051
アザムトが俺を裏切るような人物ではないと理解はしたが、装備の確認はしなければならない。これは絶対だ。
奪われた装備の整備はアザムトがやってくれたようにも見えるが、やはりそれはそれ、これはこれだ。自分が扱う武具はきちんと自らの目で確かめるのが一番だ。
「……問題はないようだな」
もともとが質の良い装備であることに加えて最後まで俺が手入れを行っていたものだ。当然ながら状態は悪くなっていない。
妙な細工の類も見当たらない。
加えて、破損していた鎧に限っては村の鍛冶屋レベルの補修が成されていた。ドワーフ鍛冶レベルではないが、修繕素材に良い物を使ったのだろう、このまま使用しても問題はなさそうだ。
「上手いものだな。鍛冶屋が本業でもいけると思うぞ」
「ありがとうございます。このような武具を日常的に扱っておりますから。補修や整備は得意なのです」
俺と同じように武具の確認を行っているアザムトは熟練の人間の鍛冶師の如くだ。彼女は自慢でもするかのようにてきぱきと整備を行っていた三連式クロスボウを俺に見せてくる。
弦の消耗やパーツの破損を確かめ、必要なら各所に油を塗り、また各部が緩んでいないか実に器用な手付きで確認を行っていた。
確かにこういった複雑な機構を有する武具は補修などに相応の技術を要する。
加えて、アザムトの傍らには修繕道具の入った道具箱も置かれていた。中には様々な武具の補修部品なども収められている。クロスボウ以外にも鎧や盾用の補修素材も入っているのか、そこそこの大きさだ。
「その道具箱もそうだが、様々な武具をその盾の中に入れていたというのだから恐れ入るな」
「ああ、それは――」
アザムトの持つ盾の聖具『聖タイタンの大盾』はあの驚異的な防御力の他に、俺が猫から借りている袋と似たような能力を持つらしい。
聖具には様々なものがあるが、こういう能力は珍しい。
と、いうのも猫から借りた袋などに代表する空間系の術式を刻んだ道具は非常に高度な技術を必要とするものだからだ。
作成における術式の触媒や武具自体に貴重な素材を必要とするので、気軽にひょいと量産できるものではない。
とはいえここは神代の素材すら手に入れようと思えば手に入れられる辺境だ。(もっともそういったものはとてつもなく貴重なことに変わりはないが)
貴重とはいえ、稀少ではない。
だから作ろうと思えば作れるが、やはり作ろうとするものはあまりいない。
軍で現在必要とされているのは、こういった単独行に置いて有用な袋よりも、デーモンに痛打を与えられる武器なのである。
現在の辺境は一人の戦士がたった一人でデーモンと戦うような戦況ではない。しっかりと補給線が確立された港や砦で、有能な将の下、系統だった指示の下に大勢が動く防衛戦が主だ。
30年前の暗黒大陸での戦い。その消耗がまだ癒えていないのだ。我らは暗黒神の軍に痛打を与え、敵の神の一柱を滅ぼしたが、戦いは激しく、帰ってこられた戦士は拳聖ミュージアム・
暗黒大陸に棲まうデーモンどもは強力で、勝利はしたが多くの戦士と聖具がその時に失われた。
輜重は重要だが、それ自体が強力なデーモンを滅ぼせるわけではない。
どうしても大量の物資を運びたいのならそのための輜重隊をしっかり編成すればいいだけで聖具は必須ではない。
輜重は費用や手間はかかるものの代替が
辺境人は皆強い戦士だが、デーモンの将と相対できる強力な戦士となると数は十分ではないからだ。
必然、求められるのは強い武器となる。
そのため、盾には収納を求めるより、その性能を向上させるものが適当となる。
それは盾の表面に炎を纏わせるものや、敵と接する瞬間だけ自重を倍加させるもの。敵の魔術を反射するような代物などだ。けして収納ではない。戦士の選択として正しいのは純粋な武具の向上である。
そのような話をアザムトとした。
アザムトの盾を否定するような話だったが、最後に俺は付け足した。
「もっとも、その盾ほど頑丈なものなら、収納の魔術は有用かもしれんな。その盾の頑丈さは神秘の類と遜色がない」
あれほどの硬さと安定なら、他の機能をつけても蛇足だろう。
俺は平凡だが、これでも辺境の戦士の端くれだ。その俺の打撃で
盾を褒められたのが嬉しかったのかアザムトは微かに笑う。
