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 身に覚えのない女帝の歓待を受けながら半月ほど水の砂漠を旅すれば、次は『果てある平原』だ。

 どこまでも続く草原地帯であるこの地が辺境の旅の最後の地となり、ここを抜ければ大陸へと繋がる関所が見えてくる。

「昔はな。ここからでもどでかい神域障壁が見えてたらしい。俺が生まれる前の話だが」

 俺が走りながら道の先、未だ何も見えない青空を指さし、馬に乗って平原を駆けるジョンに言えば、へぇ、とジョンが言葉を返してくる。

「大陸と辺境が繋がったのが32、3年前の話ですよね、確か。キースさんって今、何歳なんですか?」

「ん……ああ、いや、悪いな。少し、わからなくなってる」

 成年として扱われる14歳になるまでは自分の歳を指折り数えて楽しみにしていたものだが、そのあとは年月に任せて旅に出たり、ヤクザ者たちと遊んでいたりしていた時期も多い。なので今の年から逆算しようとした時に、少し迷った。

(今は、何年だ。……いや、そもそもどれだけ俺の時間は世界の時間とズレてる? ――まだ2年ぐらいの筈だが……)

 俺と世界の時間。その乖離は始まっているのだ。背筋が寒くなる。手が自然と腕に延び、皮のグローブの上からリリーの皮膚を撫でた。この感覚を理解できるものは少ない。死んだリリーに、あの奈落に叩き落されている連中。アザムト。未だ探索をしている冒険者の2人ヴァンとエリエリーズ。それぐらいだ。ドワーフの翁はもっとも時間の経過を感じない場所にいるし、猫は。あれは、人ではない。神の眷属であるあれはもとよりこの世界の時間など気にしていない。

「神域障壁ですかー。私の活動域は辺境最北の僻地ばかりでしたのでこちらに来た数は少ないのですが、私も一度だけ創られた・・・・直後・・の物を見たことがありますよー」

「……ん……つくられた、直後、ですか?」

 俺の返答に気まずそうな顔をしていたジョンが妙な顔で聖女様を見る。

 『神託の聖女』エルヴェット・ダベンポート・グレイハウンド。

 幼い顔をした、姿形は可愛らしい聖女様である。

「なるほど、水の砂漠は通ったことはないと聞きましたのでこちらには近寄ったことがないと思っていましたが一度は来たのですね」

「私も聖女ですので王に呼ばれて封鎖前の・・・・チルド9には何回か行ったことが有りますよ。水の砂漠に関しては、女帝以外に信仰を必要とする生き物が住んでないと聞いていましたので、布教ついでに別のルートを使いましたが。で、障壁の話でしたね。流石に今の大陸に力はありませんが、閉鎖当時の大陸は辺境よりも神秘に満ちて、多くの強き英雄がいましたからねー。こちらの情勢が激ヤバだったのもあったのであちらの戦力を呼ぶために障壁神の作った神域障壁をぶち破れないか私も試してみましたが、どうにもこうにも」

 や、力及ばず大陸の弱体化を招いてしまいましたー、たはは、と笑う聖女様。

 地平線の果て。どこまでも続く草原。人の往来が少しはあるので草の少なくなっている街道らしきものをたったかたったかと駆けていく俺たち。

「流石に大陸人が強すぎてたった数十年で他の種族全てを滅ぼして世界樹まで枯れ落ちるとは予想もしてなかったんですよー」

「世界樹の管理者のエルフが滅びれば枯れ落ちるのは必然でしょうね。というか、他の種族を駆逐しきったせいで大陸人が逆に弱体化したって話は私も流石に笑いましたよ」

「チルド9崩壊後の主導権争いで最終戦争までやったとか、それで導くべき指導層が崩壊したとか、その後に無教養の亜人排斥派が頭に立ってたとかほんっとうに! あとから生まれた貴方には笑い話でしょうが、当時は笑いどころじゃなかったんですよ。辺境軍の上層部ではこれ」

 苦い顔をする聖女様に走りながらもすみませんと謝る俺。

 聖女様が言うには、神域障壁崩壊直後は、暗黒神の支配する暗黒大陸に送り込んだ精鋭が拳聖を除き全滅していたこともあり、辺境軍の上層部はやっと解けた障壁の先へ大陸の援軍を期待していた、らしいのだ。

