115


「おい、大臣。大臣は……お前だったか……」

「はぁ、王よ。とうとうボケましたかな?」

「余はボケてはおらん。ただなんだ、お前ら、なんか印象が薄くなっておるぞ? 余には皆がのっぺりとした人形のように見えるわい」

「神々から見捨てられたというのはそういう影響があるのですかなぁ。わたくしたちには何も変わりはありませんが」

 王の私室とやらに連れてこられた俺と聖女様は、王と大臣らしき男のやりとりを黙ってただ見ていた。

(俺の視界も王と同じようなものだがな)

 大陸人、いや大陸由来の物品が持つ神秘が0になったのだ。

 もともと辺境人からすれば大分脆い彼ら大陸のものだが、更に、脆く壊れやすく見えてしまい、困惑は強い。

 だが、それも大陸にいる間だけのことと思えば我慢もできる。

「こうして皆が人形のようにみえるのは、神秘を残された人間のみの現象か」

 壮年の王は大臣と呼ばれた老人を前にして熊か何かのように唸っている。

「ぐぬぬ、あの門番め。せめて事前に連絡があればまだ少しはやりようがあったものを」

「王よ。奴を処刑しますかな?」

「せんわ。が、減給と降格だ。あとついでに歴史書に書いてやれ。王門の騎士ゴラヌス、辺境人を怒らせ、大陸人に神々との別離を何の準備もなく訪れさせた、とな」

「それはなんとむごい。幾千年、いえ、人の世が続く限り、彼の行いは非難されるでしょうなぁ」

「こうでもせんと余の溜飲が下がらんわ! ええ? これでは余だけが貧乏くじではないか!!」

 ふぅ、と目の前で聖女様がため息をついた。彼女の前には紅茶の注がれたカップが置いてあるが、口は付けられていない。

 大陸人は気づけないが、神秘の抜けきった水と茶葉で作られたものなど聖女様からすれば飲み物ではない。汚水にも等しき泥水だった。

 しかし、王の癇癪が収まるのをじっと待っていたが、こうも長ければいつ終わるのかとうんざりもする。

(俺も気になるものがあるんだよな……)

 ……まだ時間はかかるだろうか? せっかく王城に入ったのだ。来たるべきダンジョン探索の時のためにもよく構造を覚えておきたかった。城下町の構造は変わってしまっているだろうが、王城については泣き虫姫のいた頃とさほど構造は変わっていないと聞く。

 無論、家具や部屋の配置などは変わっているだろうが、根本的なものはそのままのはずだ。ここで覚えておけば探索を進めた時に役に立つに違いなかった。

 そんなことを考えていれば。

 胃の辺りを手で押さえながら呻いていた王が聖女様へようやく振り向いてくれる。

「聖女様。我らは一体何か悪いことをしたというのでしょうか? なぜ、こんな突然このようなことに? 大陸は今まで何も変わらず過ごしてきただけです。何も神々を怒らせることは……」

 はぁ、と聖女様は呆れたように王を見る。周囲に立っていた人々がその様子にざわざわと声を上げるが――なるほど、注力して聞かなければこのような神秘の抜けきった大陸人どものざわめきを、俺も声と認識することができない。


 ――不快なだけのそれは、まるで蟲の羽音だ。


 肉の身体を持つ俺ですら音として聞こえなくなっている。ということは、俺もまたうっすらと大陸に残る神秘を頼りに声を聞いていたということなのだろう。

 だから彼らが神秘を喪失した今、彼らの声を聞くことが困難になっている。無論、聞くことは不可能ではない。耳にオーラを注力し、読唇術や音の波長を聞き分けることで言葉とすることはできるからだ。

 しかし容易でもない。神経をいくらか使う作業になる。

(全く、これでは言語の壁というよりは次元が隔たっているというべきか?)

 今まではうっすらと重なり合っていた我々と大陸の間に、存在を分け隔てる溝ができているということか?

