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振り下ろされる髭はまるで断頭台の刃がごとくに鋭く、殺意に満ちている。
爆撃でも起きているかのように頭上から降ってくるその脅威は、まさしく刃の激流と言っていいだろう。
人がどれだけ技術を高めた所で圧倒的な力に叩き潰されるのが関の山だということを。
だから、するべくは技量を高めるよりも自身が持つ神秘を高め、生物や概念としての格を上げるのが最善。
そのような考え方は勿論ある。
いや、兵たる辺境人たちと違い、ある程度の格の、それこそ俺からすれば天上人と言える連中ともなればそちらの考えの方が主流になる。
地道に修練を行い、肉体を鍛え、龍に勝つ拳を得るよりも、神秘を学び、神格に仕え、相応の対価を払い、龍を超える力を得る。存在になる。才ある者にとってはその方が早く、確実で傷がつかない。
何よりそちらの方が単純に強い。俺たちのように地を這いながらデーモンを地道に殺す兵どもと違い、神秘を従えることを当然とする辺境の上位層では当然とすべき考え方だ。
むしろそのような強者たちの中に屹立する拳聖のような武侠、それの考える、肉体の強さであらゆるものをひき潰そうとする考えの方が異端なのである。
なぁにが拳で殴れば死ぬ、だ。そこまで達するのにどこまでの修練と実戦が必要か。それを言った馬鹿は考えたことがあるのか。
――自身より肉体も神秘も速さも筋力もオーラも瘴気も神格も精神も格上の相手に、拳だけで勝つことの難しさを――ッ!!
(はッ。考えるまでもねぇな)
深海が如き底知れぬ黒いオーラに気圧されながら髭剣の嵐を確実に回避していく。
障壁神を殴り殺した拳聖。あれとてもともとはただの人間だ。俺よりも才があり、肉体精神共に優れ、血統も良く、極上の聖衣を纏い、信頼できる友や優れた師、最良の環境などいろいろなものがあったが。人間だった。
対して何も持たぬ俺。
だが、神を殴り殺す。その偉業を達成するにあたって、そのような
蟻が象を殺すにあたって必要なもの。
(数……か? 質じゃねぇよな)
質で勝てるならそもそも障壁神を殺すのに4000年も掛からなかった。神を殺す前の拳聖もまた優れた戦士だったが、それ以上の戦士が存在した時代もあったのだ。
そして数もまた違う。蟻が群れになったところで象を殺すには少しばかり足りない。
考えるも学のねぇ俺にはわかんねぇ。お偉い学者様ならわかるんだろうか? つーかだ。そもそもそんなことを考えている場合じゃねぇってんだ!!
髭剣によって、ほんのすこし隣で石床が破砕される。素早くステップを踏み、ミンチ肉を作るかのように間断なく振り下ろされる髭剣のラッシュを避けていく。
(大丈夫だ。まだ余裕だ。余裕……ッ!!)
速い。確かに髭剣は速いが、こいつも避けるだけなら簡単だ。技も何もない攻撃である為に、直感と予測で回避できる。時折予測から外れるような跳ね方をするものの、水薬の効果が切れてもただ振り下ろすだけのそれを避けることは容易だった。
先程食らったのは直前に攻撃を受け、俺が前後不覚になっていたからで、こうして何度も攻撃を見た今なら問題はない。
(いや、実際には大問題なんだがなッッ!!)
そう。避けることはできているが、それだけなのだ。髭剣自体が早すぎて軌道を見てから避けることができない。
だから先読みに精一杯になり、避けることに集中しすぎている。近づくことも離れることもできず、それ以外のことができなくなっている。
次に髭剣を喰らえば体勢を立て直せるかわからない以上食らうわけにはいかないのも問題だ。いつものように負傷覚悟で突っ込めない。死中に活を求められない。
ハルバードを握る両手に力を込める。髭剣に叩きつけたところであれを切断することはできないだろう。むしろこちらが押し負ける。隙を晒すことになるし、ハルバードがぶち壊される危険もある。
近づかなければならない。だが近づけない。
膠着している? 本当にか。俺が一方的にやり込められているだけの状態じゃねぇのかこれは。
急がなければならない。あまりに時間をかけ過ぎると先に与えた傷を癒やされてしまう。
(指輪をベルセルクに変えてから、髭剣を食らってベルセルクを使うか?)
