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「ふぅ~。食べましたね~。キースっち」
ポンポンと膨らんだ腹を叩いて笑う少女に、俺は部屋の出入り口付近の壁に背を預けたまま「そうですね」と頷いた。
「ぐぬぬ……。固い。固いですよ。キースっち。ええと、さっきは親分さんとあんなに親しく打ち解けてたのにぃ……」
村を出て、セントラルパーク村を含めた周辺の村や街に影響力のある大侠客の『
ちなみにここはその黒蝮の親分の屋敷の一室である。同行する尊き方と合流した俺は、村を出て数日ほど道とも言えぬ道を歩き、ここに向かったのだ。
そして屋敷を訪れ領地運営の助力を請うた俺に、親分は『神殿の命だろうと、義なき者、力なき者に無条件で力は貸せぬ、故に力を示せ』と言い、俺は親分と力勝負を行った。
親分より借りたハルバードを用いた一対一の勝負。その結末は一昼夜戦ってもつかなかった。若さと力で攻める俺を老練な技術と底知れぬ体力を用いて親分は捌き続けた。攻める俺。受ける親分。攻める親分。受ける俺。力と力の応酬でハルバードが壊れ、最終的に体術での戦闘になるも、ついぞ決着はつかなかったのだ。
親分は若くしてそこまで力をつけた俺を激賞したが、親分とそこまでやりあえたことに俺自身に驚いたぐらいの名勝負であった。
そして、若い頃は辺境の上位の戦士100人のうちの1人に入っていた黒蝮の親分は、ダベンポートのキースに力有りと認めた。
未だ辺境の地で、俺の名は通っていない(俺は未だ若輩で、大陸での名が高すぎるだけでそれが一般的だ。大陸の件は、それだけ大陸に出てくる辺境人がいないだけだろう)。それでも黒蝮の親分が認める戦士であると示すことでこの界隈の男たちは俺が受けたセントラル領で働くことを了承してくれた。
辺境の男たちは国家や信仰には従順だが、同時に力なき者に従うことがない。
俺が領地をうまく治めるためには(全てを司祭様に任せるとはいえ俺の名で統治するなら)、この地域の顔役である黒蝮の親分に認められる必要があった。
そう、まるで山賊や盗賊の拠点がごとくに、深い山中に堂々と建てられた『黒蝮の館』にはそれを示す為に来たのだ。
無論、俺が村を離れたのは聖女様より与えられた任務を果たすためなので、それだけでもないのだが……。
俺はむくれる美しい少女に困ったように言った。
「あれは、親分さんだったからです。聖女様と親分さんへの接し方は当然異なります」
如何に親分がこの周辺の男衆をまとめる男でも、辺境の男同士が拳を交え、お互いを認めたならばもうそれは友と言っていい。友であれば肩を組んで、酒を飲み交わし、飯も共に食う。
しかし、如何に親しくなろうとも、神より祝福を賜り、その生まれが神より直接祝われている聖女様へはそうはできない。
だから、だらんと床に座り、だらしない格好をしながら幼い子どもが如くに足をバタバタとする少女――
護衛故にこうしてこの部屋にいられる俺だが。なぜ彼女は一人で来たのか。世話付きの修道士はいないのか?
「キースっちは固いなー。聖女様じゃなくていいよぅ。これから長い旅になるんだから、エリーちゃんって呼んでよ。ね?」
マスクの内側で俺の顔が引き
「申し訳ありません。それはできません」
勘弁してくれと俺は頭を下げる。
(しかし、本当にどうする? まさか聖女様が身一つで来られるとは……)
何も持たず、誰も連れず、俺の持つ聖女様の肋骨を目印に、転移の術式でただ遊びに来たが如くに身一つ来られた聖女様。
『神託の聖女』とは魂を擦り減らすことなく神々をその身に降ろすことのできる聖女様だ。神より賜った奇跡によって千のデーモンを一撃で討滅した偉業を持つ『聖撃の聖女』と同じく、その存在の貴重さだけで辺境軍の一軍にも匹敵する尊き御方。
風の噂で辺境のあちこちを旅しながら民の慰撫を行っているとは聞いていたが、その彼女が俺と一緒に旅をするとは……。
(いや、任務の内容からすればもっとも適した方なんだろうが……)
それにしたって、近くの者にここまで気さくなのが逆に辛い。彼女がどれだけ気さくでも、それでこちらが親しくして良いわけではないのだ。
親分の前ではフードをかぶり、澄ました顔をしていた彼女は今、素顔を俺の前に晒してぶーぶー固いよぉ固いよぉ、と文句を言っている。
辺境の宝とも言える聖女様だ。今は別室にいる同道したリリーのところの兵士(無論、男の兵士だ)に世話をさせるわけにもいかないが、だからと言って俺が何か世話のようなことをしていいものなのか? 触れることすら恐れ多い御方だぞ?