 この状況を考察する思考はともかく、じっと聖女様と王を注視していれば、壁際から誰かが聖女様へと向かって声をあげてきた。

「君ぃ! なんと失礼な子なんだい? 辺境の聖女とは聞いたがね。いくら聖女とはいえ、君のような小さな子が王に向かって言っていいことと悪いことがあるんだよ?」

 王に似た顔立ちの貴公子然とした青年。

「黙れぃ! 分際をわきまえよ王子!」

 と王が叫ぶものの、彼はいいえ、父上。と反論しながら聖女様に向かって言葉を連ねる。

……なにか! ――! ……はげしく!! ――こうぎ!! ……して! ――いる!」

 この小僧が言うには、現在の王都ではユニオン大神殿の教皇派を筆頭とする大陸ゼウレ教の教徒たちが幅を利かせている、らしい。

 なので政治的な意味からも王が聖女様におもねることをよしとしない王子らしき男が聖女様を叱責しようとしていたのだが。

 どうすべきか、聖女様に指示を仰ごうと彼女を見れば、聖女様は大きく目を見開いていた。

 そうして、王子を見えないもの、いないものとして扱いつつ王に向かって、酷く冷たい声で問う。

「王よ。お前はこれを王子と呼びましたか」

「あ、はい。申し訳ありませぬ。我が愚息です。不出来ですが次の王位はこやつにと。故にこの場に同席させたのですが……」

「そのようなことはどうでもいいです。王、まずいですよ。そこの王子を私が認識できません。ナニに産ませたのですかソレを。血に神秘の匂いがしません。わかりますか? その意味を。ソレはゼウレの血を継いでいない、ということですよ?」

 王が目を見開いて王子を見た。

(いや、聖女様が認識できないほどに薄いだけで、そこの王子は最後に会った瞬間のジョン程度には神秘を纏っている……いるが)

 だから俺と王には彼の声を聞くこともできるし、顔もはっきりとはわかるのだ。

 だが、それだけということならば、つまりは。

「――不義の子か」

 俺の呟きに、顔を真っ赤にした王子が何事かを叫ぶも、完全に無視をしながら俺と聖女様、そして王は顔を突き合わせる。

「き、騎士セントラル……。そなたにも神秘が見えぬのか?」

「全くないというわけではないですが。しかし、国王陛下の半分も神秘を感じない。そこの王子とやらは王の血を継いではいない。王子ではない」

「貴様ぁぁぁぁ! 無礼であろう!!!」

 王子が抜剣し俺に斬りかかるもドワーフ鋼ですらない、またオーラを纏ってすらいないただ華美なだけの鉄の剣は、俺に触れることすら敵わず捻り曲がって吹き飛んでいく。

 自称王子が手から離れた剣を、剣を振り下ろした姿のまま呆然と見ているが、これで俺にも確信が持てる。

「おいおい、俺を傷つけるほどの神秘もないのか。王族ですらないぞこれは……」

 そこの国王陛下ならば、ただの鉄剣でも俺を傷つけることは可能だろう。それは彼がゼウレを祖とする神威なる神秘を内包しており、王国と辺境の呪術が彼をゼウレそのものとしているからだ。

 故に、手にもったすべての武器に雷の権能を付与することができる国王陛下ならば、ただの鉄の剣であろうと俺の身体を切り裂くことができたはずだ。

 そしてアレが真実その息子たる王子であるならば、王子にもただの鉄で辺境人を傷つけるだけの神秘が身についていてしかるべきなのだが。

「ああ、臭い。臭いわ。そこの人の形をしたナニかから反吐と腐臭の臭いがします。王よ。貴方は豚か蝿でも孕ませたのですか?」

 聖女様の薄ら笑い。この人らしからぬ言葉だがそこには冷えた怒りのようなものを俺は感じてならない。

 この場の誰も彼女の神威を感じ取るだけの才覚はないようだが、一辺境人からすれば小便をちびりたくなるほどに恐ろしい気配だ。

 聖女様より静かな怒気がひしひしと伝わってくる。

 同時に、王の感情が爆発した。

「があああああああああ!! 王妃はいつから余を裏切っておった? えぇ? 相手は誰だ? 執事か? 騎士か? 側近どもか? 誰も彼もが余を舐め腐りおってぇぇ……許さぬぞ……絶対に許さぬ……男の方は判明次第極刑だ。死ぬことを願っても殺してやらぬ身体を足から削ぎ落としてやる首をはねて蹴飛ばして唾を吐きかけてやる!! そして、そして、だ! 王妃は手足を切り裂いてから豚どもに輪姦させてやろう。泣こうが喚こうが決定事項だ! 絶対にだ! 絶対にやってやる!! ああ、望み通りだ。望み通りにしてやるぞ。あの淫売めがぁぁッ!!」

