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執務机に座るオーキッドは目の前の騎士を前にして、内心の動揺を押し隠しながら応対した。
(おいおいおい。これは一体どういうことなんだ?)
たった数日で問題が解決していた。オーキッドが抱えていた問題の多くが、だ。
「では、西の村に関しては私たちでやっておきます」
「検地はともかく農業指導に関しては領主代行殿にやっていただくことになりますが」
「東の街道に出た
任せた、わかっている、了解したとオーキッドが言葉を返せば騎士達は頷いてバタバタと慌ただしく執務室を出て行く。
ちょうど部屋の外には先日までオーキッドの傍についていた文官たちがおり、彼ら彼女らは部屋から出てきた騎士たちを見てぎょっとした顔をした。
文官を見て騎士達の顔が凶相に歪む。文官たちは逃げ出そうとするも、神速で取り押さえられ、悲鳴を上げつつも騎士たちによってどこかへと連れ去られていく。
すわまた諍いかとオーキッドが立ち上がりかけると、部屋の隅にいるキースが手を上げオーキッドを制した。
止める必要はないのだという姿に、戸惑いながらも椅子に座りなおすオーキッド。
そうして先程まで執務室にいた彼らの姿を思い出す。
騎士。騎士である。
驚くべきことに騎士の一団がオーキッドの仕事を手伝っていた。
領主館に駐留している神殿の戦士達が、だ。
彼らは土地こそ領有していないが、キースと同じく神殿に所属する騎士である。
神殿騎士。圧倒的な武力を誇り、文字が読め、現地の村人に尊敬される、そういう男たちだ。
だがオーキッドに彼らを自由に扱う権利はなかった。
彼らが駐留していたのは内政をさせるためではない。ダンジョンの監視の為だからだ。
「なぜ彼らを使えるようになっている?」
オーキッドは部屋の隅でジュニアをあやしている
「戦って負かしていうことを聞かせた。それよりオーキッド。お前は早く
星読み。占星術の一種だ。
オーキッドの知る大陸の占星術は怪しげな詐欺師の扱うまじないじみた詐術でしかない。
だがこの辺境で扱われるものは正真正銘の本物である。
極めれば限定的とはいえ、未来を予知することも可能な術をあの人馬の英雄は会得していた。
だが、そんなことよりもまず問うべきことがオーキッドにはある。
「戦って、言うことを、聞かせた……。じゃ、じゃあこの、今まで検地を渋ってた他の村も? いきなりこの村に来て傘下にいれてくれと言ってきた周辺の武侠どももか?」
頷くキース。頭痛を抑えるようにオーキッドは頭を抱えた。これは悪手なのか? それとも好手なのか?
「ああ、村に関しても武侠に関しても代表者を負かしてきた。まぁ、武侠っても、あのろくでなしどもは黒蝮の親分のとこの連中ほど強くはねぇがな。お前の言うことを聞くように言い含めてあるから。好きに使え」
「好きに使え……って……」
飯だけは食わせてやってくれ。と言われ、唸る。キースがいる間は
成長の早い食物などは毎日穫れ、家畜はたくさんの仔を産むようになっていた。
農業指導も順調だ。押しかけてきた武侠どもは問題なく養えるだろう。
ついでに言えば増やしたオリハルコンのナイフを売ることでいくらか財政の回復も行えている。
「それで、お前の悩みはこれで終わりか?」
息子に無精髭を引っ張られて痛そうな顔をしている夫。さっきまで騎士がいたためだろう。面頬をつけている。鉄の面で顔の全ては見えなくとも息子は親を親と認識しているらしい。
オーキッドは微笑ましい気分に一瞬絆されそうになるが、意識をしっかりと保ち思考を続けていく。
キースのおかげと言っていいのか。人的問題も交渉問題も全ては解決している。
そう、暴力を用いたが問題は解決したのだ。これが後でどう作用するかはわからないものの、窮していた現状は打開されている。
(だがなぜこうも皆素直に……暴力など使えば反乱が……いや、違う。部族社会か! この土地は――ッ!)