「あの時の気分は、本当にしょんぼりしたとしか……」

「あー……その……」

「ま、ゼウレがデーモンと戦えというなら私たちは戦うしかないんですが、ね!」

「で、ですよね。はい。いえ、大丈夫ですよ。聖女様。俺たちはいつだってデーモン絶滅させる気で戦っていますからね! はい!」

 辺境人に関しては疑いようもなく心から頼りにしてます、と笑ってくれる聖女様にほっとしながら俺は少し後ろを見る。

 ジョンが何やら難しい顔で押し黙っていた。

「おい、ジョン! 少し遅れてるぞ。この辺りは温厚なケンタウロスの縄張りだが、そんな油断して走ってるとからかい混じりに弓で射られるぞ!」

 それは辺境はどこも危険なので死なないよう注意して走れという彼らなりの善意であり忠告だ。

 弓の名手であるケンタウロスなら上手く外すだろうが、ジョンの場合、当たろうが外れようが心臓が驚きで止まってしまう。

 ジョンは俺の言葉にあわてて速度を上げてくる。

 そして遠慮がちに俺たちに聞いてくる。

「あ、あの! 聖女様って、その……何歳、なんですか?」

「さぁ? 私も実は覚えてないんですよね。ただ、少なくとも女帝よりかは若い筈ですが。あの方って何歳なんでしょうか?」

 こっちの地方は実際に会ったことのない人ばっかりなんですよね。というか私、竜や巨人の方が知己が多いぐらいで……、などと言っている聖女様。

 え? あの、とジョンが困った顔で俺を見る。

 そうか。そうだったか。ジョンにはこの人が人間に見えるのか。そうだよな。外見は人の形をしてるもんな。

「ジョン。聖女様は、その、なんて言っていえば、いいのか……」

 表現に困る。この人に、種族名はない。強いて言えばエルヴェット・ダベンポート・グレイハウンド。それが彼女の種族名・・・だ。

 生物学的に言えば一番近いのが辺境人となるが、神秘的に言うと近いのは原初の竜や巨人の類。もしくは神々に限りなく近い存在。


 ――俺たち人とは生まれから違う。


 全ての神々に祝福されるというのは比喩ではなく、そのものだった。

 鍛冶神の作った鋳型。そこに太陽神が灼熱のエーテルを。月神が凍えるような神気を流し込んだ。そうして創られた柔らかな輝く風に善き神々が次々と善き言葉かごを与え、魂と心を与えた。

 最後に主神ゼウレが父として、血を授けた。

 そうして創られたのが、神託の聖女様なのである。

 神々が彼女のためだけに設計図を描き、材料を集め、自ら神気を込め、最愛の娘の一人として創造した。

 辺境人が本格的にデーモンたちに追い込まれた時に生み出され、与えられる神造の兵器の一つ。

 それが、『聖女』である。

 大陸のものは、本当に紛い物なのだ。

 大陸に残っていた聖女様方の多くは最終戦争で滅び、その後は薄れ行く神秘の中、寿命もなく老いもしない彼女たちは魔女狩りのような形で守るべき大陸人の手で殺されていったと聞く。

 その残骸を呪術で再現しているのが大陸のユニオン大聖堂の『聖女』である。

 そんな、大陸では滅ぼされてしまった本物の聖女でもある彼女が今から向かうのが大陸なのだと思えばなんとも言えない感情にもなるが……。

(その為の護衛の俺、だからな……)

 あのような土地に好んで滞在する辺境人は皆無の為、大陸慣れ・・・・している辺境人は少ない。

 改めて気を引き締める。

 そして俺の言葉を待っているジョンに、少しだけ考えて言ってやった。

「まぁ、なんだ。長生きなんだ」

「へぇ、そうなんですか」

 そういう魔法とかあるんですかねぇ、なんて言っているジョンに。お前は辺境でも数少ない現存する生きた神器と旅をしているんだぞ。と教えればきっと、今後はまともに聖女様と話をすることはできなくなるだろう。

