121


 オーキッド嬢に追いつけたのはエルフの光の森の傍でだ。

 森の外からでも屹立する世界樹が望める森の傍の平原。

 そこに伸びている街道を駆けるサテュラーナを、背後から俺は追っている。身体を軽くする為に、目覚めた時に鎧は脱ぎ、鎧下だけになっている。また裸足で駆けている為に疾走の音は出ない。

 その上で背後から迫っている為に、未だサテュラーナは俺に気づいていない。

 囁きが聞こえる。地図片手にサテュラーナはオーキッドへと話しかけていた。

「オーキッド。この道を進めばゴールのセントラルパーク村だそうだ」

「本当に助かった、サテュラーナ殿。これほどの大恩。私が貴女に報いるにはどうすればよいのだろうか」

 オーキッドの信頼の篭った声に、サテュラーナはくつくつと笑う。

「私は星の導きに従っているまでだ。天命を受ける者を導け。との、な。故に君が望むならたいていのことはこなしてみせ――ッ。オーキッド。伏せろ!!」

 サテュラーナが天空に向けて弓を射る。同時に、サテュラーナの怒鳴り声で、馬体の上で体を伏せるオーキッド。

 背後。俺へと上半身である人間の部分で振り返るサテュラーナ。

「騎士キースよ! 久方ぶりだな!!」

 流石に2人の声が届くような距離まで接近すれば気づかれるか。

(だが、俺は放っているぞ)

 サテュラーナが矢を放つ寸前に、ここ数日で改めて増やしたチコメッコのナイフ。それをすでに剛力・・を持って投擲していた。

「ケンタウロスの英雄よ。悪いが、少しばかり動けなくなってもらうぞ!!」

「辺境人の騎士、夢神の誘いから復帰したか!」

「夢見が悪くてなぁ! 目覚めちまったぜ!!」

 弧を描きながら宙を切り裂きサテュラーナに迫るナイフ。その数8本。陽の光を反射し迫るその輝きは鈍い金色。あれは受けてはさしもの英雄とて手傷を負う筈。

 だがサテュラーナはナイフには目もくれず、俺を見て目を瞬いている。何を、気を抜いている!?

「その指輪・・は……ッ。その傷はッ……!? 騎士よ、正気か貴様。そこまで・・・・するのか!?」

「勝負だろうが……!! ここまでやらなきゃ勝負じゃねぇだろうがッ……!!」

「イカれた辺境人め! こんなものに嫁ごうとするオーキッドの気がしれん!!」

 風を切る音。風を裂く音。金属の響。

「――なッッッ!? そんな芸当も可能か!?」

 8本。迫るナイフ全てを空から落ちてきた矢が貫いていた。弓聖サテュラーナ。この女、そこまでの絶技が可能なのか!?

 甘く見ていたわけではなかった。それでも――ッ。

「ッ――はッ!!!」

 俺は空に向けてヤマの炎を放った。8本の矢から遅れ、俺へと迫っていた9本目の矢を撃ち落とす。危な、かった。

「美事なり! 殺意は込めていなかったが、気づかれたか!」

「気づいていたわけじゃねぇ、俺ならそうすると思った!」

 ははは、とお互い笑い合う。だがお互い顔は笑っていない。歯を剥き、前を睨みながら走り続けている。しかしお互いからは一瞬も注意を離さない。

(……まずい・・・、な。追いついた時に仕留める気でいたから、これ以上は……)

 指で指輪を撫でる。俺は最後の最後に使う最後の手段を使っていた。

 疲れと痛みを消し去る戦士の薬も使っている。ここで、だ。ここでサテュラーナを行動不能に追い込む。そのつもりでいた。


 ――だから追いつく為に、俺は。


 腹部に意識を向ける。俺は自ら腹を裂き、致死に自分を追い込んでいた。包帯と腹筋で臓物が出ないように抑えているが、サテュラーナに追いつくために結構な距離を走った。もはやあまり長くは保つまい。

