096


 床にごろごろと転がしたそれらを見ながら俺はこんなものでいいか、と呟いた。

「はッ、デーモンどもめ。俺を舐めるなよ。たかが強いデーモンがいたからといって辺境人の俺が諦めるものかよ」

 通路の先を見ながら俺は唇を舌で湿らせる。兜によって視界は狭められており、また空間が暗いことも重なって敵の姿は見えないが、この通路の先、そこに存在する部屋に敵がいることを俺は先の撤退から知っている。

 知っているなら、こんな小細工をしなくとも奴らを根絶やしにするために突っ込んで、剣と盾でどうにでもするのだが、一つ問題があった。


 ――この先にある部屋は狭い・・


 噛みしめるようにして部屋の構造を思い出す。

 大部屋ではない。だが小部屋でもない。4,5人の人間がそれぞれ槍をめいいっぱいにぶん回せば矛先が壁につく。その程度の空間だ。

 だがそこにみっしりと敵が詰まっている。

 半魚蟲人デーモンが2体。髪のデーモンは無数。そして司祭型の高位デーモンが1体。

 どうあっても一人で挑む敵数ではないが、ここにいるのは俺一人。だから、どうあっても一人で挑んで全員ぶちのめして消滅させなければならない。

 しかし部屋の大きさに対して敵が多すぎる。そんな場所に一人で突っ込んだところで袋叩きにされて屍になるのがせいぜいだ。

「だが、幸いなのはここがダンジョンだったってことか……」

 床に転がしたものを見ながら俺はにやりと嗤う。

 辺境の山野に稀に出没する野良のデーモンと違って階層主に支配されているダンジョンのデーモンたちは結構な面で愚か・・だ。

 このダンジョンで一番最初に出会った木偶同然のデーモンもどきが良い例だろう。ふらふらと目的もなくダンジョンをさまよい、侵入者が近づけば自動的に襲いかかる。

 デーモンというのは普通はそうではないのだ。

 本来はもっと悪辣で、もっと愚かで、もっと悪意に満ちて、もっと邪悪で淫猥で汚濁に満ちた存在。このダンジョンのあちこちでみるただ恐ろしいだけのものではなく、もっと下卑て醜悪な存在なのだ。

 しかしここはダンジョンで、全ての下位のデーモンは上位存在である階層の主に縛られている。

 もはや木っ端も同然のあのもどき・・・とて最下位のグズのような存在だがデーモンの一種であることは確かなのだ。故に、その根底には醜悪な性が隠れていて、自由に動けるようになればそれなりに厄介な存在になるのだろうが、こうしてダンジョンに囚われている以上はいくつもの制限が掛けられたただの木偶でくでしかない。

 他の存在も同じ。あれだけ苦しめられた狩人のデーモン。あれにしたってダンジョンのデーモンでなければ負けていたのは俺の方だった。俺が勝てたのは、勝負運もあるが、根本としてあの存在に掛けられたいくつかの枷のおかげだった。

 もっと狩人らしく戦われていたなら――目を閉じる。考えたくもない想像であった。

「だが木偶と違い、ボスのデーモン。あれらは……」

 思い出し、先の自分の考えを少しだけ否定する。そうだ。ボスのデーモンに関しては少しだけ違う。脳裏には倒してきたデーモンたちの最後が蘇っている。

 庭園の兄弟デーモン。ゲル化した司祭のデーモン。最後の最後で彼らはデーモンでない本性を俺に見せてきた。

「手を抜かれているわけじゃない。奴らとて全力で殺しに来ている。それでも、奴らは……」

 ……もしかして奴らは殺されたがっている、のではないのか? これは……馬鹿な考えだろうか? いや……。だが――。

「やめだ。時間がねぇよ。目の前のことだけを考えろ俺」

 考えすぎるのは俺の悪いクセだ。ガキの頃から自分の欠落について悩んできた弊害か。

 しかし振り払おうにもモヤモヤとした思考の残り滓が脳にこびりついている。このまま戦いに向かっては少しだけ危うかった。

(こういうときはジジイの言葉でも思い出すに限る、か)

