095


「確かに、欲しいとは思ってたが……ここで手に入らなくてもいいだろう……」

 ここまで来る道中、強敵である雑魚のデーモンどもを手傷を負いながらも一体一体確実に倒し続けてようやく見つけた長櫃の中に入っていたのは2本の蝋材だった。

「だがこの神秘の強さ。ただの蝋材じゃないみたいだな」

 聖布に包まれた蝋には、俺の読めない字ではあるが様々な呪文が施されている。それだけで普通のものではないとわかる上に、手で触れているだけで強い神秘の気配が伝わってくるのだ。

 以前見つけた蝋材よりも強い神秘の籠もった蝋材。それはつまり。

「あのドワーフの爺さんの言っていた聖女や聖人の遺体から作られた蝋材ってことか?」

 この蝋材こそが聖具や神具の『強化』を可能にするという強力な道具なのだろう。

「これほどのものならいずれ使うこともある、か」

 今ではないが。それでも残念がらずに手に入った幸運を神に感謝すると俺は手に入った蝋材を袋に収めるのだった。



 時に戦い時に立ち止まりながら俺がどう考えようと、足を動かし腕を動かし身体を動かし意識を動かす限りは、探索は進んでいく。

 手に入れたのは先の蝋材に加え、聖言の工具、キラキラと光る油の小瓶、赤色の液体の入った小瓶、ここで殺されたらしい死者の記憶だ。

 思っていたよりも長櫃の数は少ない。いや、通常の階と変わらないと言った方がいいだろうか。

 とはいえそこら辺のものを漁るわけにもいかない。拾うなら長櫃の中という意識は変わらない。

 というのも、ここらに落ちているものは地下や下の階と違い触れたところで壊れたり年月で風化した様相をしているわけではないが、迂闊に触ると強い粘り気を帯びた瘴気が触れた部分にこびりつくからだ。

「あの赤子蟲デーモンどもが這いまわった後か? どちらにせよこれでは使い物にならんな」

 壁に置かれた収納棚より取り出した酒瓶からは触れれば穢れるどす黒い液体が垂れていた。俺は呟きながら気分の悪さに酒瓶を床に叩き落とす。こんなものリリーに飲ませたなら奴の具合が更に悪くなることは必定だ。

 壁や柱に刻まれた不気味な意匠に比べれば未だマシな、見たこと・・・・のある・・・形をしていても、デーモンの彷徨く空間にある道具なのだ。まともではない。どこに行こうとこのダンジョンの中では長櫃に入っている物以外は使ってはならない。

「見つからん……どこにある? それよりもここにあるのか? 俺は間違ったことを――いや、自分の考えを信じるしか無い、のか」

 長櫃の数は思ったよりも少ない。目的のものは未だ見つからない。手に入れた小瓶のどちらかか。と考えるほど俺も楽天的にはなれない。手に入れたものは酒瓶ではない。ただの水薬かもしれないしただの油かもしれない。だから酒かもしれないが蓋を開き匂いを嗅いでもそこに酒精は混じっていない。

 手に入れたどちらともが酒ではない。

半吸血鬼ヴァンにもう少し詳しくダンジョンのことを聞いておけばよかったな……」

 ここを探索してからする後悔は多い。どれも俺の知識不足で、経験不足からなるものだ。

 ダンジョンの常識を俺は知らない。この場の長櫃の数が多いのか少ないのか、俺はそんな基本的なことも知らない。

「あとどれだけ長櫃はある? そもそも見つけても中に入っている、のか?」

 まだ長櫃は残っているのかいないのか。いや、どちらにせよ見つかるまで探さなければならない、のだが。

「――外の時間はどうなってる?」

 地上では、いや、地下では俺がどれだけここを探索していることになっている? リリーはまだ無事なのか?

(あまり考えるな。どうしようもなくなる……)

 そうだ。俺は俺が目的のものを見つけるまであの女騎士が生きていることを祈り続けるしかない。

 だから油断せず周囲の気配を探りながら、足を動かすしかない。

(だが焦るな。焦れば焦るだけ俺の生存が下がる)

 周囲の観察は怠れない。今だって俺は狙われている。

 通路の先で音はしないが、空気の蠢く微かな気配を感じ、袋より黒弓を番えて暗闇に向けて放つ。何かに当たる音と不愉快な人の声にも似た悲鳴。しかしそれは人ではない。デーモンがそこにいる。

 この空間に慣れてきている。俺とて経験不足だが経験があれば学ぶ。故に、とにかく見通すことのできない闇越しに怪しいと感じれば矢を放つ様に心がけるようになってきていた。

 袋に弓を戻し、床や壁に注意しながら盾を構えつつ炎剣を鞘より引き抜くと暗黒の通路を歩いて行く。肉体は適応している。もうじりじりとした鈍牛めいた動きはしなくとも良くなってきている。

