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 駆ける大地を辺境から大陸へ変え、旅は続く。

 辺境馬は大陸を駆けることを嫌がるため、関で馬を大陸のものに換え、煉瓦で舗装された巨大な道を全速力で駆けていく。

 馬車が二台並んで走れるほどに巨大なこの道は『ギガンティック・チルディ・ストリート』と呼ばれ、コールドQの王都に続いているものだ。

 辺境に変事があったときに軍を至急回せるよう、かつてのコールドQの王が神域障壁があったころに何百年もかけて作らせたのだという。

「煉瓦敷の道のおかげで大陸の方が進むのは楽ですが」

「確かに、これならまだ竜峡の方がマシですね」

 苦しげな声。馬上にある聖女様を見れば、その顔には苦悶が浮かんでいる。

 彼女の様子は、例えるなら、幽閉塔の時の俺のようなものだろうか。あの場の空気には瘴毒しかなく、息をするだけで肺が爛れるような心地であった。そして大陸、こちらは神秘が全く存在しない。苦しさの比較などできはしないが、神秘に依って生きている聖女様にとっては、常に水の中に沈められているようなものだった。

 斯くいう俺も苦しさはある。動きの鈍さもだ。

 だが、マスクもあって表情には出ない。

 大陸は二度目だ。慣れもある。2人の駆る馬に追走しながら息を吐く。

 呼吸や踏み込みを行っても身体に満ちる力はさほど増えることはない。地や空から力を得ることができない。大地に神秘が循環していないのだ。

(それに、だ。デーモンを殺し強くなったせいで、以前より苦しさが増している)

 俺自身の神秘的強度も問題だった。強くなったせいで大陸での活動が少しだけ厳しくなっていた。

 もっとも動けないほどではないし、幽閉塔での経験もある。殺意や怖気がないだけこちらの方が楽といってもいい。

 それでも、あの悍ましき世界の方が、俺にとってはまだマシだった。

 走りながら地図を懐より取り出し、先々の予定を確認する。

「もう少し進んだら今日は休みます。馬を休めなければなりませんからね。それと、街があるはずですが、街にはやはり」

「ええ、やめておきましょう。ジョンには悪いですが」

 聖女様が俺たちの会話を不思議そうに聞くジョンをちらりと見る。彼も俺たちとの旅で鍛えられている。ここから全て街の外での休息になるが、我慢してもらわなければならない。

「ええっと、なぜ野営なのですか?」

 おずおずと問うてくるジョン。俺はともかく・・・・聖女様は辺境の神秘の中でも頂点の一角たる存在だ。

 俺の連れということでジョンは許されて・・・・いるが、本来は軽々に大陸の蟲どもの目に触れていいお方ではない。

 と、いうことを説明すればジョンも流石に気を悪くするだろうか?

「あー、なんだ。察せよ。ジョン」

「ええ、まぁ、ええと……?」

 ジョンと別れるという選択肢はなかった。

 もはや辺境ではないからジョンも一人で帰れるかというとそんなことはなく、大陸は大陸で危険なのだ。大陸人にとってはだが。

 辺境と違う意味で大陸は治安が悪い。人口が多いせいか街や村からはみ出し者が多く出る。そして一人で旅をしていればそいつらが賊として徒党を組んで襲ってくる。

 ジョンをジョンの戻るべき場所に送り届けるのは俺の務めだ。

 だから、悪いがジョンには付き合って貰うしかなかった。

 やがて見えてくる街。

 今日は城壁の傍で野営をしよう。聖女様の為にも離れた方がいいとは思うが、やはり街の傍の方が野盗どもも出ないだろうしな。



 道を外れた俺たちは街の傍で天幕を広げる。

 天幕の中、買っておいた神秘の回復を助ける香を焚きながら俺たちは話をして過ごす。

 ほんのすこし先には城壁に囲まれた街の明かりが見える。ジョンが少しだけそちらを見て切なそうな顔をするのを見なかったことにする。奴はやはり辺境よりも大陸の方が安心するのだろうか。今まで纏っていた緊張が少し消えているように見えた。

