054


 ――「ああ、こんな死に方は」森の奥から溢れてきたデーモンの群れ。押しとどめようと狩人たちはそれぞれ迎撃に出るが、一人一人と討ち果たされていく。「嫌だ、なぁ」腹を見る。そこには巨大なムカデのようなデーモンがいる。狩人の腹に食いつき、内臓をすすっている。狩人は腰から引き抜いた山刀を腹に食いついているデーモンの頭に叩きつける。それでもムカデは死なない。狩人は何度も何度も山刀を叩きつける。ムカデは死なない。それでも叩きつける。ムカデは死なない。しかし次第に両者の動きは鈍くなる。決着はつくかと思われた。しかし彼らの隣から狂った目をした巨大な巨人が飛び込み――


 死体はどこにでもある。そこには相当に無念だったのだろう、記憶の残っているものも微かにあった。

 俺は長櫃の傍に落ちていた、朽ち果てた山刀を握った手の骨に祈りを捧げて長櫃の中身を検めた。

「……ここでは使えないか」

 入っていたものは黒の森の狩人の装束だ。あまり見たことのない素材でできたものだが、なんとも丈夫そうなものに感じる。

「地上で詳しい奴に聞いた方がいいか。どういうものかわからないと効果的に使えないからな」

 武器と違って防具や装飾品は見ただけで効果のわかるものは少ない。

 金属製の鎧などは装飾がなければいいのだが、装飾があった場合はそこに記された文字を俺は読めない。武具巡業で教わった既知のものならいいのだが、全く見たことのないものを共通項だけで判断するのは危険過ぎた。

 特にデーモンの溢れるダンジョンで見つかるものなどには呪いのかかった品などもあるという。

 辺境人に呪いの類は効かないが、守護を貫通してくる厄介なものもあるし、何より、鎧などは武器と違って身に付ける・・・・・という受け入れの動作を用いて装備することから、辺境人の呪的な耐性が意味を成さないことも多い。

 この狩人服などはデーモンと日常的に戦っていた狩人たちの服だ。俺には理解の及ばない加護がかかっているだろうと思われた。

「黒の森由来の蟲素材だと思うんだが……。ううむ、どちらにせよ毒花粉が漂うこの場では使えないからいいか」

 この場はこの月狼の装備が一番適している。毒の花粉を防ぐ完全防護の耐毒服。

 刺突には弱いが斬撃や衝撃に強く、素材の力が強いために専門の加護服には劣るが、魔術に対する耐性も高い。

「格闘ができるように設計されてるから可動域も広いしな」

 辺境神殿の戦闘部隊がデーモンの領域を探索するために作り出した高度な戦闘服なのだ。

 確かめるようにぐるぐると腕を回しながら俺は周囲を見た。

「まだまだ中途か……」

 森は深い。辺境人の体内感覚がこういった場で狂わされることはないが、森が惑わそうとする奇妙な感覚を覚える。

「庭園のデーモンを倒したから迷わされることはないと思うが……」

 確認するように見れば、遠くに見えていた神殿も少しは近づいている。正常に歩けている証拠だ。

「惑わそうとするのは森の機能か。ダンジョンの性質か……」

 こういう時に位置把握に使えるヘレオスの目なんかがあると助かるのだが。

 ヘレオスの聖言が刻まれた石型の設置具を思い出してため息をついた。

「あれはなぁ……。手に入りにくいからな……」

 神の加護の刻まれた道具はどうしても高価になる。俺のような貧乏農民では買えない。

 それに加えて、こういったデーモンの領域でしか使わないものなどは量産もされないからどうしても高価になる。

 しかもだ。あれは設置して使うためにどうしても使い捨ての道具になる。惜しむものではないが、気軽に使えるものでもない。

「そもそも辺境人が迷うような領域は珍しすぎて、ああいう道具は本当に生産されないからな……」

 技術を絶やさないように製法だけは伝えているらしいが、ここ最近は一人でダンジョンに潜る辺境人も減っている。

 ダンジョン自体はそれなりに発生するようだが、軍が即座に軍勢単位で探索を行って潰すのだ。ああいうダンジョンからデーモンが溢れて背後を犯されるような真似をされると非常に困るからである。

 ここは入り口に奇妙な結界が張られている為、軍も後回しにしている、のだと思う。

 その辺りの事情はよくわからない。時間の経過以上の何かがあるのかもしれないが俺にはその辺りの事情を知る術はない。司祭様が既に軍には伝えているとは思うのだが、動かないということは何かしら判断が行われたのだろうと思うが……。

 まさか暗黒神の攻勢がそこまで強いというのだろうか?

