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俺たちは水の砂漠に作られた氷の道を歩いて行く。
馬を含めた人間を載せても揺るぎすらしないこの氷の道だが、実のところ冷たいわけではない。奇妙なことにほんのりとした暖かさすら感じる。そういう氷が延々と果てのないぐらい遠くにまで続いていた。
そんな氷の道で2人の乗る馬を走らせないで歩かせている俺にジョンが心配そうな顔で問うてくる。
「急いでいるのに、駆けてゆかないのですか?」
「俺たちは招かれたが女帝の親しい客人というわけじゃないからな、主人たる水の女帝の空間で無作法を行えば殺される。それに勢い余ってこの道から落ちてみろ。俺や聖女様とて普通に死ぬぞ」
氷の道は馬車も通れるぐらいには広いが、地面と違ってどこまでも横に広がっているわけではないし、道の上を歩いているのか時折不安になるぐらいには透明だ。だから馬で思うがままに駆ければ神秘の濃さで道を判別できる聖女様や俺はともかくジョンは落ちるだろう。
そんな俺の答えにひぇぇ、とジョンが小さな悲鳴を上げる。
ふふ、と聖女様が微笑みながら周囲を指し示した。
「まぁまぁ、ジョン。なかなか景色も良いじゃないですか。私も水の砂漠は来たことのない土地でしたし、楽しんで行きましょう。旅では急ぐよりゆったり進んだ方が進みが速い時もあるのですからね」
俺はあまり心配はしていない。進みはゆっくりだが水の砂漠を通るなら、迂回するより旅程は縮まるからだ。それに迂回は迂回で面倒な道も多い。
俺は不安がるジョンを安心させるようにわははと豪快に声をあげて笑ってみせた。少しわざとらしいが、仮面をつけてると表情だけ笑ってもわからんからな。
「そうだぞ。ジョン、楽しんでいこう。ここは辺境でも珍しい
「観光地、ですか? 辺境で?」
おう、とジョンの言葉に苦笑する。辺境とて、というか辺境だからこそ観光できる土地はたくさんある。
貧乏な俺が行ったことのある土地は少ないが(そもそも観光目的で行ったわけではないしな)、それでも美しい場所ばかりだったと記憶している。
俺はやったことはないが、いくつかの神々の信徒は巡礼者として各地を旅しているし、巡礼地の多くはどこも色濃く神秘の残る秘境や神話の時代から残る神殿などが多い。
というか水の砂漠こそが、現在の大神殿が置かれている聖都やドワーフたちが住む鉄の国に勝るとも劣らない、辺境でも珍しい景色の美しさを純粋に楽しめる場所なのだ。
無論、美しさを楽しめる土地なら他にもある。竜種の楽園たる竜峡や高名な
なにしろ神秘の濃い場所ほど絶景が多いので美しい場所ほど辺境人とてうっかり死にかねない土地なのだ。
だからルールさえ守れば全く危険のないこの水の砂漠は大陸人にも安心して楽しめる観光地と言ってよかった。
「そうなんですか……」
そんな俺の言葉にジョンが納得したように周囲を見て顔を綻ばせる。
同時に俺はジョンにこの領域のルールを教えていく。といっても難しいものでもない。女帝は辺境に存在する支配者級の化物の中でも寛容な方の化物だ。ルールをうっかり破ってしまったとしても、礼を尽くせば殺されることもない(罰の応報の初撃で生きていられればだが)。
――旅が始まってからジョンは酷く緊張していた。
納屋にうっかり誰かが入らないように、そしていつか帰るだろうリリーを待つ為に、2年も安全な村にいたのだ。それが突然過酷な辺境の旅に叩き込まれれば、子犬に襲われただけで死にかねない大陸人であればこうなるのは必然と言えた。
これは長い旅である。
流石に無警戒でいるのはまずいが常に緊張しっぱなしというのも問題があった。何しろ人は長期間緊張し続けることができない。辺境人であれば2,3ヶ月程度なら余裕でこなせるが、大陸人であるジョンにそういったことは望んではならない。
無理をさせすぎては道中何かあったときが死んでしまうかも知れなかった。
(リリーの残したこの兵を無事故郷に返してやるのは、俺に為せることの一つだろうな)
俺は穏やかな口調でジョンの緊張を少しずつ緩ませ、警戒の為に周囲を確認していく。女帝の領域だから安全は確保されているが、突然竜が落ちてきて目の前で怪物と殺し合いをしかねないのが辺境だ。大陸人であるジョンは無警戒でも構わんが、俺はいつ何時世界が滅んでも大丈夫なように警戒し続けなければならない。
背後を振り返る。
俺たちがやってきた平原が見えた。
そして前を向けばどこまでも続く水の砂漠だ。