 俺達のやり取りを見ながら聖女様が小さく笑っていた。



 そうして、平原を旅すること十数日の後に、俺たちは辺境と大陸を繋ぐ関所へと到着するのだった。

 大陸と辺境を繋ぐ小さな木でできた関所。数人の番人らしき辺境人がそこにはいる。

 俺が以前来たときは大陸側から交易の為に訪れていた商人やそんな彼らの案内をするために、辺境人の案内人がいたものだが、そこには番人以外に誰もいない。

 関所には神殿上層部の計画通りに、既に神殿から通達が来ているようだった。

 ジョンが首を傾げながら言う。

「あれ、何か人気がないです。というか相変わらず小さいですよね、ここ。いいんですか? こんな小さくて。大陸側じゃ巨大なながーい城壁を築こうって話も出てますけど?」

「デーモンや魔獣が入り込まないようにってことだろ? 大丈夫だ。絶対に入り込まないし、俺と聖女様が再び辺境の地を踏む頃には、そんな心配はしなくて済むようになる」

「……えっと……」

 戸惑うジョンを無視して俺は聖女様にこの先です。と言う。

「ああ……本当に、話のとおりだったんですね……」

 ほんの数百メートル先の話だ。聖女様が小さく涙を地面に落とす。

 草原が切れ、関が見え、そこから先に続く大陸の姿。そこは緑があり、大地があり、煉瓦で造られた綺麗な道が見える。草は風に揺れ、太陽の恵みは地に降り注いでいる。明るい、日向の景色がそこにはある。

 だが、それだけだ。そこには、何もない。

 ジョンが不思議そうに自分の馬を見た。馬がこの先に進むことを嫌がっていた。わかるのだ。彼らには。

 聖女様がぽつり、ぽつりと言葉をこぼす。

「ここからでもわかります。あの関の先からはもう土地が死んでる。神秘の欠片も感じません。本当に、全てが失われてしまったんですね」

「世界樹が失われれば神秘の循環が止まります。そして神秘の循環が失われれば、その世界に生きる精霊たちは枯死していく。世界から精霊が失われればその精霊の恩恵で生きているものは死滅する。その果てが大陸あれです。神秘を必要としない生物だけが生き残ることができる世界。大陸人は上手く適応したようですが、他の種族はもうあの大地にはいませんよ。外海に上手く逃げ延びた種族もいたようですがね。愚かなことです。……神秘の循環など、辺境では子供でも知っている常識なのに」

「そういった知識はエリザの呪い歌のおかげ、ですよ。大陸にはありませんでしたからね。忌々しくも呪わしい大賢者マリーンの置き土産とはいえ、あれには大分助けられました」

「……裏は本当は嫌いなんですよ。というか、聖女様も呪い歌と言うんですか?」

「ああ、他の聖女せんぱいたちはともかく私だけはあれの本当の意味がわかりますから」

 少しの沈黙。この聖女様の権能は『神託』だ。故に、全ての言語を扱うことができる。

 本来は神々の言葉を直接下々である俺たちに届ける為に存在する権能だが、副次的な効果というべきか。彼女は全ての言葉を(例え生物学的に発音できなくとも)話せるし、全ての言葉を音が届かずとも聞きとることができる。

 故にそれは、歌や詠唱、魔術や呪いなどでその本質が隠されている言葉でも、その本質を寸分違わず聞き分けることができるということに他ならない。

 では、一体、エリザの昔話は彼女の耳にはどのようなものとして聞こえているのか。

 期待するような俺の視線をくすぐったそうにしながら聖女様はにやり、と挑戦的に嗤う。

 はっとする。それは、黒蝮の親分の屋敷での聖女様の顔だ。

「それは君が直接大賢者から聞くといい。あれもまた破壊神に囚われている。一時は外でこそこそとエリザの為に蠢いていたようだけど、ね。もはや地上で動く理由はない。今はあのダンジョンの奥底で君を待っているだろうさ」

