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侠とは生き方だ。
自身の正義を貫くこと。その生き方の為の指針。
侠とは生き方だ。弱きを助け、強きを挫き、義と徳を積み、けして驕らず、恩を忘れず、仇を許さず、仁を忘れず、礼を失せず。
俺は熱しやすく、命を粗末にする狂奔にも似た辺境人の気質から礼に関してはできてるとは言えねぇが、他は今のところ貫いてきていると自負している。
貧しても盗みはしなかった。
命を失いかけても恩に報いた。
それを貫いてきたのは、生き方を損なえば魂を損なうからだ。
格好悪いからだ。
だから、腕を切り落とすと言ったことも、神に自らを捧げたことも、一片の後悔もないとは言い切れないが、間違っているとはけして思っちゃいない。
それしかないと思ってやったことだ。
それしかなかったからそれをしただけだ。
オーキッド嬢を適当に煙に巻くことも、この勝負に全力を捧げないことも、礼を失すると思ったからだ。
だからこうしてここまで来た。
辺境の大地を全力で、己の足で駆けてきた。
(聖女様は俺たち侠者を子供だと断じたが。生き方を貫くのに、年がどうだの、損得がどうだの、関係がねぇだろう)
損得は関係がないのだ。それらは生き方を曲げる理由にはならない。
辺境の男ならば、子供だろうと己の生き方に殉じて死ぬ。男はそうだ。そうでなければ、そうでなければ俺たちはここまで来れなかった。この4000年の間、意地を張り続けられなかった。
この偉大で過酷な大地の上で生きるならば、それぐらいの我を張らなければすり潰されるだけなのだ。
とはいっても、この状況が自身の望んだ結果とは言えないのは確かだったが。
聖女様が仲介をした格下からの勝負だ。男として、突っぱねることなどできない挑戦だった。
「あの時、馬車にいたのが侠者だったらな……」
腕を切り落とすことで全ては進んだ筈だった。
俺の言葉を聞いていたのが聖女様でなく、大侠客たる黒蝮の親分だったなら、俺を激賛し、ならば腕は儂が切り落としてやろう、ぐらいは言ってくれたはずだ。
他の侠者だって、褒めこそすれ詰るなどはしない。
侠者ならば、ああするしかないのだ。しかしあの馬車にいたのは聖女様と大陸の貴族娘。
「別に、オーキッド嬢が悪いわけじゃねぇんだがな……」
礼と称して贈られたオーキッド嬢を返すのは俺の問題だ。そこにはオーキッド嬢の意思は関係がない。テキサス公の面子を慮る俺の行いは、俺の意思で俺が行う、俺が責任をとるべき問題だ。
だが、腕を切り落とすと言った時、あの少女は傷ついた目をしていた。自分がそれをさせてしまうのだと怯えていた。
こんな勝負にあの少女が乗ってしまったのは、それも原因か。
――勝てば俺が腕を落とすことはないからか。
「やはり、オーキッド嬢は平和な大陸にいるべきだ……」
別に大陸全てが平和というわけではない。あそこを旅したから知っているが、大陸でも騒乱は日常だ。あの土地は盗みや殺人のない理想郷だなどと口が裂けても俺は言わない。むしろ人がおおすぎて、人と人に言及するならば争いは辺境よりも多いぐらいだ。
「それでも、自衛ぐらいはできる」
大陸ならば、人間同士の争いであれば人間の手によって治めることができる。
肉体を鍛えれば拳で収められる程度の争いしかないのだ。
しかし、辺境の争いは人知を越えることもしばしば。
竜、巨人、デーモン、神々。事によっては祈ることでしかどうにもならないものさえ存在する。
村で納屋を整備していたジョンが無事だったのは一重に彼の幸運のなせるわざであり、少しでも不運があればあの青年の命はなかったのだ。
その幸運がオーキッド嬢に備わっているかどうかはわからない。今は神々が助力していることがわかったが、それさえもその命尽きるまでかかっていると俺は思わない。神々こそは気まぐれの極地なのだから。
崇めよ。讃えよ。さすれば恩恵を受けられる。しかし忘れるなかれ、善神と呼ばれる彼らとて、けして人に善きことだけをもたらすわけではないのだ。
息をつきながら足を早める。
(さて、そろそろか……)
氷の道をだいぶ駆けてきた。女帝の協力もあり、俺の道は走ってきた感触からして最短の道だっただろう。
オーキッド嬢はどうだろうか。
サテュラーナに怪我をさせたが、ケンタウロスは種族として毒性に強いわけではない。瘴気を含む矢傷ならばケンタウロス秘蔵の治癒の薬でも短時間で癒やし切ることはできないはずだ。
加えてサテュラーナとオーキッド嬢は癒やしの神の奇跡が使えるわけではない。