 ピリピリと大気を震わせる王の怒り。

 おお、と俺の内心が期待に高鳴る。王の怒りが大気を震わせている。そうだ。王の周りに発生した紫電がビリビリと空気を震わせている。

 辺境人でさえ、近づくことすら能わぬこれこそがゼウレの権能。

 ゼウレの血。ゼウレの力。

 これこそが、この王城内でなら神のごとき権能を使うことのできる神なる人。

 デウス・コールドQ・アストラルト・チルディ。通称デウス187世。

 身内の裏切りによって生じた憎悪と屈辱に顔を震わせながら、彼は高らかに吠え猛るのだった。



 大陸からの神秘の追放。

 大陸神殿が辺境から神秘を回収していたとか、大陸人がデーモンと全く戦わないとか、そろそろ暗黒大陸から恒例のデーモンの軍勢が攻めて来るだとか。

 そういういろいろな事情があってのことだと俺は思っていた。

 しかし、違ったのだ。

 ゼウレは、有用な呪術が次の代では使えなくなると知り、もはや大陸を維持する意味はないと判断した。

 それこそが大陸放棄の真相ということか。

 あの王の子は他は姫ばかりで、男子の世継ぎがあの王子しかいないという話を聞いたときには卒倒しそうになったが、この問題はあの王が生きてる間に辺境人がどうにかしなければならないことだろう。

 無論、俺が考えるべきことではない。辺境軍の首脳部が考えるべきことだ。

 だが、一応。一応、聖女様に指示をされて、俺も手は打つのを手伝った。だが、それもどれだけ効果があるか。

「……そろそろ帰りますか? 聖女様」

 俺は背後にそびえる半壊した王城を振り仰ぎながら聖女様に問う。

 王の激怒より半月が過ぎていた。

 長くいすぎたような気もするが、それだけやることがあったとも言える。

 ちなみに、王妃の騒動はすぐに終わった。

 王が怒りを向けるべき2人はすぐに死体で見つかったのだ。

 それもこれも王の怒りが相当なものであったからだろう。抗弁も無駄と悟ったのか王妃は速やかに自室で毒を煽って死んだ。

 その浮気相手である王妃の側仕えらしき間男の死体もまたすぐに王城内から見つかった。

 だが、不完全燃焼であるところの王の怒りは収まるわけがなく、王子だった男がそれを一身に被り、拷問は未だ続いている。

 王城内で耳をすませばあの貴公子の悲鳴がどこからか聞こえてくることだろう……。

 なんとも虚しいことだが怒りの原因が原因で俺としては何も言うことはできない。

「そう、ですね……」

 俺の問いに対する聖女様の悩んだような声。ここでやるべきことはもうない。しかし帰るのもまた億劫だった。

 王城には王の発するゼウレを模した神威が満ちていた為にそれなりに過ごしやすかったが、帰るとなればまた一苦労することになる。聖女様からすれば今から深く深く水に潜るので息を大きく吸ってくださいと言われるようなものだろう。

