二階 時計塔

124


 村に戻ってからの寝床はもともとの俺の家だ。

 俺は騎士となったが居館などは未だない。

 とはいえ村長の家に間借りさせてもらうのは気まずすぎた。

 騎士の位を持ったとはいえ、もともと村の爪弾き者なのだ。偉くなったからといってでかい顔をしていれば反乱祭りでダンジョン攻略どころじゃなくなる。

 さて、もともとの家だが、俺が家を空け、ダンジョンに挑んでいた間にジョンが補修していたのか、壁の穴や扉のガタツキなどは補修されていた。

 とはいってももともと爺と俺が暮らしていたあばら家のようなものだ。補修をしたとはいえ、壁は薄いわ。天井に謎の染みがあるわ。床はあちこちギシギシと軋むわとろくなものではない。

 オーキッドは何も言わないが、貴族娘のオーキッドはさぞかし暮らしにくかっただろう。

 そんな暮らしの中、木床の上に俺とオーキッドは横になっていた。

 お互いの身体の上には毛皮が数枚掛けられている。

「明日、ダンジョンに戻る」

 戻る・・

 自然とその言葉が口に出ていた。隣で横になっているオーキッドは俺を見ながら「そうか」と言う。

「何かあったら司祭様を頼れ、いや、お前にとってはサテュラーナの方がいいか」

 オーキッドと共に来た弓聖は村の聖堂に逗留していた。俺が村に戻り、一ヶ月の間、あれは司祭様の手伝いや俺との鍛錬、オーキッドの教育に時を費やしている。

 サテュラーナ。ケンタウロスの英雄の一人だ。

 物腰は穏やか。教養は深く。武術に長け、神への信仰に篤い。力では俺も彼女に負けぬ自信があるが、それ以外においてはあの弓聖に勝るものを俺は何一つもっていない。

 別段英雄になりたいわけではないが、あの女と接すると英雄と呼ばれる人種に必要なものがおぼろげながらも見えてくる。


 ――だから、そういうものを根こそぎ削ぎ落として、俺はあの悍ましい世界に赴くのだ。


 ふとオーキッドが俺を見つめていることに気づく。

 彼女の腕はないままだった。神から賜った神器たる林檎を食わせれば生やすこともできるし、ダンジョンでソーマを手に入れたならそれをくれてやることもできた。だが、オーキッド曰く、大陸人の小娘がこの辺境でやっていくには、腕一本の方が便利なのだという。

 辺境の英雄の一人たる黒蝮を動かした腕の持ち主、というのは結構なネームバリューらしい。それらを周囲へ示す証として、彼女は片腕をないままにしていた。

「どうしたオーキッド? いや、それよりわかっているか? 何かあったら司祭様かサテュラーナに相談だぞ。村長には荒事以外には期待するな。黒蝮の親分にはあまり頼りすぎるなよ。あの人は情に厚いが、助けを乞えば当然取るものは取っていく。それと長耳エルフどもにも注意しろ。時折お前を訪ねてアリアがやってくるようだが、あいつの目的は不明瞭だ。あまり仲良くするな」

「キース」

 構わず言葉を続けようとするが、オーキッドが俺の頬に触れ、言葉を重ねる。

「生きて帰れよ。私はお前を待っている。ここで。この家で。私たちの家で」

 夫婦生活。その始まりとして、俺はこの女オーキッドと2人でいるときは鉄仮面を外すことになっていた。

 俺の顔や腕に張り付いている皮膚の由来をこいつは知っている。

 嫌悪も何もなく、オーキッドは己の姉の皮膚の上から俺の顔を撫でてくる。


 ――未だ俺の心は宙ぶらりんだ。


「オーキッド。やめろ」

「姉様も。我が夫をよろしく頼みます」

 慈愛を込めて触れてくる妻。それがむず痒くて俺は彼女の手を振り払うと毛布を深く被り「おい、寒いぞキース。私の分の毛布まで持っていくな」「抱きつくな馬鹿」「気にするな。夫婦だろう」「……っ」

