ダベンポート 王村セントラル

139


「ハハッ、オーキッド。すッげぇな、おめーの旦那。こりゃ、すげぇよ。よく生きてるわ。ハハハッ」

 椅子に座る俺の前には奇妙、というか破廉恥な女がいる。

 いや、流石にそれは失礼か。破廉恥な女ではなく、破廉恥な聖女様。

 『浄化の聖女』アズルカ・ダベンポート・デッドブレイク。瘴気や呪いなどの悪性の浄化を得意とする、対呪特化の聖女様だ。

 無論、聖女様であるからには、聖撃エリノーラ神託エルヴェットの聖女様達とて浄化は得意分野の内ではあるが、この方はその上を行く。

 実際、この方があの時にいれば神酒を用いなくともリリーの解呪は可能であっただろうと思われた。

(最も、そんな気軽に解呪を頼めるような存在じゃないが……)

 そもそもが、こんなところにいるのがおかしい人物だ。本来は暗黒神との戦いの為に最前線にいる筈の方である。

 それがなぜ、こんな、最前線から遠い寒村なんぞにいるのか不思議でならない。

「あー、聖女様。まだ時間がかかるの、ですか?」

「んー? あー、ぼちぼちね」

 俺の問いに聖女様がべしべしと俺の腕や胸を平手でぶっ叩きながら答える。

 戦士との勝負に勝利した俺が連れてこられたのは、俺が地下にいる間に建てられたという村付きのものより少し大きな聖堂だった。

 この方を連れてきたことを含めてオーキッドの手腕なのだろうか? また、納屋自体はそのままでもそれを囲うように屋敷が建っていたりと(俺の家は隅の方にひょっこりと残してあるようだったが)、地上の変化が著しい。

 ちなみに今回の探索では1年程度の時間が経過していた。オーキッドから聞かされたその時間に少し呆然としてしまう。

 覚悟はしていた。だが、せいぜいが長くて半年程度とも思ったがそうではなかったのだ。

 前回の探索で経過した時間が3か月だ。同じ幽閉塔にいたのに一回目が3か月で二回目が1年とは差がありすぎた。

(瘴気の濃度だろうな……)

 以前の探索に比べれば今回の探索は短い。だが、あの怪魚のいた空間は瘴気が濃密に過ぎた。

 辺境人でさえ狂死しかねない程の濃密な瘴気。

 そんな空間で神と戦えばそれなりの代償をとられるということか。

 そんなことを話しながらダンジョンにて身体に染み付いた瘴気の浄化をと連れてこられたのが聖堂だった。

 そして、その先で待っていたのがこの浄化の聖女アズルカ様だ。立派な方との評判だが、外見は破廉恥な方である。聖女様たち共通の修道服を着ているものの、その胸元は大きく開かれ、袖や裾は短めに作られている。そして大らかにもそれらを隠そうともせずにケラケラとよく笑う。

 聖女様のなんとも破廉恥な姿をじっと見るわけにもいかず、そっと目を逸らす俺に対して聖女アズルカは気にした風もなく興味深そうに俺の身体を診断している。

 診断……。なんとも奇妙な響きだ。呪いなど浄化の力を浴びせて終わりでいいと思うのに、この聖女様は、俺に対して診断などという医者みたいな行為を行っている。

「それで、妙に時間が掛かってますが、この人は大丈夫なんですか?」

 オーキッドの問いに聖女様はうむと頷きながら。

「ああ、全然大丈夫ではないね」

 む、と俺とオーキッドの眉が寄る。取り乱すようなことはないが、その言葉に何か言いたくなる気分を抑えて聖女アズルカの言葉を待つ。

「何をやったんだが……全身にアタシでも浄化しきれないほどの瘴気……いや、これは神気だね。そいつが染み付きやがってる。何千って人間の憎悪と怨念さ。そいつをこいつの精神力がなんとか耐えてるって構図か? ただ、全く苦しそうじゃないね騎士キース。自分が死にかけてる自覚あるかい?」

 神気。憎悪。そいつは怪魚のものだろう。殺す際に無茶をして瘴気の海に飛び込んだのが問題だったのか?

(それとも、あの黒い円盤か?)

 異質で不気味な怪魚の先にあった奇妙なデーモン。そいつを思い出すも、問題はそうではないと考え直す。

 死にかけているのだ。だが、その言葉には首を傾げてしまう。全く負担はない。むしろ神を殺したおかげで肉体が強くなり、常に好調という程度には身体の調子もよくなっている。

 適応したのか。今はもう怪魚を殺した直後の、引き攣ったような皮膚や筋肉の違和感も収まっていた。

 そんな俺の感想を聞いた聖女アズルカはわっかんねーな、と呟いた。

「っかしーなー。この呪いの量は普通の戦士ならば死んでる系なんだけどなー。この原初聖衣が原因かぁ?」

 聖女アズルカは俺の皮膚に癒着するそれらに触れて眺めて、首を傾げた。

「騎士キースはこの規模の汚染に耐えられる『神の使徒』じゃねーしな。加護量全然だもんなー。使徒にはなれんもんなー。あー、まー、一応浄化はしてみるけどここまで根付いてると浄化しても発狂して死ぬ系のなんやかんやだけど。騎士キースは自覚ある?」

「いや、ないです」

 ただ、なんとなく俺が生きている理由はわかる。

(リリー。お前か……)

