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 納屋の前だ。これから俺はダンジョンへと向かう。見送りの為か周囲には人が多い。

 ずしん、と巨大な木箱をオーキッドの傍に控えていた司祭様が地面に置いた。

「騎士キース。これがご注文の品になります。神殿謹製。聖女様の祝福のかかった聖水95本。それに加えて特別な聖水が5本」

 括りとしては上級聖水に分類されるのだろう。

 この聖水1本にして金貨1枚……いや、金では買えない品だ。

 最前線たる軍に優先して卸されるべき品。

 それをわざわざ俺のようなものにこれだけの数を授けてくれるとは、本当に聖女様たちには頭が上がらない。

「感謝を。司祭様」

 にっこりと司祭様は微笑んでくれる。

「貴方の努力の賜物ですよ。それではこちらが目録になります。騎士キース」

 ……目録。司祭様に渡された紙を手に、困った顔をする俺。

 ああ、と察してくれたのか司祭様が俺に渡した紙を俺から取り上げ、読み上げてくれた。

「浄化特化聖水が80本。解呪特化聖水が15本。結界構築特化聖水が5本。それぞれ異なる方々による特化型聖水になります」

 よくよく見ればそれぞれ瓶の蓋の色が異なっている。浄化型が赤。解呪が青。結界が黄。戦士には文字が読めない人間も多いので配慮してくれているのだろう。

 それに、先程言っていた特別な聖水。結界構築用のものか。どう特別なのかはわからないが。込められている神秘は本当に神々しい。

(誰の祝福か気になるが聞くのは野暮ってもんか)

 感じる神秘は本物なのだ。重要なのは誰が・・ではない。聖水の性能だ。

 そして、この聖水は傍目から見てわかってしまうほどに、強力な神秘を内に抱えている。

「助かります。司祭様。本当に」

「いえ、神殿騎士たるキース殿に手を貸すのは神殿として当然のことです。それと、騎士キースに祝福を」

 司祭様が手をこちらに差し出してくるので俺は膝を落とし、聖印片手に額に祝福を受けた。ゼウレの司祭による祝福だ。これからデーモンをぶち殺すに当たって受けておいて損はない。

「んじゃ、アタシも」

 周りの人々の中から聖女アズルカもやってきて、聖印片手に祝福を授けてくれる。

 俺自身も祈りを捧げた。あの穢れた都市に侵入すれば、恐らく祈りはきちんと届かなくなるだろう。

 これから向かうのはそういう場所だ。善神の力の及ばない、真に破壊神の領域に近づいていくことになる。

 だからこそこの地上で主神ゼウレと月神アルトロに祈りを捧げる。

 ゼウレ司祭の前だが、ゼウレとアルトロは父と娘の関係だ。ゼウレ司祭に祈るに当たって問題はない。

「騎士キースに勝利があらんことを」

 そう言って司祭様が一歩下がる。「がんばりなよ」と聖女アズルカも下がっていく。

 司祭様の脇に控えていたオーキッドがジュニアを抱えて俺の前にやってきた。

「弁当だ。もってけ」

 押し付けられる植物の茎を加工して作られたバスケット

 バスケット……。商業神の名前と同じものだ。

 旅においての幸福を祈る為に、商人の妻が夫に対して行う風習。

「本当は、領主の妻として行いたかったが。辺境にはそういうものが見当たらなくてな。キースが世話になっているダンジョン猫殿は商業神バスケットの眷属だというし、つまり――そういうことだ」

「……そういうことか」

 答えを返せば、ああ、と恥ずかしさをごまかすように、オーキッドが頷いた。きちんとできずに済まないなどとも言ってくる。

 しかし、そういうことと言われてもどういうことか全くわからないが、気持ちだけは伝わってくる。

 領主に関してもだ。そういうものがないのはわかっている。そもそも辺境に土地持ち領主はそんなにいない。みんな土地を広げて内政をするよりもただ一人の戦士としてデーモンと戦う方を好んだからだ。

 辺境人は総じて貧しいからな。土地を貰ったところで面倒を抱えるだけなのだ。

 大陸から税を徴収する為の代官のようなものも来ていたが、ゼウレの宣告の件もあって、彼らはもう退去している。

 だから、この辺境においてオーキッドのような内政好きというのは本当に珍しい部類だった。

(それにな。あまり気にするな。オーキッド)


