042
おお、エリザよ! 汝を惑わすものはデーモンなり!!
聖なる義務を履行せよ! 聖域へ繋がる道は其処にはあらず!!
―作者不明 ダベンポートの名も無き遺跡にて見つかった碑文―
じゃきりじゃきりと音が鳴る。金属の刃が噛み合わされる音。俺が持つ長柄鋏よりも巨大な鋏を二体のデーモンが扱う音。
両腕で鋏を抱えたデーモンたちはヒヒヒ、ヒヒヒと嗤いながらじゃきりじゃきりと俺を脅かすように鋏を鳴らす。
覚悟はしていたが、相手は非常に強そうだ。明らかに給仕女のデーモンより格上である。それが二体。連携してきそうな辺り、料理人と鼠のデーモンよりも厄介に見える。
環境と体調も悪い。最悪でないだけマシだと思っておこう。
「……ショーテルでいけるか?」
自らに問いかけるためにも呟く。
誰かにいけるかと問われればいけると応えるだろう。辺境人は怯懦とは無縁だ。問われれば応える。勝てずとも突撃し、デーモンと戦う。そして敵わなければ死ぬ。
その選択を俺たちは後悔しない。戦うべき時に戦わない戦士に価値はないからだ。
だが、と己の内に問いかける。
場所と武具が悪い。不利な状況で敢えて身を危険に晒すのは本意ではない。
俺は俺自身のためにここにいる。俺の後ろに守るべき民はなく、守るべき場所があるわけでもない。敵が想定以上に強いのであるなら逃げるのは業腹だが悪いことではない。
しかし、と仮面の内側で苦笑が零れた。
目の前のデーモンが発生させたのか、背後に瘴気による障壁が現れていた。舌打ち。これで逃げられないと腹を括る。
そもそも倒さなければ乾いて死ぬのだ。前提として俺は聖域を作る場所を得なければならない。
「だがショーテルでは難しい」
勝てないとは言わない。だが難しい。ショーテルはあのような鋏に対抗するための武具ではないし、あのようなデーモン相手に振るうようにもできていない。
そりゃあ振るえば斬れるし、オーラを纏えば消滅も狙える。だが、それだけだ。
武具には必ず、その武具に合う場面が存在する。
あらゆる武具を扱える辺境の戦士は自らが赴く戦場に適した武具を扱う。あらゆる武具の扱い方に習熟するのはそのためだ。
そして、それができないなら一人前の戦士に非ずだ。場を整えることも一人前の条件だ。故に、俺はこういった意味でも半人前である。
半人前というのは、けして聖衣がないというだけではない。装備、経験、身体能力、戦歴、コネクション。あらゆる全てが俺には不足している。
「とはいえ、現状、他に選択肢はないぜ」
盾がないのが痛かった。鋏を刺突武器として使われた場合にこの防具では防ぐのが難しい。月狼装備は刃に対して強いが、凡百のデーモンならともかく相手はボス格だ。まともに喰らえば必ず貫かれるだろう。そして月狼装備が破壊されれば俺はこの空間では生きていけない。強い瘴気はともかく周囲を舞う毒花粉には耐えられない。
毒。即死はしないだろうが戦闘中では満足に解毒もできず死ぬだろう。否、この濃さだ。戦闘中の解毒は間に合わないと考えるべきだった。
「ならば相手の攻撃を受けずに倒せ、か」
それに鋏を鋏として使われた場合も気をつけなければならない。鋏をショーテルや長柄鋏で受ければ断ち切られる。肉体で受ければ言わずもがなだ。
「難題ばかりだなぁおい」
口角が釣り上がる。それでこそ、だと本能が嗤う。
じりじりと迫ってくる二体のデーモンに対して俺は仮面の中で息を大きく吸うと、思い切り吐く。
とにかく、戦闘だ。いつまでも言い訳を並べ立てているわけにもいかない。
『ヒャァアアアアアアアア!! お客さまぁああああああああ!!!』
突撃してくるデーモンの片割れ。さすがに速い。あっという間に距離を詰められる。
そして、もう一体はその背後で鋏を地面に突き立て、詠唱を始めていた。
『エリミネール! イリミネール! おお! 二頭の妄牛よ!! ヘーリオン! キティクル! ガリプスス!! 堕落の三姉妹!! 淑女の庭にて行うは淫猥なる冒涜の宴!!』
「ッ、馬鹿な! いや、俺が馬鹿かッッ!! 相手は
デーモンと対峙して冷静に戦いを考えていた俺。だが、この極限状態と格上の敵に対して焦っていたのだろう。ぽっかりと重要なことが抜けていた。
距離を詰めてきた庭師のデーモンが両手で振り抜いた巨大鋏を紙一重で避ける。さすがにデーモンで庭師とはいえ、鋏という武器の特性は変えようがない。もともと鋏は武器に適した形状ではないのだ。その巨大さから刺突、斬撃、打撃の全てに適性のある武器であると見受けられるが、最適解であるハルバードとは比べようもないほどに鋏は武器として稚拙である。
相手の攻撃を躱した格好のまま、ショーテルにオーラを纏わせると俺は庭師のデーモンに向けて剣を振るう。一閃、二閃、三閃。生命のオーラを纏った刃が浄化の光を煌めかせてデーモンに斬撃を叩き込む。
(黒鉄の長剣なら、与えられるのは一撃がいいところだが!!)