 街の傍でわざわざ天幕を広げる俺たちを不審に思ったのか街の門兵が近づいてくるが、辺境から来たと言えば怯えたようにして去っていく。

 その辺の石を組んで竈を組み、辺境から持ち込んだ食物や水で作られたスープを作って、聖女様へと渡す。

「どうぞ、身体が温まりますよ」

「感謝しますよー。セントラル卿」

 ほんの少し苦しそうな姿は変わらないが、香炉のおかげもあるのだろう。その辛さもほんの少し和らいでいるように見えた。

 木の匙でスープを啜りながら聖女様は俺へと問う。

「……なぜ卿はこのような死した土地を旅したのですか?」

「キースさんは昔大陸に来たことが会ったんでしたっけ? 私も聞いてみたいです。どうしてだったんですか?」

 ジョンもまた問いを投げかけてくる。


 ――俺は少しだけ過去を想う。


 意識的にリリーの皮膚を手甲越しに撫でる。今でも俺の心には愛を求める心が渦巻いている。いや、渦巻いていた、か。

 もはやそれは失われたに等しかった。俺はリリーを愛したが、その愛が成就することはない。

 そうだ。愛かもしれないものを俺はリリーに抱いていた。しかしリリーを失った時に、永遠に理解する術を失ったのだ。

 俺の心は過去にある。

 リリーが死んだあの場所に、だ。

 欠落は奈落のように深かった。

 マスクのおかげで顔が見えないことが、これほど喜ばしいとは考えもしなかった。

「嫁がいなくて、探しに来たんですよ。結局見つかりませんでしたがね」

「大陸に、ですか」

「ええ、無駄でしたが」

 辺境にいたころからそうだ。俺は愛を求めたが、誰もその求めに応じてくれることはなかった。

 ジョンは気まずそうに「愛ですかー、俺は故郷に結婚を約束した幼馴染がいるのでよくわからないですねー」なんて言っていた。

 聖女様はどうしてか苦笑している。

「あまり心配しなくても良いですよ。若い辺境の戦士が陥りがちな単なる勘違いですからそれは。流石に大陸にまで伴侶を探しにいく人は初めて見ましたけど」

「勘違い、ですか。そうなんでしょうか? 俺が、俺の心がどこか欠けているからでは……?」

「セントラル卿は確か、産みの親を失っているんでしたね」

「ええ、事故で。産みの親は行商人だったんですよ。だから今住んでいる場所は育ての親の家です。だからというか、俺は土地の人間ではないので村人たちからは疎遠でした。幼いときはそんな俺でも一人前の戦士になれば皆に受け入れてもらえるのではと考えました。嫁を探していたのも、その為です」

 手を見る。誰とも繋がることなく孤独であった俺の手。

 聖衣がなければ一人前になれない。辺境の男にとって、嫁を得ることは一人前の証だった。

 愛が知りたかった。愛が欲しかった。愛されたかった。愛の確信が得たかった。

 侠を気取ったのは、黒蝮の親分のような皆に頼られる立派な男になりたかったからだ。

 軍に入ることを諦めたのはいつからだろうか。大陸から戻った時に、爺が病であることを知り、自らの生活の全てを捨て爺の世話をしたのは、ただ育ての親へ恩を返したかったからだろうか。

 そんなことを話しながら俺は女たちから手ひどく振られた話をする。

「別れる時に女たちは俺を冷たいと罵りました。俺もそうだと思いました。何度身体を重ねても心が重なったと思ったときはありませんでした。俺は自分が欠けているから女の心がわからないのだと思っていました」

 2人はいつのまにか無言だ。俺の言葉を聞いている。

「俺が、土地に根付いていないから。俺が親をなくしているから。俺は、永遠に一人なのでは、と」

 じくりと手が痛んだ。手甲の下。そこにはリリーの皮膚がある。わかっているとでもいうように手甲ごしに手を撫でる。

 俺のリリーへの愛は宙ぶらりんだ。

 恩人であるリリーへそれらの言葉を告げるつもりはなかったが、生きたリリーに俺は告白ができていない。だから俺の愛は昔と変わらず一方通行で独りよがりだった。

 それでも、誇り高きリリー。優しきリリーの魂は、俺を慰めてくれている。彼女が本当は何を考えていたのかは俺にはわからないが、俺の身体にリリーの魂は残っている。

 彼女の慰めは俺の心に深い安らぎを与えてくれる。悲しさはある。それでも俺には十分だった。

 俺の言葉を聞きながら、聖女様は、やはり苦笑をしていた。

「悲しい人ですね。セントラル卿は。それに幼い。あなたと彼女たちの心が離れていたのは、セントラル卿が女たちを手段としてしか見れなかったせいでしょう。辺境の戦士にはよくあることです。一人前になりたくて、聖衣が欲しくて、ただ女を手段としてしか見れなくなる。そのような戦士たちも多くは戦いを重ね、そのような幼さを卒業していくものですが。あなたは違ったのですね」

 聖女様の言葉の厳しさ。

 だが言われて見れば、そうなのだと納得がある。

 俺は嫁は欲しかったが、それは誰でもよかったのだ。そんな俺の心を女たちは見透かしていたのだろう。

 落ち込む俺を、聖女様は仕方がないというように笑う。そこにあるのはまるで泣き疲れた子供を見る母のような顔だった。

 気を遣ってくれたのか。次に発せられた言葉には、いつかの夜のような芯に響く重さが込められている。

「――キース、もう君は知っているだろう? 愛の強さを。愛ある戦士の力を。誰かの為に命をかけて戦うことの尊さを」

 それは知っている。リリーの為に戦う俺はどのようなデーモンでもどのような地獄でも勇敢に戦うことができた。

 しかし、もはやその愛の行き場はない。俺はやはり永遠に――そんな俺の思考を遮るように聖女様は言う。

「愛は失われない」

「聖女様……」

「愛はけして失われない。君の心には確かに愛があった。その愛は伴侶を失い枯れたのかもしれない。しかし確かに愛はそこにあった。ならば、その愛は君の心に種を残したはずだ。なぁキース。君の愛の花は一度は枯れたかもしれない。しかし君の心で新たな花を育てる土壌になったはずだ。君の心は欠けてなどいない。キース。私が保証しよう。君は欠けてなどいない」

 頬を伝うのは涙だろうか。

 聖女様が言ってくれた。俺が抱いていたのは愛だったのだと。愛が俺にはあったのだと。俺は欠けてなどいないのだと。

 だが……だが……それでも。

 それでも、俺の心に、ぽっかりと空いたこれは……。この巨大な奈落は。欠落は。

 縋るように聖女様を見る。聖女様はしっかりと俺を見据えている。

「神々は全てを見ていらっしゃる。運命だ。全ての物事には意味がある。運命なんだよキース。君が感じる焦燥もまた」

 だから、祈れというのか。願えというのか。

 焦がれるように、喘ぐように、俺は神々へと祈りを捧げるのだった。



 そうして夜は明け、俺たちは旅を続ける。

 そうして、道の果てに、王都の姿を見るのだった。


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