 こうして俺の地上の夜は更けていこうとしている。

 次にこうすることができるのは、あの魚のデーモンを倒してからだろう。

「キース」

 耳元で、オーキッドは囁いてくる。

「生きて帰れよ。待っているから」

 装備は整っている。道具も揃えてある。肉体は万全で。いくらかの対策は練れている。

 それでも戦いに絶対はなく。故にこそ俺はこう応えるしかない。

「俺が帰らなかったら好きに生きろ」

「ふん。好きに待つさ」

 だから帰ってこいと彼女は度々俺に言い聞かせるのだった。


                ◇◆◇◆◇


 ダンジョンの前には転移のスクロールを消費してやってきた。

 オーキッドはついてきていない。神殿の秘奥たる適化薬を飲み、辺境で生きていける肉体を手に入れたとはいえ、ダンジョン近くの強い瘴気を受けるのは、身体に良くはないことだった。

 息を吸う。

 ここは薄暗い。

 ヒカリゴケに照らされた空間。土や岩に埋もれた善神大神殿。空間の隅にはドワーフの爺さんの小屋があり、何かまた作っているのだろう。そこからは槌の音が響いてくる。

「ここは変わらないな」

 辺りを見回すが猫の姿はない。

(あれは、ここ以外にどこか行けるのか?)

 隠れているだけかもしれないが。

(村に戻った時に絞りすぎたか……)

 村に戻ってより数日後のことである。

 地上での商業神の行いについて、殺しかねない勢いで責め立てたのだ。あれは眷属だから本流たる神の思惑について何か知っているかとも思ったのだが、はぐらかされて何も聞くことはできなかった。

 俺のような男が口先で勝てるとは思わなかったが、何一つわからぬまま。

 とはいえ、あの飄々とした糞猫でも脅されれば流石に怖がるらしい。

 この場にいないのはそういうことだろう。

 まぁいい。道具は既に仕入れている。あの猫から買うものは特にない。金もないしな。

「だが、どうにも何かが蠢いているような……」

 あの猫はそもそもなんでこんなところに?

 成立から考えればあれは4000年近くここにいるんだろう? ここを閉じていたのは誰だ? 爺はここを知っていたのか? なんであの穴の上に納屋を建てた?

 疑問は尽きない。だが、考えるのはやめておこう。疑問の答えは必要な時がくればわかるようになっているはずだ。わからなければ、それは必要のない疑問なのだろう。

 ここはそういう場所であるはずだ。

「やるべきことをやる。俺にはそれしかできないからな」

 問い詰めた時に、猫に預けておいた駒は回収してある。

 ダンジョンへは問題なく挑める。

 深く呼吸を繰り返す。頭を切り替えることにする。これからあの化物魚に挑むのだ。油断したならば必ず殺される。そういう化物だ。あれは。

 俺は聖域に座り込むと、猫を脅した時に受け取っておいたドワーフの爺さんが鍛えてくれた鎧を身につけていく。

 『神殿騎士の鎧+5』。

 金剛鋼アダマンタイトで作られた非常に重い全身鎧だ。

 特殊な能力はないがただただ硬い。ドワーフ鋼で作られた武具でもこれを切断することはできない。そういう硬さである。

 加えて、爺さんの話によればヤマの火で鍛えられている為に邪悪なものに対して強い力をもつようだ。

 鎧を身に着け終わった俺は次なる武具に視線を移す。

 ヤマの火と竜の血によって鍛え上げられた『竜刃のハルバード+5』。柄はドワーフ鋼。刃や石突はオリハルコンで出来ている。刻まれた刃の聖言は斬撃の性能を上昇させ、並のデーモンなら触れただけで一刀両断できるほどの力を持つ。