内心で首を振る。それは悪手だ。まず髭剣をまともに食らって復帰できる保証がない。いや、それはいい。食らってどうにかできるならいくらでも食らおう。あの水の神は、もとよりリスクもなしに勝てる相手ではないのだ。致命傷を負ってどうにかできるなら安いもの。
(だが、ベルセルクでは焼け石に水だ)
俺の奥の手であるが、所詮は蟻の一矢。効果的に使わなければ無駄になる。
そしてそれはここではないのだ。まず奴にいくらか傷を与えなければならない。だからこそ、この場面は俺の自力でどうにか乗り越える。
(そうだ。近づくこともできねぇのに追い込めるものかよ……!!)
前へ。一歩でも前へだ。
俺に武の神域へ至る才はない。それでも少しでもできることを増やす。一歩でも前へ。一歩でもいいから前へ進む。それしか手段がねぇならそれをする。命を犠牲にし、数歩の先にある勝利を得てもいいが、それをするならもっと追い込み、追い込まれてからだ。
物理的にも、実力的にも、まだまだ俺と奴の距離は離れている。
「ふぅぅぅぅぅぅぅ」
呼吸。息を大きく吸う。先読みと直感による回避。それを少しでも成長させろ。一歩先しか見えていない己の視界を広くしろ。二歩先だ。まずは二歩先を見る。
(それに……)
敵もこのままというわけではない筈だ。雑兵や何かじゃねぇんだ。神だぞ。膠着すれば目の前の怪魚とて、俺をどうにかしようと考えるだろう。
相手も今は対人用の技がない状態だが、こうして膠着すれば必ず新しい技を編み出してくる。その程度には相手は賢く、強く、器用で、余力がある。
――耳鳴り。
「ッ……何の……チィッ!!」
絶え間なく振り下ろされる髭剣を回避する。
今、何か――。クソ、髭剣が鬱陶しい! 周囲は石床に叩きつけられる髭剣による音と振動でうるさいぐらいだが、今、一瞬、
(なんだ……なんの音だ。今の音は……。いや、違う。今のは、吸い込み音か!?)
髭剣に集中していた意識。それをはっと正面に寄せる。俺は奴に接近しようとしていた。と、同時にそれは
想像しろ。手がいっぱいで、真正面に羽虫が飛んでたら、とりあえずどうする?
(ま、ず……!!)
奴の口がすぼめられている。渦巻いている。見りゃわかる! 何かをしようとしている!!
何もできねぇ俺を尻目に奴は新しいことを考えたのだ!
とにかく正面に立つのはまずい。回避を――。いや、無理だ。髭剣の回避に身体の全力を割いている。目と頭だけ動いてもどうにも……!!
「違う! できることはある……!!」
袋から取り出すのは無駄に回収しておいたギザギザ刃の槍。そいつを回避のついでに投げ――金属音――とにかく正面から離れ――。
(は――?)
投げた槍がものすごい勢いで明後日の方向へと吹っ飛んでいく。反応が後手に回る。起きてから気づけた。幸運にも対処できた、そういう類の事象が今――再びの吸い込み音――。
(今、投げた槍が何かにぶつかって弾かれた。いや、違う。俺に対して何かが行われて、それに対して槍が当たった――いや、そんなことを考えている暇は――)
秒の速度で状況は変わる。髭剣も降ってくる。分析が間に合わない。とにかく馬鹿の一つ覚えのように奴の吸い込み音に合わせて、ギザギザ刃の長槍を再び投げ、吹き飛ばされる寸前に目を凝らす。
――今、何が起きた……?
(水――弾か! 怪魚のすぼめられた口から水の塊が飛んできている……!!)
