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 扉の先は、石造りの部屋だった。

 部屋の隅には何か板状の物が大量に入った小さな木枠の棚がある。

 また壁の三方は石を組み合わせて作られた石壁だが、壁の一つだけが、みっちりとはめ込まれた歯車で構成されていた。

 歯車は動いていない。停止している。傍には、恐らくはその停止した歯車を動かす為のものだろう巨大なレバーが見える。

(歯車に、外から見えた止まっていた大時計)

 寡聞にしてこういったものはよくは知らないが、おそらくはこの幽閉塔にあるだろう大時計を動かす為の機械室といったところだろうか?

「しかし、こいつはデーモン、なのか?」

 この部屋は狭い部屋だった。そして、部屋の中央にはデーモンがいた。

 剣を構え、警戒しながら俺は小さくオーラを練るための呼吸を行う。

(……よくわからんが……こいつは異質、だ……)

 ここに来るまでに俺は様々なデーモンを見てきた。

 巨大な人の形をしていたデーモン。動く石像のようなデーモン。床を這う芋虫のようなデーモン。両手両足を縛られたデーモン。

 宙を泳ぐ髪。鼠が集まってできた龍。人のような蟲のような魚。歩く茸。蔦でできた人形。狼。狩人。……魚そのものの神。

 だが、それは見たこともない異形であった。俺の知識にもない形をしたデーモンであった。

 それは人の形をしていた。だが人ではない。

 赤い襤褸切れのようなドレスを纏った女のデーモン。それが祈るようにして膝をつき、腰を折っている。

 顔は見えない。いや、顔はない・・

 顔は口から上が断面も綺麗に絶たれている。顔があるべき場所には、代わりに黒い円盤と骨でできた鋭い針が存在していた。

 鎧を纏っていたり、剣を持っていたりするのとは違う。それそのものが石や木であったり、肉腫や異形であったりするものとも違う。

 それはどこか、今までのデーモンとは違う種類カテゴリのものに見えた。

「これが、ボス、なのか?」

 異様さもそうだが、妙な威圧感があった。そもそも垂れ流す瘴気はボス格のデーモンだ。

 堕ちた神ほど強くはなさそうだが、雑魚には見えない。だがデーモンに動きはなかった。ただ不気味な沈黙と気配があるだけである。

 背後を見る。変化はない。今までのボス格デーモンでの戦いのように扉が塞がれている様子はない。

(……どういうつもりだこのデーモンは? 殺せる距離だが……)

 警戒心が浮かぶ。

 デーモンとの間には距離はない。一足で踏み込める距離だ。そもそもなんでこんな狭い部屋に一体だけ?

 疑惑が浮かぶも変化がある前に殺すべく。剣を構え、オーラを体内に巡らす。

「なんでもいい……まずは殺――」

 そうして戸惑う俺の前で、デーモンの黒い円盤に、女の頭から生えた針が落ちた。


『チルド9の守護龍、祖に銀龍ゲオルギウスを持つ鉄龍マタイには双子の子供がいました』


 その言葉に踏み込もうとした足が思わず止まる。

「……なん、だって?」


『それが金剛石の双子龍。兄龍ダニエルと弟龍マルガレータです』


 涼やかな声で、デーモンの口からその物語が紡がれる。

 なぜ、なぜ、ここで、これが……?

 否、そもそもなぜデーモンがそれを、語っている。


『騎士の1人も連れず泣き虫姫エリザが神殿に行くにあたって護衛を務めたのはこの二頭の龍でした』


 ふと、頭をよぎる言葉があった。

 エリエリーズ・マル・ウェンストゥス・デカヴィア。神殿の要請によって、ダンピールの青年と共にこのダンジョンに現れたエルフの魔術師。その男の語っていた言葉を。

 果たしてあの男は、泣き虫姫の物語をなんと評したか。

(『泣き姫の呪歌』などおぞましくて楽しめるものではない)

 それは、これ・・なのか? こういうこと・・・・・・なのか?


『双子の龍はとても幼かったのですが、生まれた時には既に並の騎士を打ち倒すほどの大力おおちからを持っていたからです』


 デーモンは、俺にも気づかず、ただただのろいを垂れ流している。

 言葉は天に昇るようにして、視覚化できるほどの呪いが天井へ吸い込まれ、地上へと向かっていく。

(なん、だ……これ、は……なにをやっている……こいつ、は……)

 泣き虫姫の物語は、デーモンの語る歌だった、のか?

