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 鐘は鳴らした。だが、これで何が起こったのか。起きるのか。未だ判断はつかない。

 他に選択肢が見つかっていない以上、塔の探索が空振りでは困るのだ。当然、現地に行ってあの鐘の音があの碑文のものだったのか確認をしておくべきだろう。

「とはいえ、門の向こう側の探索は一度地上に戻ってからになるが……」

 それでも何か起きているなら確認し、備えることは重要だ。場合によってはいくらかギュリシアを稼いで道具を揃える必要があるかもしれないからな。

 もっとも、進まないのはそれだけが理由じゃない。神との戦いによって破損した武具の修理が必要だったからだ。

 先の休息で俺ができる補修は丹念に行ったが、へこんだ盾やあちこちを破損した鎧などはボス格とのデーモンと戦うには心もとない。本格的な修理が必要である。

「さて。とはいえ、一応は探っておくか」

 すぐ出立はしたかったが、一応、この機械部屋の探索は行うべきだろう。

(ただ、この部屋は狭い。これ以上何かがあるとは思えないが……)

 それでも探るのはレバーを動かすこととデーモンを殺すことに気を割いていて、この部屋に関してはあまり見ていなかったからだ。

「お。長櫃があるな」

 部屋全体を見渡せば、俺が入ってきた側の壁。その隅に長櫃が隠れるようにしてひっそりと置いてあった。

 周囲を警戒しつつ中を開いてみれば、男物と女物の指輪が2つ入っている。

「これは……――」

 指輪に彫られた聖言は複雑で、俺が理解するのは難しい代物だ。だけれどこの部屋の役割。この部屋にいたデーモン。

 指輪の装飾は豪華で、俺が今まで手に入れた魔術や神術の為のものとは少し違う。

 こいつは恐らく貴人用だ。それこそ最上級の貴人の為の指輪。

 故に、彫られた聖言の力は防御にしろ攻撃にしろ今後の戦いの為に有用な筈だった。

 だが、それを袋に収めながら俺は小さく首を振った。

「……そうだな。こいつは俺が使わず地上に持ち帰るべきだな」

 誰にしたって、遺品は必要だ。貴き方ならば、尚の事。

 それに俺はもはや農民ではない。騎士となったのだ。

 ならば俺は、国と神々への忠誠の為にも持ち帰り、ここで誰に知られることなく苦しんだ彼らの為にも霊廟の一つでも建て、その魂を慰めるべきだろう。

「本当なら髪の一房。爪の一欠。骨の一本でも残っていればよかったんだがな」

 あいにくとこの場には残ってはいない。全てはデーモンとなって消えていったからだ。

 この地獄には彼らを証明するものは何もなかった。記憶を見せられ、彼らの存在を確信している俺以外には。

 この指輪とて、聖言が刻まれているとは言え、来歴すらもわからないのだ。

 物の記憶を探れる霊能者に見せれば多少違うかもしれないが、こんなところに置いてあった品だ。この品の記憶を探った者が発狂せずに済む保証はなかった。その辺りも地上に持ち帰った時に言い含めておくべきだろうな。

「本当ならこのダンジョンの全ての遺品は地上にて浄められる必要があるんだがな……」

 俺には無理だ。そこまでは面倒を見きれない。

 それに武具や薬などの有用な道具は、今後の戦いの為にも使わせて貰う必要がある。

 全てを公平に扱うことはできない。

 それでも、都合が良いと思っても、死者たちの為に祈ることだけは忘れたくはなかった。


                ◇◆◇◆◇


 転移にて移動する先は、神殿街へと通じる森の広場だ。俺が狩人のデーモンを葬った場所でもある。

「さて……。目的の場所は……っと」

 聖女様の肋骨を用いて転移した先には見覚えのある人物がいた。

「よぉ。久しぶりだな」

 灰髪の半吸血鬼ダンピール。ヴァン・ドールがそこにいる。

(ん?)

 ヴァンは聖印の傍に座り、銃の手入れをしているようだった。傍には倒したデーモンから取得したのだろう。ギュリシアがいくらか山になっている。

「おう、どうした? そんなところに突っ立ってねぇで、こっちに来て座ったらどうだ?」

 ヴァンは俺を見て、小さく笑う。何かが楽しくて仕方がない様子だが、こちらとしては自分の腕に妙な違和感を覚えていてそれどころではない。

(腕が……妙に重いな……)

