041


 黒き森。それは善神大神殿の傍にかつて存在したデーモン溢れる広大な森のことである。

 その広大さは大陸の小国並とも言われ、存在する邪悪も凶悪なものが多かった。

 森から溢れたデーモンたちはたびたび辺境の村々を襲った。その被害は辺境人たちでも無視できるものではなく、故に森からデーモンが溢れるのを防ぐために神殿は建てられた。

 森を結界で囲うため、森に溢れる瘴気を鎮めるため、森から溢れるデーモンを滅ぼすため。

 森には様々なデーモンが存在した。

 漆黒の毛皮の巨大な狼たちの王。邪眼を持つ単眼の巨人の一家。大木すらへし折る凶暴な大猿の群れ。邪神に魂を売った悪なる司祭たち……エトセトラエトセトラ。

 料理人を困らせ、金剛龍に滅ぼされた鼠の王もこの森からやってきたデーモンだ。

 黒き森。闇の王たちの住処。森を抑えるために善神大神殿の前身であるゼウレ神殿が建てられ、騎士団が駐屯し、彼らを養うための街が作られた。

 森に番人も置かれた。

 森を監視するために。デーモンを滅ぼすために。

 それが黒き森の狩人と呼ばれる集団である。

 一人一人が森を熟知した凄腕の狩人たち。

 泣き虫姫エリザに出てくる狩人は、その中の一人だ。デーモンの計略により神殿から抜け出し、森に迷い込んだ姫を救い、デーモンを討ち滅ぼした銀の瞳を持つ凄腕の射手。

 その一矢は月光の如く冴え渡るとまで呼ばれた男。

「……まずいな」

 森の一角。庭園から侵入したそこで俺は小さく息を吐いた。

見られている・・・・・・

 殺意を孕んだ視線。庭園の小さな門を抜けた時に矢を射ってきたあの射手だろうか……。巨大な木の幹に背を預けた俺にどこからかはわからないが、何かが殺意をぶつけてきている。

 黒矢を思い出す。あれを受ければ如何に月狼の装備とはいえ貫通し身体を傷つけるだろう。

 黒き森の狩人は毒を使うという。内臓が腐れていく腐れの矢。あの黒矢を染めていた黒こそがその毒とも言われるが。

 黒き森に関する伝承とエリザの物語をじっくりと思い出しながら俺は手元を見た。

 そこにはショーテルがある。

「頼りない……」

 悪い武器ではない。庭園でも、この森に入ってからでもこの剣は役に立っている。

 だが、黒鉄の剣を思い出す。

 黒矢を叩き落とすならあれぐらいの頑丈さが欲しかった。あれぐらいの頑丈さがあれば衝撃に腕が震えることもなく矢を叩き落とせただろう。

 仮面の中で息を吐く。

 長柄鋏ならどうだ?

 少し考えて首を振る。ショーテルよりあれは向いていない。多少使って動きには慣れたがあれはあくまで鋏だ。荒っぽく使うのに向いていない。鋏を閉じて刺突槍のように使うならともかく、振り回して斧のように使うのは難しい。また、歪めば鋏としても使えなくなる。

 そもそも全てが鋼鉄でできているためかなり重いうえに、構造上、この長柄鋏は振り回したり叩きつけたりするには不向きなのだ。

「筋肉と技量がもっとあれば別だろうがな、今は無理だな」

 というかそろそろ切実に水が飲みたい。もちろんこの森で仮面を外すことはできないから飲めないのだが。

 聖域に適した場所も見つけられていない。射手に常に狙われている感覚が疲労を呼ぶ。

 月狼装備の中、緊張で嫌な汗が流れる。粘ついた殺意が気持ち悪い。

「一度戻るか」

 ここがどういった階層であるのか理解できた。故に無理に攻めることはせず、一度戻って態勢を立て直す必要を感じた。



「……おかしい」

 馬鹿な。道に迷ったのか? 辺境人である俺が?