何もないが、何もないわけではない。
俺たちが歩く氷の道の真下を巨大な、それこそ巨人にも匹敵するようなサイズの魚が砂を掻き分けて泳いでいく。人ぐらい丸呑みにできそうな怪魚だった。
水の砂漠の砂は透明度の高いガラスのような砂粒だけにその姿もくっきりと見え、途端、怯えたジョンが俺に問う。
「き、キースさん!? あ、あれは……」
「
「砂の中を泳ぐ、ぎ、銀色の魚のようなものが無数に見えます」
ジョンの指差す先には虹色の鱗を持つ美しくも凶暴な魚たちが見える。人を超える巨体のものもいれば、手のひらサイズの小さなものもいる。それらが砂魚だ。
よくよく見れば底の方に海老や蟹や貝類も見えた。
「うむ。砂魚はもともと女帝の創った呪的な生物だったらしいが、今では好き勝手に増えたり減ったりしているらしい。辺境でもこの異界にのみ存在する生き物だぞ」
「はぇぇ。さすが神域の魔女様。自らの領域に適応する生態系をわざわざ構築したんですねぇ。話には聞いていましたがこれほどとは」
「はい。聖女様。爺、ではなく我が師父が言うには砂魚たちの完成度は高く、存在している時間も長い為にもはや女帝の手を離れて一つの生き物と神々に認識されているとか」
「ええ、私も聞いたことがあります」
神に認められた生命たち。だから、もはや女帝が何もしなくとも彼ら砂魚の歴史は続いていく。
魚はこの水の砂漠の守り手ではあるが、彼らは女帝の命令でそれを行っているのではなく、彼らの根本に刻まれた原理として守っているのだ。
それはきっと、俺たち辺境人と同じなのだろう。最初は神々に命じられてデーモンと戦っていた俺たちが、今では自らの意思でデーモンとの闘争を続けている。
砂魚は所詮は魚なのでそこまで賢いわけではないだろうが、そこには間違いなく連綿と続く意思の力があった。
とはいえ、そんな彼らも生物なのは間違いはなく。
氷の道の下で、小さな砂魚の群れが巨大な砂魚に追いかけられ、群れごと丸呑みにされていた。
「今日はこのオアシスに泊まるぞ」
水の砂漠は広い。広いので当然、1日や2日で渡りきれるものじゃない。
なので旅人が休むためにいくつもの中継地がある。水の砂漠の中にぽっかりと浮いた浮島のような地がそれだ。
俺たち以外にも行商人や巡礼者、旅人などがいるようで、人々の賑わいに聖女様が目を白黒とさせている。
「い、意外に活気があるのですね? それに街とは……。この規模のものがいくつも? 観光地とは聞きましたがこの地は行商人や旅人がそんなにいるのですか?」
真水の湧き出る巨大な泉を中心として、色付きの硝子や運び込まれた石や煉瓦で建てられた建物が整然と並ぶオアシスの街。規模からして数千人近くいる人々を見ていた聖女様が、ああ、と納得したように頷いた。
その視線の先には、行商人などではなく現地の人々の姿がある。
「あの店先や通りの方々は偽物ですか! これが噂に効く女帝の人形兵団ってやつですね!!」
「ええ、聖女様。この地の人々は半分。いや、もうちょっと多いか? ええ、まぁ、半分以上は水の女帝が創造した砂魚と同じものですよ。っと、離れないでください。離れたら見つけるのがなかなか骨ですからね」
1枚の長い白布を身体に巻きつけて衣服としている、赤い髪の砂色の肌の人々に流されかけ、離れそうになる聖女様を失礼しますと言いながら肩を掴む。
彼らは
『水の女帝の人形兵団』。生き生きとした顔で観光客や行商人に物を売りつける彼らもまた、砂魚と同じく、この地を守る呪的な兵器の一つだった。
砂人に新鮮な果物やよくわからない装飾品の押し売りを受けていたジョンがきょろきょろとあちこちを見回し、建物の壁に寄っていた俺たちを発見して慌てた顔で走ってくる。
「き、キースさん。急にいなくなるから……」
「ははは、活気があるだろう」
「え、ええ。辺境でこんなに人を見たのは初めてかもしれません」
砂人は神に生き物と認められた砂魚と違って、人ではないが(『人以外』のものならともかく、神々以外が『人』を創ってもそこに魂は宿らないからな)、ジョンに彼らは人ではないと教えれば度肝を抜いてしまうので、教えるのはこの地を離れてからでいいかもしれない。
怖いので急にいなくならないでくださいとすねた顔でいうジョンにわかったわかったと言いながら、俺は宿屋の看板を見つけ、あそこに泊まろうと俺は2人に言うのだった。
事件と言っていいのか。なんとも驚くべきことが起きたのはその日の晩飯を取るためにそれなりに値の張る食堂を使ったときのことだった(金はかかるが水の砂漠に来て名高き女帝料理を食わないのは人としてどうかしてるだろう?)。
