093


 恐怖を感じなくなった肉体で盾と剣を構えて俺はじりじりと暗闇を進んでいく。

 もっとも先のように身体が強張っているわけではない。デーモンがどこから襲ってこようとも、いつでも対応できるように構えているからこそ俺の動きも防御を意識したものになっているだけであった。

(この考えネックレス。不敬の極みではあったが、うまくいっている)

 自らの意思で肉体を存分に操れる自由。この環境においてそれはまさしく金貨100枚を上回る贅沢であった。

 懐に入れた聖女様の肋骨ネックレスは非常に有効だった。なぜ最初にそれを思いつかなかったのかというぐらいに肉体をこの環境に適応させてくれていた。

 懐の骨より仄かに伝わってくる尽きることのない聖気は俺の身体を好調にしてくれたし、何よりも心強いのは精神を圧搾するような瘴気に対して聖女様の骨は強い耐性を与えてくれている。

 肉体の全てが十全に動かせるようになっていた。この調子がずっと続くのであれば先ほどのデーモンに対してももう少し有利に戦えるだろう。

(恐らく聖衣ってのは、こいつを特別に強くない力の持ち主でも作れるようにするための技術なんだろうな……)

 刃のごとき瘴気から俺を包み、守ってくれているこの状態は、伝え聞く聖衣に似ている。

(聖衣。聖衣か……)

 こうやって聖衣に変わる手段が見つかっていてなお、心の奥底で聖衣を欲する心があることを俺は知っている。

 聖衣が欲しい。そう思うことを俺はやめられない。

(だが、俺には無理なのかもしれないな……あれを手に入れるには、どうやっても俺には足りないものが多い……)

 戦士にとって聖衣は一人前の証である。同時に、聖衣は辺境人にとって家庭の象徴だ。

 戦士が聖衣を持っているということは、その戦士には守るべき家族がいるということだ。守るべき家族がいるなら、その戦士はもはや一人ではない。愛する者が常に傍らにいる。だからその戦士は強い。デーモンになど負けない。どんな過酷な状況でも膝を折らない。絶望をしない。だから聖衣持ちの戦士は一人前なのだ。

(根本が問題なんだよな。俺には。そういうものがわかんねぇんだ)

 聖衣持ちは強い。しかし弱くとも守るべき家族がいるなら、そいつは一人前の辺境の戦士であり、けして敵を倒さずに倒れることはないだろう。

 これもまた爺さんの言っていた言葉。俺には理解のできない矛盾した言葉。

 弱くても強いってのは一体なんなのか。

 強けりゃなんでも倒せて、なんでも守れるんじゃないのか。

(聖衣を手に入れないとわからない言葉なのか……それとも聖衣を手に入れるために理解しなければならない言葉なのか……単純に答えなど無いただの言葉なのか……わからん……俺にはわかんねぇよ爺さん)

 金を溜めたり、信仰をしたり、名声を高めるだけでは聖衣は手に入らない。

 誰かと共に生きる人間でなければ手に入れることすらできない。

 そして、そこに愛がなければ、聖衣は力を発揮しない。

 金。信仰。名声。俺にはないもの。共に生きてくれる伴侶。俺にはないもの。愛。愛。愛。足りないだらけの俺に足りないものの究極。

 家族。両親を失ってしまった時に俺から抜け落ちてしまったもの。よくわからなくなってしまった感情もの


 いつか俺にもわかる日は来るのだろうか。


(……聖衣が欲しい。こんな世界でひとりきりじゃないってのは、どんなもんなんだろうな)

 骨のネックレスから伝わる力は、暖かく、優しく、勇気をもたらしてくれるがそれだけだ。

 彼の聖女に愛はない。

 聖女様は俺に力を貸してくれるが、そこに俺に対する愛情はないのだ(尤もそれを残念だと思う気持ちすら俺にはないが)。

 彼女より伝わるのは、ゼウレの使命を果たす戦士に対する敬意だけだ(もちろん俺もそれで十分だと思っている)。

 それに、そもそもこの骨の用途はこんなことに使う為のものではない。そう、この骨とてその力が強いから聖衣と同じような力を発揮しているだけで、この肋骨自体に聖衣ほどの力はない。