なぜ気づかなかったのか。
オーキッド自身がそうだったではないか。
オーキッドはキースを負かすことでキースを得た。
最初からわかっていたことだった。ここでは強さが重んじられるのだと。
騎士などという制度や辺境郡という括りもあるにはあるが、根本的に彼らは独立した勢力なのだ。
だからその村や集団で一番強いものを叩き潰せば言うことを聞くようになる。
外敵の多いこの土地では強いものに従うことがコミュニティの生存につながる。辺境の民はそういう文化を持っている。
「もし跳ねっ返りがいたとしても、俺がいない間は神殿の騎士どもに相手をさせろ。一線を退いた老兵と軍に所属してないならず者どもだ。黒蝮の親分みたいな例外を除きゃ、連中は神殿の騎士よか弱い」
ついでのように、神殿の連中にてめぇらのとこの人間なんだから文官どもを鍛えるように言っておいたぞ。と言われオーキッドはなんとも言えない顔をする。
文官達が騎士達に引きずられていったのはそのせいかと。
だが、とオーキッドは思った。
この夫、オーキッドが思うよりも優秀にすぎる。
暴力を用いたとはいえ、ここまで綺麗にオーキッドの抱えていた問題を短期間で片付けられるとは。
「なぁ、キース。お前は、なんでもできるのか?」
きょとんとした顔でオーキッドを見たキースは口角を歪ませてくつくつを笑う。なんだか馬鹿にされたような気分がしてオーキッドは唇を尖らせた。
「くくッ。できねぇよオーキッド。俺はな。そもそもこの土地の何が問題なのかさっぱりわかんねぇ。今回はお前が困ってたからどうにかしただけで、本当のところを言うと、この土地が富もうが痩せようが俺はどうでもいい」
デーモンが出てくれば戦士として殺しに行くだけだ、とキースは言う。
辺境の問題の1つだった。辺境人は生物として強すぎて内政を重視しない。
だが、そう言い切ってしまえるキースの姿はオーキッドには少しだけ悲しく思える。
何かがあれば自分の命すら放り出して駆け出していく瞬きのような男なのだと。
根本からそういう人間なのだと思わされて。
「そう、か」
飽きたのか陽射しが暖かいのか。ジュニアがキースの膝の上でうとうとしていた。赤子を渡され、当初戸惑っていた男の姿はそこにはない。
ただの父親のように、オーキッドには見えた。
キースが穏やかな顔をしてジュニアの頬をつついている。
「だが、お前がやりたいなら、やればいい。困ってることがあれば言えばいい。今回みたいに解決できるかはわからねぇが、聞く事ぐらいはできる。何もわかんねぇ俺にもな」
少しだけオーキッドは驚いた顔でキースを見る。
そこに先程感じた悲しさはない。
ただの夫の姿があるだけだ。
「お前は……ほんとうに……」
――私をどれだけ惚れさせれば気が済むのか。
ほんの少しでも長く、この居心地の良い時間が続けば良い。
陽光注ぐ執務室で、オーキッドは心の底からそう思うのだった。
◇◆◇◆◇
「親分じゃねぇっすか!!」
うっすおっすと思い思いに中庭で寛いでいた
腕の中のジュニアはむくつけき男どもが近づいてきてもだぁだぁと興味深そうに髭面のおっさんたちに手を伸ばすだけだ。
「若もお元気そうで」
髭を引っ張られた巨漢がでへへと凶相を歪めて笑う。親分。親分かぁ。
(領主様、って感じではないんだろうな。俺は)
そして俺の方も言われても困る。
全然全くそういう気分ではないからだ。
領主。騎士。妻を持つ夫。子を持つ親。聖女様達と普通に接している自分。農夫ではなくなった俺。
ただ、あの納屋に潜り始めてから全ての状況がまるで幻のように感じる時がある。
地上に戻る度に世界は進んでいく。自分は何も変わっていないのに自分を見る視線だけが変わっていく。
それこそが時間に取り残されるという意味なのかもしれない。
わいわいと騒ぐ侠者どもの中にいれば、近くで鍛錬をしていた騎士や館の使用人も近寄ってきて騒がしくなってくる。
空を見る。青かった。陽の光。青い草の匂い。清浄な空気。暖かな温度。人の喧騒。最愛の妻。
腕の中にいるジュニアがだぁ、と声を上げた。
(サテュラーナが戻ったら……)
――ダンジョンに戻るか。
ふと、思った。
思ってしまった。
こうして陽光の下にいるというのに。
俺の魂は。
どうしてか、あの邪悪なる闇を欲していた。
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