弓聖の名は音に聞こえるほどであるが、彼女の得意は絶技と称されるほどの弓の手管であり、神の奇跡ではない。
無論、彼女が奇跡が扱えないというわけではない。ケンタウロスもまた善神とは深い関係にある種族だ。風や弓の神の奇跡は嗜み程度には使えるはず。
しかし、治癒の神だけはないだろう。
その深き知恵は万物に通じ、医学の精髄さえ収めているとさえ謳われるケンタウロスだが、それ故に神に請い願って、自らを癒そうとはしない。それは下界に生きるものの知恵の敗北であるからだ。賢者であるからこそ忌避する選択。
(あとは、そうだな……)
他に心配すべきは神の直接的な介入だが、オーキッド嬢が如何に神々に愛されているとはいえ、そこまで直接的な手段にはでてこないはずだ。神々の介入の仕方にも美学がある。負けそうになったからとやけになって下界に手を出すようなら他の神に馬鹿にされる。
「なら、このままいけば、なんとか勝てそうだな」
氷の道を渡りきり、女帝に感謝を捧げると俺は大地の上に立ち、少しだけ睡眠をとるべく道(といっても大地を人が踏み均したか否か程度のものだが)の脇に毛布を敷き、横になった。
ここまでは走りながら隙を見て寝るなどをしていたが、流石に肉体に限界が訪れていた。
「起きたらもうひと踏ん張り、だ」
干し肉をかじり、ワインで喉を潤すと俺は一時の休息をすべく、眠りにつく。
懐かしい、あり得ない夢を見た。
顔も覚えていない父。顔も覚えていない母。俺に生き方を教えた爺。俺を助け、俺が助けて死んだリリー。彼ら全員と一緒に暮らす。そんな幻めいた、夢。
俺は、それに溺れ――溺れるわけが――ねぇだろうが!!
夢の中で俺に向けてささやかな手料理を差し出していたリリーの顔面に拳を叩き込んで意識を覚醒させる。
――大陸で過ごした時間が、ほんの少しだけ俺の心を癒やしていた。
リリーの幻影に惑わされても心はそこまで揺れていない。
それとも皮膚に癒着した聖衣のおかげか。俺の心の空白は、未だ埋まってはいないが、心を致命的に乱すほどではなくなっていた。
傷が癒えたことは喜ばしい。だが、少しの寂しさは拭えなかった。
(……そうじゃねぇ!)
そうだ。考えるべきは別。
「……ッ。やられた!!」
深すぎる睡眠からの覚醒。くらりとゆらぐ頭を手で抑える。今のは、夢神の仕業か!! 空を見る。巨大な月が煌々と地を照らしていた。
星の位置が違う。かなりというほどではないが、明確に
軽く寝るつもりだったはずが、深く寝入っていた。いや、傍にある雑草を見る。寝る前の記憶と比べる。やはり、
2日か、いや、3日以上だ。3日以上眠らされた。神が、神がそこまでするのか!? たかが一辺境人と一大陸人の勝負だぞ?
英雄同士の歴史に残る一戦や、都市や国家の存亡のかかった勝負じゃねぇ。
男と女の、ただの喧嘩だ。その延長線にすぎねぇもんにどれだけやりやがる……!!
「だが、どうして目覚められた……」
周囲を見る。気配だ。濃密な気配。瘴気の気配が彼方から漂ってくる。
気づけたのはダンジョンで散々デーモンと戦闘をしていた経験からか。瘴気の気配に敏感になっていた。
「珍しくもねぇが、デーモンが湧いてやがるな。……だが、遠い。遠いが、強いデーモンだ」
辺境人の習性としてデーモンは殺しておきたいが今は勝負の最中だ。
そんな暇はないし、ここは
「デーモンに関しちゃ道中見かけたら潰すぐらいでいいが、それはそれとして」
優先すべきに心を砕く。地面に向けて目を凝らす。見えた。人を乗せたケンタウロスの足跡だ。十中八九サテュラーナのものだろう。見た限り、足跡に微かな乱れがある。怪我は治っていない。だが、土のえぐれ具合から推察するに、かなりの速度でここを通過していた。
「追い抜かれていたか。ちぃッ、追いかけねぇとッ」
起き上がり、ワインをぐっと飲み干し、干し肉を食らう。睡眠で疲労は抜けきっている。少し眠りすぎて頭が痛いがそれ以外は問題がなかった。
「……ッ……これは……」
ふと地面に置かれているものを見て、少しだけ吃驚する。
「サテュラーナのものだろうが、あの女は辺境人にこんなもん必要ねぇって知ってるだろう。ってことは、オーキッド嬢か?」
寝ている辺境人を襲う獣などあまりいないというのに、寝こけている勝負相手にこんなことをするのは、テキサスの血がもつ情だろうか?
ほんの少しだけ笑みが浮かぶ。
俺はあとで返すべく木彫りの人形を拾うと奴らを追いかけるべく走り出すのだった。
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