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「オーキッド。どこかこの辺の丘に小さくても構わんから廟を作れないか?」
帰還してから数日が経った。
浄化や休息の名目で俺は地上に残っている。鎧や盾の修理もあるし、滞在はいくらかかかりそうだ。
さて、俺がいない間にどういうやり方でか領主代行となっていたオーキッドだが、彼女はそれなりに忙しいようで俺のもともとの家に重ねるようにして建てた館の一室で執務をとっていた。
戻ってきてから
(まぁ、もともとここの住民の大半は戦士だからな……)
聞くところによれば官吏として使える神殿関係者もそう多いわけではない、らしい。
噂程度にしか知らないが神殿は才能のある子どもが辺境にて生まれれば神殿が引き取って育てる。だが当然というべきか、うまく
話を戻そう。
「廟か? 領主たるキースの願いというならもちろん構わないが一体誰の廟だ?」
俺の願いにオーキッドは快諾してくれた。
だが、オーキッドの傍らに立っている
神殿所属にしては神秘の匂いは薄い。神官じゃねぇな。神殿所属の文官ってところか。
以前聖女様が言っていた件を思い出す。俺がいない間に政務を行う人材を神殿が用意する。その用意された人材の1人がこいつか。
「領主代行様。その、領主殿は廟といいますが、現在この領にそのような予算はありません」
然りと俺は内心で頷いた。だから小さめと言ったのだ。辺境の村で生まれるのは戦士が多い。職人なぞ戦士をやめた爺さんたちの仕事だ。だから村々には生活品を売るために行商人こそ訪れるものの、村側には売りつける特産などは存在しない。光の森のエルフどもに恩でも売れば森でいくらか採集も行えるがそれも個々人が満足する程度のものでしかない。
村で金を稼ぐのは難しい。
「む、そうだったな。予算。予算なぁ。以前村で討伐した神獣のアレは農地の改革に使い切ってしまったし……」
「大方は村人の腹の中。あとは戦士たちの私財にされてしまったのでそもそもがあまり残っていませんでしたが」
「無理を言うな。戦士の成果を取り上げれば私が殺される。余りを村におさめてくれただけでもありがたく思わないとな」
1年でだいぶ村に慣れたのかそんなことを笑いながら言うオーキッド。
「すまんなキース。ただ暮らすだけならなんとかなるんだが金銭……いや、財の備蓄がうまくいっていない。来年の収穫がとれればなんとか回り始めるんだが……」
辺境の村は貧しい。当然だなと頷く。
そして財、財か。村内で生きていくだけなら金は必須とは言えないのだが、人を動かすにも対価は必要だ。その分の食料やなにかは必要なのだろうが、それもあまりないらしい。
疑問もある。
「オーキッド。お前、農地の改革なんてできるのか?」
今日はここに来る前に探索道具の補給を行う為に雑貨屋に向かったが、その途中に見た村の畑はいくらか広くなっていたように思えた。
そうか。あれはオーキッドの仕事だったのか。俺の問いかけにオーキッドは頷く。
「大陸の方が農業技術が進んでるからな。そもそもが
流石だ、と返せば学んできたのは騎士の技術だけではないのだよとオーキッドは自慢そうだ。
館の様子を見て女だてらに上手くやっていると思ったが、やはり貴族の娘は教育の質と量が違う。
辺境人ならば、オーキッドが女だてらに政務をすると聞いた時点で、奇抜奇怪なアイデアを言っては農夫にこてんぱんに論破され、地道にやることの大切さを説かれていた泣き虫姫の話を思い出すのだろうが、
「しかし、金。金。金か。というか。この立派な館は誰が金を出したんだ? ああ、あの戦士どももだ。どうやって維持をしている? この領地にそんな金があるのか?」
辺境は貧しい。領地といっても収入なぞたかがしれている。それであの規模の戦士団を常時維持するのはとうてい現実的ではない。老人や子供で構成された自警団や、軍に入れなかった地元のヤクザもんを雇いあげるのとは訳が違う。
俺の問いに苛立ったように女官が声をあげた。
「この館も戦士も神殿のものですよ。領主殿」
何か言おうとしたオーキッドを制するように、オーキッドの傍に立っていた女官がずずいと更に前に出てくる。
「あんな危険な呪いの穴があるのです。それを監視する為に彼らとこの館はあります」
新たな神殿もそういうわけか。神を祀ることで少しでも神秘的な守りをこの土地に与えるのか。
女官の言葉でだいたいを察した俺に対してオーキッドは肩をすくめるようにして机の上の書類をつまむ。
「と、いうわけだ。キース。この館も戦士も借り物。いくらかこっちで金も出しているが、大きく負担しているのは神殿だ。滞在していただいている浄化の聖女殿に関してもここでの仕事が終わったら前線に返す予定になっている。――さて、とはいえ廟1つぐらいは建てられる筈だが?」
そんなオーキッドの様子になおも眉を顰める女官を制するようにして俺は「いや」と首を振った。
金、金、金と単純に面倒になってきた。
勝手に何か建ててばまずかろうと許可を貰いに来たんだが、こんなことなら自分でどうにかした方が早い。
「無理を言った。金についてはいくらかアテがあるので自分でなんとかしよう」