 拾われてきたばかりの頃。様々なことで悩む俺に、悩むな。辺境人ならまず戦えとジジイは言った。

「セントルイスの魚は戦えば必ず死ぬが必ず敵も殺す。だったっけな」

 ジジイが教えてくれたダベンポート最北の港町セントルイスに伝わる格言だ。

 デーモンも渡ってくる暗黒の海で生きる魚類はデーモンでなくとも人を殺すほどに凶暴である。

 しかし戦えば魚とて傷つく、傷ついた体では過酷な海で生存することはできない。だから必ず死ぬ。

 それでも彼らは戦う。なぜならば彼らは群れで生きる生き物だからだ。敵を道連れに死ぬならば、その死はけして無駄ではない。

 そんな、戦うなら彼らのように必ず敵を殺せという意味の篭った言葉を思い出しながらいやいやそうではないと首を振った。

「戦って死ぬなら仲間のために死ねじゃなくて、なんだったか。大事なときなら死をも恐れず動けだったか……?」

 言っている人間によって意味がころころと変わる辺境の格言は当てにできるものではない。

 ないが、少しだけ口の端が緩む。

 意味の変わる格言だが、立ちふさがる敵は死力を尽くして殺せ、という意味は共通なのだ。今の俺にはその言葉で十分だった。

 今から俺はデーモンどもを死力を尽くしてぶち殺すのだ。

 どこで何をしていようが俺の心は辺境にある。戦う理由はそれだけで十分なのだと俺は知っている。

 今はそれが少しだけリリーに傾いているだけで、俺の本質など悩もうが苦しもうが変わることはない。

 悩むだけ無駄。とにかく体を動かせ、か。

「そして戦って、戦って、戦い抜けば、わかることもある、か」

 だから座り込まず、まず拳を握れと俺を立ち上がらせながらジジイは言った。

 あの偏屈で変わり者の老人。あのジジイ、結局――。

「いや、ジジイはジジイで十分か。あのジジイに関してはそれだけで十分だ」

 ジジイ。納屋の下にあったこの場所を隠していたあのジジイ。ジジイがこの場所を知らなかったなんてことはないだろう。俺の知らない関わりが何かあったのか?

 あのジジイに関して俺は何も知らねぇ。どこで生まれてどこで育って何をしてきたのか。俺と一緒で実のところは村の人間でもなんでもなく、どこからか流れてきたらしきあの老人の過去を俺は知らない。

 俺が知っているのは、妙なことまでいろいろと知っているガラクタ拾いが趣味のクソジジイってこと。

 そして俺を拾い、俺を育て、俺を鍛え、俺の手を弱々しく握って死んだことだけだ。

(だがまぁ、何か関係があったとしても関係ねぇ。安心して死んでろよクソジジイ。この地獄は俺がどうにかしてやる)

 床にごろごろと転がした槍や剣をじっと見ながら俺は固まった戦意ににっと嗤う。

「いい加減、るか」



 先も言った通り、ダンジョンのデーモンは愚か・・で、つまるところいい具合にいろいろと不自由・・・なのだ。

 特に門番型がその最たるもので、奴らは守るべきものが背後にある場合、いくらか戦意をぶつけて釣りだしても何事もなければ元の場所に戻ってしまう。

(要は倒さずに宝を取ってはならないってことなんだろうがそれにしたってお粗末だ)