「くく……くくく……」

 いや、それよりもだ。念願のハルバードの姿に胸に湧き上がってくる歓喜が抑えきれない。

「早く、こいつをデーモンどもに振り回してみたいもんだ」

 神殿をちらりと見る。あの中には獲物が大量にいる。くく……くくく……。デーモンどもめ。待っていろよ。

「それと、こいつだ」

 『捻じれ結界の炎槍』。

 捻れて壊れた結界の盾を更に捻って槍の柄とした上で、デーモンを殺しまくった為に悪魔殺しの概念が染み付いた折れた炎剣を継ぎ足したものだ。

 敵と打ち合えるほど頑丈ではないが、投げやすく、貫きやすい形状となっている。

 本来廃品とすべきものであるためにこういうものにしたようだ。

「投槍はあるだけ助かるぜ」

 爺さんの小屋に向けて内心で頭を下げつつ、二つの盾を見やる。

 片方は水の概念に強い耐性を持つ『神殿騎士の大盾+5』。

 片方は呪いの力に対しては無類の性能を発揮するが、物理的な力に極端に弱い『聖衣の盾』だ。

 神殿騎士の大盾は俺の身体を隠せるほどに大きく、アダマンタイトで作られている為に重く、硬い。

 聖衣の盾は、リリーの皮が癒着した俺の鎧の胴部分を利用して作られた為に、軽く、薄い。だが聖衣の力は多くの呪われた力から俺の身を守ってくれるだろう。

「頼むぜ」

 どちらの盾も最適な場面で使えば俺の命をいくらでも救ってくれる力を持っている。

「あとは、こいつらか」

 最後に、オーキッドが俺に渡してきた武具を見た。

 『星牛のマント』『青薔薇の茨剣』『毒鉄の少女篭手』。

 星牛のマントは、先日村人総出で戦い殺し、近隣の村々にまで肉を振る舞った星牛の皮から作られたマントだ。

 オーキッドが聖衣とすべく自身の血を練り込んだそれは薄くだが、愛の概念を発揮している(もっともデーモン戦の役に立つほどの力ではないが)。

 聖衣としてはまだまだだが、星牛の皮は素材としては最高峰のものだ。神の獣の皮である。鉄の鏃程度では貫通はできない。幽閉塔に挑む俺にとって、十分に力のなる装備だ。

「そして……これか……」

 それを見て、複雑な気分にならなかったといえば嘘になる。

 それらは、どこか見覚えのある刺突剣と右腕用の篭手だ。

「オーキッドは、これらが俺が渡した鎧櫃に入っていたと言っていたな」

 遺書とこの2つの装備以外は朽ちていたとも。

 『毒鉄の少女篭手』を手に取る。

 それは内側に茨の棘かなにかでびっしりと呪言の彫られた篭手だ。誰かリリーの血が呪いのように深く練り込まれている。

 篭手を覆うように存在する少女の顔は、まるで生きているかのような質感を持っており、今にも苦悶を吐き出しそうなほどに悍ましい。

「これが、まさか聖衣と同じ力を持つとはな……」

 神殿騎士鎧の右篭手を外し、少女篭手を身につける。

 原理は不明だが、この篭手は俺が身につけることで俺の皮膚に張り付いている原初聖衣と同等の聖なる力が宿るようになっている。

 もっともこんなものを地上で身につけるわけにはいかないが。

 鉄の面頬はまだ言い訳ができる。だが、苦悶する少女篭手など身に着けていれば流石に外聞が悪すぎる。

「それと、こいつか」

 茨剣。無数の刃片を猛毒の茨で繋いで作られた刺突剣だ。遠くの敵に振るえば鞭のように、近くの敵に振るえば刺突剣のように扱える奇妙な武具。

 変幻自在とはまさにこのことだろう。

「っても、こんな色モノを俺が使うのもな……」

 使えないなどとは口が裂けても言えないが、奇天烈な武器を扱うのは慣れていない。

 もっともハルバードがいくら強くとも、それだけでこれから先を進むのは困難だろう。

 手札を多く持っておくのは重要なことだ。

 幸いにも商人デーモンから手に入れた『荷を引く馬車の紋章』のお陰で袋の容量は拡張されている。武器一本が増えるぐらいなんてことはなかった。

「さて」

 盾や剣を袋に収め、ゆるりと立ち上がる。

 面頬を外し、俺はにぃっと口角を釣り上げ、善神大神殿を見遣る。

「行くか」

 準備は終わった。

 あとは戦い、殺すだけである。


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