123
金貨が落ちた音を聞いた瞬間に、俺は駆け出していた。
ベルセルクによる加速。俺によって蹴飛ばされた大地が、爆発するように吹き飛んだ。爆発的な加速、というより爆発を利用した目くらましだ。
(どうだ?)
両足が地面を離れ、大地に再び触れるまでの一瞬。振り返る。なるほど! 納得した。
(その鞍は、弓神の神器か!)
弓神の権能の一つに、
オーキッドが使う鞍は、その権能の再現を行っていた。
俺が飛ばした土埃や石礫の全てがオーキッドと、オーキッドの乗る馬を避けて後方に流れていく。
これを破るには、弓神の権能を越える量のオーラを込めるか。必中の奇跡を神々に祈るしかない。
もしくは新月弓のような神器による一撃である。
もっとも加護は飛び道具だけのものだ。だから、剣や槍で近づいて斬ってしまえばいいのだが、それはできない。
(オーキッドが死ぬからな!!)
着地と同時に走り出しながら、隣のオーキッドを見やる。
この少女を生かして帰す。それは俺がするべき当然だった。
(しかし、速い……!)
ただまっすぐ。門だけを見て馬を走らせるオーキッド。その速度が異常に速すぎる。
四脚馬だぞ。四脚馬でサテュラーナ並の速度。ありえん。ベルセルクを使っている俺に匹敵している? 馬鹿な。そんなことが……。
(サテュラーナか! 奴が神の奇跡を祈り、馬を強化したか!? あの女ならばそれぐらいはできておかしくないッ!!)
それに隣を走る馬の筋肉を見てみろ。最初にオーキッドが関所で借りていた軍馬よりも色艶が良い。これは……。俺は荒く息を吐き、地面を蹴り、前へ前へと進みながらその正体にたどり着く。
(親分か! 黒蝮の親分のとこには親分が馬商人から買い求めた名馬がいた筈だ。そのうちの一頭か!)
それに驚くべきは、鞍の力で御せているとはいえ、それを巧みに操るオーキッドの馬術。
(そうだな。リリーが死ねばオーキッドに花の君は移った筈だ。ならば心身ともに鍛え上げていて当然!!)
オーキッドは異常に速い。だが俺もまた全力で地面を駆け、走っている。
すでに半分の距離を走破。残りの距離は短く、門は目前。
「はッ。はッ。はッ。はッ。はッ。」
荒い息は両者ともに。オーキッドはただ前を見ている。俺もまた、前を見ている。いや、前を見て走るオーキッドを見て走っていた。
前だけを見る鋭い目。目的を達成することに命を懸ける純粋さ。
――その姿が、あまりにもリリーに似て――
疼く。痒みのような疼きが心を乱す。肉体は動いている。勝負に勝つと意識もしている。だが、どうしても……。
顔や手に癒着した彼女の皮膚が微かに震える。
リリーを裏切るなというのか。
それともオーキッドを受け入れろというのか。
(俺は……ッ……俺、はッ)
オーキッドは勝つための準備を行っている。事ここに至って、大陸人の小娘という認識は改めるべきだった。心を乱して勝てるような相手ではない。
激震。地が揺れた。背後では辺境の英雄と称される4人が星神の兵器と戦っている。その衝撃が地を揺らしている。
地を蹴る俺の足が一瞬だけふらつく。オーキッドの乗る四脚馬も同じだった。揺れ、オーキッドの外套が地に落ちる。
「ッ……!?」
隻腕。
オーキッドの左腕が消失していた。
なぜだ? いつだ? 先のデーモンとの戦いの時にはあったはずだ。
(親分かッ……!!)
ゼウレの血を引き、大陸の貴族でもあるオーキッドが腕を差し出せばそれは確かに親分の面子を潰さず協力を要請できる。
名馬や親分自身の力添えは、これか! これが原因か!!