 だが、それでも俺たちの帰る場所は辺境なのだ。

 聖女様はこくりと頷いた。

「帰りましょう。辺境に……」

 俺は馬車の運転をしている御者に門へと向かうように告げると、背後を振り仰いだ。


 ――馬車の窓から見える王城は半壊している。


 半月の間にいろいろなことがあった。

 ゼウレによる宣告を偽りと布告したユニオン大聖堂への制裁(俺がやった。ゼウレの宣告を偽りと称するユニオン大聖堂を拳で崩壊させ、教皇以下司祭どもを血祭りにあげた)。

 王城にあった隠し通路より地下深くに潜った先にいた七大魔王の一柱の討伐と死力を尽くして魔王を封印していた銀龍の開放(龍の開放が王城崩壊の原因でもある。デーモンを長く封印し、チルド9への義理を果たした銀龍ゲオルギウスは、王城の地下から地上へと飛び上がると、辺境へと飛び去った)。

 ユニオン大聖堂崩壊の原因となった俺へ襲ってきた恐るべき暗殺者との決闘(大陸の闇に棲みついた元辺境人の暗殺者である。なんとか殺せたが、強敵であった)。


 他にも、たった半月で様々なことがあった。

 これこそが大陸の速度であり、大陸の人の多さなのだ。

 そしてコールドQにはこれからも様々な困難が襲ってくるだろう。

 既に火種も撒かれている。

 自死した王妃の実家たる大公家が、王家へ抗議のための軍勢の用意をしているという話。崩壊したユニオン大神殿の元神殿騎士たちの軍勢。また、大陸の各地では神々の宣言によって暴動が起こっている場所もあるとも聞く。


 ――だが、それらは俺が解決すべきことではないのだ。


 王城へと続く大通りを王が貸してくれた馬車から見下ろしつつ、俺たちは言葉を交わし合う。

「聖女様。神から見捨てられたなどと言いますが、大陸人は変わらず元気ですよ」

 さもありなんと聖女様は頷いてくれた。

「そもそもあの宣言の前から大陸人は神々とは無関係に繁栄していました。もはや彼らは神々の手を離れていたのです」

「親がなくとも子は育つ、ということでしょうか?」

「さて、どうでしょう? そもそもこれは育ったというべきか。退化したというべきか。私にはわかりかねます」

 両手をひらひらと振り、幸せはそれぞれのものだという聖女様。

 そして、独り言のように、聖女様は大陸人を見ながらそれを呟いた。

「大陸からあらゆる外敵を退けた大陸人。ゼウレたち神々は彼らがいずれ自分たちと同じく神秘の階梯を駆け上がり、霊的に成熟すると思っていたようだけれど、そうそう上手くはいかないか――期待すべきは……辺境人か?」

 期待されても困るなぁ、俺たちにできることはデーモンを殺すことだけなんだけれど……。

 ふと、窓を覗けば、王都を出るために大門近くへと近づいた馬車が速度を落とすところであった。

 瞬間、無作法に、馬車のドアが開け放たれる。

 すわ大神殿からの襲撃かと拳を構えようとして、む、と困惑したような声が俺の口から漏れた。

 それは、聖女様を無視し、俺に向かって声をあげる。

「キース殿、やっと……見つけ、たぞ!!」

 馬車の扉をこじ開け、乗り込もうとしているそれはただの可憐な少女に見えた。

 暗殺者にも襲撃者にも見えない――否、そうではない。注目すべきはそれではない。

 少女は金髪碧眼だ。それだけならば珍しくはない。

「女の子、ですかね? なぜこの馬車に?」

 しかし、聖女様がその姿を判別できる程に神秘を身に蓄え、凛々しき、どこか見覚え・・・・・・のある・・・顔を輝かせながら、この馬車に乗り込んでくる、その姿。

 貴種でありながら、目的の為に自らをどれだけでも犠牲にできるその鋭き刺突剣のような強き姿。


 ――俺はその少女に似た女を知っていた。


 だが、その女は既に死んでいる。死んだのだ。俺の、目の前で。

「ぬぉおおおおおおおおお!! ふん、ぬぅうううう!!!」

 まるで少女然としていない、腹から絞り出したような声を出しながら少女は無理やりにでも馬車に乗り込もうとしてくる。

「……ぐ、ぐぬぬ……」


 俺は、俺は……。

 まずい、と思った。

 まずい。俺に、この少女は、傷つけられない。

 直感で、理解する。

 この少女は、リリーの、俺の愛した女の、血族だ……。


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