 正確には腕ではない。右篭手だ。毒鉄の少女篭手が奇怪な重さを発揮していた。

 まるで警告のような重さ。奇妙なことだが、まるで語りかけられるように篭手の意図が理解できた。

「キース。どうした? 何か、気にかかる・・・・・ことでもあるのか? そんなところで神妙な顔して突っ立って」

「神妙って、俺は兜を被ってるんだがな」

「雰囲気って奴だよ。で、どうしたんだ?」

「いや、なんでもない・・・・・・

 この篭手には信頼を寄せている。だから篭手が警戒しろというなら警戒すべきであった。

 それでもせっかく出会ったのだ。俺はこの半吸血鬼の冒険者と話をしたかった。

 それになにより彼は神殿より遣わされた同じ目的を持つ仲間なのだ。

 信用すべきであったし、俺は、この地獄を共に探索する仲間を信頼したい。

 それに、ヴァンは聖域の内部にいる。彼が邪悪な存在デーモンである筈がない。

 だから俺は腕の重さを断ち切るようにしてヴァンの正面に座った。

「で、どうだヴァン。道化のデーモンは倒せたか?」

「ん……ああ。まぁぼちぼちってとこだな。接触はできたが、倒すにはもう少し機会が必要になる」

「そうか、ヴァン。お前だけが頼りだ。きついとは思うが頼む」

 俺には道化のデーモンは殺せない。

 道化の逸話から考えればあれはかなり小心で警戒心が強い。こうして奴の前に立てれば確実に殺せる実力を得た俺だが、俺は一度失敗している。あの小心のデーモンが奴に襲いかかった俺の前に現れることは二度とないだろう。

 そして殺す気で追いかけるには厨房の領域は広すぎた。また、探索も完全に終えていない状態では入れない領域が多すぎる。

 そう、如何に対峙すれば殺せる力を持つ俺とて、地の利がない以上、逃げに徹するデーモンを殺すことはどうやってもできないのだ。

(歯がゆいな……だからこそのヴァンなんだが……)

 俺ではどうやっても殺せない以上、吸血鬼かいぶつ殺しのベテラン冒険者に頼むしかなかった。

 そんな俺にヴァンは「わかっているさ」と頷き応えてくれる。

「それでキースよ。お前はどうしてここに来たんだ? 塔はどうなった?」

 俺は兜の窓を開け、ヴァンににやりと笑ってやった。

「ああ、塔は攻略した。てっぺんにとんでもない化け物がいたが殺しきった」

「おいおい、なんて奴だよお前は。流石は辺境人といったところか」

 兜の隙間からリリーの皮膚が癒着した俺の素顔が見えているはずだが、奴はそれに関しては何も言わずに拳を突き出してくる。

 俺はヴァンが突き出した拳に拳を合わせた。

 くく、と俺が笑えば、ヴァンも同じく笑顔を見せる。

 別に誰に評価されなくとも神々は見てくれている。それでも、俺がやったことを誰かが知ってくれれば誇らしくもなってくる。

 ヴァンはやり遂げた俺を祝福するように、コートの内側の空間から血のような濃い赤色のワインを取り出し俺にすすめて来た。

 受け取り、そいつを飲み干せば芳醇な香りと味に驚愕するしかない。猫から買う安いワインは良いものと言えば良いものだが、それよりもこれはずっと良い。高い酒の味がする。

「ま、全部飲めよ。そいつは祝いの酒ってやつだ。だが、そうか。さっき鳴った鐘の音はお前が上で鳴らしたからか」

「鐘の音って。おいおい、まさかここまで聞こえたのか?」

 驚く。塔と森では断裂した大地のように位置が違う。更に言えば流れる時もまた違う。だが、そうか。そうでなければ意味はない。

 おうよ、とヴァンはやり遂げた俺を祝福するように森の奥を指差した。

「ま、そいつを飲んだら行ってみるがいいさ。俺も後から探索はするが、キースよ。先陣はお前に譲るぜ」

 探索よりも装備の修復を優先する予定だったが、こう言われたならば男として行かなければ嘘だろう。

「……そうだな。そうしよう」

 そうして俺は祝の酒をぐっと飲み干すと、立ち上がった。

 そうして奴を見ながら、再び言う。

「ヴァン。道化のデーモンをどうか頼む」

「……ああ。わかっている」

「あの怪物は、この世界にあっちゃいけないもんだ」

「ああ、わかっている。わかっているさ。辺境人キース。その為に俺はここにいるんだからな」

 奴の言葉を受け、俺はヴァンに背を向けると、聖域を離れ、森の奥へと進んでいく。

 違和感はある。

 だが、俺は信じたかった。

 俺たちは離れていてもこの狂ったダンジョンを共に探索する仲間なのだ。

 だが、ヴァン。ヴァンよ。なぜだ?


 ――ヴァン。なぜ最後に俺から目を逸らした?


 少女篭手を信頼するには根拠が足りない。

 それでも、先の半吸血鬼の姿は、俺に疑惑の種を植え付けるには十分だった。


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