好みではないというだけで、手早く扱うならショーテルに分があった。肉斬り包丁に比べればこの武器は羽根のように軽い。
加えて龍の魂を得てからオーラに変化があったのか対デーモンに関しては少しばかりオーラの威力が上がったような気もする。
(気持ち程度だがな!!)
悲鳴を上げる庭師のデーモン。奴は俺の攻撃にバックステップで退くと鋏をじゃきじゃきと鳴らしながら軽業師のように踊り出す。
『ひぃぃぃぃ! 怖いぃいいぃぃ! 強いねぇえええええええ!!』
だが嗤っている。その顔は轢き潰されまともではないが、空気で理解する。奴らは歓喜している。戦いを喜んでいる。
(ええぃ、胸糞が悪い!! 俺の前でデーモンが喜ぶな!!)
『オーメンズ! ジ・プラネット!! ダ・ラームサール!!』
「糞がッ! まずい!!」
詠唱は続いている。ショーテルにオーラを纏わせ、突撃する。
『ダメダメェ! 楽しい催しを邪魔しちゃダメェヨ!! いっひっひひひひ!!』
その俺の進路に突き出される巨大鋏。退いたと思われたデーモンが俺へと距離を詰め直すと鋏を一閃。
だが邪魔することはわかっていた。俺はぎりぎりのタイミングで身体を屈め、鋏をやり過ごす。
ショーテルで切り裂いてもよかったが、その一振りにかかる時間が惜しい。
首筋に殺気。風切り音が耳に入る前にその場を跳びはねる。後背に置き去ろうとしたデーモンが鋏を投擲したのだ。
『ひぃいいいッッッッ!! はぁああああああッッッッッ!!!!』
「糞がぁッ!」
構わず走ろうとするも鋏を回避したために届かなくなる。
残り数歩の距離で庭師のデーモンは高らかに叫びを上げていた。
『顕現せよ! 我らが庭!!』
まずいという悪寒はあったが、足にはまだ力が残っている。
勢いのまま駆け抜ける。何か変化が起きる前にと鋏を高らかに掲げている
一閃二閃三閃四閃……。息もつかせぬ斬撃の嵐。だが奴は嗤っている。潰れた顔で歓喜も顕に佇んでいる。
(糞、軽い! 斬り裂き与える傷だけではこいつらを倒すのには圧倒的に足りないッ!)
俺の攻撃は効いてはいる。効いてはいるがッ。
20もの斬撃を一息でぶち込んだために息が切れる。流石にもう攻撃する余裕はないとバックステップで下がろうと足を動かせば……。
(うご、かな……なッ)
馬鹿な、食肉植物はこの場所にはないはず。それに巻き付くような気配があればさすがに気づく。
『ひっひひひひひィィィ。引っかかったねぇ兄者ァ』
『あっはっはっはっは。引っかかったなぁ弟よォ』
周囲を見る。愕然とした。うねうねと踊り狂う蔓や蔦が地面から続々と生えてくる。舌打ち。先の詠唱の効果はこれか。
直接的な魔術ではなく土の精霊術にも似た植物操作法。木々に吊るされた人々の屍体が呵呵と大笑している。血の涙を流しながらゲタゲタと屍体たちが嗤いだしていた。
俺に絡まっている蔓が腰まで伸びてくる。大陸人であればこの時点で下半身を粉々に破壊され死んでいただろう圧力。
「糞がッ……!! 舐めるなよ!!」
ショーテルを下半身に向けて一閃、二閃する。バラバラと絡まっていた蔓が落ちていく。まだ絡まっている蔓もあるが、一呼吸。オーラを練り、震脚だ。
体内に溢れたオーラによる筋力の増強。俺に絡みついていた蔓が引きちぎれる。
厄介だが、対処できないほどではない。
だが、既に正面にデーモンはいない。
『舐めてぇぇぇえええッッッ!!』
『ないぜぇえええええッッッ!!』
俺に向けて左右から迫りくる鋏の刃。致命的距離。俺が蔓を破壊するタイミングに合わせての挟撃。
この絶体絶命。アクションの余裕は一呼吸だけだ。
思考がめまぐるしく光速で行われる。
背後に飛ぶ? ――否。距離が足りない。
上に跳躍――無理だ。地面に降りる前に殺される。
屈んで回避――それだけでは足りないし、ただ屈むだけならば地面から伸びる蔓と蔦が俺を拘束するだろう。
ならば――。
呼吸――仮面の構造上、満足に吸うことはできない――し地面に身体を伏せる。俺の真上を刃が通り過ぎる――これが剣やハルバードであれば避けられなかっただろう。相手の武器が戦闘に向いていない鋏で助かった――。すかさず全身に巻き付いてくる蔦。それを気合で引きちぎりながらショーテルを引き抜き、鋏を振りぬいた姿勢のデーモンに叩きつける。
『アギャアアァアアアアアアア!!』
『兄者ァアアアアアアアッッッ!!』
オーラの篭った一撃。立ち上がりながら俺は舌打ちをする。
(やはり、俺の攻撃は軽い。これは泥仕合になるぞ……)
喜悦。憎悪。困惑。哀願。様々な感情の篭ったデーモンたちの気配を感じながら、俺はショーテルを構えるのだった。
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