堅苦しい雰囲気の俺に呆れた顔を向けていた聖女様だが、真面目な顔をして複雑な木目を見せる天井を見た。何か見えるのかと思いながら俺も天井を見る。
特に何もない。ただ木の紋様が見えるだけの天井だ。
……いや、天井の裏に誰かの気配がある。大鼠にしても少し大きい。親分のところの密偵かもしれない。俺たちが気配を向けたことでその気配は霞がごとくに去っていったが、親分のところとはいえ、あまり油断しない方がいいだろう。気を引き締める。
「で、なんでこの黒蝮亭に来たの? 領地のことだったらあとでもよかったでしょう?
唐突な聖女様の真剣な気配に俺は目を丸くするが、驚かずに心の内を述べる。
「急ぐからこそここに来たのです。途中にあるであろう辺境軍の砦に向かうことも考えましたが、こちらの方が早い」
「早い? どういう意味?」
「私は騎士になりましたがその本質は農民でしかありません。そんな私が神殿からの任務だと言っても道中の砦や街で必要な物資を融通してもらうことは難しいでしょう」
「ええと、私がいるけど? 私は聖女だよ? 聖女の権威舐めんな、だよ?」
聖女様の御姿にマスク越しに苦笑する。本気で言っているわけではないだろう。各地の民を慰撫してきた彼女ならば、辺境の民の貧しさは知っている筈だ。
試されているのかもしれない……。とはいえ、そういうことを俺から言う必要はない。俺は俺の考えを述べるだけでいい。
「聖女様のお力に縋るならば私は必要ないではありませんか。それに聖女様は辺境の信仰の
きょとんとした顔をする聖女様。2人分とはいえ、数ヶ月分、いや、半年分程度の物資を確保するのだ。俺の強欲の大袋があるから持ち運びには問題がないが、その量を一つの街や砦から持っていけば、その分その場所の人々が困窮する。
必要ならばやるしかないことだが老若男女みな兵士であるところの辺境でそれを行うのは少し以上の勇気がいるし(無論、聖女様がいるので万が一すら起こらないだろうが)、土地を治めろというのなら、その土地に生きる人々のことを考えるのは任された騎士の役目だ。
(とはいえエリザの物語がなければ、ただの農民の俺にこんなことを考えることはできなかっただろうが……)
呪いだのデーモンだのと、その本質がどうであれ『泣き虫姫エリザ』は姫であるエリザが辺境に追いやられ、多くの人々に為政者の心構えを教わり、立派な姫となって王都に帰り、女王となって玉座に君臨する昔話だ。
だから物語の様々な箇所に為政者が考えるべき多くのことが散りばめられている。農民である俺にすらわかるよう、親しみやすく表現されている。
俺が急に騎士となれと言われても戸惑わないでいられるのは、エリザの物語があるからだった。
そんな俺に対して聖女様は怪訝な顔を見せる。
「変なこと言うね? セントラル卿。貴方は私の名を守りたいと? 名を使うのではなく?」
「……? 妙なことを言いますね。私が仰せつかったのは聖女様の護衛です。未だ騎士としては半人前以下な我が身なれど、できることは全て行うつもりです」
はぁー、と聖女様が呆れた顔をしたあと、にこりと笑った。
「うん、すごいね君は。神殿育ちの騎士とは違うって感じがする。庶民派だねぇ」
「庶民というか、貧民でしたからね」
なるほどねー。このこのー。うりうりー。と足でつんつくつんつんと俺をつっついてくる聖女様に俺は仮面の奥で困った顔をするしかない。本来は触れることすら恐れ多い尊き人が、俺に対してそのように親しげに振る舞うのはとてもとても困惑することだった。というか、恐れ多すぎてやめてほしい。
俺の困った雰囲気に気づいたのか、聖女様がうんと真面目そうな顔で頷く。
「わかりました。民に極力負担をかけないその方針は私の好むところです。これからも大いに頼ります。セントラル卿」
はッ、と俺は頷けば聖女様がでも、と俺に問いかけてくる。
「親分から融通してもらう物資の多くは食料品や飲料水と聞いたけど、大陸で現地調達はしないの?」
その純粋な疑問に俺はマスクの内側で苦笑する。
「私はともかく聖女様は無理でしょう」
その光り輝くまでにまばゆい姿を見ながら俺は断言した。
「私が受けた任務は、聖女様の護衛です。そんな貴女を大陸で
ふぇ、と驚いた顔をする聖女様に、俺は笑っていう。
「大陸を行脚した私が断言します。もはやあの大陸とこの辺境は別の世界です。こちらが上。あちらが下。下賤に慣れきった私ならともかく、異界の神秘なき食物を尊き貴女が摂取することはできません」
あちらで過ごして理解したことがある。
大陸の食物には、辺境の人々が食で必要とする神秘がない。
故に、あちらの食物を辺境人が食べても無意味とは言わないが、あまり意味がない。
だから農業下手な爺に育てられた俺のように粗食に慣れ、飢餓にも慣れ、飢えの苦しみに慣れた人間ならともかく。
魔王の名を冠するデーモンすら滅びを喜んでしまう神秘なき大陸。神に忘れられた土地に聖女様のような尊き方が長い間滞在するのは非常に危険なことだった。
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