 ――俺はもうオーキッドからは十分に貰っている。


 胸の内にある暖かさ。以前と違いオーキッドがくれた聖衣『聖牛のマント』はほのかに暖かい。

 これがあるから勇気が湧いてくる。そういうものをオーキッドは俺にくれた。

 俺にはそれで十分だ。

 それこそがあの冷たい場所で、ときに剣や鎧よりも心を預けるに足るものになることを、俺はもう知っている。

 オーキッドが何かを言いよどみ、そうしてから思いついたように顔を明るくする。

「そうだ。キース。ジュニアに何か声を掛けてやってくれ」

 だぁだぁとこちらに手を差し出してくる我が息子。

「何か、か」

 これ・・に俺は父として何かしてやれたのだろうか?

 わからない。わからないな。

 俺は迷宮で手に入れた善神の聖印を息子に握らせ。神に祈った。

我が息子ジュニアが健やかでありますように)

 空を仰ぐ。ゼウレよ。祈りは届いただろうか。

 そんなことを考えていればだぁだぁと息子が聖印を振り回して俺に殴りかかってくる。

 こいつはいつでも元気で無邪気だ。

 俺の気持ちをわかってるんだろうか。


 ――何かを残してやれればよかったんだが。


 何も持ってない父親で悪かったなジュニア。

 ただお前の母親は内政が上手い。安心して生きろ。オーキッドならお前を飢えさせることはないだろうからな。

「強くなれよジュニア。何か問題が起こってもだいたい殴ればなんとでもなるからな」

 そんな言葉をかけてみれば「キース。なんてことを」と怒ったようにオーキッドが俺の頬をつねってくる。

 見送りに来ていた様々な人々が俺たちを見て笑い声をあげた。

 聖女アズルカ。人馬の英雄サテュラーナ。エルフの姫アリア(オーキッド、いつの間に仲良くなった?)。神殿に駐留する聖騎士達。彼らにしごかれている文官共。俺を親分と慕う武侠ども。


 暖かい場所だった。


 その暖かい場所から俺は。


「オーキッド」

「うん」

「行ってくる」

「キース。無事に帰ってこい」

 無事に帰る保証はできない。

 俺の用意からオーキッドも察しているのだろう。

 呪いに対して完全な耐性を持つ筈の辺境人が上級聖水を100本も必要とする場所だ。

 予感はある。

 確実に、それこそ幽閉塔など比較にもならないほどに危険な場所に踏み込むことになると。

「保証はできない。俺が戻らなかったら――」

「待っている」

 オーキッドの断言に。手で顔を抑え、空を仰ぐ。

「努力する」

 それでいいとオーキッドは言った。

 ジュニアがだぁだぁと聖印片手に笑っていた。


 こういう暖かいものを地上に置いて。

 俺はあの暗く冷たい場所に行くのだ。


                ◇◆◇◆◇


 鎧姿の壮年の男が俺を待っていた。

「アンタは」

 転移のスクロールで飛んだ先。神殿前広場。

 ドワーフの爺さんの槌の音が聞こえる。猫の奴が視界の隅でごろごろと鳴いている。

 水神を殺した影響だろう。以前よりも濃い瘴気が薄く漂っている。

「ふむ、待ちくたびれましたぞセントラル卿」

 纏う神秘は薄い・・

 大陸人だ。

 いや、違う。

(薄い、だと?)

 オーキッドや王のような例外でもなければ完全に消失している筈の神秘をその男は纏っている。

 それに強い。見た限りだが断言できる。並の辺境人よりも確実に、この男は、強い・・

「その鎧。その威風。俺は……アンタを知っている」

 そう、俺はこの男を大陸で見たことがある。

「ああ、申し訳ない。遅れましたが私はコールドQのオルランドと申す者。見ての通り、騎士ですな」

 オルランド・セイント・シンシナティ。

 王より聖剣チルディを授けられたとされる聖王国聖騎士序列第一位。


 ――『大陸最強の騎士』。


「ははは。なぜこんな所に、という顔ですなセントラル卿。ええ、率直に言いましょう」

 そして彼は言うのだ。

「私にもここを探索させて欲しい。デーモンを殺させて欲しいのだ。セントラル卿」


 ――幸福な死後の為に、神の為に働かせて欲しい。


 騎士はそう言い、頭を下げた。



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