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 神殿の中に入れば迎えてくれるのはデーモンもどきだ。

「こうしてここに来るのもだいたい半年ぶりか?」

 地上で過ごした時間は長かった。このデーモンもどきに出会うのも久しぶりというものだった。

 デーモンもどき。それは泥で固まって人を形つくったような外見のデーモンですらない瘴気の塊だ。

 顔に描かれた子供のらくがきのような顔からは人を害する言葉を発し、粗末な剣を持ち、神殿を徘徊している。

 俺が幽閉塔や地下を開放したせいで、この場に満ちた瘴気が以前よりも濃くなっているせいだろう。そいつは最初に会ったときよりも強く、野犬程度には素早い動きで近づいてくる。

 手に持ったハルバードを一振りした。ハルバードの刃がデーモンもどきを真っ二つに切断する。

 ヤマの炎によって鍛えられたハルバードには破邪の力がある。オーラを込めずともデーモンもどきは断末魔の悲鳴すら上げずに消滅する。

「脆さは相変わらずだな」

 消滅したもどきはギュリシアを残す。『祝福された兎の足』の効果で、その枚数は以前よりも若干多い。

 拾い上げ、前を見る。

 懐かしい神殿の景色だ。この先を進めば回廊があり、大広間がある。

 無論時間の短縮を思うなら、(聖女様から返してもらった)肋骨ネックレスを用い、神殿広場からこの先にある聖堂傍の小屋に直接転移するべきであった。だが、今回の相手をすると決めている敵は尋常ではない。

 あの魚と戦う前に一匹でも多くのデーモンを倒し、少しでも身体を慣らしておく必要があった。

 神殿騎士の鎧。大盾。ハルバード。肉体に負担がかかる重装備の数々。

 サテュラーナとの訓練で多少使いこなせる程度には習熟している。だが、対デーモンともなると別だった。力を高める為の戦いではなく、ただただ滅ぼす為の戦い。

 以前の俺ならば動くことすら困難であったそれを着込みながら歩き、走り、既知の神殿内を踏破していく。

「流石に重いな……」

 兜についた面頬は上げ、視界を確保しながらデーモンもどきをハルバードで一突きし、破壊する。

 打突斬。全てができる故に、ハルバードの扱いは難しい。

 しかし。くく、と笑いが漏れる。

「強い。強すぎる。最高だなやはり」

 もどきとてこれほどの瘴気の濃さになればかなりの強さの化物である。それを相手にもしないこのハルバードは、まさしく神器にも匹敵する奇跡のような出来であった。

 刃と成した黄金銅オリハルコンの重さが心地よく、俺は龍眼や『妖精の声』などの力も問題なく使用できることを確かめながら先へ先へと進んでいく。


                ◇◆◇◆◇


 回廊を抜け、中庭へと出れば俺の姿を見た犬のデーモンどもが6匹突っ込んでくる。

「ふッ!!」

 踏み込む。ハルバードの一振りで犬デーモンを4匹まとめて処分する。遅れて突っ込んでこようとした残り2匹が慌てて俺から逃げようとするも更に強く踏み込み、ハルバードによる突きで1匹。そのままなぎ払い、もう1匹も撃破する。

 こいつらはギュリシアを落とさない。

 ついでに傍に聖域があるが休む必要はないだろう。そのまま地階への階段を露出させた噴水を横目に神殿付属の宿舎らしき建物へと向かう。

 この中にある時計塔。その5階こそが目指すべき場所だった。

「一度は負けた。だが、今度こそ」

 宿舎。ここに入れば迎えてくるのはやはりもどきたちだ。

 亡者がごとくに現れるそいつらを片っ端から排除しつつ俺は扉へと向かう。

 時計塔。そこに強敵がいるのだ。敵を想えば心が疼き、俺は口角を微かに釣り上げた。


                ◇◆◇◆◇


 その扉の先へ進めば景色を含めて全てが反転する。

 身体がふわりと浮き、上下が変わる。瘴気の性質が変わり、粘ついた水のような瘴気へと変わっていく。

 おかしな表現だが、これから俺は塔の五階に登るのではなく、潜行していくことになるのだ。

「ようやく戻って・・・これた、か」

 石造りの螺旋階段。水のような瘴気。これらは深奥より漏れる禍々しさの片鱗にすぎない。

 この奥にいる化物が持つ、神威のほどがどれほどかわかるというものだ。


 ――今、地上ではどれだけの時間が過ぎた?


