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「相変わらずここは酷い場所だな」

 巨大魚のデーモンを倒し、炎槍や鍵を回収した俺は塔4階の扉を開き、再びの侵入を果たす。

 反転していた上下感覚が正常へと戻る。瘴気による浮力が解かれ、重力に従って床へと足が着く。

 呼吸を困難にしていた粘ついた水のような瘴気は終わりだった。代わりに濃密で、狂的で、殺意に塗れた湿った瘴気の登場である。

 加えて、死んだ魚が発する臭気のような生臭さがこの邪悪な空間には満ちている。俺は吐き気を抑えるように口元に手をやった。

 嗅覚殺しの果実を袋から取り出し、奥歯で噛み潰す。

「~~~~~~ッッッ」

 相も変わらず酷い味だ。だがこれで俺の鼻と舌は殺された。このくそったれた臭いに惑わされることはないだろう。

 先の水の世界と違い、この闇は劇的と言ってもいい環境の変化だった。

 だが、これらは俺の状況が好転したことを示すわけではない。全てが悪化しているとしか言いようがない変化である。

 いや、足が地面に着くという点だけ・・は幽閉塔の中でも、美点と言っていいか。

 もっともこの薄暗さである。足が地面に着くということは重力の影響を受けるということでもある。

 うっかり油断でもした時に、道の先に穴でも空いていれば、そのまま何処ともしれぬ暗黒に落ちるということでもあるのだ。

「それだけは気をつけないとな……」

 如何な強敵とて殺すつもりで来てはいるが、空を飛ぶ手段を持っていない俺にとってそういった罠こそもっとも注意すべきものだった。

 ここは闇だ。

 堕落と狂気に染まった神殿の壁画を横目に俺は歩みを進める。

 ここは不気味で、悪意だった。

 一定間隔だけを照らす松明だけがここの光源だ。全てを見通すことはできない。

 耳にも不快を押し付けられる。赤子のような声でなく蟲のようなデーモンども。

 俺は一度この領域をボスの部屋まで踏破した辺境人だ。初見というわけではない。だが、それでも。

「ここは相も変わらずどうしたって帰りたくなる」

 殺さねばならない敵がいる以上は帰れはしないが。

 息を吐く。聖女様の肋骨で作ったネックレス。鎧の内側にあるそれに鎧の上から手を当てた。

 暖かさが湧いてくる。汚染されそうになる精神が留められる。

 よし、大丈夫だ。

 それに。

(今の俺にはリリーの聖衣がある)

 原初聖衣。俺の左腕と顔に癒着した人の皮膚だ。それはかすかな疼きと共に俺を護ってくれている。

 もっともこれは聖女様のように暖かく見守るような形のものではない。ただそこにリリーがいる。これはそのような聖衣である。

 息を吸う。段々とこの空間に慣れてくる。以前の探索の経験が蘇ってくる。

「さて、デーモンの出現地点が変わっていないなら、この先の筈だが……」

 赤子蟲に注意は向けない。あれは不快だが無害だ。あの奇怪な怪物どもは分厚くオーラを纏う俺に何をすることもできない。

 手に持つハルバードを強く握った。歩みを進め、ふと何かに引かれるようにして背後を振り返った。

 何もない。

 ただ、視界の端にオーキッドが寄越してくれた聖衣未満のマントが見え、少しだけ口角が緩まる。

「すまんな。お前もいたか」

 未だ俺たちの間に何かが通っている気配はない。愛情も足りない。それでも地上に自分を想う誰かがいてくれるのは嬉しかった。

「はッ……なんとも……なんともだな」

 3人の女と手を取り合いながら進むというこの探索は逢瀬めいていて滑稽だった。

 それでも、暖かさも、心強さも、愛しさも、この狂気を進むための勇気の源泉には十分であった。

「ッ――そん、でぇッ!!」

 叫ぶ。ハルバードを振り上げた。どんぴしゃり、だ。視線の先、闇の中にその気配はある!