 聖女様の肋骨は瘴気に対する耐性を与えてくれてはしても、聖衣のようにデーモンの攻撃を防ぐほどの力はないのだ。

 あくまでこれは、帰還の奇跡の触媒でしかない。

(やはり、聖衣でなけりゃな……)

 欲するのは必要に駆られてか、憧れがそこにあるからか。それとも一人が寂しいからか。

(全部。全部だ。しかしこればっかりは本当に、欲しくて手に入るものでもない)

 地上に一度戻って嫁でも探すしかないのだろうか。果たして地縁も血縁もない俺に伴侶など見つかるのだろうか。また旅をしなければならないのだろうか……。

(はッ、未来を考えていても仕方ないか――それよりもリリーを優先だ)

 ぼうっとしていたわけではないが、注意力の戻ってきた意識で改めて周囲を見る。

 闇。闇。闇。周囲に広がっているのはただただ闇だ。不思議な松明によって一定の範囲だけが照らされているものの、その火の照らす範囲より外は暗闇しか感じない。

 デーモン共の気配はそこら中から感じるが、姿は見えない。

 闇が奴らの姿形を隠してしまっているし、奴らの身体構造は非常に厄介だ。上下左右どこにでも潜伏できる上に、音を立てることさえ無い。

 慣れてくれば多少は対応もできようが、今の俺では先程と同じように襲い掛かってくる直前まで気配以上のことはわからない。

「……じりじりじりじりと牛のように歩くのは神経をすり減らすだけ無駄か。警戒は必要だが、もう少し楽に進んでみるしかねぇな……」

 牛の歩みでの進行を切り上げ、少しだけまともに歩くことにする。確かに骨のネックレスでこの環境に適応はしてきたが、この闇の中、周囲を警戒し続けながら歩くことはどうにも心に重い。狩人だけを警戒していた森とは違う。闇に潜む全てを警戒したままでは探索をする前に消耗しきってしまう。

 警戒を忘れるわけではないが、心持ち余裕を持って歩く速度を上げる。

 正面の闇へ迫るように進む。松明の明かりが次々と視界を横切って行く。赤子蟲がどこかでおぎゃあと鳴いている。――そろそろ、次なるデーモンに遭遇するかもしれない。

(あのデーモン。今までのデーモンより強すぎ・・・る……)

 デーモンの天敵たる辺境人の俺だったが、戦闘にはまだ少しの不安が残っていた。

 死鮫も非常に強かったが、あれは俺にとって不利な環境での戦いであり、死鮫にとって有利な環境での戦いだったからだ。こうして足の着く環境かつ、デーモンを倒して強くなった今の俺なら死鮫とて余裕を持って倒すこともできる。

 しかし……。あの半魚蟲人デーモンは違う。

 純粋に強い。そしてどうにもり難い。

(2体以上との戦いもな……あまり考えたくはないがそれでも、やはり、いるのでは――)

 歩きながらも思考は続く。しかしここはデーモンの領域だ。いつまでも考えていられるほど甘くは――


 ――殺気。


「う、うぉ!? 矢!?」

 殺意に合わせて剣を振るえば闇の中より俺へと飛んできた黒塗りの鉄矢が叩き落とされる。

(鉄矢だと!? 糞、槍の時も思ったがッ)

 今までの敵とくらべてここの敵の装備が良すぎる。あの狩人ですら暗き森の木々を用いた矢だったんだぞ。

(それに矢。矢か)

 嫌な予感はしたがそれでも相手をしなければならない。騎士盾を矢の飛んできた正面に向け、炎剣を構える。進行速度を落とし、距離を詰めるようにじりじりと歩き出す。

 敵に向かって一心に駆け出したいところだったが、ここで慌てることは俺の死を意味する。

 方角はわかるが射手の位置は闇の中だ。正確な位置はつかめていない。隠形に関しては人外の造形をしている奴らの方が狩人よりも数倍は厄介だ。まだ狩人のデーモンは、人間・・らしかった。その動きはなんとはなしにつかめていたし、戦術というものを理解していたのか俺を焦らせるために常にわかりやすい殺気を放ってくれていた。

