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殴れば死ぬ。
―神の殺害について 『拳聖』ミュージアム・
絶死の間合いにいることを自覚せよ。
ハルバードを片手にほんの少しだけ後退する。近すぎても遠すぎてもいけない。
ビビり過ぎかとも思うが、あれほどの力を持つデーモンだ。無防備に触れられればそれだけで死にかねん。
警戒してしすぎることはない。
(さて、どうする……)
極論、俺にとれる手段は突っ込んで物理で殺すだけとはいえ、お上手な殺し方を組み立てなければならない。
それには敵の動きを予測することが必須だが、それもだいたいわかっている。
このレベルの相手ともなれば、人一人に対して行う行動はほぼ一つになる。
――膂力と巨体を活かした技も何もない単純な
もちろん距離をとれば前回のような水の奇跡も使ってくるだろうが、接近戦に限って言えばこれだけしかないはずだ。
というのもこれほどの神格であれば、対人用の技を持っている可能性はないと言っていい。例外は勿論あるが、傾向として、そういうものだからだ。
それは俺が赤子蟲を潰すのに技を使わないのと同じこと。
圧倒的な力ですりつぶせば良いだけのこと。技を使う必要がそもそも無い。
正直に言おう。この相手は完璧だ。
巨体。権能。奇跡。瘴気。呪術。存在。神格。悪意。
いっそ美しいと言える程に生物の殺害に特化している。
敵対者の肉体が脆弱であれば、垂れ流す瘴気で肉体を殺す。心が弱ければ、発する殺意で心を殺す。
更に奴の肉体に並ぶ人面。それが自然に振りまいている呪殺も恐ろしい。前回の接触は短時間すぎて気づけなかったが、こうして顔がくっきりと見える距離まで近づいたことで理解できる。
あの連なった人面どもの視線には、呪殺の力が宿っている。
その呪いの強さ。こいつは辺境人でなければ耐えられないものだ。辺境人でなければ殺せない神だ。
それも聖衣持ちに限る。
地上ならともかく、敵の支配する領域に、この敵の持つ悪憎。長期間相対すれば辺境人の持つ完全なる呪いの耐性をも貫ける程度には強すぎる。
流石は神格ということか。
(それに……こいつは……やべぇな……)
先の攻防で与えた連撃。
相手はあれで本気になった。本気にさせてしまった。
その影響か。奴が纏う瘴気の混じった神気が可視化できるほどに濃密になっている。
それこそはまさしく黒く悍ましく傷ましく、見てはならない、触れてはならない黒死の闇。
敵を殺す意思だけで作られた神気の膜。そいつは、この部屋に充満する、息苦しいほどの瘴気を煮詰めて煮詰めて煮詰めきったような汚濁だ。近づきたくはないが、あの中で戦わなければ奴を殺すことはできない。この肉体にどのような影響が起きるかはわからないが、聖衣を信じ、覚悟を固めておく。
そうだ。こうやって並べ立てただけでも小物など相対するだけで殺すのに余りあるのだ。ただいるだけで勝手に死んでいく者を殺すための修練をこの怪物が行っているわけがない。
必然。相手が行ってくるのは技などではない。肉弾戦となるだろう。
ハルバードを強く握り、突っ込むか留まるか……。
――そう、これは全て数瞬の思考。だらだらと敵を前にしてこんなことを悠長に考えていたわけではない。感覚が捉えていた情報もある。それでも、それでも俺の思考を言語化すればこうなる、というもの。
そもそも敵が肉体だけ使うと言っても別に俺が有利になったというわけではないのだ。
あれだけの巨体に速度。技があろうがなかろうが、まともに攻撃を喰らえば俺が死ぬのに変わりはない。
(ッ、そら、来るぞッ……!!)
海蛇にも似た長い胴体。それが一瞬だけ撓み、音も立てずに突っ込んでくる。
(速ッ……避――無ッ理……じゃねぇ!! 避けろ!!)
敵の動きに合わせず初動を確認した瞬間に横っ飛びに避ける。見てからでは間に合わない。敵の動きを予測しろ! 背負っていた盾を手に持ち、片手で構える。
(ちィッ、今、俺は盾を構えたのか!? 防げるのかこれを!?)
身についた習性。今俺は惰性で盾を構えた。構えてしまった。騎士盾は強力な神秘を帯び、身を隠せるほどに巨大で、強力な金属で鍛たれた逸品だが、この相手には力不足なのでは――ッ――。
迷う間にも敵の攻撃は止まらない。盾をどうにかする暇もない。引き戻された怪魚の頭部が発条仕掛けの玩具のように再び突っ込んでくる。
「ええぃ! ままよ!!」
盾を両手で構え、相対。腰を落とす。予測していた
「ぶッ、はッ……!?」
それの表面がぼっこりと大きくヘコんでいた。同時に俺の身体もまた浮いている。衝撃を受け止めきれなかったのだ。
(この攻撃を受けるには、アザムトの持っていた盾。あれと同じ程度の神秘が必要だ……!!)
神器クラスでないと受け止めきれない。いや、そも受け止めるべきではなかったのだ。なぜ惰性で動いてしまったのか――。
俺は、ここに来る道中であの半魚蟲巨人の全力を受け止めきれ無かっただろうが……!!
浮いている身体。未だ地面には落ちていない。吹き飛ばされ方が凄まじかったのか。
――風切り音。
(ま、ず……!!)
視界の端で何かがきらめいた。わかっている。知っている。先に避けたもの。それが今。
同時に頭上に線が見えた。速い。速すぎる。神速で俺に向けて降ってくる。
(反応が――でき――ねぇ――)
対応しようとした瞬間には食らっていた。鎧越しに、肉体がばらばらになるような衝撃が叩きつけられる。床に凄まじい勢いで叩きつけられる。口の中に広がる血の味。今の衝撃で内臓が破壊された。骨のいくつかも折れているだろう。
それでも。
それでもだ。
よろよろと立ち上がる、なんて暇はない。髭剣が再び振り上げられた刹那。痛みや身体に広がる違和感を投げ捨ててただ立ち上がり、敵を見据える――前にその場から素早く跳躍するように回避する。
直後、俺のいた場所に叩きつけられる敵の長大なる髭。
(あの剣髭。なんて威力だ……!)
口中の血を吐き捨て、猫から買っておいたアムリタを袋から取り出し飲み干す。アムリタ残り1。エルフの霊薬があるものの。回復手段はもともと少ない。
「ぬッ……クソッ」
与えられた傷が癒されると同時に肉体にみなぎっていた力が失われる。時間経過によって魔法の水薬の効能が失われたのだ。
(無理にでも攻めておくべきだったか、いや、攻めている途中で力が失われていれば今よりも酷い傷を負っていた……筈だ……)
無数にある選択肢を一瞬一瞬に的確に選ばなければならない。過去には戻れない。後悔している暇などない。
動け。動き続けろ。考え続けろ。思考を止めるな。肉体を止めるな。殺意を研ぎ澄ませ。敵を見ろ。
筋力上昇の水薬は残っているが飲む暇はない。だがひしゃげて吹っ飛んだ盾を拾う必要はない。盾分俺の身体は軽くなっている。水薬は必要ない。
それよりも腰を落とし、前傾姿勢となる。敵を見据える。その身体を覆う黒き神気。あれを突破し、とにかく殺す。殺さねばならない。
殺さねば、俺が死ぬ。
再度髭剣が振り上げられる前に、俺は駆け出す。
俊敏強化の水薬の力が失われているおかげで遅くなっている。それでも。それでもだ。
(やられる前に、殺る……!!)
躊躇している暇などない。
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