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――走れ!!
判断は瞬時だった。その場にとどまれば間違いなく死ぬ。殺される。故にエルフの弓手に追われる獣が如くに怪魚に向かって疾走する。
弾き飛ばされたせいだ。敵との距離は遠い。当然が如くに、怨、と怪魚が啼いた。
(ちぃッ……!!)
奴の周囲に展開される水の奇跡。以前見たものと同一のそれ。その数、6……いや、7、8、9……12!?
前回の二倍量の水流の奇跡。これも俺が相手を本気にさせたからか。
(だが、俺の側にも用意がある!!)
既にこの攻撃は知っている。対処の手段は用意している。
奴へ向かって走りながら袋から取り出すのはリリーの皮で作られた『聖衣の盾』だ。
こいつは補強されてはいるがドワーフ鋼に人の皮を張っただけの盾だ。物理的な攻撃を防ぐだけの力を持ってはいない。髭剣や怪魚の突進を受ければ容易に破壊される類のものである。
だが、だ。聖衣としての属性を持っているが故に、デーモンが扱うものであるのなら、魔術や奇跡などの害意を完全に消失させることができるのだ。
勿論、腕と顔を覆う聖衣でも同じことはできる。だが、だ。盾という形であるならば、俺の推測が外れ、万が一があの水流が直撃したとしても微かな猶予ぐらいは残せるだろう。
とにかく、想定外さえなければ、あの水流を防ぐことはできるのだ。
(だからと言って留まっていて良いわけではないがッ!!)
床を蹴り飛ばし、可能な限りの全力を用いて怪魚へと突っ込んでいく。
当然敵がこの盾を知れば攻撃方法を必ず変えてくるだろう。奴には知能がある。怪魚は防げる攻撃を何度も行ってきてくれるほど優しい怪物ではない。
故に、怪魚が神秘の類を使ってくれるのは一度か、二度か。効果がないとわかればあの口を使った水弾に切り替えてくる可能性がある。あの水弾は周囲に満ちる暴力的な瘴気を体内変性して作り出した実体のある水だ。だからあれは純粋な奇跡とは言い難く、聖衣の盾でも完全に防げる代物ではない。
だから、奴が俺の手の内を知る前に、再びの接近を果たさなければならない。
「んだがよぉッ……――!!」
驚異的な速度で生成され、今まさに放たれる寸前の16本の水の奇跡が今まさに俺へと襲いかかってこようとしていた。
一つでもまともに食らえば辺境人でさえ死んで当然の極悪な神秘。
鎧や護符の類で武装している俺とて当たれば良いとこ3本が限界の水神の御業。
それが、奴へ向かって疾走する俺へと、氾濫した河の如き凄まじさで迫ってくる。
「おぉおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおおぉおお!!!!」
一本一本が太い
だが、リリーの盾を振り回せば、まるで霧か何かのように水飛沫を残し、堕落した奇跡は掻き消える。
神から感じる初めての動揺した気配。1秒か、2秒か。その忘我の一瞬さえも無駄にはできねぇ! 踏み込み、足を前へ、前へ!!
(今度は真正面ではなく、側面から攻める……!!)
真正面からの殴り合いは失敗した。次の手だ! 別の手段を模索し、実践しろ!!
ベルセルクで頭を消し飛ばすのが手っ取り早いのか。否、身体を微塵に切り飛ばせば奴とて死ぬか。否否否否否。
足りねぇ! 全てが足りねぇ!! 俺に可能なあらゆる手段を使え!!
とにかく攻撃だ。ハルバードを振るえ! 奴に傷を与え続けろ! 血を流し続けさせろ! 神の殺し方などわからねぇ! だが殴れば死ぬと言い、殴って殺した奴がいた。その事実だけで――
――今の俺には十分すぎる!!
「おぉおおおぉおおおおおおおおおぉおおおお!!」
前へ。前へだ! ごちゃごちゃ考える思考が惜しい……!
走り、三度怪魚の至近へとたどり着けば、鱗のように連なり並ぶ大量の人面が俺を出迎える。
(うッ、ぐッ……!!)
ゾロリと並ぶ人面が俺を直視し、即座に俺の身体から生気が抜けていく。多くの奇跡や聖衣を貫く呪殺の力。この人面の一つ一つが一流の呪術師に相当する呪力を持っているだと!?