 しかしここのデーモンは違う。昆虫や魚のような、獲物を食らうためだけの冷たく悪意の籠もった殺意しか奴らは放たない。

 それに加えて視界や感覚を完全に封鎖する闇。音を完全に吸収する構造の手足。

(正確な位置が掴めねぇ。とはいえ、矢の方向からして恐らくは正面にいるんだろうが……)

 走って仕留める、という線はない。敵と相対しているのに、どうあっても俺はじりじりとしか進めない。

 というのも、暗闇によって数十歩先の構造が全くわからないというのは思った以上に非常に厄介だからだ。

 そこに床があるという前提で走って、いざ床も見ずに突っ走り、そこに床がなかった場合。

 この暗闇。兜によって制限された視界。敵に襲われているという状況。


 ――戦闘中に走れば、絶対に俺は暗闇の先の床を確認できない。


 そう、もしこの先に床がなかったら、俺は落下して死ぬのだ。

 背筋にぞくりとくる。ダンジョンは俺を助けてきたが、それは俺が勝ってきたから報酬を与えていただけで、そんな慈悲はそもそもここには存在しない。そんな間抜けをすれば確実に俺は死ぬ。

 故に襲われてもこうしてじりじりと距離を詰める以外に俺に戦う手段はない。

(それに、射手だけのはずがない……矢は正面から来ている。遮蔽物の存在が確認できねぇし、高い位置から襲っているわけではない以上。確実にいるはずだ)

 射手が安全な位置から射ってきていないなら、絶対に射手を守るための兵がいる。デーモンだからと舐めてはいけない。いないなんてことはありえない・・・・・

 不安を隠すためだけに俺とて楽観を無理やりに思い浮かべることはあるが、こうしていざ戦闘となってしまったなら常に最悪を頭に思い浮かべる分別がある。

 そもそもがあれだけの槍の技量を持っているデーモンの根城だぞ。そんな奴らが弓兵を扱うための手法を持っていないわけがない。

 故に、一定の感覚で襲ってくる鉄矢を騎士盾で弾きながら、別位置から来る殺意に向けて待ちわびたように剣を振るう。

「そら! 来たな!!」

 タイミングはギリギリ。警戒していたから反応ができた。

 闇より襲来するのは剣持つ半魚蟲人。俺の振るった剣と襲いかかってきたデーモンの剣がぶつかり合う。甲高い音が手元で響く。びりびりと衝撃で腕が強く震える。しかし、奴の剣は炎剣で確実に弾いた。

「ッ!? い、や! 違う!!」

 敵の殺意は途切れない。それに、俺は辺境人だ! 薄暗い視界の中でも、刃の煌めきを俺のこの眼が捉えられないなんてことはない!!

(ちぃッ、こいつ、二刀流か!?)

 二刀流。この攻撃は完全に意識の外だった。敵が小癪にも人間よりも多い腕を器用に用い、二刀のうちの一本を隠していたなどは言い訳にもならない。

 盾で矢を弾き、同時に炎剣で一刀を弾いた状態の俺の腹の内側を抉るように下方より振り上げられる刃。

(素手――手は塞がってる、無理だ! 足――この技量の敵を相手に剣のみを蹴りあげるのは、無理だ! 鎧で受ける――相手の剣が良すぎる、無理だ! なら――)

 思考は刹那。一刀はなんとか炎剣で弾けたが、迫り来るもう一本を弾くことはどうやっても不可能だった。だから、足で地面を蹴り、後方に飛ぶ。

(今、腹の辺りに、刃の気配が――)

 肉に達した感触はないが、鎧に剣先が触れていた。ギリギリだった。今の一瞬。対応を間違えれば死んでいた。

(油断はしていないつもりだったが、やはり敵の力量は高い)

 狙いすましたように俺の動きに合わせて飛んできた鉄矢を騎士盾で防ぐ。一瞬足りとも気は抜けない。

 襲撃の一瞬前まで同化したかのように壁に張り付き、俺の死角より刃を振るってきた半魚蟲人は、先の襲撃の失敗など気にした様子もなく4本のうちの2本の腕で、2本の長剣を縦横に振るって襲い掛かってくる。

