053
デーモンを滅することは辺境人の義務である。
しかし無理に追いかける必要はない。このダンジョンを攻略するならば、いずれ戦うことになる。
それは必然で、絶対の真理だ。
お互い避けようと思っても避けられるものではない。
それが人とデーモンの
「っても、この環境で無理に戦ってもな……」
無論、戦えというならどのような場所でも戦える自信はある。
それが辺境人だ。
それは、突き落とされての水中だろうが崖から落ちての空中だろうが溶岩降り注ぐ噴火中の火山だろうが変わらない。(戦うなら相打ちだろうがなんだろうが相手は必ず滅ぼす。そのつもりで戦う。勝てた後に俺が生きているかは別にして。戦士が戦うとはそういうことだ)
どのような状況でも臆することのない猪のごとき猛勇は辺境人の美徳だ。故に我々はこの過酷な辺境で生を繋ぐことができた。
しかし如何な辺境人とはいえ、戦いの全てにおいて
辺境人は場合によっては様子見もできるのである。
「ここは相手の庭だからな……」
視線は常に感じている。盾による防御と、クロスボウによる威嚇が効いたのだろう。狩人は無駄を嫌う。故に、俺が無駄に隙を見せない以上矢が放たれることはない。
人間に対して直情的なデーモンらしくない行動だ。しかし、エリザの話の狩人が元となったと考えればそうおかしくはない。
あのデーモンは黒の森の狩人を元にルールが構築されているはずだ。
元となった存在にデーモンは影響される。それはあの庭師や騎士のデーモンのように戦い方に強く影響が出る。騎士ならば武具の扱いに優れ、庭師であれば魔術も用いて搦手を多く使う。
そういうことなのだ。
そしてそれが狩人であれば、待ちに徹し、獲物の疲弊を待ちながら決定的な一撃で殺しに来るようになる。
(なるほどな。そういうことか)
直情的でないだけで厭らしさ、恐ろしさという点でいえば他の連中とそう変わらない。
やはり
戦士は真正面からならば狩人を圧倒できるが、狩人が森に潜めば、戦士は狩られる対象でしかない。辺境の戦士は多くの戦闘技能を有しているが、その環境の専門職に優れるものではないのだ。
優れた狩人の前では、戦士は対することさえ許されない。
それが伝説の黒の森の狩人となればなおさらである。
そもそもが防御の手段を手に入れることにより相手の領域に侵入し、探索が行えるようになったとはいえ、相手を殺せるほどに攻撃手段が充実しているわけではないのだ。
ダンジョンでは相手のルールに合わせて戦わなければならないのが常だから地形の不利は覚悟している。
しかし決定打もなく、苦戦をするのがわかってまで強行する理由はなかった。
(道化の時と一緒だな……。現状、邪魔なら潰すが、障害でもなければ放置しておくのが最善か)
道化のデーモン。あれも滅ぼせなかったデーモンだ。いずれは倒すが、今どうにかしなければならないわけでも今どうにかする手段があるわけでもない。
狩人と道化の双方ともに倒さなければ先に進めないデーモンではない。
鬱陶しくはあるが、先の庭園での焦燥と違い、殺意と共に狙われているのは心地よくもある。
(先ほどの庭園での焦りは、飢えと渇きだったからな)
休息のできる聖域を確保できた以上、相手が長期戦の構えをとろうが痛くはない。
最悪、アザムトと合流し、追い込みを掛けてもいいのだ。
俺だけだと追い込んでも逃げられるが、奴がいれば追い込み、留め、そして滅ぼすことも可能だろう。
狩人が狩人として戦うなら俺は負けるが、無理やり戦士の土俵に引きずりあげれば俺が勝つ。
戦士と狩人とはそういう関係だ。
「もっとも、今それをする必要はないが……」
アザムトに協力を要請しない程度には俺にも武人としての矜持があり、滅ぼす手段が見つかれば滅ぼそうと決意する程度にはデーモンに対する殺意はある。
だが、今この場で
