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 『黒蝮くろまむし』の親分の屋敷からは移動は馬になる。

 と言っても俺は馬じゃない。走っている。馬術の心得がないからな。馬に乗っているのは聖女エルヴェット様――とリリーの所の兵士、ジョンだ。

 駆ける馬に走って追走している俺をジョンがとんでもないものを見ているような気もするが、辺境人でもそこそこの武の心得があるなら誰でもできる行為である。

 ただし以前の俺程度の身体能力ではできなかった。ダンジョンでデーモンを殺し続け身体能力が上昇しているからできることである。

 もっとも、これが神秘を強烈に帯びた多脚馬スレイプニールや、一角馬ユニコーン悪夢の馬ナイトメアならば俺はあっという間に引き離されただろうが、親分から借りたのは神秘も薄いただの四脚馬である。

「セントラル卿、辛くなったら言ってくださいね」

「聖女様。この程度で辛いなどとは口が裂けても言えません」

 苦笑する聖女様。馬を借りたのは徒歩では日程がきつくなるからと、流石に聖女様を走らせるわけにもいかないからだった。

 黒蝮の親分から貰ったこの地域の詳細な地図(これも親分を訪れた目的の一つだ。地図は高価なので、基本的に偉い人間しか持っていない)を片手に聖女様は隣を指差した。

「あそこに見えるのがエルフの森ですか」

「ええ、セントラルパークの近くにあるエルフの森はエリザの昔話にも出てくる由緒あるものですよ」

 ほう、と珍しそうな顔をする聖女様に俺は誇らしくなる。エルフは別に好きではないが俺の住んでいる地に聖女様の気に入るものがあるというのは嬉しいことだ。

 馬で駆ける街道の隣に広がるのは鬱蒼とした森だった。馬を引き離さないように地を蹴りながら俺は聖女様に説明をしていく。

 森の名は『光の森』と呼ばれている。と言っても森が光っているわけではない。強い聖なる加護のある森故に光の森と呼ばれている。

 ダンジョンに取り込まれた黒き森と対をなすそこにはエルフ達の集落が存在している。

 ここいらの領主(今は俺らしいが)が昔から取引をしているエルフたちが彼らだった。

「ここからでも世界樹が見えるでしょう。セントラルパークではあの世界樹の素材をエルフ共から雑貨や麦なんかと交換しています」

 森の外からでも見える、空を突くようにそびえる大樹を指差しながら俺は言う。

 エルフとの取引。雑貨と言っても安い人間製のものではなく、ドワーフの作るお高い製品などだ。

 伝統的にエルフはドワーフを嫌っているのでエルフとドワーフが直接の取引をすることはない。だから、辺境人がドワーフと交易をして手に入れたドワーフ製の品は、傲慢な森のエルフどもとの交換材料に非常に使えるのだ。

