082
それは、絶望に満ちた風景だった。
どこからか溢れた瘴気が都市を覆う。デーモンが燃やしたのかわからぬ炎が都市を襲う。
都市のあちこちからは人々の悲鳴が聞こえ。悪たるデーモンの声が満ちる。
それでも人々は抗っているのだろう、戦闘の音も各所より聞こえてくる。
そんな街の悲鳴が届く神殿にて、一人の男が姫を守る騎士によって殺されようとしていた。
「流石は無双たる銀剣アルファズル、と言ったところですか……これだけの決意で事を決しようとした私が、まさか何もできないとは……」
腹に突き刺さった剣を眺めて男が呟いた。その手に握られていた剣がことりと地面に落ちる。
「貴方、なぜ、こんな……」
男を仕留めた騎士が手を広げて悲しむ姫の視界を遮るも、姫はずいとその手を跳ね除け、男と視線をあわせる。
情深き、苛烈なる姫。問われた男は寂しげに微笑んだ。
「私なりの国への忠義と言ったところですが……失敗しましたね」
「暗殺者よ。この方がどなたか知って襲ったような口振りだな」
「アル……ダメよ。殺しては……」
騎士が問う言葉に込められた剣呑な響き。今すぐにでも殺しかねないその勢いを留めるのは狙われた姫だ。
そんな姫を男は諦めたように見る。しかし完全に諦めたわけでもなく、瞳には殺意が滲んでいる。騎士も気づいている為にけして警戒を解いてはいない。
「姫を知らぬとはご冗談を。何しろ私はその方とお話したこともあるのですから。騎士アルファズル。私を暗殺者と呼びますが、そのような立派なものではありません。私はただただこの帝国を憂いる一人の市民」
にこりと笑った市民は自分を貫く剣を見ながら、ふぅと小さなため息をついた。
「しかし、こうして失敗した以上、私にできることはもうありませんな」
市民の男は、ああ、と残念そうに呟くと姫を見やり、嘲笑った。
「姫よ。貴女さえいなければこのようなことにはならなかったのですよ」
「黙れ! 姫と
「アル! ダメ!!」
騎士は男から剣を引き抜くと制止する姫を払いのけ、さらなる罵倒を吐こうとした男をそのまま袈裟斬りに切り捨てた。
しかし、まだ男は死んでいない。
地面に倒れた男は瘴気に溺れ、火に包まれる神殿都市を指差しながら狂ったように嗤い出す。
「ふふ、ふはは、ふははははは!! 終わりだ! もう終わりだ!! 帝国は滅ぶ! 姫よ! 貴女のせいだ。貴女がいるからこのようなことになったのだ!! わはははははは!!」
「黙れ黙れ黙れぇええええええええ!!」
「アル、ダメぇえええ!!」
振るわれた騎士剣が男の首を断ち――
――記憶は終わる。
床に転がるソーマを拾い、俺は荒い息を吐く。憎悪と死の記憶。精神と魂に叩きつけられた衝撃の事実。
「何があった、なんてのはあまりに勘が鈍すぎるか」
姫の殺害。それに関する情報は既に得ている。
農夫の記憶を思い出す。農夫は
姫を殺してなんの得があるのだろうか。
姫が原因とはなんのことだろうか。あの惨劇をあの姫が引き起こしたとは考えられなかった。
未だ全貌が見えていない。
「見えても何の意味があるのかはわからんがな」
そもそもここは既に終わってしまった場所だ。そこにはびこるデーモンを殺すことと、終わってしまった理由を知ることはイコールではない。
農夫に関しては多少知りたいと思うこともあるが、それとて全てを投げ捨てても、というものでもない。
優先すべきはこの場所のデーモンの必滅と。
――リリーの願いの成就。
「……考えてもわからないことは後回しだな」
それとも全てのデーモンを殺した時には自然と知ることになるのだろうか。
「で、こいつは、どういう特性があるのかここじゃよくわからないな。拾ってはおくが」
市民のデーモンの落とした貫頭衣を拾い、袋に仕舞う。デーモンの落とした品だ。恐らくはなんらかの力があるのだろうが、俺にはそれがわからない。猫の鑑定に頼ることになるだろう。
防具も現状使っている鎧が最上だ。この貫頭衣に何か能力があったとしても相当に優秀でなければ使うことはない。
鉄の鎧。それが肉体に与える安心感は並大抵のものではないのだ。辺境人は強い肉体を持っているが、デーモンとの激しい戦いを経れば経るほど鍛えた肉体、培ってきた武技、強い装備というものに対する愛着は湧いてくる。
勿論死魚だろうが死鮫だろうが、今の俺ならば装備がなくとも肉体一つを犠牲にすれば相討つことは可能だ。しかし何度も、何度でも倒すならばやはり強力な装備は欠かせない。
「ま、貫頭衣なら布だからな。加工すれば別のものにもできるだろう」