思わず俺は叫んでいた。
「オーキッド!! そこまで! そこまでする理由がどこにある!!」
叫ぶ俺。隻腕のオーキッドは振り返らずに、先へと進みながら叫び返してくる。
「キース殿とて! 我が姉の為に命を賭しただろうが! 私がやって何が悪い!!」
「悪ッ……悪いだろうが! この馬鹿娘がッ!!」
クソ、動揺で走りが揺らいだ。致命的に距離が離れた。もはや追いつけない。それでも。
それでも、前に。先へ。先へ。進む。進め。
地を蹴る。オーキッドは前を行っている。あと2分ほどか。それだけで村の門までたどり着ける。そんな距離。
「キース殿! 言っておくが私とて、私の為に戦っている! 貴公がそのような方だとは知らなかったが、私とて、ただ漫然と貴方だけの為に生きていこうと考えているわけではない! 私にも、貴方を愛し、貴方に聖衣を与える他に目的がある!!」
「なら、ならばそれに専念すればいいだろうが!! せっかく、せっかくデーモンから自由になったんだぞ!!」
「ああ、自由になった! 自由を貰った!! だから私は私の為に生きる!!」
糞、糞、糞がッ! 追い抜けねぇ! オーキッドめ! どんな奇跡を使ってやがる!!
「貴方に感謝を捧げるのもその一つだ! 貴方に報いる為! 貴方を生かす為! だが、それだけじゃない。貴方と契ろうとするのは、テキサスの血を辺境に残す為でもある!!」
それは血の存続を第一とする貴族的な思考だ。そんなことで愛が育めるのかなどということはわからん。だが、やると言ったらやるのだろう。この小娘は。
こうやって、俺に勝とうとするように。
「それだけならッ――「それだけじゃない!!」
否定の言葉に更に言葉を重ねられる。先を行くオーキッドは俺を見ていない。ただ前を見ながら、叫び続ける。
「デーモン! 我が一族の運命を悲嘆で塗り込めてきた奴ら! 私はそいつらを根絶する!!」
「そ、そんな馬鹿を――「馬鹿じゃない! わかるか、キース殿! 3000年以上だ! 我が一族は、3000年以上を花の君に、姫たちを捧げてきた! それの仇をとることの何が悪い! 一族の恨みを込めて、デーモンを殴りつけて、何が悪い!!」
振り返ったオーキッドが初めて、その瞳に烈火にも似た憎悪を込めていた。その目で俺を睨みつけながら彼女は叫ぶ。
「私とてそうだ。一生の全てをデーモンに捧げてきた! その為に死ぬのだと! 花と茨に蝕まれて死ぬのだと! 恐怖と屈辱の人生だった! だが、私は自由になった! ならばどうするか! わかるだろう! 復讐だ!!」
ゴールである村の門を目前にして、ただの農民でしかなかった俺には理解できないことを、オーキッドは叫ぶ。
「愛も! 復讐も! 私は、私がほしいものを全て手に入れる! その為なら、腕一本がなんだというのか! 腕一本で我が一族の救世主である貴方を手に入れられるなら、安いもの――」
激震。風切り音。
星牛が激しく暴れでもしたのか。地が揺れ、俺とオーキッドの乗る馬が宙に浮く。
オーキッドもまた、手綱を握りながらも、その身体は馬から跳ね上げられた。そして、引き剥がされるように、馬から吹き飛ばされていく。
当然だ。腕一本で身体を支えられるわけがない。
彼女は馬から放り上げられ、呆然としながらも鋭い目で門を見ていた。
彼女は勝利だけを見ている。
――それでもこのまま叩きつけられれば、オーキッドは死ぬのだろう。
助けなければ、俺が勝って終わる。
否、勝ちたければ、彼女を見捨てる他ない。
「ば――」
あれだけの啖呵をきった少女が、あっけなく死ぬ。あれだけ神に愛され、英雄たちに力を貸し与えられた少女があっけなく死ぬ。
死ぬのだ。俺が助けなければ。
その思考が浮かんだ瞬間、反射的に地を蹴っていた。継続的に使っていたベルセルクを一気に消費する。
脳裏に浮かんだのは、オーキッドとそっくりな顔をした女の顔だ。
あれは、俺の前で、弾け飛んだ。