 さらに言えば徘徊するようなデーモンであっても縄張りが決まっており、その縄張りから大幅に離れることは基本的にない。

 観察というものはなんだかんだと大事で、こういったデーモンの習性はダンジョンに潜っていたおかげでわかってきたものだ。


 ――だから・・・今回は・・・それを・・・利用する・・・・


「おおおおおおおお! らぁああああああッ!!」

 踏み込み、剄力とオーラを伝播。ギザギザ刃の槍が風切り音と共に俺の手を離れて飛んでいく。着弾音。悲鳴。 

「おーおー! 食らってやがるか? どうだ? 死んだか? わっかんねぇな! だが殺すッ!!」

 うまくいっているという高揚感に、ぶわはははと戦意の混じった喜悦を撒き散らしながら数歩戻り、床に転がった武器を手にとる。

 そして両の足をがっしりと地面につけ、腕を弓のように引き絞る。

 ダン、ダンと床を強く踏みしめながら助走。剄力を全身よりひねり出し、ギザギザ刃の槍にオーラをぶち込んでぶん投げる。

 風切り音。着弾音。悲鳴。

「らぁッ!! どうだ! 当たったか!? 暗くてわっかんねぇな! まぁいい! 次だ次!!」

 先は暗くてわからねぇ。ここのデーモンは殺気を撒き散らさない限りは気配もよくわからん。投槍では感触も伝わってこない。

 しかし俺は・・知っている・・・・・。そこにデーモンがいることを、知って・・・いる・・のだ。

 ならばあの狭い部屋に武具をぶち込むことに意味はある!!

「おおおおおおおおッ!! らぁああああああッッ!!!」

 床に転がしているのは俺が捨て置いてきた半魚蟲人の落とした武具だ。そのすべては戻って回収してきたものである。

 最も倒した半魚蟲人の武具全てを拾えたわけではない。いくらかは時間経過と共に消失してしまったものもある。

 それでも瘴気に飲み込まれずに残った槍剣は10を越えていた。


 ――ダンジョンのデーモンは愚かで、不自由だ。


「おおおおおおおおおッッ!! らぁッッッ!!!」

 守護者型のデーモンどもは、こうして槍や剣を遠方からぶち込まれても背後に何かがあるなら俺の元にまで出向くことができない。

 徘徊型ならば今頃俺の頭上より急襲の一つもしただろう。そして来たら来たでぶち殺せるので来て欲しいが、気配すら感じない。

 口角より唾を飛ばしながらはッ、と叫んだ。

「どうだッ! 死んだか!?」

 そもそも相手の位置がわからないのは俺も同じだ。当たっていることすらわからん。だが何本もぶち込んでいるのだ。一発ぐらいは絶対に当たっている。悲鳴も聞こえたしな。

 そして当たっているならいくらかは痛打になっている。痛打になっているなら俺が向かったときに殺すのが楽になる。

 髪のデーモン対策に刃を切り落とした槍の柄ぼうもぶん投げながら俺は荒い息を吐く。

「残りがすくねぇ、一旦様子を……」

 見ようか、と呟き、いやと考え直す。

 とにかく全部ぶち込んで、そっから突撃だ。

 こうして槍や剣を投げてしまった以上はもはや同じ手は使えない。武具が尽きるからだ。弓矢という手もあるが、矢は槍と違う、小さな鏃では、そこそこの大きさの部屋とはいえ、この暗闇でやたらとぶち込んだところでデーモンに当たるかはわからない。

 だから今から突っ込んで、八つ目の司祭デーモンを何がなんでも真っ先に殺す。

 万全の奴に邪神の奇跡を扱われれば俺に勝ち目はなくなる。そしてこうして痛打を与えたとしても時間が経てば周囲の瘴気を吸ってこうして与えているはずのデーモンどもの負傷も癒えてしまうだろう。

 だから、床に置いた剣を手に取りぶん投げる。槍を手に取りぶん投げる。とにかく! とにかくさっさと全部投げろ!! 一度突っ込んだらここに戻ってくる余裕はねぇぞ。

「おおおおおおおおッッ!!」

 最後の槍をぶん投げ、俺は炎剣を手に取ると気合万全駆け出した。

 こうして槍や剣をぶち込んでいる以上は静かに接近して奇襲なんて考えはない。ただただとにかく最速でデーモンをぶちころすために叫びながら松明に照らされた真っ暗な通路を駆け抜ける。

 果たして、そこには――。

「はッ、効果はあったか!!」

 槍や剣や棒をぶち込まれ、半壊しているデーモンの群れがある。

 そして認識できる距離に到達した俺を確認し、腹に槍をぶち込まれていても呪術を使うために舞い始めた八つ目のデーモン。

「まずはてめぇだ!!」

 俺は他のデーモンを無視し、そいつに向けて駆け出すとオーラと剄力をめいいっぱいに込めた炎剣を思い切り突き出すのだった。



『ギィイイイイイイイイッッ!!』

 炎剣を腹にぶちこみ捻り上げ、肉体より絞り出したオーラを龍眼で見定めた弱所へと叩き込めば半魚蟲人が苦鳴を上げながら消滅していく。

「はぁッ、はぁッ、はぁッ、はぁッ……こいつで、終わり、か?」

 他のデーモンが殺到する前に八つ目を仕留めきった。半魚蟲人と髪のデーモンの大群を剣とメイスと盾を巧みに扱い、一体ずつ確実に殺して戦いを終わらせた。敵はもういない。もういないはずだ。

