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オーキッド・ブラックデザイア・セントラル・天ノ鐘楼・チルディ。
読者の方もご存知の通り、彼女こそがかつて失われ、辺境郡ダベンポートにて再興し、現代においてなお隆盛を誇る神聖帝国チルド9の初代皇帝の名だ。
本章では彼女について語っていきたいと思う。
国母オーキッドが辺境史に出現したのは、大陸世界が神々によって放棄された年のことである。
身一つで大陸より渡ってきたとされる彼女は治める騎士不在の神殿領セントラル領にて数々の革新的なまつりごとを行った。
善神大神殿の再建。オーケアーラス大河の治水。大陸で発展した農業技術の伝播。辺境兵制度の改革……エトセトラエトセトラ。
このように国母オーキッドが様々な偉業を行ったことは確かだが、その中でももっとも優れたものをあげるとするならば、神聖帝国チルド9の復活だろう。
辺境にやってきた国母オーキッドは騎士不在のセントラル領を掌握すると、政変により大陸から逃れてきたデウス187世を保護し、セントラル領を暫定的な帝都と定めると、辺境郡ダベンポートを聖王国コールドQから独立させ神聖帝国チルド9を復活させ、多くの辺境人の信頼を得た。
またデウス187世が死去した際は彼の遺言により、彼女が次の王位を継ぐこととなった。(大公地たる国母オーキッドの家系には度々コールドQの王族の血が入っている故に可能なことであったが)
この時代のデーモンの襲来は他の時代よりも一際激しく、破壊神復活などの噂も囁かれるほどであったが、辺境郡ダベンポートもとい神聖帝国チルド9が国難ともいうべきこの凶事を退けられたのは、偏にこのような後方で兵站を整え前線を支援し続けた国母オーキッドの存在があったからだろう。
偉大なる国母。チルド9の母ともいうべき紛うことなき英雄。
とはいえ、いくつか不明なこともある。
有名なのはキース・セントラルという得体の知れぬ騎士の存在だろう。
国母オーキッドはキース・セントラルという無名の騎士と結婚し、その騎士の子が王子となり、王となったのだが、そのキースという騎士の記録が全く存在しないのである(神殿本部に記録が残っている筈だが残っていなかった。またその当時にいくつかの無視できない量の貴重な物資が喪失した記録が残されている。当時は何かと様々な歴史的出来事があったとはいえ、伝えられない何かがあったのだろうか?)。
謎の神殿騎士。キース・セントラル。
後世の歴史家が当時の事情を知る聖女たちに事情を聞くも杳として語られなかった存在。
その沈黙の仕方から推測するに、騎士キースなど存在してはおらず、ゼウレそのものが降臨し、国母オーキッドと契ったのではないかと筆者は考えるのだが――
・
(中略)
・
さて、この章では長々と国母オーキッドについて語ったが、最後に帝都近郊に在住する異種族のみに伝わる興味深い昔話について記そう。
国母オーキッドがセントラル領で改革を行うにあたって、エルフやケンタウロスなどの異種族との友好を深めたのは周知の通りだが、彼らの間には、国母オーキッドが辺境に渡ってきたときに騎士キースと競争を行い
騎士キースの嫁取りではない。国母オーキッドの婿取りである。
それも生粋の大陸人であった国母オーキッドが辺境の神殿騎士と競走を行って勝ち、その騎士を婿とした、というものである。
このような伝承こそ、筆者は騎士キースが存在しない騎士とする証拠の一つと考える。
国母オーキッドが偉大な君主であるのは確かだが、大陸より渡ってきた貴族の令嬢が曲りなりにも辺境の騎士相手に競走で勝利をするなど、普通に考えてありえない話である。
世間にはびこる無能な神秘論者などはそれこそが国母オーキッドが持つ偉大な神秘性の一つと考え無駄に崇め立てているが、神秘一つにしても学術的な視点から見ればそれが存在する根拠が必要である。
少なくともその時点の国母オーキッドにケンタウロスやエルフが力を貸す理由が存在しない。
したがって騎士キースに国母オーキッドが勝利できるわけもない。件の勝負などもともと存在しなかったのだ。
これは、聖王国コールドQから辺境が独立する為に、神殿の者たちが国母オーキッドに土地を与える為に、民衆に喧伝した理由付けなのだ。
大陸より突如やって来た貴族の娘にその土地の人々が従うのは難しい。
しかし、土地を治める騎士の妻としてならば辺境の人々も従いやすくなる。
でなければいくつか納得し難いことがある。
件の勝負では、大陸より逃れたきたばかりのただびとであった国母オーキッドが、善き神々から多くの加護を与えられ、その地で出会ったばかりの様々な種族の助けを借りて騎士キースに勝利している。
盲目な神秘論者どもはこれをもって国母オーキッドは神に選ばれたとしているが、私はそうは考えない。
そもそも騎士キースとは何者なのか(神殿の作り上げた架空の人物と筆者は考えているが、それにしては情報が
なぜ一介の騎士との勝負を国母オーキッドは行う必要があったのか。
なぜ新たな帝都にセントラル領が選ばれたのか。
次の項ではこれらについて語っていこう。
―ザムエル・ザーナザムル著 国母オーキッドについての研究書第一項より抜粋―
果てある平原に一本だけ引かれた、舗装もされていない道を駆け抜ける。
(このまま差をつけて村にたどり着けば、俺の勝ちだ)
まともにやれば鼻歌交じりでも勝利できるが、けして油断はしない。絶対に勝たなければならないからだ。
そして、勝ったらオーキッド嬢を大陸に送り届け、テキサス大公の厚情を無下にした謝罪をする。
聖女様はああ言ったが、大公閣下の面目を守るためにも、やはり腕を切り落とす必要はあるだろう。
損得の問題ではないのだ。
振り返れば、未だ背後には、馬に乗ったオーキッド嬢が呆然と先を走る俺を見つめている――
彼女は出発してはいるが、その速度は緩慢だ。
鋭い視線の少女であったが、やはり初めて見る辺境人の身体能力には驚きを隠せないのだろう。
どれ、もう少し差でもつけるか。
肉体に力をいれ、更に地を駆けようとして違和感を覚える。
(リリーの妹が、そんな愚かなわけが……)
何しろ勝負事である。彼女が望んで始めたことなのだ。ならば、俺が駆け出した時点であちらも全力でかからなければならない筈。
――瞬時に身体が動く。
気付く。オーキッド嬢の視線が見ていたのは、俺ではない。
俺の周囲。草原に偽装した衣服を纏い、周囲から襲い掛かってくる――
『
――関所の兵士!?