貫頭衣をどうにかすれば、マントとか、鎧下に着る服とか、そういうものとしては使えそうだ。
「デーモンは全て殺す。安らかに眠ってくれ」
デーモンが落とした装備は、市民のデーモンの元となった人物のものだろう。俺は小さく祈りの言葉を呟くとありがたくいただくことにしたのだった。
パターンが同じなら、次の階のボスを倒し、その鍵で塔の最上階に向かうことができるだろう。
「上下が反転しているから最上階というより最下階といった感じだがな」
皮肉げに言いながら警戒しつつ塔四階の扉を開く。盾に身を隠しつつ先を覗けば扉の先は他と変わらぬ蒼の世界。
少しばかり安堵の息を漏れる。ここがデーモンの領域であるなら何が起こっても不思議ではない。開いた先が陽光降り注ぐ草原や、溶岩の熱に満ちた火山の中もなくはないのだ。
無論、ここの支配者が海に関連するものであることはわかっているのでそれらは有り得ない心配であったが、それでも相手の正体がはっきりとしない以上は警戒しすぎて悪いことはない。
「む、ここは水の性質が濃いのか?」
変わらぬ蒼の世界ならば出現する敵や地形に変化はない。
ただし、四階は、瘴気の密度が少しばかり濃いように思えた。
感覚でしかわからないが、この塔特有の瘴気が持つ粘性のようなものがこの階から濃くなっていた。
毒というよりは呼吸に支障が出るように思える。呼吸は生存とオーラの生成に必須のものだ。毒霧ほど致命的ではないが、少しまずいように思える。
眉根を寄せつつ先に進む。壁や床には小さくも水草が生えており、水の影響の増した現在では沈没船めいた空気すら漂っているようにも見えた。
「いや、海底遺跡ってところか」
伝説に聞く海神の神殿とやらが連想されるも、デーモンの領域とくらべては不敬だろう。考えを頭から振り払い周囲を確認していく。
ここの壁は基本的にきっちりと作ってあるのか壊れた様子は見えないものの、所々石が欠け、周囲に破片が散らばっていたりもする。その破片はふわふわと浮き、瘴気の流れに沿って流れていく。
「流れ……。この瘴気は流れているのか」
水の属性が強くなったためだろう。海流にも似た水の流れがこの場にはあるのかもしれない。それに、天井よりも床側(上下が反転しているとわかりにくいが、混乱するので足側を床とする)の方が水の瘴気の密度が濃い。
(領域の支配者に近づいているのか……。恐ろしいな……)
恐怖を誤魔化すように水の流れをじっと見ていると、ふと思いつきが浮かぶ。
くだらないが、恐らくは無駄ではないだろう。早速行動に移す為、水の瘴気の流れに沿って泳いでいく。この先がボスか何かはわからないが、瘴気が流れているのだ。恐らく何かがあるように思えた。
ダンジョンは基本的に意味のないことはしない。水に流れがあるなら、そこには意味があるのだろう。
(それにダンジョンには宝が眠るのは基本だ。この先に、そのお宝というものがあれば……)
その中にリリーの探すものがあるかもしれない。それでなくとも宝なれば俺の探索の役に立つだろう。
時間はないが、それでも明らかな仕掛けが見つかったなら挑戦しておくのは無駄ではない。そんな気持ちで俺は襲いかかってきたデーモンを滅ぼしつつ、水の流れを追うのだった。
そうして流れの先でそれを見つける。
「こいつは……マスクか?」
半魚兵士や、死魚の群れなどを滅ぼしつつ、水の流れの終点についた俺は首を傾げてそこにあった長櫃の中身を見ていた。
マスクである。ただし筒のようなものが両脇についている。聖言が刻まれており、恐らくはなんらかの力を秘めたマスクなのだろうが。
「水に関わるもののように見えるが、どういう効果があるのかわからんな」
それに、全身鉄鎧の今はドワーフ鋼の兜も身に着けている。頭部の守りは重要だ。そういう意味でも耐久度の少なそうなこのマスクに出番があるようには思えない。
が、聖言が刻まれているということは、鑑定して用途がわかればなにかしら役に立つ、のかもしれなかった。
「気を取り直して先に進むか」
思える、だろう、が先ほどから思考に多い。情報が足りない。強引に進みすぎている……。一度戻る必要をひしひしと感じている。
知識、道具、経験、装備、強さ。
先に見える困難に対して足りないものが多かった。
それでも。
「それでも。先に進むんだよ」
通路の先より現れる死魚の群れを見て、俺は盾と剣を構えるのだった。
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