「恐縮です。キース様の言うとおり、この盾には呪術も掛かっているのです。むしろ収納の魔術はそのためのものと言っても過言ではありません。この魔術の真の目的は聖タイタンの伝承を再現し、盾の防御を更に高めるためなのですよ」
「ほう。聖タイタンの伝承を利用した呪術か。確か聖タイタンといえば、山のように巨大な巨人の聖者だったな。海を割った大斧と小山のように巨大な大盾を持っていたという」
聖タイタン。かつて存在した巨人の聖者だ。巨人族の戦士にして、ゼウレの強力な信奉者。神代の時代、辺境に蔓延っていたデーモンをほぼ一人で一掃し、暗黒大陸まで押し返したという。もっともそれも聖タイタンの死後に押し返されたり、その後にまた押し返したりと神話の時代は常に一進一退だったらしいが。
「彼の聖者の異名の一つは移動城塞。この盾に込められた収納はそれを再現するためなのです。盾に大量の武器を収納することで聖タイタンがデーモンとの戦いに大斧以外にも多くの武器を用いた伝承を再現する。使われた金属自体も硬いものですが、この盾の本質は『聖タイタンの伝承』ですから」
こういった話がもともと好きなのか。自信満々に説明するアザムトはゆっくりと盾を撫でる。クロスボウより先に盾の整備を行ったアザムトはその表面を愛おしむように、鏡のように磨き上げていた。
戦士としてその気持ちはわかる俺はその様に苦笑を送りながら、話に区切りを付け、リリーの方を見た。
落ち着いたのだろう、呼吸は安定している。
「アザムト。リリーについては……」
「わかっています。手出し無用。了解しています。もとより私はアレがキース様の迷惑になると思って処理を行おうと考えたわけですから、私の行動がキース様に迷惑を掛けてしまうようならば止めることに否はありません」
「助かる。お前の理屈は間違ってはいないが、リリーの目的もわかるからな」
困ったようにアザムトは俺を見る。
確かにデーモン化しかけているリリーは早急に殺すべきだろう。もはや猶予も残ってはいない。
俺も理屈の上では理解している。地上の司祭様でも躊躇なくリリーを滅ぼすだろう。
しかし、俺がそれは嫌なのだ。
リリーに命をたすけられた者として、奴が人間的な感情を保っていられる間は、人として見てやるのが俺の義理だ。
理屈ではない。しかしリリーのためにも俺はアザムトが納得しやすいように俺にとっての利点を言葉にしてやる必要がある。
「……理屈で俺たちは戦えない。戦士は感情の生き物だ。いざというときに拳が鈍るような後悔は抱きたくない」
俺は若造で、愛を知らぬという一点を除けばそのような後悔を抱いたことはあまりない。
短気で粗暴な田舎者だからか、あまり深く考えずにやりたいことはやってきた。(それがここに潜る切っ掛けの貧しさを作ることにもなったが後悔はしていない)
そんな俺は今の言葉を実感したことはない。今のは、爺から教わったことの一つだ。
戦士として生き抜きたいなら、道理に背いてはならない。
後悔は戦士を殺す。毒のように心を侵し、病のように身体を弱らせる。
数ある戦士の心構えの一つだ。戦う方法以外にも爺は俺に様々なことを教えた。
「このままリリーが死ねば俺は後悔するだろう。それはこのダンジョンでは致命傷になる」
拳が鈍れば不覚をとる。抜き差しならぬ死の領域ではその不覚は俺を殺す。
じっと出入り口から外を見る。聖域の外では相も変わらず奇妙で冒涜的な異常が景色となって連なっていた。
聖域の入り口で侵入を止めている霧は深い。この領域のものだ。ただの霧ではないのだろう、心が迷い込みそうな、そんな奇怪さがあった。 瘴気は心を弱らせる。
きっと、爺の言うような後悔をこのダンジョンで抱いてしまえば、いずれその重さに耐えられなくなり、膝を折る時が来るのだろう。
「侠者としてもだ。俺が殺すにしろ見殺すにしろ、義理に悖れば恥になる。恥は俺の名誉を傷つける。お前がリリーを殺すと言ったが、見ているだけでも俺はリリーを裏切ることになるだろう。裏切りは魂の重罪だ。それは俺がヤマの裁きを受けるときに大きな失点となる」
「つまりホワイトテラーを生かすことがキース様を守ることになるわけですか」
「暗殺騎士だったか。お前も裏切りを行わないことだな。ヤマは全てを見ているぞ」
アザムトは俺の言葉ににっこりと笑う。
「もちろんです。私が誰かを裏切ったことなど一度もありません」
は? と口を開いた俺にアザムトは苦笑する。