 探索を始めて少ししか経っていない。それに幽閉塔自体は破壊神の領域より遠い為、時間の経過は地階よりもゆるやかになる。

 それでも確実に地上の時は加速していた。

 マントに目をやった。

 オーキッドが手ずから作った俺を守る為のマント。その愛の概念は未だ未熟だが、たしかにそこには愛がある。

「生きて帰るとは約束できねぇが」

 唇を舐める。強力な武具。デーモンどもを倒して鍛えた肉体。

 勝率というものがこの世に存在するなら、以前よりも確かに上がってはいるのだ。ならば、倒せぬわけがない。

「奴の夫として、恥じぬ戦いをしよう」

 そうして俺は螺旋階段へと足を掛け、嗤う。

 豪、と俺などには目もくれず螺旋階段の中央を行き来する巨大な蛇のような死魚のデーモン。

 その巨大さ。その力強さ。どれもボスデーモン並に強いが、こいつは番人のようなもので、ボスではない。

 ただこの領域の主に命じられたままに螺旋階段を上下する哀れな存在だ。

「だが、ちょうどいい前哨戦だ」

 どれだけ俺が強くなったのか。それを確認しておきたかった。

 指輪を付け替える。ベルセルクから水の神秘に対して強い耐性を与える指輪、『耐える水の指輪』へ。もう一つは刃の攻撃を強める蟷螂の指輪だ。

 俺は魔術を使えはしないが、水の概念に対して抵抗力を与えてくれる魔術の触媒『尽きぬ泉プレシオ』を腰に下げておく。

 ハルバードは袋に戻した。こいつの出番は初撃を与えたあとになる。

 ふと、ここで体力を消耗することに意味はあるのか? 心のどこかでそんな声がしたが、俺は笑って応えるだけだ。

(少し調子に乗らせろよ)

 どのみちこのデーモンに勝てないのならば俺はこの先の化物に勝てはしないのだ。

 あれに勝つためにも、強敵を滅ぼす経験は多いほうがいい。

 戦うと決めたが、相手は強敵だ。

 ここ2階。そこがちょうどよかった。

 ウツボのデーモンに挑むにしても場所は選びたい。

 この位置は高いが、この場に満ちる浮力のおかげで転落して死ぬという心配はしなくていい。地に足がつかないというのは踏み込みに使える力は減るが、その点だけは安心してよいことだった。

 ウツボのデーモン。こいつは巨大なデーモンだ。少なくとも、幽閉塔に挑んだ当初の俺ならば容易には勝てない相手の一体だっただろう。何もできず、死を覚悟しなければならないほどに強力なデーモン。

 それでも挑むと決めたなら、気分は楽だった。

 このウツボのデーモンは複雑な思考の存在しない死魚である分、花の君よりも気楽に挑める阿呆デーモンである。

「よし、やるか」

 ウツボが下から上がってくる気配がする。こいつはこのまま螺旋階段の天井に行き、ぐるりと回転してからまた4階部分の扉のある真下へと向かうのだ。

 だが、それはさせない。俺は、ぱっと、階段から飛び降りた。手にはハルバードの代わりに炎剣で作られた槍を握っている。

「おぉおおッッッ、らぁあああああッッッ!!!」

 真下。口を開けて迫ってくるウツボのデーモンの顔面に炎槍をぶん投げた。

『GYUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!』

 炎を噴き出しながら、直撃する炎槍。顔面に槍を打ち込まれたウツボから、鼓膜ごとぶち破れそうなほどの大音声が響き渡る。びりびりと空間が揺れる。槍の直撃を食らったにも関わらず激高してウツボのデーモンが突撃してくる中俺はハルバードを袋より取り出した。

 足元に地面はない。天井は遠い。だから、俺は側面にある階段を蹴り飛ばす。

 ウツボのデーモン。そいつの顎が俺めがけて突っ込んできていたが、躱すようにして沈むよりも早く潜っていく。それだけでない。潜行すると同時に、ハルバードの刃をウツボの側面に突き立てていた。

『GYUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!』

 さらなる悲鳴は悲嘆を含んでいた。

 ウツボの勢い。俺の潜行の速度。ハルバードの切れ味が合わさり、蛇がごとくに長大な大魚の腹が割かれていく。瘴気を含んだ内臓。青黒い穢らわしい血液が水を汚していく。

 無論、俺も無傷ではない。ウツボの衝撃は強く。また、奴の鱗や肉は相応に硬い。ハルバードが素晴らしい武具だとしても、びりびりした衝撃が腕に響く。

 付け加えるなら鼓膜が破れそうなほどの音も脅威だ。衝撃波のように脳をゆらすその大音声。くらくらと頭が揺れる。それでも俺はハルバードの柄を強く握りながらウツボのデーモンに致命傷を与えていた。

