083


 進む。進む。水底のような塔を進む。塔の天辺目指して下っていく。

 幽閉塔4階、そこに出現するのは少し大きく、そして強くなった死魚や死貝などだ。半魚兵士や死鮫も稀に現れるが『妖精の声』や『龍眼』を用いて素早く撃破していく。

 こうやって進んでいくと思うのは、先は長いのか短いのか、だ。

 手に入れたチェスの駒は8つ。

 水門の騎士、給仕女、料理人、庭師、農夫、市民、狩人、神官。

 撃破しただけのボスデーモンならば、駒は回収できてないが修道女長を倒しているし、リリーも薔薇を倒している。

 このダンジョンを構成するボスが何体か知らないが、10体のボス格のデーモンが倒されている。

 そしてボスデーモンの数がチェスの駒の数であるなら残りは6体。

 商人、道化師、護衛騎士、兄龍、狂った男、不吉な女。

「……いや、違うな……」

 それはエリザの物語の表だけを想定するならだ。このダンジョンで見せつけられた過去にあった出来事や、エリザの物語から類推するにエリザの物語の裏もまた、ここに棲みついている。

 それらから考えれば残るデーモンの数は。

「22体」

 ぶるりと身体が震える。あと22体。そこに邪神は含まれていないが、残るメンツを思えば、強敵揃いに心も身体も震えるというものだ。

 邪神の影響の濃さも思えば深層にいるデーモンの強さは想定できるものではなく、現状は未だ前哨戦なのだろう。

 だが3分の1を踏破したと考えれば見えなかった道程にも終わりが見え、少しだけ安堵の息が漏れる。

 長いように見えても進んでいけば終わりはあるのだ。

 道を遮る死鮫を倒し、硬貨を拾う。

「順当に考えればここのボスは商人か?」

 残るはこの四階と最上階である。この階に異様な威圧感を感じない以上、この階のボスはそこまで強くない、と思われる。

 そしてボスの傾向を考えれば農民、市民の次は商人で良いはずだ。

 塔の最上階には、この領域を支配しているボスがいる。そいつはかなりのヤバさを感じるが、中途のボスはそこまで手強くなかった。いや、違うか。手強くないわけではない。俺が以前よりも強くなっただけだ。

 ポーンの駒として考えるなら、農民と市民は黒騎士や給仕女より強かった。石像であるため硬さがそうであるし、出現する取り巻きは鼠よりも格段に強い。硬さと取り巻きをどうにかする手段がなければ俺とて容易く死んだだろう。

 最も、それは元となった人物の強弱ではなく、支配者の権能が届いているかいないかの違いだろうが。

 地の底の邪神は遠く、塔の最上階は近い。

 その点でいえばこの階のボスは支配者に近い分、相応に強いのだろう。

 最も、それでも少しの楽観が俺にはある。

 商人には武勇のあるエピソードがない。農夫や市民と同じく特殊な能力のあるデーモンにはならないのだ。そして、そうである以上は狩人の時のような死の淵ギリギリまで追い込まれることはない。

「ソーマもあるしな。商人はなんとかなるとして、表の物語に残るデーモン……それが問題だ」

 この塔に出現すると思われる狂った男と不吉な女を除く、道化師、兄龍、護衛騎士。この3体はどれも一筋縄ではいかないだろう。最も道化師に関してはヴァンがなんとかしてくれると思っているが。

「待て。ここで相手にするのは、商人と狂った男、それに不吉な女……?」

 言っていて眉を顰める。俺は嫌な予感をひしひしと感じている。

 残る階はここと最上階、でいいのか? 俺はこの塔の構造を実のところよく知らない。エリザの話には塔の階数に関しての話は出てこないからだ。それでも入ってみた感触からして次の階が終わりなのではないかと思っているのだが。違うのか?

 だいたいおかしいところは他にもあった。そもそもが市民も農民も商人も塔の人物ではない。彼らは神殿街の人物だ。

 塔に現れる人物は不吉な女と狂った男の2人だけだ。なのになぜか出てきた農夫と市民。そして消去法で次に現れると俺が決めつけている商人。

「いや、商人はおかしくないんだ。農夫と市民が出てるなら、むしろ出ないとおかしい」

 俺が商人が出ると決めつけてしまっているのは彼らに共通項があるからだ。

 彼らはエリザに国家を説く3人である。

 農夫は食に関わる農の尊さを姫に教える。

 市民もそうだ。彼は王国の暗部を示す存在だが、同時に王国の基盤が民であることを姫に教える。

 そして商人もまた、金銭の重要さを姫に教える。

 辺境の民が無学であれ、金銭に関して多少の心得があるのはこの商人の物語があるからと言っても良いぐらいだ。

 故に、彼ら国家を説く者3人をセットで考える癖が辺境人にはついている。

 俺がこの先に商人がいると考えてしまったのもそのせいで、むしろ3人が揃っていないと気持ちが悪くなる程度には彼らの組み合わせを信頼していた。

 しかし、残る階は2つ。

「……おかしい。どういうことだ」

 階ごとにデーモンが1体であるならば、この先にいるのは塔に関わる狂った男か不吉な女でなければならない。

「つまり、商人がいないか。デーモンが同じ階に2体いるかのどちらか、か?」

 料理人の階層や花園でも同じ階層にいくつものボスデーモンがいたからそこまでの疑問にはならないが、少しの違和感を覚えて俺は黙りこむ。

 パターンからすれば4階が1体か? なら最上階が2体になる。

 この階の構造は下の階とそう変わっているわけではない。恐らくはそうなると思われる。


 ――1体、1体、1体、2体ではバランスが悪い。


 数というものは重要だ。呪的な意味での場の強化や数字自体に意味がある場合もある。強いというだけでそれが神秘として作用するのと同じく、群れるというのはそれだけで個体の弱体化を招くのだ。集団として強くなっても個体自体が弱くなる。そういうことに繋がる。