 走る。全身鎧がガチャガチャと激しく音を立てるのも気にせず俺は闇の通路を駆け、そいつへと接近する。

「お前はッ! お前らはッ!! 死ぃぃぃねぇッッッ!!」

 そこにいるのは槍を持った魚にも人にも蟲にも似ていない。鱗を持った人型の蟲のようなデーモン。

 半魚蟲人。俺がそう呼ぶ異形のデーモン。

 力強く、タフで、名手がごとき槍術の練達者だが、有利は明らかに俺にある。

 俺はこいつがここにいることを知っていて、奴は知らなかった。それだけだ。だがそれこそだ。

 勢いと共に頭上から叩きつけたハルバードが奴の顔面を半分ほど削り取る。

(ちぃッ! 一撃で殺すつもりだったが、槍で防がれたか!!)

 ぎりぎりと俺が振り下ろしたハルバード。奴の顔面の半ばにまで埋まったそれが、奴が2本の手で持ち上げた槍とかち合っていた。

 堕落の長槍。そいつは木製の柄ではない。全てが魔鋼でできた重厚な槍である。それは如何な黄金銅オリハルコンの刃とて断ち切るには難しい。

 デーモンめ。俺の一撃の全ては防げぬとしても、防がねばならないとでも思ったのか。生き残りやがって、生意気な奴だ。

「ふッ……!!」

 呼吸。オーラを練り直す。両手で握っていたハルバードを片手で持ち、渾身を腕に込める。

『ギィ……ギィィィッッッ』

 嗤う。頭部の半ばまで埋まっているハルバードをどうにかするには、奴は負傷しすぎている。

 そして俺は、ハルバードで奴の槍を抑えつつ、腰に差していた青薔薇剣の柄に手をやった。

 無論、ただの剣で戦うにはこの蟲人は腕が多いことは承知している。人が2本しか腕がないのと違って、この蟲人は腕が4本もあるのだ。今はハルバードの間合いだから奴の腕は俺へと届いていないが、剣の間合いで戦うとなれば死に物狂いで俺の身体を千切り殺すべく、その蟲のような腕で抵抗をするだろう。

 だが、この剣は奇妙めいた機能がついている。

 神器にも相当するこの武具は人の思考を読み取り動く。脳を探っているのか。それとも俺の思念が伝わっているのかはわからないが、鞭を振るようにして茨剣を素早く振るえば、鋭い音と共に蟲人の身体から腐れた血が吹き出した。

 半魚蟲人デーモンが悲鳴をあげた。

 驚け絶望しろ糞デーモン野郎。この剣は刃が伸びるんだよ。

 とんだイロモノ。普段の俺ならば敬遠しただろうが、使ってみてしっくりくる。こいつはハルバードを扱いつつ使うのに非常に適した剣だ。

 こいつであれば、ハルバードの間合いを殺さない。こうして相手をハルバードで拘束しつつ、遠方から切り刻める。

 無論人間相手には卑劣すぎて使えない手法だがデーモン相手ならば思う存分である。

「ははははははは! 死ね! 死ね! 死ねぇぇい!」

 茨剣に慣れるべく、様々な方法でデーモンを切り刻んでいれば、切り裂き終える前にデーモンの身体が瘴気へと変じていくのだった。

「ふん、こんなものか」

 床に落ちた銀貨を拾い、デーモンの残した槍を見た。

 炎槍があるが回収しておこう。炎槍もまたいつ壊れるかわからないものである以上、投げられる槍は多いほうが安心できる。


                ◇◆◇◆◇


 探索は順調に進む。

 前回は落下死の危険を避けるために恐る恐る進んでいた地点であっても、一度通った記憶があれば、子供が庭でも駆け回るがごとくの気軽さで踏破できる。

 無論、脅威は未だ脅威のままだ。武具が一新され、肉体が万全となってもデーモンどもの脅威は変じていない。

 ここの化物デーモンどもは、非常に強い。

 槍、二刀、弓を扱う半魚蟲人ども。空中浮游する呪毒そのものの髪のデーモン。僧服を着、自身の周囲のデーモンを強化する八つ目のデーモン。

 そして、巨大な武具で武装した半魚蟲巨人。

『ギィイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!』

 巨大なデーモン。その鎧にでかい風穴が開いている。

 俺が開けたのだ。投槍である。奴の姿が見えた瞬間に、遠くから堕落の長槍ぎざぎざやりを3本ほどぶち込んでやったのだ。

 そいつは引き抜かれて床へと放り投げられている。

 敵は小さな巨人と見まごうばかりの巨体である。如何にハルバードや茨剣が強力な武具であろうとも、やりあうには少しばかり大きさが足りなすぎる。まずはいくらか弱らせる工夫が必要だった。

 その為の投槍。前回は袋の容量が足りなくてできなかった手段だ。

 もっとも投槍とて十分な傷を与えたわけではない。有効だったが、それだけである。


 ――来る! 来る! 来るぞッ!!