 死魚。その種類のデーモンの特徴。こぼれ落ちる内臓を気にせず、ぐるりと回転したウツボのデーモンが俺へと突っ込んでくる。

 この不安定な水中では躱すことの困難な速度。だが盾を取り出す程度の間がある。俺は焦らず騎士大盾を袋より取り出すとウツボの顔面へと力いっぱいに叩きつけた。

「ぬぅ、さ、流石に、む、無理かァ!!」

 奴の顔面が勢い良く潰れるが、同時に俺の腕も押し負けるようにして宙を泳ぐ。俺の身体が回転し、勢いは止まらず壁に叩きつけられた。

「ぐぅッ、だがッ」

 頭をぐらつかせていては追撃で殺される。俺は壁を蹴り飛ばすと、俺へと追撃をしかけてきたウツボのデーモンに、ハルバードを叩きつけた。

 飛び散る穢れた血。ウツボより響き渡る大音声。うるせぇと思いつつも奴の腹側に逃げるようにして反撃を躱す。

(2階から攻めて正解だったな)

 まだ螺旋階段の底にはつかない。おかげで戦えていた。頭上を取られていたならば、逃げる余地もなく体重で潰されて終わりだっただろう。

 それでも、時間は残っていない。攻撃を交わし合う度に、俺は沈下していっている。最深部への猶予もそこまでない。

 息を吸う。オーラをハルバードに強く込める。ウツボの腹に斬撃を与えつつ俺は龍眼を発動させた。

(弱所は顔面!!)

 ぶち込んだ炎槍は未だに炎を吐き出し、奴の身体を焼いている。だが、足りない。このデーモンを滅ぼすにはそれだけでは足りていない。

 だが! だが! だ!!

 俺は騎士盾を投げ捨てた。防御に意識は割かない。

(次の接触! そこで決めるぞ!!)

 この程度軽々と倒せなくて何が神を殺すというのか! ハルバードをウツボの腹より引き抜くと、俺は螺旋階段へと着地し(と言ってもかすかな浮力があり、足をつけることはできないが)、振り返る。

「――おぉ!!」

 獰猛なるデーモンよ! これだけ切り裂かれてまだ余裕か貴様は!

 戦士ならば感嘆すべき光景。辺境人でも弱い方の戦士ならば何もできずに殺されるであろう巨大なウツボのデーモン。それが俺へと大口を開けながら突っ込んでくる。

「――ぉおおぉおお――」

 両手でハルバードを握り、体内で練り上げたオーラをぶちこむ。

『GYUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!』

「――ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 雄叫びと雄叫びの衝突。龍眼に弱所は映っている。ウツボのデーモンの頭部。こいつはそこが弱い!!

(だが!! 直接刃をぶつけるのでは! 足りない!!)

 俺はハルバードの刃で突っ込んできたウツボのデーモンの顎を跳ね上げた。びりびりと腕に響く衝撃。顎は弱所ではない。狙うべきは脳を収めるべき部分。

 叩きつけたハルバードを勢いのままに一回転させ、素早く槍を構えるように両手で握った。今の顎への攻撃で、口は強引に閉じさせた。狙うべきはわかりやすくなっている!!

「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 死ぃいいいいいねええええええええぃいいいい!!!!」

 ハルバードの刺突部分を、顎から弱所である脳へと、突き貫く!! 追撃! オーラを瞬間的に大量にぶち込み、ウツボのデーモンの頭部へと流し込んだ!!

『――――――――――――――――!!!!』

 悲鳴をあげようにも、奴の顎は俺が縫いとめている。

 奴の頭部が膨れ上がる。

「はッ!! 俺の、勝ちだッッッ!!!!」

 俺の流したオーラに耐えきれず、爆発するように、ウツボの頭部が破裂した。

 目の前で消失していく敵の肉体。刺さっていた炎槍が解けるように敵の肉体から開放され螺旋階段の空洞を下へと落ちていく。

「さっき落とした盾も含めて、回収しないとな」

 ついでに、ウツボのデーモンが落としたものも。

 もっともあれに関しては拾って良いものかどうか少しばかり迷う。

「まさかあれは、鰓の鍵か? 俺が持っている鍵と同じ形だったが……」

 恐らくはダンジョンのギミックということなのだろうか? ウツボのデーモンを倒せれば4階まで真面目に攻略せずとも5階に進めるという何の為かわからない仕掛け。

 どちらにせよ、デーモンどもは殺さないといけないのに。何の意味があるのか。

「だが、遊戯的だな……」

 これもまた、ダンジョンというものなのだろうか?


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