(ま、ず――)
側面に回った俺に向かって、ぐるりと身体を旋回させる水神。だが、俺もまた、奴の動きに合わせ、必死に足を動かす。
「く、ねぇ……!! 好都合だ!!」
奴の動きに合わせろ! 側面に常に居座り続けろ!! 邪視がなんだ! 呪力がなんだ!! たかが生気が抜き取られる程度……!! 別に今すぐに死ぬわけでもねぇなら、俺にとっては今、この場所、この時が突破口だクソがぁあああああああ!!
「おぉおぉおッ、らぁッッッ!!」
ハルバードを怪魚の側面に並ぶ人面に叩きつける。血飛沫が飛び、人面が肉と皮を撒き散らして数人ほど吹っ飛んでいく。
――怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨ォオォオオオオオオオオオン!!!!
激怒したように空間が揺れる。構わん。いくぞ! やるぞ!! 何度もだ! 何度も何度もぶちかませ!!
斬り、突き、抉る!! その度に身体にかかる重圧が増す。人面が死ぬ度に憎悪されているのだ。だが構わん。恨まれようが関係ねぇ!! 今、ここだ! ここで攻めなければ呪い殺される前に俺は死ぬ。
「死んで?」「ねぇ、死んで?」「死のうよ」「死んでよ」「死になさいよ」「死のう」「死んで」「死ね」「死なないの?」「死のう」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」「死」
まるで水神とは別種の生き物のように、悲嘆の人面どもが、悪意を込めて俺の死を望みだす。
その顔に向かってハルバードをぶち込みつつ、怪魚の旋回に合わせて、側面を取り続ける。
死ねだ? 死ねだと。誰が死ぬか。誰が死んでやるものか。
俺が死ぬんじゃない。お前らが死ね。俺に殺されるのだ!! ハルバードの刃を更に叩きつける。
「死死死死死死死死死死死死死死死死死――「うるせぇ! てめぇらが死ね!!」――死死死死死死死死死死死死死死死死」
黒衣が如く奴を覆う闇のオーラ。それに合わせて人面どもの呪いによって身体の動きが鈍くなっていくものの、袋より取り出した司祭様製の聖水を飲み干し、呪いをいくらか浄化させる。
呪いの全てを消すには聖水一本では足りない。だが、呪いが軽減されただけでも十分だ!!
「ちぃ、だがこちらの心臓が先に止まりそうだな……!!」
怪魚の荒ぶりが激しくなり、巻き込まれぬよう距離を取らざるを得なくなる。また突き放されてはたまらない。至近にいることを意識しながらも、ハルバード片手に息を吐く。
周囲には肉片と瘴気が散らばっている。俺の攻撃によって血と瘴気を奴は垂れ流している。流させることができている。
潰せた人面は50か、60か。100には足りない。だが、奴の戦力を多少は削れた、のか?
(そんな甘かったらいいんだが)
常に敵の動きを意識し、いつでも襲い掛かれるように構えながら龍眼を発動させた。
視界に映る巨体。その威容がオーラとして把握できる。できてしまう。
(へッ、そうこなくっちゃな……!!)
その存在感。変わらず、だ。表面上は血を流させ、怒らせ、敵意を引き出した。
だが、龍の目には全てが映る。このデーモンの深奥。奴の力はまるで泰山が如き有り様だ。弱所どころか表面に小さな波が立っている程度。
これだけ苦労したというのに、奴の力を削り取れた気が全くしねぇとはな。
「だが、手順はわかってきたぞ……!!」
敵の動きが収まっていく。再び接近し、人面に向かってハルバードの刃を叩きつけながら俺は嗤う。
俺も慣れてきた。こいつが俺に慣れてきたように、俺も奴に慣れてきたのだ。なんとなくだが、奴の動きが目で追えるようになってきた。
そうだ。問題は時間だったのだ。
そうだ。この人面どもの呪力があるから俺は持久戦ができねぇ。ならば、全て削り取ってしまえばいいのだ。
「おら、このクソデーモンが! 俺は、てめぇが死ぬまで喰らいついてやるぞ……!!」
ハルバードを振るえば、肉片が飛び散り、人面が絶叫する。
悪夢めいた世界の中、微かな光明が見えた気がした。
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