俺は、似た顔の女が柘榴がごとく地に脳漿をぶちまけるのを見たくはなかった。
それだけの、ことだった。
「――っか野郎!!」
だから、敗北したというのなら、敗北したのだろう。
気づけば俺は吹き飛んだオーキッドが地面に叩きつけられないように身体で受け止めていた。腹部に衝撃。臓物を抑えていた布がはじけ飛ぶ。圧迫され、血泡を吐く。薬のおかげで痛みはないが、衝撃に身体が動けなくなる。
同時にベルセルクの反動が襲ってくる。身体が脱力し、立ち上がれなくなる。
「勝つ……勝つのだ……私は……」
落ちるも俺のおかげで無事だったオーキッド。彼女は、ベルセルクの反動で動けなくなった俺の身体から抜け出すと、立ち上がるよりも、腕の力だけで這うようにして、すぐ傍にあった村の門の内側へと、ずるずると入り込んでいく。
それを見届けながら、俺の口から息が漏れた。
「なんつー娘だ。オーキッド。なんつー娘だよ……」
勝敗は決していた。俺の負けだった。俺は負けてしまった。
大陸人の小娘に。執念で負けた。
いや。俺には最初からそこまでの決意がなかった。
「あー。畜生。糞。結局、こうか。こうなるのか……」
「これで、納得できましたか?」
涼やかな声。腹から臓物を零しながら空を眺める俺に話しかけてくる人がいる。
聖女様だった。彼女が俺を上から覗き込んでいる。ため息をつき、俺の腹に向けて、再生の奇跡を使う。
臓物がはみ出しかけていた俺の身体がゆるゆると治っていく中、俺は息を小さく吐いた。
「負けは、負けですからね」
「そうですか」
「惚れた女にそっくりの女とかけっこ勝負。その舞台がこんな危険だらけの辺境じゃ、そりゃ負けますよ」
何しろ俺はオーキッドを勝敗よりも、オーキッドを死なせないようにするのに必死だった。
勝つだけなら、最初の関所で追い抜いた時にオーキッドの頭を弓で射抜けばよかったのだ。
それができなかった時点で俺が負けたのは、必然だったのだろう。
そんなことを考える俺だったが、聖女様は顔を顰めながら遠くを指差し、俺に問う。
「時に、あれはなんですか?」
「あれ?」
あれです、と彼方を指差す聖女様。そこには星牛と戦う英雄4人の姿。
周囲を見れば村長をはじめとした村の連中は、ガヤガヤとざわつきつつも、村に保管されていた対龍兵器などを持ち出し、星牛に向かって喜び勇んで駆けていくところである。
鉄鎖にバリスタ、大槍までも。どれもこれもピカピカに輝いていて村の老人どもが毎日磨いていたのだろうことが伺えた。
「商業神がなんぞやってるらしいですが……商業神は何を考えてたんですかね。こんな勝負にあんなものまで持ち出して」
「商業神? バスケットが? 星神の神器まで持ち出した、だって?」
首をかしげる聖女様だったが俺の興味は彼女にはもうなかった。俺は、寝転びながら門の傍に倒れ込んでいるオーキッドを見ていた。
オーキッドの傍には司祭様が跪き、何かを飲ませている。
そんな俺に気づいた聖女様が「適化薬です」と教えてくれる。
「肉体の調整を行える神殿の秘奥です。これから辺境で暮らすのですから強い神秘に耐えられるようにならなければ、ね」
「そうですか……貴女は最初からこの結果を……」
「今回の勝負は」
聖女様は言う。
「セントラル卿にどうやって勝負を受けさせるのかが一番の難関でした」
「そうですか……ああ……」
周囲が整え始めている状況を見ながら思う。
ああ、俺は、あの女と結ばれるのか、と。
「負けちまったからなぁ」
「負けてしまいましたからね」
負けたのだ。敗北を自ら選んでしまったのだ。
俺に、彼女を愛せるのかはわからない。
それでも、あの少女がこれからこの大地で何をするのか。それが少しだけ楽しみで。
そして、最後の最後にオーキッドの切った啖呵が、妙に心に残るのだった。
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