「わからんな……」

 とにかくだ。故に冒険者が活躍できるような場もなく、細々とした探索道具の需要は減っていく。

「……っと」

 そんなことを考えながら俺はその場を飛びのいた。

『ギヒィイイイイイイ!!』

 襲いかかってきたのは人面の連なったオオムカデだ。苦悶の表情を浮かべた人間の頭が数珠つなぎとなったデーモン。

「なんとも悪趣味だな」

 人の頭には鈍器が効く。俺は袋からメイスを取り出して構えると、ワシャワシャと頭の横から生えた人の手で地面を駆けてくるムカデのデーモンに神威の鉄槌メイスを叩き落とすのだった。



「ちッ、厄介な!!」

 森という場は、戦闘領域としては非常に厄介だ。

 木々で制限される視界。巨木の根や石、ふわふわとした土が敷き詰められている為に戦いにくい足場。

 それに加えて敵も非常に厄介である。

 狩人と共に森を守ったとされたが、この領域に捕らわれてしまったのだろう、狂い、知性をなくし、デーモンと化した森の賢者エント

 個体としての力はそれほどではないが、グロテスクさでこちらの正気を削り、出現する際は複数匹で固まって出てくるムカデや甲虫など種類の多い人蟲のデーモン。

 キノコのデーモンは語るまでもないだろう。小型は俊敏で大型は鈍重だが恐ろしいほどのタフネスを誇る。月狼装備がなければ彼らが発する毒は最悪の攻撃手段だったはずだ。


 そして――。


 足元に突き立つ矢。闇を吸い込むような黒々としたものだ。闇鴉の矢羽が使われており、全体が黒い。

 狩人秘伝の毒が塗られている為に一度でも受ければ如何な辺境人とて昏倒することは避けられない。

「アレ以外にもいるのか!!」

 駆け出す。足場は悪いが接近しなければどうにもならない。

 根を蹴り、石を弾き、俺はましらのごとく森を駆ける。

 視線の先にはこの領域のボスである狩人のデーモンに似たデーモンの姿がある。

 料理人と同じだ。

 ボスの姿に似た劣位のデーモンがこの領域にもいるのだ。

 俺の接近に逃げ出そうとするその背にクロスボウの照準を合わせて射る。風を切って射出された矢がデーモンの背に突き立つ。刻まれた聖言と封じ込められた神秘がデーモンの身体に苦痛を与えた。

 相手の逃げ足が鈍る。

 すかさず俺も全力で加速して距離を詰める。こちらを振り返った狩人のデーモンは手に持った弓を投げ捨てると山刀を引き抜き俺に応戦するが、接近すればそれは戦士の領域だ。狩人に抗えるものではない。

 ショーテルが奴の狩人服を断ち切り、その下の肉に、込められたオーラが痛打を与える。

 デーモンとしての耐久力はそれほどでもないのか、一撃し、返す刀で斬り裂くと『オオオ』と声ならぬ声を上げて消滅した。

「……なんとも、恐ろしい場所だな」

 今回は一体だったが、これが複数もいれば俺は矢を四方から浴びせられて死ぬだろう。

 それをしない辺り、この領域の主はやはり狩人らしい狩人だ。狩人としての技術はあっても、まとめ上げて運用するという発想や手腕に欠けている。

「これが軍団統率者なんかがいると違うらしいんだが……」

 闇に魂を売った司祭や力を求めて堕落した戦士など、そういったものが敵の領域にいると相手の動きも目に見えて変わるらしい。らしいというのは俺が暗黒軍との戦列に立ったことはないのでよく知らないだけなのだが。爺にはそう聞いている。

 とにかく、人間出身で軍略を学んだものなどがデーモン側につくと厄介なのだ。辺境人の歴史はデーモンとの戦いの歴史でもあるが、同時にそういった人間世界の裏切り者どもとの闘争の歴史でもあった。

 特に、デーモンの世界に長くいると心が侵されることは珍しくない。

 そういった戦士は華々しく散ることを良しとして死にやすくなる。デーモンの領域に堕ちるよりマシだが、やはり死因として喜ばしいものではない。

「俺も気をつけなくてはな……」

 リリー。あれを思い出す。リリーに関しては、判断を誤れば俺が闇に堕ちる理由となりかねないだろう。

 あれでよかったのかという問いには、あれしかなかったという答えしか出せないが……。

 俺がもっと一人前の戦士であれば、侠ではなく戦士として彼女を即断する判断ができたのかもしれない。

 やはり半人前だが、恩人を殺す判断をしなかった点は、半人前でよかったと思う他ない。

「それに、これは俺が決断したことだしな」

 何があろうとも俺にはあれしか決断できなかったと判断を肯定する。

「とにかくだ。俺は俺のやることをやるしかない。その中途でリリーが救われるなら、その幸いに縋るほかないだろう」

 俺は、俺が闇に浸ることでしか救われない哀れな魂とならぬように自戒を新たにしながら進む。



 そうして俺は立ち止まった。

「……参ったな」

 森を進んだ先、霧に包まれた神殿の異様がはっきりとわかるような地点まで進んだ所、巨大な谷に突き当たった。

 道がないのだ。切り立った崖の下は暗闇で、落ちてどうにかなるのは俺の命だけに思える。

 しかし道は途切れたわけではなく、目の前の谷を越えた先には、対岸ともなる崖とその先に広がる森が見える。

 この谷の幅は広く、跳躍してどうにか、という距離ではない。

 そんなことをすれば確実に落ちるだろう。

「参ったな」

 周囲を見れば少し歩いた地点に架かっている大きな木製の橋が霧の中に微かに見える。

「本当に、参った。畜生」

 橋。橋か。本当に嫌な地形だ。

 嫌な汗が背中を伝う。高所恐怖症というわけではない。そこに倒さなければならない敵がいるなら高所から落下しながらでも戦える自信がある。

 だが、橋だ。

「ああ、畜生。ホント、クソッタレだ」

 あのような狭く不安定な場所を獲物が呑気に歩いていたら。


 俺が黒の狩人なら絶対に見逃さない。


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