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「この! この野郎!! 畜生、しつけぇ!!」

 オーラを込めた炎剣の柄を何度も何度も叩きつけ、ようやく俺の腰に絡みついていた浮遊する女の髪のようなデーモンが銀貨ペクストを残して消滅した。

「まさか、こんなもんまでいるとは……」

 髪の残骸は残ってはいないが、絞めつけられていた腰を見ながら疲れたように俺は息を吐き出した。

 今のデーモンはなかなか地上でも類を見ない『による攻撃を無効化』するデーモンだったのだ。

 『刃』。つまりは刃物による攻撃を例外なく無効化するということ。剣も槍も斧も通じないなんとも面倒なデーモン。

 そして刃である以上は刺突の類も無力化する。故に攻撃は打撃や打突、拳撃、魔術、射撃、奇跡の類しか通用しないわけだ。

 つまり俺の場合は相手をするにはメイスか弓が必要になるのだが、今回は刃が通じないとわかったのがかなり接近された後だったために、メイスや弓を袋から取り出すよりも手っ取り早い剣の柄で対処をするハメとなった。

 打撃も有効ではあったのだが、今回のデーモンは拳ではあまり戦いたくはない。

 女のような髪の表面に流れる油にも似た液体。拳で相手をすればその呪毒により拳を壊されることになるからだ。

 先ほども気付かずに打撃を打ち込み、篭手の隙間より侵入した呪毒が俺の拳にはいくらか届いていた。

(あまり酷くはなかったが、それでも危うかった……)

 拳はヒリヒリと酷く傷んでいる。分厚いオーラで身を包んでいなかったら――恐らくは毒によってただれることになっただろう。ソーマで治療はできるかもしれないが逆に言えばソーマを使わなければ拳が使えなくなるところであったのだ。

「それに、腰もか……鎧がかなり溶かされたな……」

 艶のある黒髪によって絡みつかれていた鎧を見ればその部分が泡立つように抉れていた。こうして見ることで深く実感する。けして生身で触れてはならないデーモンなのだと。

「しかし、拳の呪毒や先の矢傷……。敵と遭遇するたびに小さな怪我をしていく気がする……」

 今はなんとか生きてはいるが、一歩間違えればどれも俺を殺しかねないデーモンたちだったのだ。そしてこの小さな傷とて積み重ねればいずれ俺の命へ届く事になるだろう。

 銀貨を拾い、袋に入れてから周囲に敵の気配がないことを確認して手の治療に移る。

 とはいえ強い酒を振りかけて清潔な布で覆うだけだ。治療といってもこの程度しかできないのが現状である。

「糞、この程度のことでさえ気になるとは……俺は、失敗が多いな」

 ここまでの死地に踏み込むとは思っていなかったのだ、というのは言い訳にしては女々しすぎるだろうか。

 そして金がなかったとはいえ、魔法のようなポーションではなくとも自己治癒を促進する薬草の類ぐらいは仕入れておくべきだった。仕方なしに次善の策として、袋より取り出した肉の塊をみちりと喰らい、ワインをごきゅごきゅと口に含む。

 事ここに至ればもはや自己治癒に頼るしかないのだ。なので、その自己治癒に必要な燃料えいようを即座に取り入れるべく持ち込んだ食糧に場所を考えず手を付ける。当然周囲の警戒は行っているがな。

 みちりみちりと肉を噛み切り、ワインをボトルごと口をつけて飲んでいく。

「がつ……がつ……むしゃ……ごきゅごきゅ……」

 辺境人は食わずともかなりの間活動できる。しかしそれは食が俺たちの肉体に何も影響を与えないことと同義ではないのだ。

 呼吸や祈りと同じく古来より食事にも呪術的な意味はある。

 肉を失ったなら肉を食うことでそれを補填する。血を失ったなら赤色の飲み物ワインでそれを補填する(本当は血液が最も良いらしいのだが血を飲む趣味はないのでワインで代用する)。

 補完の呪術。極めれば不老不死にも到れる呪術、らしいのだが俺にはそういった方面での才能はないので爺に教わった自己暗示おもいこみで自己治癒を無理やり促進していく。

「むぐ、もぐ……それに……食わねぇとオーラが保たねぇ」

 同時にここで活動するならば肉体に栄養を蓄えておく必要があった。

(予想以上に疲労している……)

 戦闘の激しさではない。オーラによる疲労である。

 そう、俺はこの領域に入ってより瘴気から身を守るために、それこそ黒の森や牢獄の厨房で身に纏ったものとは比べ物にならない程の大量のオーラを体力を消費して常に生成している。あれらが薄紙だとすれば今は布の服程度にはそのオーラの密度も量も濃い。この場の圧力に負けず肉体を保たせるにはそうせざるを得ないのだ。

 聖女様の肋骨ネックレスが軽減してくれるのはこの場に満ちる悪意だけだ。この場の圧力には、この身体からオーラを振り絞るしか対応はできない。

(オーラは肉体の持つ生命力を応用の効くに変換する技術。呼吸や剄によりある程度の増強もできるが、こうしてじっくりと腰を据えての探索となると技術での誤魔化しもできない、か?)