 そして剄力とオーラをいつでも剣に込められるようにしながら悲鳴の聞こえた辺りで気配に向けて一閃。周囲に松明はあるが、どこでも照らしているわけではない。どうしても暗く見えにくい場所はできてしまう。故にろくに見えてもいないが、矢が当たっているため、ひっそりとだがデーモンの負傷の気配が伝わってくるのだ。

 先の一閃はそこに向けてぶちこんだもの。

 手に伝わるのは何かを切断したような感触だ。故にそのまま盾を叩きつけるようにして踏み込む。ガキンと金属の音がなる。敵が構えていた武器に当たった。

「おら! おら! おらぁ!!」

『ギィ! ギィイ! ギィイイイ!!』

 そして小刻みに、しかし力強く何度も何度も剄力を込めた盾を叩きつける。実のところ敵の姿はわかっていない。

 盾で遮られているし、松明の光からは少しばかり距離があるからだ。その姿形は薄ぼんやりとしててよくわかっちゃいない。が、ここまで接近すればなんとなく何を相手にしているかはわかる。半魚蟲人。ここまで踏み込んでも武器による抵抗が薄いとなれば武器は槍か弓か。

 先に腕でも切り落とせたのか。拳による抵抗が微笑ましいぐらいに弱い。だが構わず相手がよろけた瞬間を狙って剣を突き出す。突き出す。突き出す。

 悲鳴の連鎖。ぎゃあぎゃあとうるさいので黙らせるべく更に連続で剣を突き刺す。だが相手もなかなかタフだ。これだけやっても生きているし抵抗をしてくる。

 それでも、ここまで追い込んだのならその生命の終焉も目と鼻の先。

「これでぇ! 終わり、だ!!」

 盾で暴れる腕を押さえつけながら隙を見て叩き込んだ炎剣が刀身より轟、と炎を吹き出しデーモンに止めを刺す。

『ギィイィィィ……ィ』

 消えていくデーモン。盾を離した時に見えたその姿は予想通り槍持ちの半魚蟲人だ。

 その肉体が消えた後に残るのは銀貨と槍。槍はなかなかに使えそうな一品なのだが袋の容量もあり先に手に入れた一本以外は回収していない。銀貨のみを拾いながら小さく呟く。

「ふん、まだ腕が痺れるぜ」

 戦闘中は相手が動かないようにとただただ激しく叩きつけるだけ叩きつけていた騎士盾だが、あれだけのデーモンを抵抗もさせずに押さえ続けていたのだ。俺が如何に辺境人であろうと短い戦闘で腕に鈍い疲労が溜まってしまう。

「休みたい所だが、敵か。敵がいたか……」

 基本は敵がいる所に長櫃有り、なのだが。

 あれは雑魚なのであまり参考にはならない。しかし、こうして敵がいたということはこの先に敵がみっしりといる可能性もあるし、何より。

(少し気配が……)

 先の敵を倒した辺りから周囲に少しだけ強い緊張感を感じている。

「ボスが近い、か? いや、そうじゃない……」

 どちらかというとあの巨大茸のデーモンがいた場所のような感覚。階層のボスではなく、大物がいる気配を一瞬だけだが感じ取ったのだ。

 鞘に収めていなかった炎剣を強く握る。

「――挑むか」

 階層のボス相手ではないのだ。躊躇する理由はない。

 そうして俺は暗闇の中を戸惑わずに歩いて行く。



「ッ……!! 畜生! 少し上手く行ってたからって舐めてたか!!」

オンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオン

 八つ目のズタ袋を頭から被った、闇色の司祭服を着たデーモン。そいつが背筋の凍る叫びを上げながらも踊るようにして悪神の描かれた旗を振り回している。

 あまりの不気味さに今すぐ駆け寄って叩き斬ってやりたい所だが、それがどうしても俺にはできない。

 司祭のデーモンの周囲に立ち上るのは闇の奇跡。それが周囲・・に力を与えている。

『ギィィィイ!!』『ギュィィイイイ!!』

 2体の半魚蟲人が、司祭に付与された闇色の加護を全身から立ち上らせながら武器を操る。

『アアアアアアアア!!』『ヒィイイイイイイイイ!!』

 浮遊する髪のデーモンが数体、女のような悲鳴を上げながら闇色の加護を髪先の一本一本より立ち上らせ俺へと天井より襲い掛かってくる。

(ここは地獄だ……! こんな化物ばかりかよ!!)

 迂闊に踏み込んだ俺が馬鹿だった。今回ばかりは勝てるわけがない。

 ただでさえ半魚蟲人が2体ともなれば死を覚悟した死闘となるのにそれに加えて髪のデーモン、闇の加護を操る高位のデーモンがいるのだ。

 加護により力が増したギザギザ剣を盾で必死に弾きながら俺は退路を探り――


「おらぁ!!」


 ――懐より取り出した音響手榴弾を躊躇なく床に叩きつけるとそのまま逃げ出すのだった。



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