 気安くも冷たい。人を食ったような言葉が小さな少女の口から漏れる。

 今まで奇妙に距離感が近かったせいか、冷水を浴びせられたような気分になる。

 そうだ、この人は、神話の時代から竜や巨人と共に生きているのだ。

「――ええ、そうします。おい、ジョン。いつまでも呆けてないで行くぞ」

 え、あ、はい。と俺たちの会話を呆けたように聞いていたジョンが慌てて嫌がる馬を進ませる。

 目の前には、既に終わってしまった大陸への入り口がある。あそこからは辺境の馬を預け、大陸の馬での移動になる。

 少しだけ、背後を振り返る。

 雄大な辺境がそこにはある。神秘に満ちた俺の故郷。少し屈み、土に触れる。

 そうして前を向いた。そこにあるのは関と、神秘の失せた大陸の地。

 俺は『聖撃の聖女』様から受けた依頼を思い出し、仮面の下で、苦い顔をしながらこの先を見る。

「……自業自得では、あるけどな」

 それでも少しの寂しさがある。

 そう。俺と聖女様は、今からあの地に。


 ――終わりを告げに行く。







 特に本編に関係のないおまけ


 旅の途中、ふと思い立った疑問を問うた。

「そういえば、なぜ聖女様たちがいて聖印の形が失われたのですか?」

 聖印の形とは、俺が善神大神殿で発見した聖印のことである。

 大昔から生きている聖女様たちが辺境には多くいるのである。それでいてなぜ今更善神大神殿で発見された聖印の形が大事にされるのか。普通に覚えているものがいるだろうと思ったのだが、いや、違うか。むしろ何故あの形が失われたのかと聞けば。

「ああ、あれですか。いえ、私も変わっていた時に驚いたんですが」

 曰く、大昔にかなり危うい所までデーモンに押し込まれたことがあった。

 そのときに『聖撃の聖女エリノーラ』様が強力な神器を作成すべく辺境中から文字通り全ての聖印をかき集めて一本の巨大な聖剣を作ったのだと言う。

 無論、信仰の手段たる聖印を使うということにかなりの反対もあったのだが、滅ぶかどうかの瀬戸際だったので喧々諤々の殴り合いの末に戦士団の代表にエリノーラ様が勝利し、なんとかそれは辺境人たち全てに了承された。

 辺境中の全ての聖印が文字通りかき集められ、ドワーフの鍛冶職人たちの手によって一本の聖剣が鍛えられた。

 完成した巨大すぎる聖剣は『全てを断つ者』と命名され、その希望の剣は巨人の英雄に持たせられた。

 辺境人の悔し涙と共に造られた聖剣は一薙ぎで多くのデーモンを打ち倒し、そのときの襲来はなんとか押し返せたのだったが。


 その後が問題だった。


 では聖印をみんなに戻そう、ということで聖剣を鋳潰して聖印に戻そうとした。

 だけれどデーモンとの激しい戦いで少しばかり剣が欠けてしまっていた。なにしろ巨大な聖剣である。少しの欠けは実際大きな欠けだった。

 金属を足そうという声もあったが、頑固な辺境人たちは抗議をした。聖印に混ぜものをするぐらいなら聖女様でも殴るぞ、と。

 そういう話になり、これは困ったぞ、ということで、聖印のデザインを簡略化させることで鉄の使用量を少なくすることにした、のが問題の始まりだった。

「で、とりあえず金属が少なく済むように各々の信仰する神に対応した聖印を作ってその場は凌いだんですが――」

「凌いだんですが……?」

 あはは、と気まずそうに言う聖女様。

「なんというか、ですね。みんな結局、自分が信仰する神以外はあんまり本格的に祈らないもので、ほら、別の聖印でも祈りが届かないわけじゃないですからね。なんで、じゃあ、作るのもお金がかかるのでそのままでもいいかって話になって」

 うん? うん?

「あとで『聖撃の聖女せんぱい』がじゃらじゃら聖印ぶら下げて祭事をするのはきついから元の形で作り直せと言ったら、そのドワーフ連中が」

 儂らそんないっぱいの神に祈らんから昔の聖印のデザインなんぞ覚えていない。今でもなんとかなってるんだからどうでもええじゃろ。困ってるのは聖女あんたらだけなんじゃから聖印作るぐらいならそれで聖剣の一本でも作ったらどうじゃ。つーかお前ら剣折りすぎ馬鹿じゃねぇの? おう、むしろまたあのでかい聖剣作りたいから質の良い聖印そざいよこせや。

「あー。あー」

「それからもう『聖撃の聖女せんぱい』がブチ切れて、ドワーフの長老格2,3人殴り殺しかけて。本当にそのあと仲介大変でした」

 なので、と聖女様は、ぺこりと俺に頭を下げた。

「うちの『聖撃の聖女せんぱい』の尻拭い、本当にありがとうございました」

 聞こえない。聞こえない。聞こえなーい。


 おまけ終わり。

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