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 デーモン退治の報酬にとエルフから霊薬三瓶を受け取った俺は街道をゆっくりと歩いていた。

(勝負はとっくに終わっているか……)

 エルフの援護があったために、思いの外時間は掛からなかったが相手は魔王級のデーモンである。しかも奴は魔王級にあるまじく途中で逃走したのだ。その為に追いかけるハメになり、追いつき滅ぼし、再びここに戻り、と存分に時間はとられていた。

 これだけ時間がかかっているのだ。ケンタウロスの足ならば、とうに村についてもおかしくはない。

 だから俺はのんびりと歩いていた。

 村までそう距離もないのだ。急ぐことはない。

「時に、人の騎士よ」

「…………あ゛?」

「辺境人。貴様にお父様が聞いているのです。姿勢を正して拝聴しなさい」

「めんどくせぇなお前らは。で、なんだ?」

 いらつきを抑えるために髪をがしがしとかきむしる。

 鉄仮面で表情は見えないはずだが、俺の顔は苦虫を噛み潰したような、というのが相応しいものになっているだろう。

(雰囲気だけでも伝わってくれればいいのだが……)

 なんともつまらんことに俺の後ろにはエルフが2人ついてきていた。

 光の森の英雄。『異貌のゼフラグルス』と『静謐と粛清の乙女アリア』の親娘だ。

 ついてきている理由はわからない。どうにも俺が目的ではないようだが、一体なんだこいつらは?

 ゼフラグルスはそんな俺の疑問など知らぬとばかりに淡々とした声で語りかけてくる。

「騎士よ。お前には多くの因果が絡まり始めているな。その中に我らが同胞の色が、薄くとも見える」

 異貌のゼフラグルス。長寿であるエルフの中でも最たる齢の翁であるというのに、その身体には皺一つない。赤子のようにつるりとした肌の、青年のように見えるエルフは俺を色のない瞳で見つめてくる。

 因果? 因果だと? 歳月を経たエルフにはそのようなものも見えるのか。それともこのエルフだけが特別なのか。

「同胞……エリエリーズか?」

 俺の呟き。俺に関わるエルフなどあいつ一人しかいない。が、途端、アリアが抑えきれぬとばかりに声を張り上げる。

「エリエリーズ! エリエリーズ・マル・ウェンストゥス・デカヴィアですか! あの! あの破壊に魅入られた異端者!」

「ああ? ああ、エルフにしちゃいい奴だったよ」

「それは貴様のような蛮人にとっては、です! 我々にとってエリエリーズは森を焼く焔でしかありません。そも貴様の言葉遣いはなんですか! お父様のお言葉を賜っているのですよ! もっとありがたみの姿勢を見せなさい!」

 ぎゃんぎゃんとうるさい小娘だ。

 ツラだけは一端の姫君のように整いすぎるほどに整っているが、やはり長耳は長耳。共にデーモンと戦った仲であろうとも他種族を低く見る意識は変わらない。


 ――もっとも、それは辺境人も同じではあるが。


「アリア。よい。その騎士は面白い」

「え? は、はい。お父様」

「なんなんだお前らは、なぜ俺について……む……」

 前方。そこに立っているものに俺は驚きで身体を固める。

「よぉぉぉ! キィィィスゥゥゥ!!!」

 手を振り、俺へと語りかけてくるのは熊がごとく巨大な体躯を持つ髭面の巨漢。

「黒蝮の親分!!」

 なぜここに? ここはセントラルパーク村に続く道だ。黒蝮の親分の居館とは方向が別である。

 俺が来ることを知っていた、のか? 占術でも使ったのか? なぜだ? そもそも一体何が目的で親分が俺を待つ?