(いや、そうじゃない。敵の思惑はここではどうでもいい。俺にとっての根本的な問題がある。まずいな……)

 何がまずいかと言えば、最上階にデーモンが2体いる場合。それはこの塔を支配するデーモンに加え、その影響を強く受けたボスデーモンが出現することを示している。

 もしかしたら最上階だと思っている階の次があるのかもしれないが、今俺の持っている材料では、次でこの塔は終わりなのだ。

 覚悟を決めるべきだった。

 同時に2体相手にすることになるのか、それとも別々なのかはわからないが、最上階から感じる威圧には紛れも無く脅威をひしひしと感じている現状、次の階のデーモンは非常に厄介だと思われた。

 無論、無様に逃げ出すなんて真似はしないが。

「……ああ、なるほど。リリーが言っていたのはこれ・・なのか」

 このダンジョンに初めて来たリリーとした会話を思い出す。それは、その場所の歴史や成り立ちを知ることがどれ程重要か、ということだ。

 知っていれば、ダンジョンの構造やそこに出現する敵を予測できる。予測できるなら準備もできるだろうし、ひいては敵の弱所を知ることにも繋がる。

 それを俺は怠っていた。

「なるほど、これが俺の未熟か」

 リリーを大陸人だからと侮っていた部分があった。だから恩人とはいえ、彼女の話をまともに取り合わなかった。

 もしかしたらリリーならばこの塔のボスに関して思い当たったかも知れなかったのだ。俺とヴァンですら少しの考えで小さな真実に到達できたのだ。神秘には詳しくないが、歴史や伝承を基にした多くの情報を持つリリーならばその正体にたどり着けたかもしれなかった。

 首を振る。全てはもしもの話だ。もはやリリーに問うことはできない。

「この結論に到達するのが、少し遅すぎたか……」

 悔やむも全ては過去のことだ。

 『妖精の声』を放ち、通路の途中に現れた死魚を惑わせつつ炎剣で殲滅し、後悔を棚上げする。考えなければならないことは過去ではなく、これからのことだ。

 いろいろと考えてみたが、俺では馬鹿の考え休むに似たり、だ。知識不足、経験不足の俺では、何を考えても推測以上のことにならない。

 願わくばこの先のボスが商人でないことを祈りつつ(商人だった場合は最上階が2体だと確定するからだ)、俺はギュリシアを回収し、進み続ける。



 む、と泳ぐように進んでいた身体がそれを目にして止まる。

 止まった理由は単純だ。目の前の通路が水没・・していたからだった。

 水のような瘴気に包まれながら水没とはどうなのかと思うだろうが、水没は水没である。

 息苦しい程に濃い瘴気は常にこの階に満ちており、また、水のような瘴気は膝下まで来ている。

 しかし通路の先にあったそれはこの場と先を隔たるように存在していた。

「水の、壁か? しかし、こいつは……なんだ? 俺にどうして欲しいんだこのダンジョンは……」

 通路と通路を隔たるようにして存在する水の壁。そしてその先で通路を完全に埋め尽くしている水。そう、この先は水中なのだ。

 先に進むならこの水を抜く必要があるのだろうか? その考えは否定できない。この階を全て探索したわけではない、黒騎士のいた部屋のギミックを動かしたことで地下への扉が開かれたように、そういうギミックがあるのかもしれない。

 それとも、なんらかの水に対する魔術が必要なのか? 魔術の中には水の中に潜ることのできる魔術もあるかもしれない。もしくは海洋神の信仰が厚ければ、そういう奇跡を授かることもあるというが、残念ながら俺は海洋神の信徒ではない。

 魔術も奇跡も期待できない以上、ギミックを探すべきか。一度戻り猫などに対策を聞くべきか――。

(――俺は馬鹿か。戻ってどうする? ここがダンジョンである以上は進めない仕掛けはないはずだ。ダンジョンである以上、進行不能な罠は存在しない。その前提で考えろ。戻るなんてのは、俺の弱気が作り出した選択肢だ)

 現実的なのはギミックを探すことだ。目の前の水の壁。それに触れながら考える。危険を承知で手を突きこめば、そこに広がるのは水中のような感覚。

 少しだけ覚悟して顔を沈める。舌に感じるのはやはり水。瘴気の変質したもの故に飲用には使えない毒水のようなものだろうが、これは確かに水である。

「つまり、この先に進むなら……潜るか?」

 呼吸に関しては修練を積んでいる。無呼吸状態も五分程度なら維持できる。

 が、辺境人の戦闘方法は体内の酸素を使うものが多い。五分は戦わないで維持できる時間であって、戦闘を始めればすぐに体内の酸素を使い果たしてしまうだろう。

 この先に広がる通路は広いし、完全な水の領域なら死魚共の強さも一段階上がると見て良いと思う。

「つまり……どうすべきなんだ俺は……?」

 もしくは、これまでに手に入れたものに何かヒントがあるのかもしれない。

 そうして俺は袋を漁り。ああ、とそれを見て「そういうことか」と呟いた。


 ――そこには先程手に入れたマスクがあった。


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