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 落ちていたのは10枚の金貨。それにソーマと鍵と駒だった。

 見ればソーマとわかるいつもの瓶に。何を開くのかもわからぬ鍵。

 それと、闇色の王の駒だ。

 怪魚が落とした黒のキング

「相変わらずなんの力も感じないが……」

 花の君のことを忘れてはならない。これはただの駒ではない。不吉なる力を生み出す何か・・なのだ。

 袋から取り出したチェス盤に駒を収めた俺は散々に瘴気に汚染されつくした自身の肉体を眺めてから、エルフの霊薬と聖女様製の聖水を飲み干した。どちらもこれで最後の品だ。補給するには一度地上に戻らなければならない。

「効いてきたか」

 最後の核を破壊する時に浴びた瘴気がかなり強く侵食していたからだろう。強力な霊薬と聖なる力にも関わらず、効果が発揮されるにはいくらか時間がかかった。

 世界樹を素材とした強力な治癒の神秘により、心と身体が癒されていく。根付いていた邪悪な力もまた、聖水に含まれる聖なる力によって浄められていく。

 手を握り、開く。引き攣ったように少し皮が張る。とはいっても、肉体の傷や疲労。失った魔力は回復している。違和感も問題はないレベルだろう。

 それでも。

 それでも痛みは残っていた。それは魂にまで侵食した神威の残滓だ。

 彼の王弟の名残だ。

「問題ない。さて、ボスを倒したんだ……地上に戻……いや、ここに来た目的はそうじゃなかったな」

 神を殺した余韻が目的を忘れさせていた。

 そう。地下で写し、猫に読んでもらった黄金の碑文のことだ。

 『時は止まり、世界は止まり、都市は止まる。安らかな眠りを覚ますは鐘楼の鐘。都市の開放は、再び時を刻むことなり』。

 地下二階にある封鎖された神殿都市。碑文はその門を開く為の手がかりだった。

 ここに来たのはその『時』とやらを動かす為だ。

「時に関係するもの。そいつが、どこかにある筈だが……」

 主を失い、がらんとした広い部屋を見渡せば、戦闘で破壊された調度品の残骸が散らばる以外にも、いくつか探索できるものがありそうだった。

 その中には、入るために使った扉とは別に扉も見える。

 先程手に入れた鍵はそこで使うものだろう。

「っと、進む前に体勢を整えるか」

 幸いにもボスのデーモンを倒したことにより、一時的にここの瘴気は消えている。聖域を作るには十分な環境だ。

 袋から聖印を取り出し、地面に置き、祈り、スクロールを用いて聖域を展開する。この先に進むならば、まずは一旦装備の手入れや道具の整理を行わなければならないだろう。

 ここは幽閉塔である。未だ出ていない登場人物がいるのだ。

 不吉な女。狂った男は王弟である幽閉王エドワードだった。ならば、不吉な女とは……。

 首を振る。思い当たる節はあるが、考えても仕方がない。俺がとうとき方をどれだけ殺すのかはわからないが、やらなければならないことだった。

「まずは何より休息だな。経過時間を考えれば転移で一度戻りたいところだが……ダメだな。戻れば萎えるか」

 オーキッドに会いたいとは思う。奴を安心させることは俺の義務だ。だが、一度戻れば本格的に休むだろう。それは悪手だった。

 肉体を休めることは重要だが、今はこの緊張感を途切れさせたくない。今戻れば、いつでも戻れると肉体が勘違いするだろう。そういった弱みを作りたくない。

「それに……」

 拳を握る。

 魂を焼く疼痛を除いても、水神を殺したことで俺の肉体と精神は今、絶好調だった。この流れを途切れさせたくなかった。

 また、戻る利点も少なかった。戻ってやれることが少ないのだ。物資の補給も高価すぎる霊薬が対象ではどうなることやら。アムリタを望むだけ補給するには手持ちのギュリシアでは少し以上に足りない。