 ドワーフを嫌うエルフだが、ドワーフが作る精緻な細工物や、金属製品などを否定しているわけではない。

 俺の説明に、なるほど、と頷く聖女様。

「エルフの森には入らないんですか?」

「入らないぞ。エルフの相手は面倒だからな」

 兵士のジョンの質問に、俺は簡潔に応えた。

 確かに地図だけで見ればエルフの森を突っ切った方が目的地までの距離は近くなる。

 が、エルフの森に入れば確実にエルフに絡まれるだろう。あのプライドの高い傲慢な連中と関わるとなれば、争いにならずとも非常にめんどくさい。

 奴らの領域である森で下手に機嫌を損ねて拘束された場合も面倒だしな。だから確実性をとって街道を進んでいくことにしたのだが。

「あれは、魔獣ですか?」

 聖女様の発言にあわあわとジョンが慌てる中、俺は聖女様が指差す先をしっかりと見る。

 エルフの森の一角を破壊するようにして巨大な猪の魔獣が街道に飛び出てくる。その背を追うようにして狼の魔獣とエルフの狩人たちが現れる。

 俺たちに気づいているのか気づいていないのか、俺達には見向きもしない。ただ猪だけを追いかけていく。

 その中には血を流しているエルフの戦士もおり、見た限りは魔獣一体に苦戦をしているようだった。

「あれは月鎧猪ルミナス・ブルですね。エルフどもめ。狩りに失敗したか?」

「セントラル卿」

 聖女様の言葉に、はッ、と答えを返す。聞かれなくてもわかる。殺してこいということだろう。

 エルフに恩を売っておくのもいい。あの傲慢な奴らが悔しそうな顔をするのは楽しみだ。

「ジョン! 何かあれば聖女様の指示に従え! 命を大事にな!!」

 俺は聖女様の護衛という扱いだが、聖女様の方が実のところ強い。

 そして、辺境を旅して布教をしている方なので実のところ俺よりも旅慣れている。このような事態にも何度も遭遇しているだろう。

 なので安心して駆け出していく。

 走り出した俺を見て、エルフどもが騒ぎ出す。

「辺境人だ! 辺境人が出たぞ!!」

「辺境人だ! 早く月鎧猪を殺せ! 手柄を横取りされるぞ!!」

「おう、苦戦しているようだな! 手を貸してやる!!」

 いらねぇよ! と叫ぶエルフたちを追い越し、袋より取り出すのは増殖させた黄金銅の短剣チコメッコだ。月鎧猪は生きているうちは金属のように固い苔で身を守っており、これを貫き通すにはそれなりの武具を必要とする。並の武具では歯も立たないが、加護の掛かっている短剣ならば十分だろう。

 俺たちから必死に逃げる月鎧猪の背には世界樹の枝で作られた矢が大量に突き立っていた。森の中で散々に追い立てられたのだろう。

 肉の味が悪くなるから毒矢は使っていないのだろうな。だから矢によって月鎧猪は弱っているが、決定打にはなっていない。

「バウ! バウ! バウ!! キュゥン……!!」

 俺を威嚇するように吠えるも、あっという間に追い抜かれて情けない声を上げるエルフの飼う魔狼。

「そら!」

 走りながらナイフを投擲する。月鎧猪の筋肉質な足に次々と短剣が突き刺さっていく。

 さすがは黄金銅オリハルコンだな。このレベルの魔獣でも容易く肉を抉るか。さて。

「おおおおおおおおおおおおおおお!!」

 弱った形になる月鎧猪に向けて、威圧を込めた雄叫びで威嚇すれば、魔狼どもがきゃんきゃんと泣き叫び、逃げる月鎧猪が怯えたように足をもつれさせる。

 そこを狙ってナイフを投げれば、見事に月鎧猪が地面を抉りながら横転する。

 如何な魔獣であろうと、獣であればこんなものだな。

「ああああ! 畜生!!」

「やられた!! 辺境人め!!」

 結構な後ろでエルフ達が悔しそうな声をあげた。森の上ならともかく森から出ているここは平地だ。精霊の加護により樹上を駆けるエルフの速度は並大抵のものではないが、平地に出てしまえばその足は狼よりも遅いものになる。

 袋より取り出したメイスを片手に俺は倒れてもなお暴れる月鎧猪の頭に打撃を重ねて気絶させる。

 そして苔のない腹側から心臓に向けて袋より取り出した堕落の長剣を一突きした。

 その時には俺の周囲に殺気立ったエルフたちがいて、俺は奴らに向けてにやりと笑ってみせる。

「お前らは本当に狩りが下手だなぁ!!」

「このッッ……! 戦うことしかできぬ蛮人め!!」

 ケラケラと笑う俺と怒り心頭のエルフたち。

 これこそが辺境人に伝わるエルフへの接し方だった。



「よかったんですか? エルフの方たちかなり怒ってましたけど」

「いいんだ。あいつらは昔っからああだから」

 兵士のジョンが心配そうに背後を見る。月鎧猪をそりに載せ、狼たちに引かせているエルフたちが俺たちを憎々しげに見ているのが気になるのだろう。

「エルフは傲慢で他種族の手を借りたがりませんからねー。その上あまり子も産まないものだから、適当に手を貸してあげないと絶滅しちゃいますよ」

「無論、エルフの中にも強い戦士もいるがな。だが、奴らの個々の強さは辺境人ほどじゃない。集団で月鎧猪を追いながら逃がすなど辺境人にはありえん」

 月鎧猪ともなれば非常に強い魔獣として有名だが、一人前の辺境の戦士であれば1人でも狩れる獲物でしかない。なので、そのような獲物に集団でかかって苦戦するなら、あのエルフどもはエルフの中でも若い連中だろうな。

「そういえばキースさん、エルフの方たちから何か貰っていましたけど。なんですかそれ?」

 借りを作りたくないエルフどもが俺に投げ渡してきたものをジョンに問われ、俺は手元で揺らしてみる。

 キラキラと宝石色の輝きを見せるそれ。

「世界樹に実る果実だな。だいぶ若いが、対価としては十分だろう」

「こういうことでもないと食べられないものですから。あとで皆でいただきましょう」

「世界樹の、実ですか……。大陸じゃあ伝承にしか残ってないものですよそれ……」

 ジョンの言葉に苦笑だけ返す。それはそうだ。大陸では世界樹は枯れているのだ。手に入る筈がない。

 手元で眩く揺れる宝石色の果実を俺は袋に仕舞う。

 食べたものに長寿を約束するという生命力の果実。その味は神々をも絶賛させると言う。

 村の祭りの日に一度だけ食べたことのあるものに比べれば大分若かったが、仮にも世界樹の実なので味は悪くはないだろう。

 加えて言えば、これを熟成させるとエルフの酒と呼ばれる特別に美味い酒になるらしいのだが――。

(いや、これから大陸に向かうからな。あちらの神秘のない空気に晒せば悪くなるだけだ)