そう。もともとが俺が管理すべき土地の全てを任せてしまっているのだ。この館にしたって穴の監視にしたって本来は任された俺がどうにかしなければならないところを神殿の助力があるとはいえオーキッドが全てやってくれているのだ。
廟に関しては俺の問題だ。頼るつもりはもともとなかったが俺がどうにかすべきだろう。
それにあの頭でっかちの顔。あんまり長く見ていたいものではない。
さて、とりあえず建築といえばドワーフだろうか。俺でも小屋を建てるぐらいはできないことはないが、せいぜいが素人仕事にしかならねぇ。ここは地下のドワーフの爺さんにまかせてみるかと転移のスクロールを取り出そうとしたところで「それで」と出ていこうとする俺を引き止めるようにしてオーキッドが問うてきた。
「いったいキースは誰の廟を建てるつもりなんだ?」
◇◆◇◆◇
廟を建てる目的を言えば、「なんだそういうことなら」とオーキッドに聖堂に向かうように指示をされて俺は聖堂に向かった。
俺が廟を建てたい人物の名を知らずともその立場を聞けば察することもできるのだろう。青い顔をして黙り込んだ女官に対しては舌を出してやることにした。神官でもねぇ女官風情が、騎士たる俺にあーだこーだと言いやがって、ざまぁみろ。
さて、俺が霊を慰めたいという目的で館内に建てられた聖堂に訪れると、聖女アズルカは経緯を聞いてゲラゲラと笑った。
「ばっかじゃねーの!!」
俺が取り出した指輪2つを見て「こいつがそうか」としげしげと眺める。
どちらも幽閉塔で手に入れた品だ。『幽閉王の指輪』と『生け贄姫の指輪』である。
美しい指輪である。力ある道具ということを置いても価値ある美術品として通じる品だ。
ちなみに猫の鑑定によるところ。神器ではないが、どちらも強力な加護のかかった聖具とも言うべき品だった。
「なー、騎士キースよー。今はもう巷じゃ名前すら忘れられてなげーがよー、神聖皇帝の弟のエドワード公とその娘のアンってのはなー。幽閉されたとはいえその辺の丘に建てるちっちゃい霊廟で祀っていいもんじゃねーのよ? わかるかい?」
「そりゃわかる。わかるがな。金がねぇんだろう?」
参ったなと聖女アズルカが頭を掻く。
「オーキッドの補佐についてるあいつが言ったのかい?」
「そういえば名前を聞いてなかったな」
「あの娘は神殿の人間の癖に政治ごっこにはまっちまってるんだよ。ただまぁ金は大事だ。武具や糧食を買うのにも金は便利だし、土地を治める立場としても正しい。正しいだけだけどな。その正しさも優先すべきをないがしろにしちゃあなんにもならんさね」
真面目くさって聖女アズルカはうんうんと頷く。
「あー、一応フォローもしとくと。あの娘はアンタに反発がある。何しろ顔も知らねぇ男が急に帰ってきて我が物顔で敬愛すべき
「ああ? 俺は夫なわけだが」
「くっく。そらそうだ。ま、神殿の恥を晒したね。部下がすまなかった」
淫らな聖女、アズルカは俺に頭を下げると、次に指輪に向かって祈りを捧げ、聖句を唱える。そうしてからなんにせよと言葉を放つ。
「こいつを収めるならこの聖堂を使いなよ。ここは破壊神の封印に使うんだ。いくらか後ろ暗い入手先のものでもきちんと祀ってやれる」
「ああ、よかった。助かります」
「なんだい改めてかしこまっちゃって」
ケラケラ笑う聖女アズルカだが。本来は、かしこまるのが正しいのだ。
そして、そもそもがだ。王弟殿下の為の廟なのだ。その辺の丘に建てる廟で良いわけはなかったのだ。
粗末なものを建てるつもりはないが余りにみすぼらしいと死者の名誉と俺の名誉の両方に傷がつく。
反対意見を出されてもオーキッドがしきりに領の予算で建てるのを許可しようとしたのはその辺りの事情を慮ってのことだろうか?
(そうだな。廟を建てずに済んだしな。肥沃の神の短刀。増えた分は、ここにいる間はオーキッドにくれてやるか)
村の鍛冶屋ではオリハルコンは扱えないので、加工するならば地下のドワーフの爺さんに頼むことになるだろう。
もっとも素材はオリハルコンだ。溶かさずとも売れる。そして財の足しになる。
(まぁ、俺も夫だ。迷惑をかけている分、いくらか夫らしいところも見せないとな……)
夫婦であるという実感は薄い。それでもここにいる間ぐらいは真似事程度でも何かやっていくべきだろうと思う。
そんなことを考える俺に聖女アズルカが指輪2つを絹布を張った台座に置きながら問うてくる。
「しかし、いいのかい騎士キース」
「何がだ?」
「この聖具がありゃあんたの探索もいくらか楽になるんじゃないのかい?」
「ああ……。それはそうだな。そのクラスの聖具なら当然だ」
ならどうして、という顔の聖女アズルカ。
俺は指輪に向かって聖句を呟く。
「それでも、俺は、こうすべきだと思った。それだけだ」
民の幸福を祈った人がいた。
己の境遇を嘆いた娘がいた。
俺はそれを知っていて、俺の他には誰も知らないでいる。
遺髪も遺品もなく、縁の残る物品はこれだけだ。
そうだ。俺が彼らを弔いたかった。
それだけの話だ。
それだけの話だったのだ。
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