地下二階 黒き森の狩人

052


 彼は本当は騎士になりたかったのです。

 太陽の光を反射するぴかぴかの鉄の剣。

 獣の牙を通さす、デーモンの攻撃も通じない聖銀の鎧。

 大きく、速く、騎士を乗せ駆ける純白の白馬。

 立派な身分。立派な武具。威風堂々と戦場を駆け、手柄を上げれば、町の人々から讃えられる王国の騎士に。


「ならぬ。貴様は我が息子。我らは神々より黒き森の監視を命じられておる」


 しかし彼は騎士にはなれませんでした。

 それもそのはず、彼こそは黒き森を守護する偉大なる狩人たちの長の息子だったからです。

 与えられたのは夜の闇のように暗く、敵に気づかれぬよう光を反射しないように作られた番人の弓。

 与えられたのは清き光を吸い込み、邪な呪いの通じぬ闇蚕の狩衣。

 与えられたのは主人に忠実な狩人の友。光届かぬ邪神の領域でさえ、獲物を見つける月狼の子供。


「おお、さすがは長の子よ。汝が腕はもはや一族でも随一ぞ」

 

 時は経ち、与えられた子狼が親となり子供を成す頃。彼は騎士にはなれませんでしたが、立派な森の番人となっておりました。

 森を守るのは大事な仕事。デーモンどもに関わることのため秘すべきことも多く、人々が彼の働きを直接見る機会はありません。故に彼は幼き頃に憧れた騎士たちのように人々から褒められることはありませんでしたが、神々は彼を見てくれています。

 誰に知られずとも、デーモンを滅ぼす彼の行いは立派なものです。故に、黒き森の狩人達を守護する月の女神アルトロも手厚い加護を与えてくれました。

 だから彼はもはや騎士になりたいとは言いません。

 神々の加護を授かり、狩人としての自覚を得た彼は、大神殿へと害を成そうとする邪神どもの邪な企みを常に防ぎ、人々を守り続けました。


 そんな彼がいつものように木々の上を渡り、デーモンの動きを探ろうとしていると眼下を一人の少女が歩いています。

 少女は、修道女長や門番の騎士の監視を掻い潜って森へと入ってきた王国の姫エリザでした。

 好奇心旺盛でお転婆な姫は森をひと目見たがったのです。

 エリザは誰が見てもひと目で貴人とわかる少女です。デーモンが闊歩する黒き森で見た場違いな少女に狩人が目を白黒させる間にも彼女はずんずんと森を進んでいきます。

 辺境を脅かすデーモンを見るまで帰らない。いいえ、わたしが自分で倒してみせるわ。だって私は王国の姫だもの。私がこの地を守るのだわ。

 そんなことを言いながら習ったばかりの徒手格闘の構えでエリザは森を進んでいきます。

 そんな彼女の背後には、貴人の気配を察して這い出てきた恐ろしいデーモンの姿が見えました。

 彼は狩人でした。

 森を監視し、辺境を守り、デーモンを狩り、神殿を守護する黒の森の狩人。

 そんな彼がえいやと放った弓は一矢でデーモンを滅ぼします。

 そうして脅威にも気づかず呑気に森を散歩するエリザの背後にそっと降り立つと、跪き、声を掛けました。


「お嬢様。そこを歩くお嬢様。その装い、さぞ貴き方とお見受けします。お願いがございます。これより先は黒き森。魔の住み着く恐ろしき異郷。貴女のような貴き方が歩くような地ではございません。どうか御身のためにも街にお帰りくださいませ」


