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 石造りの部屋で俺は戦っている。ここには貴族が使うような高尚な調度品の数々があったが、激しい戦いによって吹き飛び壊され残骸のようなものが転がるばかりだ。

 そんな中、俺は魚の鱗を処理するかのようにハルバードを次々と振るっていく。

 怪魚に生えた人面どもの殺戮。それは敵に傷と苦痛を強いると同時に、こちらに強大な呪いがのしかかるものだ。

 人面を殺す度に放たれる呪いは重度の汚染となって身体を蝕む。体は重く、心臓は鈍く、呼吸は困難になる。

 聖衣を身に着けてなお肉体に浸透する絶死の呪い。

 攻め過ぎれば殺されかねないほどに呪わしき人面ども。だが、混迷の中にある勝利を掴む為には望んであらゆる困難に飛び込む必要があった。

「これでぇぇぇッ、どうだぁぁッッらぁッ!!!」

「ギギギギぃいいいいいぃいぃいいいいいいぃいい!!」

 何度重ねたかわからない斬撃。それで最後の人面が絶叫と共に爆散する。

 同時に全身にかかる強大な負荷。まるで黄金銅オリハルコンの塊でも背負わされたかのように体の動きが鈍くなる。

 辺境人が神聖帝国と契約して手に入れた加護、皮膚、篭手、マントの三種の聖衣に加えて、聖女様の肋骨までありながらこれほどの呪いの重さ。

 何も対策を取らずに戦っていれば今の叫びで即死していたのは確実だ。

 それに、それだけではない。敵は木偶ではない。動きが遅くなれば殺されるのはこちらの側。

(ちぃッッ。仕方ねぇかッ!!)

 判断は即座だ。聖女様の祈りの込められた聖水を袋から取り出す。あまり数はないので使いたくはないのだが、これほど強力な呪詛を打ち払うには強い聖なる力が必要だ。

 でなければ――敵の攻撃に反応ができない。

 俺の猛攻に対処するが如く怪魚の体が跳ねるようにして宙へと飛んだ。俺の刃も届かないほどの上方だ。初見ではないので驚きはない。人面を攻撃し始めてから行い始めた行動の一つである。回転では俺を仕留めきれないと知った奴が編み出した戦法。

 (これが――)慌てて瓶の口を指でねじ切ると中に満たされていた聖水を飲み干す。体に纏わりついた呪詛が消えていく中、俺もまた行動を始めている。

 (――やばいのだ)慌てたように俺も駆け出す。逃げろ。とにかく敵の落下地点から回避しろ!

 怪魚の巨体が部屋の天井にぶつかり、空間自体が振動し、大量の埃が舞い落ちる。それは問題ではない。問題は俺の頭上を闇が覆っていること。それは、宙へと飛んだ巨大すぎる魚がその全体重を俺のいる場所へ向けて落としてくることに他ならない……!!

 潰されれば圧死は確実。

(だがッッ!)

 呪詛が抜け、軽くなった身体で転がるように頭上を覆う闇から抜け出す。

(そいつは同時に、てめぇの隙でもあるんだよ!!)

 闇から抜け出し、ハルバードを構えながら反転する。衝撃は直後。奴の巨体が床にぶち当たり、巨大な振動が部屋全体を揺らしに揺らす。

 だがこれは知っていたこと。鍛え上げた辺境人の体幹にこの程度の揺れなどあってなきが如し。

「らぁッッ!!」

 人面と鱗が抉れた側面にオーラをふんだんにぶち込んだハルバードの刃を叩きつける。それだけではない。敵の身体がほんの少し止まっている。これはチャンスなのだ。突き、叩き、抉るようにして連撃を重ねていく。そしてようやく、俺の攻撃に抵抗するように、怨と鳴きながら、ぐるりと回転する怪魚の身体。奴が垂れ流している黒い瘴気の内部では身体は重い。が、こうして攻撃のパターンと予兆さえわかっていれば、余裕とは言わなくとも回避は可能だ。

 底のない沼のごとき漆黒のオーラから離脱する。

(回避は余裕だが、もっとも……ッ)

 奴も馬鹿ではないので工夫を重ねている。この回転に現在は、奴の髭剣が加わっていた。鋭く周囲を切り裂く刃。変幻自在の鞭が如くに暴れまわるそいつに、間違っても触れないように注意しながらの回避はどうしたって神経を使う。

 どっと流れる汗。兜の内側を指で拭いながらハルバードを強く握る。

 肉体の疲労もそうだが、精神の疲労もまたこの戦いでは気を配らなければならないものだった。如何に強靭にあろうとしても、どこかで限界にぶち当たるのだ。

(そいつが俺の死因にならなきゃいいが……)

 人面を削ぎ落とし、呪殺という時間制限を取っ払うことに成功はした。

 俺は奴に適応している。強くなる。乗り越える。それをやらなければならない。その上で時間は俺の味方だ。時間を掛ければ掛けるほど一歩でも半歩でも俺は俺の武才の限り奴に近づける。

 だが安心などしていられない。時間は味方であると同時に強大な敵でもあるのだ。

 俺が人面を制圧するのにいくらか時を掛けた結果、奴もまた成長した。攻撃が洗練され、苛烈になった。なりふり構わない行動もするようになった。傷を負ったことで垂れ流す瘴気も濃くなった。

 与えた傷の分だけ、敵もまた強くなっている。

「ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

 俺は必死だった。これ以上ないぐらいに。ハルバードを構えながら深く呼吸を行う。刃にオーラを巡らせ、全身の神経を尖らせる。

 そして踏み込むのだ。奴の攻撃が苛烈になるなら、俺も更に苛烈に振る舞うのみだ! 怪魚の行動に対処しながらハルバードの刃を次々と奴の身体に叩きつけていく。 


                ◇◆◇◆◇


「こ、この野郎! ま、まだ、死なねぇのか……!!」

 どれだけの時間が経っただろうか。一時間か? 二時間か? それともたったの数分程度か?