「わか……らん……わからんぞ。俺には……」

 衝撃を消化するには情報が足りない。知識が足りない。視点が足りない。何もかもが足りない。

 それでも、やることだけはわかっていた。


『それに大いなる龍にのみ許された空を飛ぶ力もございました。馬に揺られては100日の行程を必要とするダベンポートへの道も龍に乗っていけば安全快適にひとっ飛びだったからで――』


「黙れ」

 踏み込みと共に、突き、穿つように茨剣を突き出した。

 頭の代わりに置いた黒い円盤に針を落としながら、呪いを吐き出す楽器のような女のデーモン。

 その肉体を貫いた剣にオーラをぶち込み、殺し切る。

 その不気味さに比べ、あっけないほどに容易くデーモンの肉体は破壊された。

「……これで、いいのか? 良かったのか?」

 デーモンは死に、地上に向かって吐き出される呪いの源は絶たれた。

 だが、どうしても拭い去れぬ不安が俺の心には残るのだった。


                ◇◆◇◆◇


 塔から眺める地上は果てしなく遠い。

 幽閉塔の牢獄に付属して作られたこの小さな石造りの部屋は、牢獄に囚われた貴人の世話をする使用人の為の部屋だった。

 だが、もともと自分はこんな部屋に住むべき人間ではない。きちんとした貴人用の牢獄が宛てがわれるべき貴き人間の筈だった。

 それでもここに押し込まれたのは父の世話をするためであった。

「わたくしは……どうしてこんなところに……」

 わたくしは、その理由わけを知っている。

 父が、父の兄、皇帝陛下に逆らったからだ。

 父と縁を切った母が陛下に逆らった父の血を引く私を嫌い、引き取るのを断ったからだ。

 友人からも婚約者からも縁を切られた。領地からも追い出された。

 だから私は辺境の神殿に送られた父についていくしかなかった。

「どうして……こんな……こんな……」

 わたくしは毎日毎日石造りの部屋から地上を眺めている。

 わたくしは鉄の格子の向こう側を羨むように眺めている。

 わたくしは、その理由わけを知っている。


                ◇◆◇◆◇


 頭を抑えて流入する記憶に耐えれば、俺の心に感傷を残して、貴き誰かの記憶は頭からするりと去っていった。

 デーモンが消えたあとの床には黒駒の女王とソーマが転がっている。

 チェス盤に駒を収め、ソーマを拾う。

 流れてきた記憶の中の少女は、羨むように日向の世界を眺めていた。

「貴女の死後が、憩うものでありますように」

 消えた魂のあとに向かい、ゼウレとアルトロに祈りを捧げる。

 皇帝に逆らった者の血族であるということは一生を閉じ込められるほどの罪だったのかもしれない。

 それでも死後を好きにされるほどのものではない筈だ。

「ここはどこに行っても地獄しかないな」

 浮かばれない。

 デーモンが残した不気味さは未だ晴れていない。奇妙な居心地の悪さも。泣き虫姫の物語をデーモンが歌っていた理由を俺は未だ理解できていない。

 あの地上に向かう呪いがなんだったのかを未だ俺は知っていない。

 それでも。それらを一時的に忘れ、俺は死者の為に祈った。ヤマの裁定がどうか慈悲ある公平でありますようにと。

「さて……」

 デーモンが消えても残っているものがあった。

 デーモンの頭から外れて地面に転がった黒色の円盤がある。ソーマや駒と違い、デーモンからの取得品ドロップのようには見えない。これはもっと異質で、不吉なものだ。

「これはなんなんだろうな……」

 茨剣で突き刺せば、円盤は一際濃い瘴気と共に砕けて消えた。

 歩き、木枠の棚を見る。腐ってはいるが、木の棚は触れても壊れることはない。

 中には、31枚の黒色の円盤が入っていた。

「こいつは、そういうことか?」

 つまりは、これが、泣き虫姫の物語、なのか?

 表と裏。32篇の物語。それを、ここから地上に向けて流していた、と?

 俺たちはデーモンの作った物語を喜んで聞いていた、のか?

「そうではない筈だ……」

 泣き虫姫の物語には、喜びがあった。忠義も、信仰も、人が人として生きる為に必要なものが。

 それらは暴虐を愛し、悲劇に喜び、悲嘆に耽るデーモンには表現のできないものだ。

「なら、一体。泣き虫姫の物語とは。なんだ?」

 それはそれとして、だ。こんな不吉なものを残しておく理由にはならない。

 とりあえず壊しておこう。

 尽きぬ疑惑を抱えながら俺は木枠の棚にヤマの浄化をぶち込んだ。

「必要なら疑問はいずれ解ける筈だ」

 そう、そしてそもそも俺はこんなものが目的でここに来たわけではない。

 歯車の前のレバーに手を掛ける。神殿街の前の碑文の通りならこれを動かすことで『時』が動く筈だった。

 力を込めてレバーを倒す。ガチガチと歯車が回りだし、どこからかぎりぎりと絡繰が動作する音が響いてくる。

 塔が揺れる。がちん、がちん、と何かが規則正しく動く音。


 そうして、しばらくの間待っていれば、身も震えるような巨大な鐘の音が天井越しに頭上から響いてくるのだった。


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