覚えるような気配が満ちている。
あからさまでない分、ヤバさの質が跳ね上がっているように思えた。
ちらちらと奇妙な風景が見える。脳に干渉されている。小さな子どもの視点だ。
「子供、いや、この記憶の感じはエリザか? 俺に、何を見せようとしてる?」
――雑音――雑音――雑音――笑顔で見下ろしてくる人々――他愛のない日常――侍女――騎士――王――神官――雑音――雑音――雑音――
「ん、んん? ただの記憶か?」
なんでもない日常だった。
だが、16ある裏の物語をふと思い出す。
表がエリザの神殿での話なら、裏はエリザが神殿から王都へと帰還する話だった。
あまりおもしろくない話だったが。それでもエリザの話として辺境で伝えられている物語だ。
そして俺は知っている。
――エリザは帰還しなかった。
できなかった。泣き虫姫エリザは帰れなかった。彼女はこの地で死んだ。彼女はこの地で終わった。
ならば、裏の物語とはきっと。彼女の幼少。王都にいた時のこと、なのかもしれない。
「っても、俺に難しいことはわからねぇが……」
わからないが、やるべきことは決まっている。
銅剣の柄を強く握る。
この先に何があろうとデーモンは全て殺す。それだけだ。
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