地を蹴り抉るようにして疾走から闘争へと思考を適応させる。跳躍しての上空より。死角からの後背。地面すれすれの低空から襲い掛かってくる3名の兵士。
「
上空より襲いかかる兵士の手に握られた一対の短刀。一歩を深く踏み込み、手刀を手首に当て、流す。俺の頭上を追い越していく兵士。ぐぇ、という声。
同時に――流石にハルバードは持ち出していないが――死角より襲い掛かってくる長剣の刃に、腰の鞘から少しだけ剣を引き出して刃を当てる。
堕落の長剣の刃は魔鋼製の強靭なものだ。力比べの形になっていても折れることはない。
ぎりぎりと刃と刃がお互いを圧しあい。俺の身体がその場に押し留められる。そこに身を屈め、長剣片手に突っ込んでくるもう一人の兵。
「らぁッ!!」
避けられぬと悟った俺は革靴のつま先を剣の刃にぶち当てた。
「騎士よ! 雑兵だと思って舐めるなよ!!」
「舐めてねぇ!!」
兵士は剣を蹴り飛ばすとでも思ったのか刃に力を込めるがドワーフ鋼の剣を油を塗ってあるとはいえ革靴で防げるわけがない。容易く革靴は切り裂かれ、俺の足の指を切り落とさんとする。
だが、そこが狙いだった。靴へと切り込んだ長剣の刃を足の指で掴み取る。ぬ、と兵士が驚愕を表情に浮かべた。
「器用だな! 騎士キース!!」
「それよりも貴様ら、なぜ襲い掛かってくる!! 俺は勝負の真っ最中だぞ!!」
殺気すら滲ませる俺の恫喝に対して兵士たちはガハハと笑った。
「大陸より身一つで渡ってきた娘っ子が頭ァ下げて頼むんだ。なかなかおもしれぇ話だからよぉ!!」
ギリギリと長剣をつま先で摘みとっているも、それも限界が近い。同時に腰の剣と力比べを行っている兵士もさらなる圧迫をかけて俺の問いに応える。
「義により助太刀ってなぁ! 契りを結ぶ為に辺境に渡ってくるたぁ、なかなか気骨のあるお嬢ちゃんだ。気に入ったんだよ! んでぇ、これが大陸との最後のつながりとなりゃ、お願いぐらい聞いてやりたくもなるってもんよ!」
「最後だからこそ、俺は大陸に返してやりたいのだ! 理解しろ貴様ら!!」
「はッ、なればこそ、貴公が娶ってやればいいではないか!!」
背後で倒れていた兵士が立ち上がってくると共に俺へと襲い掛かってくる。
(糞――ベル、セルク!!)
こんな最初も最初で体力気力を使うのは問題だったが襲い掛かってくる奴らを避ける術はなかった。力比べをしていた長剣を弾き飛ばし、足で掴んでいた長剣を吹き飛ばす。短剣片手に突っ込んでくる兵士に対しては片足で跳躍して空中に回避すると同時につま先を伸ばして、蹴り飛ばす。
「ぐぇぇ!?」
兵の呻き。残った兵が慌てて体勢を整えるも、俺は蹴りの反動を利用して距離を取り、駆け出している。
今の争いの間にオーキッド嬢は先へと進んでいた。
背後では駆け出した俺へと追いすがるでもなく「がんばれよー!」とオーキッド嬢に向かって手を振る兵士たちの姿。
「糞ッ」
ベルセルクの反動で脱力しかけている身体に力をいれて速度を徐々にあげていく。
所詮は四足馬の速度。差はすぐに詰めることができるだろう。
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