「おい、女! 俺はこんなに頼んでいないぞ!! 別のテーブルじゃねぇのか!?」
目の前にうず高く積まれた砂蟹や砂海老の酒蒸しを指差しながら俺は料理を運んできた砂人を怒鳴りつける。
俺の怒声にジョンが驚くが女帝料理は一人前で金粒が軽く3つぐらい吹き飛ぶ品だ。流石にこんな大皿を何枚も使って20人前くらい持ってこられては俺が破産しちまう。
俺の剣幕に砂人は驚いた様子もなく。
「いえいえ、お客さん。これは我らが女帝から鉄龍と金剛龍に縁ある貴方への贈り物です。故にお代は不要です」
「なんだって?」
問には答えず微笑んで去っていく砂人。そして俺たちの目の前にはうず高く積み上がった魚介の山。
困惑するように同行者たちに目を向ける俺。
しかし、施しになれている聖女様は得をしましたね。なんて気楽に微笑んでいるし、ジョンは食欲を誘う女帝料理の香りに唇の端からよだれを垂らしていた。
……超越者の思惑を深く考えても無駄だろう。俺は諦めたように聖女様たちに言った。
「あー。なんだかよくわかりませんが、冷めてももったいないし、いただきましょうか?」
俺は料理に手をのばす2人を横目に考え込む。
女帝が俺へ? 料理を? 何故? そもそもなぜ鉄龍? 金剛龍ならばわかる。金鋼龍マルガレータの加護を俺は持っているからな。だが、なぜマルガレータの親龍たる鉄龍マタイの名が?
鉄龍はチルド9時代の戦史ならともかくエリザの物語には名前だけしか出ていない龍だ。俺には関係がない。
考え込みそうになるが、テーブルの対面で健啖ぶりを発揮している聖女様が更に盛られた料理を次々と平らげるのを見てしまう。
目に見えて消えていく砂蟹や砂海老。これでは俺の分がなくなってしまう。
俺も慌てて思考を放棄すると赤々と蒸し上げられた砂海老に手をのばした。
水の砂漠でとれる砂海老や砂蟹をエルフの作る世界樹の実で作られた酒で蒸し焼きにしたのが女帝料理だ。
魂のない砂人にも作れる単純な料理だが、材料はそれぞれ辺境でも滅多に手に入らない最高級のものが使われている。
「おぉぉ。美味い。美味すぎる……」
人の頭ぐらいある甘くプリプリとした身の砂海老は殻ごとバリバリと食ってもうまい。むしろ殻も美味い。前にも一度行商人に奢ってもらい食ったことはあったが、やはりもう一度食っても美味い。
食にうるさい吟遊詩人どもが自ら各地を旅し、選び抜いた辺境美食100選の中でも上位に入るだけはあった。
「これがタダか。素晴らしいな……素晴らしいぞ……マルガレータ」
俺は龍の加護に感謝の祈りを捧げるとそれからも女帝からだと言われ、次々と運び込まれる料理を貪るように食らうのだった。
――その日、俺は夢を見た。
自分が龍となって空を飛ぶ夢だ。
――これは、マルガレータの記憶だ。
そこで俺/龍は善神大神殿を空から見下ろしていた。エリザが神官長ウムルの説教を食らっている。かわらぬ日常の光景に笑いながら俺/龍は辺境の空を駆ける。
と言ってもあまり遠くにまではいかない。エルフどもが狩りをする大森林。その先の水の砂漠ぐらいまでだ。あまり離れすぎるとエリザを護れなくなる。
水の砂漠に入る。飛竜程度では抜けぬ女帝の結界がその境界面にはあるのだが、龍たる我はピリリと微かな抵抗を感じつつも強引に結界を突破する。
そうだ。空の支配者。龍たる我が身には女帝の許可など必要はない。
そのまま上空から水の砂に音を立てて潜ると、水の砂を泳ぐ砂魚どもを思うがままに食らっていく。
時折我よりも巨大な砂魚が襲ってくるがゼウレの雷撃で痺れさせ、こちらから襲いかかって撃退する。
そんなことをしていると脳に直接女帝の声が響いてくるので呵呵と笑って返してやった。
『またお前か! 幼き龍よ!! いい加減我が領域で我が下僕どもを好き勝手喰らうのをやめてもらおうか!!』
『ははは。女帝よ。貴様のところの魚は美味い』
馬鹿にしたように笑ってやるとこのぉ、と女帝が直接権能を振るってきたので慌てて退散する。流石に神代から生きる魔女の権能をまともに喰らえば半身が吹き飛ぶ。
とはいえ腹も満ちた。
『また腹が減ったら来る』
そんなことを言えばもう来るなと脅かされたので俺/龍は笑って、空を飛んで神殿へと帰るのだった。
――そんな、記憶にない光景/懐かしい夢 を見た。
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