 急に背後から声を掛けられてびっくりしたエリザ。しかしそこはお姫様です。

 動揺を悟られぬようゆっくりと振り返った先にいたのは話に聞く黒ずくめの狩人です。


「貴方が黒き森の狩人ね。私はエリザ。この王国の姫です。私はこの森に興味があるのです」

「姫さまでございましたか。しかし、貴女が見るようなものはここにはありませぬ。ここにはよくないものしかありませぬ」

「いいえ。いいえ。私は見なければなりません。この辺境にある恐ろしいものを全て見なければならないのです」


 狩人はとても不思議に思いました。

 エリザという少女は力のない少女のように思えます。未だ幼い少女。しかししっかりと意思を持って話す姿はまるで大人のように立派に思えます。

 どうしてですか、と狩人は問います。幼き頃からこの森で暮らしてきた狩人にはこの森は忌むべきものでしかありません。

 そうです。真実この森には忌むべきものしか存在していないのです。

 存在こそが穢れたデーモン。邪神に魂を売った頭のおかしい狂人たち。瘴毒に汚染され正気を失った獣ども。そんなよくないものしか存在しないのです。

 そんな狩人にエリザはにっこりと笑って言います。


「ここがよくない場であろうとも、ここにも貴方のような魔と戦い続ける者がいるのです。王の一族として、あまねく戦いを見届ける義務が私にはあるのです」


 えへん、と小さな胸を張って宣言する少女のなんと尊いことでしょうか。

 思わず狩人は、その小さな手を握り、言いました。

 では、長の長子たる私が森を案内しましょう。

 狩人は口笛を吹きます。彼の呼びかけに応え、月の女神の加護を受けた純白の月狼が森から現れます。


「この森では私が貴女を守護しましょう。あまねく森の災いは、我が弓がことごとく討ちほろぼしましょうぞ」


 彼の口上を受けた姫は手を合わせて喜びました。


「まぁ、ならば貴方は私の騎士なのね」


 姫の言葉に夢を諦めてより、常に冷徹な表情を浮かべていた狩人は成人して初めての笑みを浮かべました。



   泣き虫姫エリザ 第八編『泣き虫姫と黒き森の狩人』より一部を抜粋。



 駆け出すようにして、以前見つけていた入り口より森へ侵入を果たす。

 盾を構えながらだ。

「来る……ッ!!」

 警戒していたとおりにガツン、と盾の表面に黒に染められた矢が突き立つ。びりびりとした衝撃が腕に走るが、この盾ならばショーテルの時のように腕が使えないほど痺れることはない。

 鎧は着ていない。故に矢を受けることはできない。

 月狼装備は刺突に弱い。矢を受ければ確実に貫通する。神秘の濃い弾丸だったとはいえ、銃の一撃で穴が開くのだ。この矢など受ければひとたまりもないだろう。火薬で射出された金属弾なら筋肉で受け止めることもできるが、超常の筋力を持つデーモンの放つ矢を受ければ文字通り肉体は蹂躙されるだろう。

 それでも鎧を着ることはできなかった。

 庭園の隣にあるからか、この森も瘴気と毒花粉の影響が濃い。病に耐性を与える指輪があるとはいえ、このマスクのついた防毒服を脱げば一息で心身が毒に汚染される。

 月狼装備はそれなりにふっくらと余裕のある構造はしているが、さすがに下に鎧を着ることまでは想定されていない。故にそのままで森へと侵入を果たしたのだ。

(ミスリルの鎖帷子なんかがあれば別なんだろうが……)

 あれなら下に着ても十分な防御力が期待できる。しかし貧乏人の俺には入手する当てのないものだ。

 ないものねだりをしても仕方がない。あるものでどうにかするしかなかった。

「そら、お返しだ!」

 森の中、矢が飛んできた方向にクロスボウを向け太矢を放つ。さすがに当たるとは考えていないが、こちらに牽制の手段があることを奴に教えておきたかったのだ。

 これから森を探索するにあたって、こちらになんの遠距離攻撃手段もないとわかれば相手に好き勝手されるがままだ。

 故に、敢えてこちらにも対抗手段があると教えることで多少の抵抗を行おうというわけである。

「こっちもついでだ!」

 指輪による奇跡の顕現。手から生み出したヤマの炎をクロスボウと同じ方向に投げつける。

 当然、炎の玉を投げるだけで、クロスボウよりも効果は期待できないが、盾が手元に戻ったことでいつでも放てるようになったことから景気付けを行いたかったのだ。

「さぁ、始めるぞ」

 目の前に広がるのは鬱蒼と茂る黒き森。そこは伝説に謳われるデーモンたちの巣窟だ。

 太古のままに巨大な木々は庭園を侵食するように無秩序に生え。

 瘴気と霧は先を見通すことを許さず。

 庭園から伸びてきたのかあちらこちらに毒花粉を噴出する毒植物が生えている。

 そしてマスク越しでも耳に大きく響く奇怪な怪物たちの叫び声。

「震えるぜ」

 クロスボウを袋に仕舞い、手持ちの武器をメイスに変えながら俺は歩き出すのだった。

 狩人の気配は先程の場所にはもうない。

 優れた弓手は一度矢を放てば一所ひとところに居座らない。

 かつての伝説の狩人は、デーモンであろうと定石のままに動いている。

(手強いな……。倒せないかもしれない)

 あの道化と同じだ。今の俺ではまともに対峙できるかどうかが怪しい。

 苦戦の予感に自然と手に汗が浮かんだ。


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