 地響きと共に、槍を投げた俺へ向かって突っ込んでくる蟲巨人の巨体。動きはトロ臭く思えるが、それはあれが巨体だからである。あれでいて、あれは蟲人だ。地上の猪以上にその突進速度は速く、滑らかで、不気味だ。

 俺も何もしていないわけではない。ヤマの指輪に力の顕現を願う。手に現れるのは赤壁ではなく、獄炎だ。浄化の炎で作り出された火球。そいつを蟲巨人にぶん投げる。雑に投げたが敵は巨体である。投げれば当たる。轟音のような悲鳴。構わず追撃を繰り出す。鞭のようにしならせた茨剣。そいつをレイピアを振るうように奴の鎧の穴に突きこむ。

『ギィイイイイイイイイイイイイ!!』

 悲鳴は響くが敵の突進は止まらない。手応えはあるが薄いのだ。素早く剣を抜いて大盾を片手に、ハルバードを片手に敵と対峙する。

 デカブツが巨剣を振り上げ落としてくる。大盾を持ち上げ、受け止め――。

「ぐ、ぬぅうううううううう! こいつは、無理ッッ、だッ!!」

 巨剣は大盾で受け止められた。だが、それだけだ。力が足りない。押しつぶされそうになるところをハルバードを床に落とし、両手で大盾を握る。ぎりぎりと巨剣と大盾で力比べを行うものの。奴の腕は巨剣と巨盾を握ったそれだけではないのだ。判断を誤るなよ俺。このままでは残った腕で殴り殺されるぞ。

「赤壁ぃッ!!」

 ヤマの指輪に奇跡を願う。蟲巨人の身体が炎に包まれる。足りねぇこれだけじゃ足りねぇ!!

「赤壁! 赤壁!!」

 ほんの少しだけ奴の動きが鈍る。盾を片手で持つ。押し切れそうになるところを腰の袋から取り出した音響手榴弾をぶん投げた。

 爆音とも称すべき音の衝撃がこの場に響く。壁に張り付いていた赤子蟲がまとめて床に落ちて腹を見せた。

 蟲巨人の動きもまた止まっていた。

 相手の攻撃をまともに防げない以上は騎士盾は邪魔だ。俺は盾を放り投げ、床に転がしたハルバードを蹴り上げ手の中に。後退しつつ、蟲巨人から距離を取る。

 敵の忘我は1秒か。2秒か。

「慢心はいかんなッッ!!」

 だがしょうがないだろう。ハルバードを手に入れた辺境人が調子に乗るのは辺境人の伝統だ。自嘲気味に口角をつりあげつつ自省する。

 息を吐き、息を吸う。同時に、現時点の自分の限界を俺は見定めた。

 俺は、まだこんなものか。

 力ではこの巨人がごときデーモンには敵わない。明々白々のそれを実際にやってみて痛感した。馬鹿な真似。だがこの馬鹿な真似をあの魚のデーモンに行う前にやることができた。そこを今は評価しよう。冷や水くれてありがとうよクソデーモン。

 以前よりも俺は確実に強くなっていた。

 だが、そこにも限界がある。それが知れた。まだまだ俺は上を目指す必要がある。

「俺はやはり弱い。最近、魔王級だのなんだのを倒して調子に乗ってたからな」

 ハルバードを振りながら俺へ再び巨剣を振り上げた蟲巨人へ相対し、俺は小さく呼吸をした。

 さて、調子に乗るのもここまでだ。この強敵は、真面目に・・・・、堅実に、技術で滅ぼすとしよう。



 そうして俺は、再びたどり着くのだ。

 この領域の主へと。


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