 俺は兜を脱ぎ、額の汗を袋より取り出した手ぬぐいで拭う。

 汗を拭った筈が、どこかで殴られでもしたのか兜越しでも出血していたようだ。額より滴る血で手ぬぐいが真っ赤に染まる。

「糞め。ああ、糞だ。今度こそ本当に死ぬかと思ったぞ」

 命冥加いのちみょうがってのはこういうことを言うのか。善神に祈りを捧げ、デーモンの落とした戦利品を疲労の残る身体で回収していく。

 残念なことにその中に酒らしきものはない。あるのは金貨銀貨そして武具だ。

「金貨まであるとは、あの八つ目。それほどの敵だったか……」

 デーモン共との戦いの中で槍代わりに使えた八つ目が落とした旗を蹴り飛ばしながら俺は驚きに目を見張る。

 金貨。金貨か。それほどの個体か。

「いや、邪神の奇跡を扱うほどの個体だ。それほどの個体だったってことか」

 戦いの最中は使ったが、戦いが終われば八つ目デーモンの旗を使う理由はない。危地故に槍代わりに使ってやったがこれは汚らわしい邪神の旗だ。床に転がったそれに口中に溜まった血混じりの唾を吐きかける。

 袋より取り出した食料で肉体の回復を図りつつ、自身の全身を見て困惑する。

 俺は、もはや無事な場所がないほどに傷ついている。

「鎧も、そろそろ限界だが……それでも……」

 ガタつき、凹んだ鎧を見る。だいぶ無理をさせすぎている。修理もせずに、この塔の攻略に付き合わせ続け、そしてこの戦いだ。

 これほどのデーモンに囲まれ、俺が目に見える負傷をしていないのも全てはこの鎧のおかげだった。

「代わりがない以上は、もう少し頑張ってもらうしかない。だがそれでも――」

 この鎧が完全に壊れたら、帰るしか、ない……。

 唇を噛み締める。考えたくもないことだ。だがこんな戦いを続けていれば確実に訪れる未来だった。

 鎧は必要だった。鎧もなしにここのデーモンどもの攻撃を受けたなら、槍の一撃で腕は千切れ、剣の一刺しで内臓を壊されるだろう。ギザギザ刃の武具とは、極めて高い殺傷性を求めて作り出されるものなのだから、生身で受ければ俺が死ぬのは道理である。

 考えを振り払う。

「とにかく、戦いが終わったなら探索だ」

 干し肉の塊を噛み締めながら周囲を見る。この空間のあちこちに散らばる槍や剣を回収することはできない。できるならしたいところだが袋の容量はそこまでではないからだ。また必要になったらここまで拾いに戻るか、道中のデーモンどもをぶち殺して武具を手に入れるしかないだろう。

「長櫃が、ない?」

 ここまでの激戦をしながら報酬がないことに愕然とする。いや、そんなはずは……。ここまでの敵がいて、何もないなんて話があるわけが。

「いや――あれは? なんだ」

 再三注意して探索したことが功を奏したのだろう。全て無駄だったのかと嫌な汗が吹き出してきたところで、周囲の柱や壁と似た冒涜的な紋様で、俺の意識下より隠れていた扉をようやく見つけ出す。

「扉……。この先には、何が……?」

 焦る心地がまだ続いている。失策をしてしまったという緊張がドクドクと心臓を鳴らしていた。それでも無駄ではなかった高揚が胸を弾ませる。

 ノブを握り、奇襲を警戒しながらも意を決して開いた先で、俺は、そいつ・・・を発見した。


『イヒッ。イヒッ。イヒヒッ。お客サンかな? どーもいらっしゃい』


 小汚い敷布の上に座る。人に酷似した、禿頭のデーモンの姿を。


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