「なぜここに?」

「ガッハッハ。ケンタウロスの英雄が大陸の小娘と共にやってきてなぁ。てめぇの為に来てほしいと」

「……俺の、為? 黒蝮の親分が? 俺の為に?」

「そうだ。神殿騎士キース。儂の盟友たるてめぇの戦いに横槍を入れる輩がいる」

「あ、ああ。だがそいつは」

 黒蝮の親分は指を一本天に向けて立てた。

「神だろう。わかってらぁ。てめぇは強い。強いが、若ぇな。辺境人だぞ儂は。気に入らなきゃ神にすら反抗する。それが辺境人だろう? へッ、キース。戸惑うなよ。なぁ、勝負事に神の介入は仕方がねぇ。この大地で生きるなら神々に干渉されずに生きるのは無理というものよな。故に儂たちは神に、祈りを捧げる。信仰も注ぐ。代わりに儂たちは加護を受けるし、恵みを受ける。その関係は上下こそあれど対等よ。故に、様々な出来事への神々の介入も仕方ねぇ。神々に気に入られるのもまたその人間の資質」

 だが、と親分は凶相で貌を歪めた。

「だがよ。やりすぎはいけねぇよな。神器を与えるのはいい。英雄を寄越すのも構わん。眠りに誘うのも許す。だが、な。デーモンはいけねぇよ。なぁ、キース。そうだろう儂の盟友よ」

「……オーキッド嬢が、そこまであんたに話したのか?」

「女傑ってのは、ああいうのを言うのか。大陸娘にしておくのは惜しいと儂は思ったよ。てめぇがいらねぇなら儂が貰ってやっても良いと思った。が、あそこまでされたなら、儂はお前がきちんと勝敗を付けられるように全力を尽くそう」

 だから戦え、と親分は拳を突きつけてくる。

 俺は困惑したままだ。

(まだ勝負は終わっていない、のか?)

 そして、拳を打ち合いながら、微かに親分から香る臭いに眉を顰める。

 血だ。鉄の混じった赤の臭い。どこかで嗅いだことのある。そんな血の香りだ。……妙な予感が働いた。

「……だが、なぜ親分が動く。動ける・・・? あんた、そんな軽々な立場じゃねぇだろう?」

 黒蝮の親分はこの地域一帯の侠者の取りまとめ役だ。それがただの小娘の懇願で動いたとなれば、事である。周囲に示しがつかねぇし、親分が軽く見られる。

 そもそも俺たち侠者は、言葉を弄してどうこうってのが嫌いだ。それをオーキッド嬢が説得した? そんな馬鹿な話があるものか。

 そもそも俺の為に親分が動くだと? ありえるわけがねぇ。俺が盟友であろうが、なんだろうが、俺の戦いは俺のもので、親分がどうこうしたがるもんじゃねぇんだ。

 だから、俺が神にどうかされていようが、親分が俺の為に動く義理はねぇ。俺が自分で動いてくれと頼めばそりゃ動くだろうが、そもそもそういうことを侠者同士はよほど親しくなければあまりしないし、盟友である親分といえど、親分ほどの大人物を動かすならよほどの利か代償がなけりゃダメなんだ。