『キシャアアアアアアアアアア!!』

「なんとも! 強いな貴様ぁ!!」

 迫り来る二刀を盾で防ぐもまるでそれは刃の嵐。鉄剣による切れ目のない襲撃は俺の盾を持つ手をしびれさせる程に重く、激しい。

 だがそれも永遠ではない。敵がデーモンであってもその体力は無限ではない。永遠に見える攻撃にも弱まる瞬間が必ず来る。

 しかし敵とて考えている。俺の攻め入る隙などない。

「糞ッ! 攻め込めん!!」

 まるで二刀の弱まる一瞬を知っているかのように、その瞬間に襲い掛かってくる鉄矢が俺に何もさせないのだ。

『キィィィィィ!! アアアアアアアアアア!!!』

 そして再びの剣の乱舞! 乱舞!! 乱舞!!

 強化された騎士盾とて軋むような剣の乱舞乱舞乱舞!! ガツンガツンと耳に痛くなるような鋼と鋼の大合唱。

 その攻撃もまた永遠ではない。しかしその合間を狙うように鉄の矢が飛んでくる。

 見事と言わざるをえない完璧な連携。しかし、だからこそだ。

(完璧であるからこそ、予想ができる)

 俺も全てを守ることをやめる。その一瞬を狙い、俺も前進。盾での防御を捨てて、振り上げた腕で矢をわざと受ける。

『キシャ――!?』

 二刀を振るっていた半魚蟲人の動揺。俺も腕を貫く矢の激痛に一瞬だけあえぐように呼吸をする。

 だが驚いただろうデーモン? 顔はデスマスクで表情がわからんが、その動揺こそが俺の目的。

 奴の懐に飛び込むと炎剣で4本のうちの2本の腕を断ち切る。これは強化した炎剣だからこそできる芸当だ。このデーモンの細くとも強靭な肉は並の金属剣なら弾くほどの強さがある。

 片方の剣を腕ごと取り落としたデーモンだが流石に敵もそのままではない。懐に入り込んだ俺へと剣を振るってくる。それに合わせて俺も肩口からぶち当たっていく。

 離れることはできないその瞬間に俺を補足している射手から射撃がくる。今は剣デーモンと密着しているから敵も攻撃を控えている。このままどうやってでも削り殺せ! そうでなければ俺は死ぬ!

「らぁあああああああああああああ!!」

『キィイイイイイイイイイイイイイ!!』

 炎剣と鉄剣のぶつかり合い。デーモンの剛力に剄力を練り合わせて正面からぶつかっていく。同時に奴の振るってくる残りの腕一本に対して俺も盾を捨てた手で拳を握って対応する。

(矢傷が痛むが……! 言ってられん!!)

 矢の刺さったままの腕ではどうあっても遅れをとる。それでも、やるしかない。剣を剣で弾き拳を拳で弾き俺の血とデーモンの血が宙を舞う。

 埒が明かないと感じたのか、ぐるりと奴の身体が回転しようとする。馬鹿が! その技は既に槍デーモンで見ている。

 チャンスだ! この一瞬に合わせて俺の全て・・・・を使い、窮地を切り抜ける!!

「おおぉおおおおおお! ベル、セルクッッ!!」

 轟音。剣を振りぬいた形で止まる俺の身体。回転も中途半端に剣デーモンの身体がずるり、と上半身から崩れ落ちていく。

 ざぁあああああああ、と消滅する敵デーモンの身体。

 俺の身体に襲い掛かってくる強すぎる疲労感。

 これこそがこの一瞬で思いついた俺の奥の手。自力発動のベルセルク・・・・・龍眼・・の同時の行使だ。

 疲労感が俺の全身を襲う。だが倒れてもいられない。倒れそうになる身体を強引に動かし床に落ちた盾を拾い上げるも肩口に激痛。矢が突き立ったのだ。

 相方がやられたというのに、なんともデーモンらしい冷静な射手。

「とはいえ、もはや脅威じゃねぇがな」

 如何に練達であろうとも前衛を排し、敵が射手一体の状況ではそれほどの脅威ではない。

「ここが森なら、また違ったんだろうがな」


 そうして、しっかりと床を確認しながら進んだ先で俺は射手デーモンと相対し、ばっさりと斬り殺すのであった。

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