 常に歩きながら剄力を練り続ける、というのもなんとかやってやれないことはないがそれはそれで神経を使うし、探索が疎かになる。

 呼吸も当然ながら使ってはいるが、ここは空気が悪いので少しばかり辛い。

(いや、待てよ。――要するに剄力を練りながら探索をできるようになればいいのか?)

 考えてみて無茶なことを考えている気もするが、やってやれないこともないのでやれるように肉体を動かすことにする。どちらにせよ深層に至るために必要な技術だ。いつか覚えなければならないなら今覚えろ。なぁ、いいからつべこべ考えてねぇで習得しろよ俺。

 そして呼吸は……信仰により発揮できる瘴気を払う奇跡があれば楽になるのだろうが、俺にはそれは使えない技術だ。

 肉体を動かすことと違って信仰は……俺には……才能がない。いや、武術に関しても才は並だが、信仰の奇跡に関しては全くないのだ。使える道具を探した方がまだマシだろう。

 下の階層で使ったマスクを使う手もあるのだろうがこうして即死しかねない敵だらけの現状では兜は外せなかった。俺とて頭部に矢を受ければ死ぬのだ。

 呼吸に関しては現状で頑張るしかないと結論をつける。

「ごきゅごきゅ――ごふーッ」

 そして肉の塊を喰らい尽くし、ワインを飲み干す。こうして強行軍を行っている為に、結局未だ一日すら経っていないのだ。食糧はかなり残っていた。これに関してだけはなんの心配もいらないというのが嬉しくある。

「さて、食ったならさっさと行くか」

 言いながら髪のデーモンのいた場所をちらりと見ておく。あれは銀貨しか残さなかった。先ほどの剣を持っていたデーモンや弓を扱っていたデーモンたちはそれぞれ銀貨と剣、銀貨と弓、矢を残したんだが……。

 油や髪を残されても仕方がない。

(いや、あれほどの呪毒に刃を無効化する髪。使えるなら使いたい所だが)

 目玉のデーモンのように特殊な狩り方が必要なのだろうか?

 考えつつも、俺は松明に照らされた暗闇の世界を注意深く観察しながら先へと進んでいく。

「少しだがこの階層に関してもわかってきたか」

 目下一番の問題は強い瘴気。だがそれはなんとかなっているし、これ以上はどうにもならない。現状が俺の精一杯だ。剄力の技術が上がればもう少し楽になるのかもしれないが、それとて時間はかかる。

 そして敵の強さ。こっちもおいおい慣れていくしかないだろう。要は俺が奴らを一匹でも多くぶち殺せばいいだけの話だ。そうすればそうするだけ俺は強くなる。それで問題はなくなる。

デーモンデーモン、か」

 こう何度も何度も新しい領域での戦いを繰り返すとなんとなくダンジョンの配置するデーモンの傾向が掴めてくるのは慣れというものだろうか?

 弱い敵は多く(あの武装した半魚蟲人や髪のデーモンのことだ。あれらが一番弱いというのは詐欺みたいな話だが)、強い敵は数が少ない(まだ会ってはいないが恐らくはいるだろう)。

 そしてもっとも強い敵は数えるほど(ボスデーモンでもあるし、ボスではない料理人のデーモンのうちでも特に巨大だったものなどのことだ)。

 闇色の通路の先を見据えながら小さく呟く。何事も指針は必要だ。闇雲に歩いたところで成果はでない。

「要は俺がこれより探すべきはそのもっとも強い敵、だな……」

 ここがダンジョンであるなら探すべき宝の多くは、隠された場所か強い敵の背後にあると相場は決まっている。

 そして俺に隠された場所を探索する才はない以上、強いデーモンをぶち殺して活路を切り開いていくしかないのだ。

「そそる話だ。とはいえ……」

 栄養補給の為に少量だが持ち込んでいた干した果実を口の中に放り込むと俺は袋よりメイスを引き抜き嗤う。

雑魚・・の数は多い、んだよな」

 まぁ、雑魚じゃないんだけどな。

 接近する俺の気配に気づいたのか。正面の通路より銀のトレイを髪先で摘んだ、浮遊する黒髪のデーモンが三体ほど接近してくるのだった。



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