 上に立つ人間を動かすってのは、そういうもんだ。

 怪訝そうに親分を見る俺を、親分は目を細めて見下ろしてくる。

 俺も上背のある方ではあるが、熊がごとくの巨漢と比べれば小さく見えるだろう。

盟友ともよ。お前はそのまま一人で我を張り続けるのか?」

 その質問はどういう意味かと問おうとした所で、背後のエルフ2人が近づいてくる。

「黒蝮。商業神に一当てするのなら私にも手を出させろ」

「と、お父様が仰りますので私も助力いたします。野蛮人」

「おお、ゼフラグルス! にその娘っ子かぁ。てめぇらの力添えはありがてぇ」

「逆だ。お前が私に力添えするのだ。なにしろ商業神の企てで森の同胞が死んだ。故に、復讐が為に伺いを立てた所、森神リヴェルも助力してくれることになった」

 そーかそーかと言いながら、ぐしぐしとアリアの頭を撫でる黒蝮の親分。嫌がるように頭を振り、拳を振り上げるアリア。

 ゼフラグルスは黒蝮の親分を見ながら薄く笑い、その手で筋肉の塊のような親分の腹に拳を打ち込んでいた。

 じゃれつくような3人のやり取り。流石にこの辺りの重鎮だけはある。お互い既に顔見知りか。

「でぇ、なんだ。やり過ぎは商業神かぁ? デーモン。そうだな。デーモンを呼び起こせるのはコウモリ野郎のあいつだけだろうな」

「商業神? オーキッドはあれにまで助力を貰ったのか? なんて危険な真似を」

 だが対価をどうしたんだあいつ、と呟けば、親分もまた疑問を口にする。

「見た限り、あの嬢ちゃんにはそこまでする余力はねぇと思ったがな」

 商業神に協力を願うならその力添えと同等の対価が必要となる。魔王級のデーモンを呼び起こすなら、それこそ小国の宝物庫を差し出すぐらいは必要だ。

 そんな俺たちにエルフの親娘は馬鹿にしたように解答を寄越してくる。

「辺境人たちよ。遠目に見えたあの小娘が原因というのなら違うぞ。あのデーモンを起こした手際の雑さ。間違いなく商業神バスケットの私事だろう。普段の奴ならば他の神の計画に加担し、痕跡は残さない。ふむ……勝負か。どのようなものかは知らぬが、商業神はよほどそこの騎士に負けてほしいと見える」

「我らエルフを巻き込んだのは、その騒ぎでこの野蛮人が死ぬことを嫌った為でしょう。負けては欲しいけれど、死んでは欲しくない」

 じろじろとアリアが珍獣でも見るように俺を見つめてくる中、親分がほれ、と前を指差した。

「相手がわかってるならなんでもいいさ。そら、キース。お前のが、そこで待っているぞ」

 ? いや、オーキッド嬢か。

 見ればただの四脚馬に乗った金髪の貴族娘が街道の上で俺を待っていた。

 傍らにはケンタウロスの英雄、サテュラーナの姿もある。

 近づけば、逃げることなく馬上より俺を見下ろすオーキッド嬢と目が合った。

 少しの違和感。だが、風と砂塵避けの為に、外套をすっぽりとオーキッド嬢は深く被っているし、オーキッド嬢について俺はよく知っているわけではない。

 血の臭いが微かに香る。サテュラーナのものだろうか? 俺が弓聖に与えた傷は未だ完全には癒えていない。

「なぜ、村に行かなかった。ここから時間にして五分と掛からない距離だぞ」

 本当に目と鼻の先という距離に村はある。

 いや、一応ここも村と言えば村ではある、か。

 街道脇にぽつぽつとある畑は、村人たちのものである。もっとも勝負の取り決めの時に決めた条件は、村の門を超えたものが勝利というものだ。だから未だ勝負はついていない。

 俺の問いに、オーキッド嬢は困ったように俺を見下ろし、言う。

「やはり、こうしておいてよかったか」

「勝てる勝負を、むざむざ捨てることがか? 馬鹿にしているのか? 誰の助力もなしに、お前が俺に勝てるわけがないだろう」

「そう。そうだな。その通りだ。関所の兵の好意があって、神々の助力があって、サテュラーナ殿の足があって、そして、デーモンの邪魔があって、ようやく私はキース殿に勝てる」

 だが、とオーキッドは笑う。真っ直ぐな視線で俺を見つめてくる。

「それでは貴公の心を得ることはできん。かと言って、辺境の歩き方を知らぬ私では皆の助力なければここまで来ることができなかった。要は、これでようやく私は貴方と対等に競えるということだ」

 天を仰ぐ。何を言っているのだ。この娘は。勝てる勝負を捨てるとは、ふざけるにもほどがある。

「ああ、お前が負けてぇってことはわかったよ。で、お前は何をしたいんだ。だらだらと喋ってねぇでさっさと本題に入れ」

「勝負の続きだ。ここから村の門まで。正真正銘、私とキース殿の一騎打ちだ。無論、サテュラーナ殿の足は借りない。いま私が乗っているこの馬で戦う。貴方に私を認めさせる。最初からこの勝負は、そのための勝負だった」

「よくぞほざいたッ!!」

 馬上の貴族娘。その瞳はまるでリリーが如くに鋭く、激しい。

 だが、こいつは慢心しているのか? ここまでこれたことで調子に乗ったのか?