「殺してきた相手の多くは、私が暗殺騎士だと知るといつも裏切ったと
位の高い貴族の嗜みとして、保守派の貴族を囲ってはいますが、私自身が保守派だったことは一度もないとアザムトは言い切った。
そこに狂った色は見えたが、清々しいまでに清涼な目だ。
「狩りにおける擬態は多くの動物や蟲も行う自然なものです。そこに罪はありません」
くくく、と俺は笑った。
俺に釣られて、ふふ、とアザムトも笑う。
「お前のその純粋さは得難き特質だ。大事にするんだな」
戦士にとって狂気は悪いことではない。俺もアザムトほどではないが戦いに狂うことがあるし、狂奔を持つ戦士は短命になる代わりに名を残すことほどに強くなることができる。
「親しくなった辺境の方には今の言葉をよく言われますが、そんなに純粋でしょうか。私は」
首を傾げたアザムトは「大陸で素性を明かすとお前は狂っていると怒られるので嬉しいんですけどね」などと付け足すのだった。
回復したリリーだが未だ万全ではない。聖域でもう少し休むというのでリリーを置いて俺とアザムトは聖域を出ることにした。
「業腹だが、アザムトと話すことで回復が早まったよ。ありがとう」
「それはよかったな。キース様のためにも無意味に死ぬなよホワイトテラー」
あの時の激しい議論がリリーの回復を早めたのかもしれない。議論はデーモンには行えない理性的な行いだ。人としての行いがリリーの魂に人を思い起こさせ、デーモンの支配から抜け出る助けとなったのだろう。
「リリー。デーモン相手とはいえ、茨は使うなよ。強いデーモンは避け、上手く探索しろ」
鎧越しに困ったような気配を漂わせるリリー。
「ホワイトテラー。キース様のお言葉に従え」
「……わかっている。だが……」
「お前が騎士の中でも弱く、レイピアなしにオーラが使えないことはわかっている。そしてそのオーラももはや長くは維持できないこともな」
驚くべきことに俺よりアザムトはリリーの状態を把握しているようだった。
確かに、俺は大陸騎士の強さをよくは知らない。なんとなくこのダンジョンに潜る前の俺程度には強いだろうと思っているが。
ホワイトテラー、とアザムトは言葉を重ねる。
「お前の鎧櫃に入っていた鞭を使え。詳細はわからんがあれは強力な聖なる武器だ。お前のレイピアを振るうよりもデーモンには効くだろう」
茨使いなのだから鞭の心得ぐらいはあるだろう? とアザムトは盾から取り出した香炉を地面にそっと置く。
「どうにもならなければこれを使え。あまり残ってはいないが、デーモン化の進行を遅らせる香料が入っている」
俺とリリーは少し信じられない気持ちでアザムトを見た。
俺の視線に怒られるとでも思ったのかアザムトは申し訳無さそうに補足のようなものを口にした。
「デーモン化を遅らせるというのは副作用で、元々は神秘の少ない大陸で聖職者の神秘を回復させるために作られたものなのです」
俺自身が使えないためか、奇跡関連の知識は薄い。香料自体も俺自身に伝手はないから手に入れられるものではない。猫なら持っているのか? わからんが、リリーが既に聞いていていもおかしくないだろう。
単純に高価なのかもしれない。リリーよりもデーモンを倒している俺ですら未だ神秘の強く篭った薬剤を猫から調達できていない現状、そちらの可能性が高かった。
俺の沈黙を勘違いしたのか、出し渋っていたわけではないのですと言いにくそうにアザムトは縮こまって指と指を突き合わせる。
「その、私自身が奇跡を用いるので保険として持っていたものなのですが、キース様のためにもホワイトテラーには長生きしてもらわなければなりませんから」
「……いいのか? 相当な貴重品だぞ、これは」
申し訳無さそうなリリーにアザムトは呆れを多く含ませた言葉で応える。
「むしろお前が持ってきていないことに私は驚愕するよホワイトテラー」
「このような貴重な品、我が家では確保できない。私は奇跡を使えないからな。金では買えないんだぞ」
「何のために貴族の家に生まれたと思っているんだ貴様は。香炉程度権力で小突いて吐き出させなさい」
「そのようなことをすれば本当に必要な者に届かなくなる。そのようなこと、私にはできない」
アザムトが呆れたように肩を竦めた。
「とにかく長生きするんだな。重ねて言うがキース様のためにも目的は為遂げろ。死んでもだ」
ああ勿論、とリリーは何度も頷くのだった。
