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 聖王国コールドQの首都たる王都チルディ9。それは数万の人口を擁する大陸有数の大都市である。

「おぉ……」

 街道を進む人々がその偉大なる都市を囲む城壁を見上げ、感嘆の声をあげる。

 その大城壁に描かれるのは精緻な壁画や神々を象った巨大な石像だ。

 不破の大城壁。この都市に付随するこれらも4000年の時を越えてなお今この時にまで残っていた、神代の遺産である。

「……人が多いですね」

 聖女様が小さく呟く。流石に王都傍まで来ると街道はその上を通る人々で溢れてくる。

 人口数万の都市なのだ。一日で出入りする人々の数もそれは膨大なものになるだろう。

 しかし、回りを見れば少しばかり目立っているような気もした。

 面を付けている俺、フード付きのローブで顔を隠している聖女様。王都とは違う領の兵士の格好をしているジョン。

 そろそろか潮時か……。

 俺は小さく息を吐く。

「おい、ジョン」

 王都へ入る人々の列に並ぼうとするジョンを制し、俺はジョンへと声をかけた。

 本当は、俺はジョンをリリーの故郷であるテキサス領まで送るつもりであったのだが、ジョンは王都の方が都合が良いと言い、ここまで連れてくることになった。

 もっとも、ジョンのそれは俺たちに気を利かせて、ではなくここにリリーの父親であるテキサス大公がいるから、らしいが。

「ここでお別れだ。流石に中に入る時に一緒だとお前の立場が悪くなる」

「そうですか。……そうですよね」

 王都に近づくにつれ言葉少なくなってきた俺と聖女様の雰囲気から何か察したのだろう。ジョンは特に何か聞き返すわけでもなく頷くと、では、と去ろうとする。

「待て。ジョン。お前にこれを渡しておく。リリーの遺品だ」

 そのジョンを留め、渡すものを渡しておくことにした。腰の袋より取り出した。リリーの鎧櫃。それと、一緒に善神の聖印とあのダンジョンで拾った聖書も。

「これは、お嬢様の……」

「家族のもとに返してやってくれ。それと聖印と聖書はお前にだ。これからお前たち大陸人には、少しばかり辛い時代が来るかもしれない。それを受け入れるのも抗うのもお前らの自由だが、抗いたいなら、その聖印で神に祈れ」

「あの、聞きそびれていたんですが、キースさんたちは一体、大陸に何をしに……」

 目を閉じる。マスクのせいで顔は見えていないが、恐らく見えているなら俺は苦々しい顔をしているだろう。

 今から行うことの是非はともかく。この男もまた、その範囲から逃れることはできない。ならば、俺にできるのは少しだけでも抗う方法を教えることだけだ。

「――すぐにわかる。それと……正しき教えは旅の間に教えた。その聖書も読み解ければその足しになる。もっとも、それを正しいと思うのかはお前次第だがな。しかし教えに従い信仰を忘れないでいられるなら、お前の魂の輝きは神の目に届くはずだ」

 ではな、と俺は言うだけ言ってジョンに背を向ければ、キースさん! 聖女様! と俺たちにジョンから声がかかる。

「あの、俺、よくわかんないですけど。お二方、どうかお元気で! それと、キースさん! 貴方に良き出会いを!! 俺もキースさんは欠けてなんかいないと思います!!」

(あいつめ。癪な奴だ)

 快活な笑顔で俺に向かって手を振るジョンの姿に俺も口角を釣り上げた。

「おう、お前の生に幸福あれ! そして良き信仰を!!」

 手を振り返せば、ではまた縁があったら! と下馬して王都に向かう列に混じっていくジョン。

「終わりましたか?」

 ……振り返る。

 そこにはじっと冷たい目で周囲の人々を見る聖女様の姿がある。言葉少なに、呼気も辛く。その手は微かに震えている。

「すみません。おまたせしました」

「いえ。ただ、もう私には彼の認識ができなくなってます。――申し訳ありません。恐らく別れの言葉を交わしていたのだと思いますが……『神託』の力を持つ私でも、もうジョンの言葉はただの雑音にしか聞こえませんでした……卿はよく理解できますね……」

「私は下界の生き物ですからね。ジョンの言葉に神秘としては力がなくとも、肉の身体に音と気持ちは届きます」

 話しながら俺と聖女様は王都の門に続く人々の列を離れ、門へと直接向かっていく。

 律儀に並んでいる人々から何か言いたそうな視線が向けられるが、声はかからない。どうせ門衛に追い返されるとでも思っているのだろう。

 そんな視線を無視しながら俺たちは歩いて行く。聖女様も既に下馬し、馬の手綱を俺に渡しながら歩いている。

「ジョンは、貴女にはもう蟲にしか見えませんでしたか?」

「そうですね。ジョンも大陸に入ってから神秘が徐々に薄れていきました。先程までは薄っすらと認識できていましたが、ああやって群衆に紛れてしまえば私にはもう彼の姿や言葉がよくわかりません。あそこで並んでいるものたちと同じに見えてしまいます」