 ここは聖女様の言うとおりに皆で食べるのが一番だろう。



 山の向こうに巨人が歩いているのが見えた。周囲には点のようにも見えるが巣を荒らされて怒っている飛竜の群れが飛び回っている。

「おぉ。すごい!!」

 それらを見ながら兵士のジョンが感嘆の声を上げた。

 あまり人も通らないのか街道は雑草に侵食されていた。

 数日も馬を走らせれば光の森はもう彼方だ。草原が広がる平野を馬に乗った2人が駆けていく。彼らに追走する俺はジョンに声を掛けた。

「村に来る時に通らなかったのか? 山向こうには巨人の集落があるから結構見るもんだが」

「あの時はリリーお嬢様のお供でしたし、辺境の土地には慣れていなかったので緊張していたのです」

 神妙に言うジョン。緊張か。リリーのことだ。案内人の辺境人ぐらいは雇っていただろう。

 だが、それでも慣れない土地の旅で、獣や魔獣などの襲撃もある。景色に目をやるゆとりなどなかったのだろう。

 もっとも今のジョンは、俺の家で何年も暮らしている。辺境の土地のものを食べ、弱くとも神秘に対する耐性もついている。

 何より聖女様がいるのだ。これではのんびり街道を歩いていようとも、襲ってくる魔獣はなかなかいない。

 ならば、景色を楽しむ余裕もあるというものだった。

 聖女様がああ、あれかな? なんて声をあげる。

「キース、遠目に見えるあれが水の砂漠ですか?」

 聖女様の視線の先。そこから平原が途切れ、ガラスのような水砂に覆われた砂漠が見えた。

 聖女様に見覚えがないということは、この先は未知なのだろう。俺もこの道は大陸に出るのに通ったが、神秘が色濃くある辺境にあってもこの砂漠は非常に面白い場所だった。

「ええ、この先が水の女帝アクエリウスの支配する水の砂漠です。かつてアクエリウスが殺害した水神竜ウェネクチルトを神に捧げて作った砂の海だとか」

 ジョンの目でも見える距離になってきたからだろう。彼は感嘆の声を上げた。

「俺はこれを見るのは二度目ですけど、何度見てもスゴイとしか言えないですよ。これは」

 そうだろうそうだろうと俺は誇らしげな気分で、彼らに先行し、平原の切れ目・・・で止まる。

 目の前に広がるのは水の砂漠だ。透明な砂によって作られた大海。

 神話の時代より生きている女帝によって支配されている領域。

 無防備に足を踏み入れば濃密な神秘に取り込まれ、俺や聖女様はともかくジョンは生きられない。また、俺も聖女様も領域に捕らわれて出られなくなる。

 この先はそういう場所なのだ。

「セントラル卿。どうするのですか?」

「待ってください」

 立ち止まった聖女様に問われ、俺は親分より貰った地図を取り出すとそこに書いてある通行料の部分を注視する。未だ文字は読めないが、簡単な文字と数字ぐらいはわかるようになってきている。

「っと、こんなもんか? 『キース・セントラルが願い奉る。女帝よ。我と我が友がこの地に足を踏み入れる許可を』」

 袋より金粒を取り出すと目の前の水の砂漠に投げ入れ、女帝に対して爺に教わっていた古い言葉で祈りを捧げる。今ではエルフや巨人なんかが使う言葉らしいが、俺は特定の呪文しか教わっていないほどに古いものだ。

 これは水の女帝に対しての契約の呪文であり、投げ入れた金粒は三人分の『通行料』である。

 沈んでいく金粒が見えなくなると、俺たちの頭に女のような声が響く。


 ―『我が領域の通行に許可を与える』―


「おわぁ!?」

 ジョンが頭を抑えた。

「前は通らなかったのか?」

「に、人数が多いと通行料が高いらしくて、迂回したんですよぉ。な、なんだったんですかね。今のは」

「おう、今のが女帝アクエリウスだ。さぁ、行くぞ」

 俺たちの進行方向に向かって現れた氷の道をさっさと進んでいく聖女様に続き、俺もまた水の砂漠に足を踏み入れるのだった。


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