そう、流石に俺とて考える脳はある。無理に戦っても消耗する上に取り逃す可能性の方が高いとなれば、今この場で、なんて考えない。
「それに……」
目を瞑り、腰の袋の中を思い出す。
そこにあるのはチェスの駒だ。全て揃っていない。そして、恐らくきっと……。
「避けようが、いずれ戦うことになるだろう」
これが何なのかはわからない。しかし、これを集めることに全く意味が無いとも思わない。
武器も防具も、そして薬でさえも意味があるから俺の手元に来たのだ。
ならば、この駒にも意味があるのだろう。そして、いつか集める必要も。
だが、それは今ではない。
この駒の意味を知ってからでも遅くはない。
「しかし、足場の悪いことだな……」
道は平坦ではない。段差や岩などで塞がれていることも多い。そして木の根や泥濘で安定もしていない。
獣型のデーモンでもいるのか、獣道を探って目的地へと進んでいるが、どうにも戦うには苦労しそうな場所だった。
木々の場は道が整えられているわけではない。
しかし全く整っていないというわけでもない。
「ふッ!!」
底の浅い池のような地点の周囲は、デーモンも水を飲むのか(元の生物の習性を真似ているだけだが)、踏み固められている為、戦い易い。
そこに
呼吸一つ。一番手前にいたキノコ型のデーモンの頭部に、メイスを叩き込む。
(……感触が鈍い。キノコに打撃は効きづらいのか!)
しかし込められた神聖は威力を発揮する。
打撃で脳天を一撃されたキノコ型デーモンはふらふらとたたらを踏み、意識を混乱させた。
効果が薄いとわかればメイスを使い続ける理由はない。メイスは袋に戻し、腰に下げていたショーテルを引き抜き、オーラを纏わせる。
ほんの数秒。しかし戦闘中であるなら十分な時間。
「っと、流石に来るか」
ショーテルは構えたが攻めこまず、バックステップでその場を離れる。
仲間が襲われたことにより俺の存在に気づいたのだろう。
粘液を滴らせ、小さな手足を振り回しながらそいつらは俺に飛びかかってくる。
小さく、子供のような体格とはいえそこはデーモンだ。一撃一撃は当然辺境人相手でも負傷させる程度には重い。
彼らの攻撃を受けないように、しかし、躱すだけでは足りないと、すれ違いざまにショーテルで反撃を重ねる。
(あまり時間は掛けられないな……)
闘いながら横目で池の中を見つつ、少しだけ本気になる。
――『龍眼』
スタミナと魔力を消費し、用いるのは右目に宿った異能だ。
デーモンの弱所を見破る龍の瞳。消耗は激しいが、このような乱戦時には重宝する代物である。
何しろ敵の弱点が丸見えなのだから。
『龍眼』はデーモンごとに異なる場所に置かれている瘴気の要所を見抜く力である。
通常のデーモンを倒すとき、この龍眼がない場合は相手の肉体を構成する瘴気のほぼ全てを力技でどうにかしなければならない。
それは聖なる力であったり、魔法の力であったり、邪なる力だったり、生命の輝きであったりするが、共通する点は、相手を上回る力を用意しなければならないところだ。
しかしこの龍眼は違う。相手の弱所を見抜き、その要所を破壊すればデーモンは肉体を構成する瘴気を留めおくことができずに消滅する。
龍眼とはそのような、本質を見抜く龍の瞳を模した異能なのだ。
(しかし楽をしすぎなような気もするが……)
しかしあるなら使わなければならない。
楽をすれば身体は鈍るが、使わなければどのような能力も宝の持ち腐れだからだ。
もっとも、こいつをこうやって使えるのも、盾が戻ったことで魔力の回復が容易になったことが関係するだろう。
次々と襲い掛かってくるキノコのデーモンをショーテルの一撃で滅ぼし、俺は仮面の中で小さく
視線の先には池からザブザブと上がってくる巨体があった。
それは巨大なキノコのデーモンだ。小さな個体と同じようにてらてらと全身から毒の粘液を発している。