 そうだ。俺はベルセルクの指輪を使ったのだ。血と戦いの神であるアルフリートの加護を願った。その結果が、距離を離されていた筈でのエルフの森の近くでのサテュラーナとの遭遇だ。

 死力を強引に呼び起こすベルセルクの力は、一撃に全てを込めなければ狩人の森の時のように持続的に使うことができる。

 しかし、それが村まで保つかというと別の話である。故にサテュラーナはここで仕留めなければならない。無論、サテュラーナを殺す気はないが、サテュラーナが死んでも構わない覚悟で攻撃を仕掛ける。

 そうでなければ敵わない。むしろ一蹴される。それほどまでの強敵だ。

 全力での疾走は続く。

 ナイフの投擲。クロスボウの使用。フェイルの弓も取り出し攻撃を仕掛け続ける。

 それらを矢で撃ち落としつつ、こちらに矢を打ち返してくるサテュラーナ。

 サテュラーナの矢を剣で撃ち落としつつ、俺はサテュラーナへと迫るも、上手く距離を取られてしまう。

 接近すれば槍や剣が使えるが、流石に相手もわかっていた。

「やるな、弓聖! そこまでの絶技。一体どれだけの修練を積んだ!」

「そちらもだ、騎士よ! 貴殿のような者と知り合えたのは幸運だな!!」

 全力で道を駆け抜けながら、お互いを褒め称えながらもお互いがいつ死んでもおかしくない攻撃をし続ける。

「――む」

「あれは――」

 俺の放った矢がサテュラーナの矢に撃ち落とされ、更にサテュラーナが連矢で放っていた矢が俺へと迫る。それを叩き落としながら俺とサテュラーナは同時に正面を見た。

 周囲の気配も変わっている。瘴気だ。瘴気がここに満ちている。

 何事かと思ったのか、おずおずとオーキッドがサテュラーナの馬体から身体を起こそうとしていた。

なに・・が起きて……」

「見るなオーキッド嬢! 魂が壊れるぞ!!」

 俺の警告に、慌ててサテュラーナの馬体にしがみつくオーキッド。

「騎士よ。あれはデーモンか」

「デーモンだな。長耳エルフどもが応戦している。が……まずいぞ」

 事態の急変。だが突然ではない。俺が目覚めたのはデーモンの気配が原因だ。

 ならば、そうか。ここで遭遇するのもまた予定されていた運命か。

「あれほどのデーモン。まさか魔王級の化物か?」

 森を汚されることを嫌ってか、森よりデーモンを追い出したのだろう。森から平原へと続く草地が戦いの衝撃でボロボロになっている。

 そしてエルフの戦士や術士が陣を組み、巨大すぎる狼の形をしたデーモンを囲んでいた。

 濃密な瘴気の濃さ。今はエルフの術士に阻まれているが、独自の領域の展開も可能な名有りデーモンに見える。

 魔王級か……。魔王級だな。

 それも出現直後の花の君や、大陸で弱っていたものと違う、現在の辺境の大地に出現した真性の魔王。

 エルフの一団が狼デーモンの巨大な雄叫びで崩れ落ちる。危ないと思うも、森の中から大勢の気配が続々と現れた。エルフの戦士団の追加だ。それに加えて、光輝く気配が複数。見たことはないが、振る舞いで理解する。光の森のエルフの英雄にして長老の一人たる『異貌のゼフラグルス』にその娘の『静謐と粛清の乙女アリア』か。あれらまで出てくるのか。まるで英雄譚の一戦だ。