 ふつふつと、心に怒りが湧いてくる。大陸人の分際でよくも吠えたな。

 上等だ。どうせ負けていた勝負。ここで決着をつけることに否はない。

 負かして、尻を蹴飛ばして、大陸に戻す。今まで散々部外者どもに邪魔をされてきたが、この距離でなら、たとえ神々の邪魔が入ろうと、先に勝利を決められる。決めてみせる。

 最初から全力で決める。ベルセルクの指輪をつけていることを確認し、剣で腹を切り裂いた。

 俺の腹から臓物が飛び出しかけるも筋肉で押し留め、こぼれ落ちないように腹全体を布できつく縛る。戦士の薬を服用し、痛みを完全に消失させる。躊躇なく腹を裂いた俺の姿にオーキッドが小さく悲鳴を上げるも、サテュラーナに忠告をされ、鋭い目つきで俺を見下ろした。

「そ、それで、い、いい。本気のキース殿を倒してこそだ」

「せっかく勝てたものを。馬鹿な娘だ」

「貴方に言われたくはないなぁ!!」

 そうして、位置につく俺たちへ親分が声を掛けてくる。

「キース。商業神が手を出してきても儂らがいる。安心しろい」

「親分がたに任せます」

 おうよ、と頷く親分。そして、警戒するように空を見ていたゼフラグルスが光り輝く弓を手にし、叫んだ。

「来たぞ黒蝮! 神器『猛る星牛アルデバラン』だ。商業神め! よほど焦っているらしいな。星神の秘蔵を買い取ったようだぞ!!」

「牛たぁちょうどいいじゃねぇか! 解体バラして儂の盟友の結婚祝いにしてくれようぞ!!」

 男どもの叫び。ついで女たちも叫ぶ。

「野蛮の極地たる辺境人と違って、私たちエルフやケンタウロスがそんなことをすれば呪われるのですがッ!?」

「エルフの英雄アリアよ。我がケンタウロスの守護神は星神ゆえ、その時は一緒に謝ろうではないか!」

「弓聖よ! 謝って済む問題なのですか!?」

「済む済まないでいうならすまないだろうが、私とて多少なりとも腹に据えかねるものがあるのだよ! ええ? 神々よ、オーキッドを勝たせるだけなら私だけで十分だというのに、それ以外になにくれと寄越しおって! 戦士の誇りを侮辱するにもほどがある!!」

 背後で始まる戦いの準備。ちらと空の見れば鯨と見まごうばかりに巨大な猛牛が空を踏み荒らしながらこちらへと落ちてくるところであった。

「オーキッド。後ろを見るなよ」

「わかっている。肌にひりつくこの神威。直に見れば死ぬというのだろう」

「わかっているようで何よりだ」

「うむ。では、勝負開始の合図は私が……」

 背後を気にしながらも見ないようにしながら、ゴソゴソと何かを取り出そうとするオーキッド。

 そして前方では騒ぎを聞きつけてか、村の方から武装した一団が駆けてくるのが見えた。なぜかその中には関所で別れたはずの神託の聖女様がいて、俺たちを指差してざわつく村人に、手を出さぬように指示を出している。

(転移で戻ってきたのか? しかし何をやってんだか、あの人は……)

 そんなことを俺が考える間にも、オーキッドは懐より取り出した大陸金貨を宙へ投げた。

 くるくると回転する金貨。オーキッドが馬の腹を蹴るために足を上げながら叫ぶ。

「それが地面に触れれば開始だ!!」

 そして、秒の間をおかず、最後の戦いが始まる。

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