 これは聖女様の知覚が低下しているわけではない。ただ、彼女が龍や巨人と同じなだけだ。

 龍や巨人が人間の顔をよく認識できないのと同じく、超越した存在の一人である聖女様にとって、神秘の匂いのしない生物は彼女の理解の外にあるというだけのこと。

 『神託』の権能を持っているから集中すれば大陸人の言葉を聞き取ることもできるだろうが、それは蟲の言葉を聞き分けるような苦痛な行為となるに違いなかった。

 俺は聖女様の手に『聖撃の聖女』様の肋骨でできたネックレスを握らせた。

「……いいのですか?」

 問うてくる聖女様にええ、と頷く。

「俺では、あまり役には立てないでしょうから」

 聖女様にはこれから大仕事が控えているのだから、体力を消耗させるわけにはいかない。

「そんなことはありませんよ。卿がいるだけで万人の味方を得ているようなものです。――ですが、この地で微かでも先輩の神秘を感じられるのは助かります。ここは酷く寒いですから……」

 死の大地の上に築かれた虚飾の王国。それが今の王城チルディ9だ。

 聖女様に必ず返しますと誓われたので、気にしていないというように肩を竦めておく。あれで楽になってくれるなら大陸にいる間は持っていてくださっていい。必要な方に必要なものを。

 さて、その間も俺たちの歩みは止まらない。小さく会話を交わしながらも兵たちのいる大門へとたどり着く。

「止まれ! こちらは貴人用の通用門。そなたらは何者だ!!」

 俺たちを静止しながらそれがしだのなにがしだのと名乗りをあげる門衛の若い騎士。

 それを横目にこれを、と聖女様から渡される手のひら大の紋章。刻まれているのは辺境軍を象る『ゼウレの雷』。

 渡された紋章を掲げながら俺は名乗りをあげる。

「我は神殿騎士キース・セントラル。こちらはエルヴェット・ダベンポート・グレイハウンド様。『神託の聖女』様だ。神々のお言葉を大陸全土の民草に伝えるべく参った次第である」

 仰々しい言葉は寒気がするほどだが、覿面であった。

 若い騎士は辺境軍の紋章と俺の口上に顔を青くさせた。

「辺境軍の紋章!! し、しかし、た、大陸全土……!? しょ、承知し――」

「待て待て待てぃ!」

「騎士ゴラヌス! 何用か、私はすぐに王城へ遣いを」

「だから待てと言ってるだろうが。こんな見え見えの詐欺に引っ掛かってるんじゃねぇよ未熟者」

 突然、若い騎士の背後から現れた大柄の騎士。図体は俺よりもでかく、重心も安定している。口調は乱暴だが若い騎士よりも武を鍛えてはいるらしい。

 まぁ、ここは王都の顔だ。強面で武闘派の騎士の一人ぐらいいるだろう。

「セントラル卿。何か問題が起きているようですね」

 聖女様が冷たい目で騎士たちを見ている。辺境軍ではあり得ない失態であった。

 ゼウレの雷を象った辺境軍の紋章で詐欺を行えば、誰が許そうともゼウレによる雷の裁きが必ず下る。

 だからこの紋章を出されれば疑う必要などないのだ。

(と、言っても神秘なき地だからな。天罰も起きないか。それともゼウレからすればもはや天罰を落とす価値もないのか?)

 遠くに聳える王城を見て、小さくため息をつく。目の前には大柄の騎士と問答をする若い騎士たち。

 言ってしまおうか。悩み、決断。……そうだ、言ってしまおう。

「聖女様。王城は見えていますし、チルディ大門といえば王都の顔のようなもの。ここでよろしいのでは?」

 ジョンは送り届けたし、リリーの遺品も渡した。

 それに、なんだか馬鹿らしくなってくる。王城にたどり着いてこれなのだ。ここから王の前にたどり着くまでにこのような問答がどれだけあるのか。

 もはや辿り着いたのだ・・・・・・・。目的地はこの地なのだ。

 この位置なら王城の謁見の間であろうと王都の門前であろうと変わりがない。

 ここからなら大陸の端から端にまで、聖女様の『神託』は届く。

 ならば退屈な国王陛下の顔を見ながら伝えるのと、王城を仰ぎながら伝えることにどれだけの違いがあるのか。

 この王都は役割は器だ。辺境人にはそれだけで、これだけで十分なのだ。

 なかみがなんであろうと、俺たちには関係がないことだった。

 俺たちが仕えているのは王国であって、王ではない。

「そう、ですね。私もなんだかそれで良いような気がしてきました」

 俺の言葉に聖女様が、少し悩みつつも頷いてくれる。辛いのだろうし、彼女にとっても実のところ、大陸人の反応はどうでもいい。

 彼女の役目は神託を伝えることだからだ。

 だから、伝えることが目的であって、それについてどうこう言われることは、彼女の役目ではない。

 王城に登るまでの煩雑さを思いながら聖女様は「まぁいいか」というような顔をした。

 任務に対する手抜きのように見えるが、辺境人である俺やその上位存在である聖女様は実のところ大雑把であるし、そもそも弱っている体で不快な蟲のざわめきを聞く義務は彼女にはない。