それで、とアザムトは俺に向き直る。
「私は一度上の階に戻ります。本来はキース様の手伝いをすべきなのでしょうが、私では足手まといになりますので」
「装備だけでも助けになった。リリーのこともだ。ありがとう」
手をとって感謝を伝えれば当然ですとアザムトは微笑む。
美しい少女の笑みだ。まともに生きれば姫として遇されただろう少女の笑みでもある。
「我々回帰派の望みは辺境の方々の手助けです。私の行いがキース様の一助となれたなら真の幸いです」
「しかし、上の階か。地上に戻るわけではないんだな」
「失ったデーモンの皮を調達し直さなければ今後もキース様のお手伝いができませんから」
アザムトが現れた時に着ていた料理人のデーモンの皮を思い出す。
「……あれか。あれは有用なのか?」
辺境でもデーモン由来の素材を使う武具は少ないながらも存在する。
だが戦士の多くは好まないし、俺も不要だと考えている。爺も敢えて教えなかった。なのでどういう効果があるか、俺も具体的には知らないのだ。
「あれを着ていれば知能の低いデーモンは同族だと思い襲いかかってこないのですよ。このようなデーモンの巣窟を探索するには向いた装備です」
もっともホワイトテラーがあれを着れば身も心もデーモンに侵食されて即座に死ぬでしょうが、とアザムトは付け足した。
人を模すことで人として魂の支配権を取り戻しているリリーがデーモンの擬態をすればデーモンに近づく。道理である。
「そうか。俺はどうにもそういったものは好かんな」
「辺境の方々はそれでいいのです。このような小汚い真似は穢れた大陸人向けです」
「あまり自分を卑下するものじゃないぞ」
蟲レベルの魂を持っているから、卑下しすぎれば呪的に自らを縛ってしまう。言葉が力となってしまう辺境ではそういう行為は本当に危険だ。
辺境人は聖王国との契約があるため、自らを弱体化させる呪いが効かないから自省のためにも弱い弱いと言えるがアザムトはそうではない。
「そうですね。気をつけます。……それでは私はそろそろ向かいます。キース様、どうかお気をつけて」
ここでやるべきことを終えたからだろう。アザムトは俺に向けて深く一礼すると振り返りもせずに聖域を出ていった。
暗殺騎士が霧に入ると、すぐにその姿を見えなくなる。
アザムトを見送った俺はリリーに向き直った。
「俺も行く」
「ああ、キース。少し待ってくれ」
言われたので少し待てばリリーは小さな玉のようなものを俺に手渡してきた。
そこに少しだけ瘴気を感じる。
なんだこれはと視線で問えば、リリーは考えるように言葉を放つ。
「上の階に、目玉のデーモンがいただろう」
言われて思い出せば、そのようなものがいたような気がする。料理人見習いの形をした肥大化した頭部と蠢く大量の眼球を持つ子供のデーモンだ。あまりにも弱すぎて脅威ではなかったが。
「お前に貰った本には、倒せば消えてしまうデーモンから素材を取る方法が書かれていた。それに書いてあった方法で処理をした道具だ」
……渡されたそれをマジマジと見る。
小さな目玉だが、これは道具であるらしい。
「デーモン由来の道具は気分はよくないだろうが、我慢してくれ。それは風景を記録しておける道具なんだ。字の読めないお前にとって役に立つ。この先、絶対に必要になる」
あの不気味な目玉デーモンが由来だと言われれば少しの嫌悪もあったが、恩人であるリリーに言われて俺は不満を飲み込んだ。確かにそういうものなら役に立つかもしれない。
それに、デーモン由来の道具なら既に巨大包丁を扱った過去がある。あれのように急場で必要となるものなら受け入れるほかないだろう。
なにより、これがリリーとの最後になるかもしれないのだ。
純粋にありがたくというには複雑な気分だが、しっかりと袋に入れる。
「キース」
呼ばれて袋に向けた視線をリリーに戻す。彼女は自身の鎧の篭手を外すと俺に手渡してきた。
意図がわからず、受け取り、リリーを見返す。篭手を外した場所にあるものは腕ではなく、腕の形をした茨だ。
「私にそれを
言われたままに
「それでいい。さぁ、行ってくれ。私のために君の時間を使わせすぎてしまった」
――これで、私は大丈夫だから
そんな言葉を背に、不可解な気持ちで俺は聖域を後にした。
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