 ふとサテュラーナが前方で立ち止まっていた。

 勝負の最中だが、俺も立ち止まる。

 剣の間合いだ。ここで斬りつければサテュラーナを殺すこともできた。だが、俺もとどまる。

「悪いが、私は、行かねばならぬ。私一人であれば貴殿と共にデーモンに立ち向かうのも吝かではないが、この場にいてはオーキッドが瘴気で死ぬ」

「そうだな。俺としても今すぐここから立ち去って欲しいところだ。そして、俺は」

 サテュラーナが美貌に理解を張り付けて俺を見下ろしている。

 俺の視線はデーモンに向いている。

 デーモン。デーモンだ。デーモンデーモンデーモンデーモンデーモン。

 聖衣が俺の心に呼応し、疼く。俺は、俺の心は、デーモンに囚われている。

 日の光の下にあっても、こうか。俺は、こうなるのか。

「騎士よ。行くか」

「ああ、行くしかない。あれを放置して、勝負は続けられない」

「だが勝負はどうする」

「一度始めた勝負だ。まだ続いている」

 だが、俺はデーモンを放って置けない。ならば結果は決まったようなものだった。

「そうか。騎士キース。こんな形で勝利を得るのは残念だ」

「弓聖といい、夢神といい、デーモンといい、俺とオーキッドが結ばれることが、神々の望みのようだな」

 そのようだ、とサテュラーナは頷く。

 そして俺とサテュラーナの顔に諦めにも似た納得が浮かんだ。神々の気まぐれに翻弄されるのはこの地に生きる生き物の宿命といってよく、それには竜さえも抗うことはできない。

 神々の干渉を退けるには、神を殺した拳聖のように、水の砂漠の女帝のように、生物として超越することでしかその手のひらより逃れる術はない。

(大陸人は……このくびきから逃れたのか……)

 あれを俺は不幸だと思っていた。加護もなく生きるのは永遠の苦役だと思っていた。だが、そうではないのかもしれない。神々の祝福を失う代わりに彼らは永遠の自由を得た。

 もはや大陸人が神々に翻弄されることはないのだ。

「騎士キース」

 サテュラーナが俺に拳を突き出してくる。

 俺も拳を突き出し、打ち付け合った。

「死ぬなよ。貴殿には敗者の役割がある」

「はッ。誰にものを言っている。それより、きちんと送り届けろよ。弓聖」

「ああ、任せろ。毛ほどの傷もつけんさ」

 去っていくサテュラーナ。馬体から顔を起こさずにオーキッドが頑張ってと声を掛けてくれる。そんな彼女らを見送りながら俺は天へと向って怒鳴りつけた。

 勝利は諦めたが、それは、ここまでされれば流石の俺でも勝てないと理解せざるを得なかったからだ。

 神々の差配に納得はしたが、流石に怒っていないわけではない。

「神々よ! ここまでしたんだ! この時だけで構わん!! 俺に助力をして貰うぞ!!」

 もうすこし強請ってみてもよかったかもしれないが、納屋の下にある夢幻迷宮は善神の彫像が破壊され、穢されきっている。ここで願ってもあのダンジョンでは効果は薄い。

 それよりも今この場で力を発揮できる方がよかった。

 英雄の率いるエルフの戦士団と真っ向から戦えるあのデーモンもまた、油断をしてよい相手ではない。


 ――『勇者よ。力を示せ』


 ――『馬鹿な男。デーモンなんて無視すればよかったのに』


 耳に届く神々の囁き。この時だけの力が神々より齎され、空より黄金の林檎が一つ落とされた。

 神器『黄金の林檎』。ソーマにも匹敵する神域の果実。一口かじれば生気に満ち、二口かじれば傷が癒え、全て喰らえば死者すら蘇る果実だ。

(……リリーには、死体が残らなかったからな)

 運命すら覆す神器。これがあの時あればとは思わない。あの終わりはこれでは覆せない。それでも、今回の件の代償としては、これで十分か。

 これ以上望めば、神々は呪いをもたらすだろう。

「むしろ文句を言われると思ったしな。素直すぎて不気味なぐらいだ――腹の傷は、アムリタで十分か」

 猫から買った薬を飲み干し腹の傷を癒やした俺は、剣を手にエルフの術者に囲まれ、領域の展開を封じられているデーモンへと向かっていくのであった。



 結果として、エルフに多くの死者が出るも魔王級のデーモンは無事、討伐できたのだった。

 無論、参戦しながら散々にエルフどもを煽った俺はねちねちと嫌味を言われたのであったが。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る