奴は、でかく重くなったことで鈍重になり、小キノコが持っていた跳躍能力を失ったようだが、その代わり巨人がごとき膂力とそれなりの体格を手に入れていた。
丸太のような筋肉の塊。敵を前にして、みちり、とキノコのデーモンの拳が握りしめられる。
拳の先には何の生き物かはわからないが、何かの血液が染み付いていた。
足の運びから見るに体重も重く、まともに受ければ骨を折られそうだ。
それに、と少しの距離がありながらも俺の視線は少し上向きになる。
でかいのだ。
膂力はともかく背の高さは人間二人分だろうか。池の中に浸かっていたそいつは配下らしき小キノコデーモンが襲われた時点で、ゆっくりとだが俺へと向かってきていた。
もっとも足は遅く、小キノコ全てが滅びるまでには間に合わなかったようだが。
「庭園では見なかった新手のデーモン。中々心躍る相手のようだな」
ショーテルをしゅるりと振るう。空を裂く音が心地よい。
大キノコデーモンは一見して強敵に見える。
筋肉が分厚いように、身体を構成する瘴気も分厚い。未だ発動させていた龍眼で覗くが、弱所も見えない。
まずは一戦し、その肉体を構成する瘴気を薄くしなければ、弱所は暴けないのだ。
「もっとも、じっくりと待ってやるつもりもないがな!」
自らが鈍重であることを恨むがいい。
俺はヤマの炎を手の中に生み出すと、巨大なキノコ型のデーモンに向けて火球を投擲するのだった。
目の前にはぐずぐずと溶けていくキノコデーモン。
倒したとしても狩人の視線を感じる以上は警戒は解けない。
深呼吸し、呼吸を安定させる。
キノコのデーモンは恐ろしい相手だった。軽装故に一撃も貰えないという緊張感が俺に苦戦を強いさせたのだ。
「それに、まさかここまでタフだとはな。勉強にもなったが、あまりやり合いたくはない手合だ」
何度かオーラを込めた斬撃をぶちこむことで龍眼による弱所暴きは成功したが、それでも楽に倒せたとは言えない。
「強力なデーモンが相手の場合は、弱所とはいえ何度か攻撃しなければならないのか……」
キノコデーモンが落とした銀貨一枚を拾い、独りごちる。獲物として美味しいとは思えないがデーモンは倒せるなら倒すべき相手だ。手に入って嬉しくないとはいわないが銅貨や銀貨の多寡で相手を決めはしない。極論、何も落とさなくても相手がデーモンであるなら俺は滅ぼす。
龍眼の使い勝手も、だんだんとわかってくる。
弱所は一撃必殺ではないことがわかり安心した。便利すぎる能力は俺の自力を弱らせる。これは頼れるが絶対万能の能力ではなかったのだ。
庭師を思い出す。弱所に一撃して倒せたのはアレが俺の余力を全てつぎ込んだ一撃だったのに加えて、何度もオーラを叩き込んでいたからだ。
「やはり、異能は使わなければわからんな」
わかってくれば底が見えるまで使い込む必要が出てくる。
こいつに関しては消耗は大きい能力だが、どれだけ使えば俺が疲弊するのもわかっていないのだ。
頼り切るのは論外だが、魔力の問題が解決されている以上、いつでも使えるように慣らしておくのは義務だろう。
銀貨と銅貨を拾い、周囲を見る。敵を駆逐し終わり、移動に戻れる。
無目的に森を彷徨っているわけではない。当然、きちんと目的地は決めている。
「ここのデーモンも、中々に強力だが、この分ならどれだけかかるか……」
目指すは霧の中でも薄っすらと見える巨大な建築物だ。
この階層に来る時に螺旋階段から見えた神殿らしき建物。
先に踏破した庭園は防衛施設だ。その本質は、守るための施設である。
故に、庭園が守っていたものこそがこの階層の要所であるのは必然だ。
それが目指す先にある神殿だろうと俺は考えている。
「一体何があるのか……」
一筋縄でいくようなものではない。
しかし守られているなら、得る物はあるはずだった。
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