以前見た水球の奇跡ではないのは、周囲に展開して俺に向かってぶつけるあれでは髭剣の軌道を邪魔するからか。
そして何より、奴の顔面の真ん前に立つ俺を殺すのに都合がいいから……! とりあえず水でも吹きかけてみようという発想か! じゃれつくようなものでさえ、スケールが違えば致死ともなる典型!!
(やべぇ――! この敵は、だらだらと時間掛けて適応している暇がねぇぞ!!)
俺が1歩進む間に敵は10歩も100歩も進む……。神と人の余力の現れ。とにかく俺に対応される前に殺さなければ……!! 今の俺を今すぐに、越えなければならない。
ハルバードがあるからとそこまで拾わなかった
吸い込み音に合わせて槍を投げつつ、不格好でもいいから先へ先へと突っ込んでいく。このままではあの漆黒のオーラを攻略する前に髭剣との戦いで俺の力が尽きる。
「おぉぉ、おぉおおおおおおおッッッぉおおおおおおお!!!」
この一瞬一瞬に、全身全霊を尽くす。
知覚だけが加速していく。当たり前だが髭剣の動きなど全く見えない。ただ知覚と予見だけで道を決めていく。一歩一歩が己が幸運に全てを任せるがごとき蛮行。
(今、髭剣によって砕かれ、ぶっ飛んだ石床の破片が鎧にかすった……!!)
それだけでまるで殴られたかのように身体に衝撃が走る。幸いといっていいのか、髭剣はかすりもしていないが、奴も髭剣の扱いに慣れてきたのか。その動きに遊びが交じるようになっている。具体的に言えば巧くなっている。避けにくくなっていく。
「クソがッッ!!」
ステップを踏むようにその場その場を跳ねるようにジグザグに走っていく。
死の恐怖はある。だがそんなことは問題ではない。ただただ加速される知覚に従う身体が重いのだ。もっと速く。もっと速く!! クソが、鎧が重い。一歩一歩が重い。もっと速く! 走れ! 走れ!!
奴の吸い込み音に合わせて飛んでくる水弾。それに合わせて槍を投げる。水弾の軌道を変えつつ、彼方へとぶっ飛んでいくギザギザ槍。今の攻撃は呼吸音からほぼノータイムで水が飛んできていた。距離が近いのもある。相手が慣れたのもある。脅威だ。ここには脅威だけしかない。
「だが!! これで――!!」
奴の鼻先へとたどり着けた。呼吸音。水弾が来るぞ。
だが、構うものか! ここだ! ここで決めろ!! 聖水の瓶を宙に投げる。それに合わせてハルバードを振るう。砕ける聖水の瓶。刃が濡れる。オーラを全力でぶちこんだ!!
「――ぶっ飛べや!!」
奴の鼻先へ向かって深く切り込んでいくハルバードの刃。そのまま追撃をしようとするも、怪魚の至近は奴の漆黒のオーラの影響か、肉体が重くなり、動きが遅くなる。
また同時に奴の水弾も放たれていた。防ぎようもない距離だ。当然直撃する。錐揉みするようにぶっ飛んだ俺の身体が部屋の天井に叩きつけられ、無様にもボールのようにバウンドして吹っ飛んでいく!!
(ご、はッ。死――死ぬ――だ、だが一発あててやった!! ザマァミロ!!)
呻きながら立ち上がり、追撃を躱すかのごとくにその場を跳ねつつ、アムリタを服用した。
肉体を治癒しながら俺は、距離の
その鼻先には確かにハルバードによって与えた傷が残っている。
そうだ。先に与えた連撃と同じく、奴に俺は傷を付けている。血を流させている。痛みを与えている。
(神とて、手順を誤らなければ殺せるのだ)
だが。
怒りでも見せているのか。荒ぶる神威を発し始めた奴の周囲に水弾ではなく、水の奇跡が現れていく。
「ぶっ飛ばされすぎた。まずいぞ。ここは遠距離の間合い、か」
困惑はある。だが、終わらぬ死闘に、俺の口角が釣り上がる。
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