 勿論、怪魚が落とした金貨がある。あれを使えば一つや二つは買えるかもしれないが、そいつはこの肉体の絶頂と引き換えにするには、少しばかり安すぎた。


                ◇◆◇◆◇


 聖域を作成し終えた俺は、ハルバードや盾を回収する。

 ちなみに投げた槍は残らず消滅していた。魔鋼製のあれは相当に丈夫なものだったが、流石に神の一撃を食らってはどうにもならなかったのだろう。もっとも、もともとがデーモンの武具なだけに惜しいという気持ちはない。

 また、盾は少しばかりヘコんではいるが、それだけだ。あれだけの衝撃を受けたのに損傷も少なく、流石ドワーフ製と言って良い品だった。

「さて、やっちまうか」

 鎧を脱ぐと俺は、鎧の全ての部品を細かいところまで見て、いくつか修繕箇所を見つけると補修を始める。本格的なものではない。俺にできる程度の補修だ。整備道具から布や小槌を取り出し、汚れを拭い、ヘコミを直し、整備用の油を塗り、磨いていく。

 これだけだと思うが、これの積み重ねが後々効いてくる。ドワーフ鋼は頑丈で錆に強く、手荒く使っても壊れることは滅多にないが、ここは深い瘴気に侵された魔境である。如何に優れた武具とて神の力の篭った神器ではないのだ。補修や修繕を忘れれば劣化は避けられまい。

 それにこれら武具は俺の命脈を保ってくれた戦友でもあった。無下に扱うことは信義にもとる。

 ハルバードや盾にも同じように整備を施すと俺はそれらに普通の聖水をふりかけた。

 そしてゼウレとアルトロ、そして善き神々に戦いの勝利の報告と、祈りを捧げる。

「神々に勝利の報告を。そして、王弟エドワードを善き死が導かんことを」

 それはここで死んだ全ての人々に対しても捧げる祈りだ。

 このようなところで人がいつまでも死んでいていいわけがない。彼らは開放されるべきだった。


                ◇◆◇◆◇


 干し肉の塊とパン、それとワインを飲み干すと俺は鎧を再び身につけ、周囲を探索した。

 見つかったのは長櫃が2つ。入っていたものはボロボロの布の服に、手枷と足枷だ。そのどちらにも強い神秘を感じる。囚人を抑えつける為の道具だろうか? それにしては少し物騒に見えるが。

「こいつは、俺が使える類の道具ではなさそうだな」

 金属の枷にはそれぞれ棘付きの鉄球が金属鎖で結ばれていた。拘束具というよりは、武具の類か?

 とはいえ戦士の装備品としては歪すぎる。一緒に拾った奴隷服もそうだ。ボロボロだが神秘は濃く、そこには血塗られた何かを感じる。

 かつて存在した神聖帝国の奴隷戦士団に由来するものだろうか? ううむ。

「とりあえず回収だけはしとくが、猫に預けるのが良いだろうな」

 使いもしないものを持っていても荷物になるだけだろう。

 さて、と手に入れた道具を袋に仕舞い込んだ俺は最初から目をつけていた扉へと歩いていき、じっとそれを見つめる。

「この先、か」

 緊張を抑える為にも小さく息を吸う。石煉瓦の壁にはめ込まれた、どこにでもあるような木の扉がそこにはあった。

 警戒しつつ軽くドアノブに触れ、ひねってみる。だが、返ってくるのは硬い感触だ。

(鍵がかかっている……)

 念のため、拳を木のドアに当て、力を込めてみた。最初は軽く、徐々に強く、強く。最後には全力に近い力で拳を押し込んでみたが、木の扉は大岩が如く不動である。

(木の硬さじゃないなこれは……金属、というよりはデーモンの結界に近い……)

 調査は終わりだ。警戒を強めつつ、ノブについている鍵穴に先ほど手に入れた鍵を差し込み、回す。

「開いた、な」

 開くことは疑ってはいなかった。全てを探索していないとはいえ、主要な部分の探索を俺は終えている。残っているあからさまな怪しい扉はここぐらいなものだったからだ。

 ここで使えなければ、途方に暮れたのは俺の方だろう。そんなことを考えながら俺は扉を開き。

「行くぞ」

 ハルバードではなく、青薔薇の茨剣を片手に俺は中へと踏み込んだ。

「――――……ッ!?」

 そうして驚愕に言葉を失った。


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