 肉体と魂を犯し続ける瘴気に蝕まれながら、その生涯を全うした女を俺は知っている。

 そいつは魂となり、俺の傍に常にいる。

 聖女アズルカの言葉で俺と同じ結論に至ったのかオーキッドが俺の顔を見ながら頷いた。

「我が姉ながら、死んでも変わらないか」

「助けられている。今も、昔も」

「そうか。それならいい」

 少し複雑そうだが穏やかに頷くオーキッド。

 そんな俺達を見て首を傾げていた聖女アズルカだったが、まぁいいかというように俺の身体に浄化の力を注ぎ始めるのだった。


                ◇◆◇◆◇


「貴方の息子だ。私が産んだ」

 聖女アズルカの浄化を受け、心持ち軽くなった身体で屋敷を案内するオーキッドについていけば、ついた先の部屋で赤ん坊に引き合わされた。

これ・・が? の?」

 だぁだぁと木製の木馬型ベッドで俺を見上げる赤ん坊。男か女か。たぶん男だろう。オーキッドは息子と言っていたし。ぱっと見たところオス・・っぽい顔つき。

 呆然とする俺を見て微笑むオーキッド。そりゃあ、男と女が同じ屋根の下にいたんだ。やる・・ことはやったさ。

 だが、いざできたと言われると本当に困る。なにせ俺の中の時間は一日程度しか経っていないのだ。それでガキができた、と言われても。

「実感がない」

「そうか……うむ……そうだろうな……私は腹を十月十日痛めて産んだわけだが君は行って戻ってきただけだからな……っと、キース。君の戦いを軽く見ているわけじゃないぞ。時間にして一日、というそれだけの話なわけだ」

「ああ、わかってる。大丈夫だ。お前が俺を軽んじているわけではないということぐらいはな」

 うん、と頷くオーキッド。その顔は残念というわけでもなく嬉しいというわけでもなく、ただ穏やかだ。

 他人と関わることで時間の経過が凄まじく早く感じる。胸が、痛い。

(1年とは、こんなにも早く物事が変わるものだったか?)

 何もかもが、潜る前と変わっていた。

 俺が怪魚を殺す前、地上にはこんな屋敷はなかった。

 知らない顔も増えていた。

(それに、ここは、子供部屋……なんだよな……)

 わざわざ作ったのだろう。陽当りの良い、広くて綺麗な部屋だ。

 部屋の隅には子供の玩具らしき木彫りの人形や綿の入った縫い包みなども見える。

 窓の外には青空と小さな木が見え、枝には小さな鳥たちが止まり、囁きを交わすように鳴いている。

 この部屋も、地上も、どうしようもなく暖かい。

 なぜだか泣き出したくなるのはどうしてだろうか。

「そうら、ジュニア。そこのおじさんが君のパパだぞ」

 声に振り返ればオーキッドは赤ん坊を見下ろし、その柔らかそうな頬を指でつついていた。

「ジュニアっつーことは……」

「おらずとも父親の偉大さがわかるように君と同じキースと名付けた。ジュニアと呼んでやってくれ」

 母親の顔でオーキッドがにこにこと笑う。見たことのない表情だ。

 温かい部屋だった。温かい場所だった。温かさがここにはあった。

 デーモンの気配などどこにもない。争いとは無縁の場所。


 ――ここは、本当に辺境か?


 手を取られる。見ればオーキッドが笑っている。

「ほら、キース」

 赤ん坊ジュニアに向けてオーキッドが俺の手を伸ばす。戸惑うにように差し出された俺の指を赤ん坊が小さく握った。

 赤ん坊。弱々しい力だ。だが、その身体の奥底から奇跡のようなも感じる。

(こいつは、ゼウレの加護か。生まれながらの貴種ならばもって当然の……。なるほど、これが聖女様が欲したオーキッドの血か)

 なんとも優秀なことだ。生まれながらに良い戦士の、いや、領主の資質を持っている。

 だがしかし、こいつは本当に俺の息子なのだろうか。

 俺などいくらデーモンを殺してもゼウレの奇跡どころか加護1つ授かっていないというのにな。

「お前、俺に似てねぇなぁ」

「おいおいキース。まだ生まれて3か月も経ってないんだぞ。君に似てくるにはもうちょっと育ってからじゃないのか? まだまだ私もよくわからないけれどね」

 「そら」と微笑むオーキッドがジュニアを抱き上げて、俺の腕の中に押し込んでくる。

「お、おい。オーキッドッ……」

 動けない。困る。こんな、こんなにも弱々しい生き物を押し付けられると。

「キース。父親だろう。一度ぐらい抱いてやれ」

「ってもよ。ああ、クソ」

 顔を歪めて泣き出しそうになるジュニアに俺の方が泣きたくなってくる。歳とったおっさんどもなら泣こうが喚こうが構わずぶん回すんだろうが、俺にはガキを抱いた経験なんぞねぇんだぞ。

 俺が握ってきたのは、自分の拳と硬い武器だけだ。

 慌てたようにジュニアの脇を掴んで持ち上げれば案の定ジュニアが腕の中で暴れだす。

「ぬ、お、うぉ。お、落ち着け」

 思っていたよりも力が強い。赤子の拳が額に当たる。

 クソ、その辺のおっさんども相手なら拳でも蹴りでもいくらでもぶちかますが、赤ん坊相手に乱暴するわけにもいかねぇ。

 やられっぱなしでなんとも言えない顔をしていれば、そんな俺たちを見てオーキッドが大笑していた。

「なにがおかしい」

「ははは、ああ、いや、思っていたがやはり父親キースそっくりじゃないか」

「ああ?」

 この赤子とか? 俺が?

 どこがだよと問えば。

「うむ。元気なところだ。ああ、キース。この子は強い人間になるぞ」

 元気って……。殴るのに飽きたのか俺の髪の毛を引っ張り出したジュニアに両手を塞がれながら、俺は笑うオーキッドをなんとも言えない表情で見るのだった。



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