「喝ッッッッッッッ!!!!」

「ぬおッ!?」「うわッ!?」

 だから、俺はまだ争っていた2人の騎士に向かって告げた。

「詐欺だなんだと貴様らは不快だ。もういい。では、ここで神々よりの言葉をお伝えする」

 慎重に聖女様のヴェールを取り払う俺。素顔を晒した聖女様が目を細めながら王城を視認した。

 聖女様よりあふれる神々しい気配。抑えきれぬ神威が周囲の喧騒を強制的に沈黙させていく。

 その様子を見た若い騎士が絶句しながら己を拘束し説教をしていた大柄の騎士を蹴り飛ばした。

「待っ、今すぐ、王へ――」


 ――遅い。


『大陸全土の皆様に、神託の聖女エルヴェット・ダベンポート・グレイハウンドが我が父ゼウレの言葉を伝えます』


 周囲の人々が再びざわめき出す。恐らくは、彼らの脳に直接言葉が届いている。

 俺にその言葉は届かない。

 無論俺の耳には聖女様の肉声は届いている。いるが、俺には『神秘なき大陸人』を対象として放たれる『神託』を聞く権利がない。だから脳には言葉が送られない。

 しかして、雰囲気だけで察するならこのような言葉だろうか。


 ――『もういらぬ』


 そう、多くの人々に向けて、そんな言葉が放たれた。

 それは聖女様の口より溢れた威厳に溢れた老人のような声だ。

 威厳と慈愛に満ち、しかし苛烈なる敵意と、年月に鍛えられた鋼のような諦めの混じった声。

 それが脳に届いた瞬間、周囲の大陸人の瞳から一斉に涙が溢れだす。

 「なん、だ……今の声」「なんで、涙が……?」「俺、え、今の声、誰の……?」

 困惑。困惑。困惑。

 そして目の前の騎士たちの、青褪めた顔。大柄の騎士に至っては涙を流しながら「まさか……本物……」などと今更言い出している。

 辺境人の確かめ方など、その腰の剣を俺に向かって振り下ろすだけでいいというのに、何故無駄な問答などしようとしたのか。

 斬り殺されればただの詐欺師。死ななければ辺境人。それだけの話しだろう。

 呆れる俺の隣で、聖女様がぺこりと王城に向けて頭を下げた。


『我が父ゼウレの言葉は以上です。では大陸の皆々様、これより大陸よりすべての神秘は撤退し、大陸は真実、神秘なき地となります。つきましては神々の裁定により、既存の地獄から大陸人の魂の隔離を決定いたしました。皆様にもわかりやすく言いますと大陸のみで完結する専用の地獄の設置ですね。大陸の皆様専用の地獄は従来のものから刷新され、ヤマの手による神の運営しない大陸専用の魂の循環機構へと変更されます。他にも――


 告げられる様々な世界の変更点。その途中で若い騎士が王城へと走り出す。

 聖女様の言葉は止まらない。大陸人の魂の価値の統一。いまなお生きる神の血族のみ与えられる特別な処置について。ないとは思うがこの処置後に大陸へデーモンが出現した際に、大陸側より辺境へ辺境人の派遣を請う方法。大陸外への行き来の注意などなど。

 通達が終わりに近くなるにつれ、王城の方から無数の気配が近づいてくる。

(聖女様の言葉が終わるほうが早いか)


 ――それでは大陸における神無き世界の幕開けを寿ぎます。それと、皆様。今までのゼウレへのご奉公、ご苦労様でした』


 それで『神託』は終わった。

 ざわめきは混乱となっている。大柄の騎士は俺たちに向かって地面に頭を擦りつけていた。

 許してくださいなどと言っているが、この処置にお前は全く関係していない。意味のない謝罪だった。

 王城より王らしき格好の壮年の男が馬に乗って突撃してくる。王らしき彼は俺たちを見つけ、周囲で涙をただ流し続ける人々を困惑しながら見回し、俺たちへと馬上より精一杯の声で叫ぶ。

「な、なぜ、なぜ余には神託が聞こえなかった!!」

 まさか余だけ本当の本当に見捨てられたのでは、などと涙目でなおも叫ぶ王に向かって、億劫そうに聖女様は告げた。

「貴方は私たちの側だからですよ。国王陛下」

 へ? という顔の国王に向かって聖女様は哀れなものを見る目で再び言った。


「貴方が、この王城の『中身』ですから。辺境の為に残しておくというゼウレの判断です」


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