 鎧の中は汗と血と熱気でまるで蒸し風呂だ。兜の内側を流れる汗を戦いの隙を見て指で拭い、躱しきれず負ってしまった怪我や、失われた体力気力を回復する為にエルフの霊薬を飲み干した。

 使いたくはなかったが、ここまで疲労すれば使わざるを得なかった。これ以上温存すれば疲労によって肉体が敵の動きについていけなくなる。

 袋を見る。

 ソーマはなく、アムリタも尽きた。残りのエルフの霊薬は2つ。神々から手に入れた黄金の林檎はあるが、それは最終手段だ。

(俺は、あとどれだけ戦えばいい……)

 この戦いに終わりはあるのか? 途方にくれる。俺は勝てるのか? 得体の知れぬ化物を見るように怪魚を見る。

 俺は、人面をえぐり飛ばし、鱗を剥がし、肉に何度も何度も刃を撃ち込み続けた。

 だが奴が纏うオーラの禍々しさは変わらない。俺が傷を与えると共に奴から漏れ出した瘴気。それがまるで鎧が如く奴の身体に纏わりついている。

 慣れた俺だから生きていられるものの、あそこまで凝縮された瘴気の渦に常人が触れれば即座に発狂するだろう。

 その内側に潜在するオーラの総量も減らせるだけ減らしはしたが、まだまだ底は見えてこない。

「怪物め……!!」

 戦いはまだまだ続く。俺の必殺であるベルセルクを打ち込むにはまだ足りないのだ。

 奴を殺すにはあと何千と刃を打ち込む必要があった。


 ――今のままならば、だ。


 この戦いで自らを練り上げる。強くなる。鍛え上げる。刃の鋭さを。オーラの強さを。戦士としての強さを。だが、それだけでは足りない。絶対に足りない。どこかで俺は奴に殺される。俺の武才の限界に到達する。

 やり方を考えろ。何千と刃を打ち込めだと? 現実を考えろ。いくら気合をいれたところでそこまでたどり着くことはどうやってもできねぇ。それを理解しろ。

 粋がるのと無謀を履き違えるな。

 わかっているだろう。何千を短縮しろ。何百、何十に短縮せよ。俺の必殺の威力を上げ、奴を確実に殺せるようにしろ。

 愚直に突き進むのもいいが、それにしたって限界はあるのだ。


 ――ならばどうする?


 回避に徹することで敵の猛攻を凌ぎながら思考を続ける。先の攻撃が効いたのだろう。攻勢は激しい。攻撃の隙は見えない。闇雲に攻めるのではなく、機会を狙う。そうしなければ反撃で俺は粉微塵になる。

 俺の目の前に怪魚かみがいる。鎧のごとく肥大化したオーラを身に纏い、尽きぬ瘴気を垂れ流している。怪魚は自然災害のように暴れまわる。その一撃一撃がまともに食らえば俺を必殺して余りある猛撃。

 人間の武才で神に敵うか? 平凡なる俺を磨いてたどり着ける距離か? そうじゃない。そうじゃないだろう。

 俺は、その答えにたどり着いた。そう、そしてそれを知っている。持っている。手に入れている。恐らくは拳聖とは違う答えだろうが、それでいい。俺は拳聖ではない。

 神を殺す手段。それを人は持つことができない。少なくとも、才なき俺には備わっていなかった。


 ――ならばどうする?


 人であって届かぬならば、人が持たぬもので対抗するしかない。

(そうだ。そいつを俺は持っている)

 袋から取り出した集魔の木盾を腰に下げる。ほんの少し動きの邪魔になるが、俺には必要なものだった。

 今から魔力を継続して大量に使う。その為には補充する必要がある。

 神を殺す為の結論。俺は、俺に宿る俺でないものに頼ることにしたのだ。右目に宿る龍の瞳。そこに力と魔力を込めた。

 怪魚が振り回す髭剣を避けながら怪魚を睨む。鎧が如くに肥大化した敵のオーラがはっきりと見える。龍眼の効能だ。

(当然、弱所は見えねぇ。もっと奴を削る必要がある)

 そして、それだけではダメだ。これではただ見ているだけにすぎないのだ。

 もっと先へ。この戦いに勝つには、この右目の権能を更に引き出さなければならない。

 奴の瘴気を貫き、俺の一撃で痛打を与える為に。

 俺は自らに誓うように叫びを上げる。

「マルガレータよ! 俺と同化したお前の力を、俺は俺のものにするぞ!!」

 そうして、戦いは次の段階へと移っていく。


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