 上の階層へと戻ろうと庭園へと入ったのだが進んだ通りに道を戻ったはずなのに、螺旋階段の塔へ戻れないのだ。

「惑わされているのか? それとも俺の感覚が狂っているのか?」

 庭園型という場所も悪いように感じる。

 整然とした道なうえに、同じような景色が多いために道を覚えにくいのだ。石像や長櫃がなどがあった地点はともかく、普通の通路を歩いていると、同じ道を通っている錯覚に陥ってしまう。

 木々の上から襲いかかってきたキノコデーモンをショーテルで斬り刻みながら考える。

 空腹は問題ない。食わなくても辺境人は戦える。だが戦いに際して汗を流している。密閉された月狼装備は蒸すため、いつも以上に消耗も激しい。最低限の水をどこかで摂らないとまずかった。

 ただ周囲に漂っている毒花粉や毒瘴気。それらの影響下で飲食物を摂ることはなるべく避けたい。どうしようもなくなった場合は最終手段として解毒薬と共に摂る選択肢もあるが、もしかしたら解毒が間に合わない恐れがあった。

 この庭園の毒の濃度、下手をすれば辺境人ですら死に至る。

「聖域に適した場所を庭園内で探すしかないな。同時に、この迷路の攻略も進める」

 地上でこういったダンジョン探索に必要な目印となる道具を調達しなかったことを悔いる。

 ヘレオスの目、という道具がある。

 辺境と放浪の神ヘレオスの紋章を刻んだ特別な石であり、そいつは加護のために瘴気の影響下でもダンジョンに取り込まれることなく設置できる道具なのだ。

 神殿の加護がかかっている特別な道具であるためそれなりに高価だが命に替えられるものでもない。

 あれをうまく使えばダンジョン内でも己の位置を見失うことなく探索ができたのだが……。

 あるはずの道がなくなっていたり、行き止まりにぶち当たったりと進んだり戻ったりを繰り返すうちに俺は自分の位置を見失っていた。

「糞ッ、ここはどこだ?」

 絶対的な方向感覚を持つ辺境人ですら迷う庭園迷宮。

 それに度々デーモンたちが襲いかかってくる。キノコや食肉植物の相手に慣れてしまったために片手間で処理はできる。

 銅貨は手に入るが、この連戦が地味に辛い。疲労で頭がくらくらしてくる。

「……水が欲しい」

 身体が乾く。仮面を外したくなる。

 襲いかかってきた石像型ゴーレムを拳で破壊し、息を吐く。

「不味いな」

 周囲に漂う瘴気が濃くなってきていた。それに毒花粉もだ。

「どこかに誘導されてるのか?」

 庭園の中枢へと誘い込まれている。そんな気がする。

 決断が必要だった。

 毒花粉が漂っていようが一度瘴気が薄い場所に戻り水を飲むべきだ。このままでは仮面を外すという選択肢すらなくなる。

「戻る、ぞ……ッ」

 背後を振り返り、背筋が冷える。

「やられた! 畜生! こういうことか!!」

 この庭園の絡繰に気付かされる。

 鋏を取り出し、叩きつける・・・・・! 道を・・塞いでいる・・・・・木々・・に!!

 俺が通ってきた道を塞いだ庭園の木々。この庭園迷宮を構成する壁が、戻るべき道を塞いでいた。


 ――戻れない・・・・


 鋏を一撃して悟る。この木を俺は破壊できない・・・・・・

 あの黒騎士のようにこの迷宮が生み出したデーモンにしか破壊できないのだろう。木に突き刺さった鋏を引き抜けば尋常ならぬ速度で幹が再生していく。

 どうにか方法はないかとじっと木を見る。人が通れるような隙間がないか探してみるものの、目を凝らしてよくよく見れば隙間という隙間に人の眼球を背負った毒虫がみっしりと詰まっていた。

「畜生ッ」

 毒虫たちは俺をじろりと見返してくる。キチキチと羽や牙が音を立てる。

 上の階で見た何かの肉と同じものだと理解する。

 手出しをしてはいけない。すればデーモン以上の悪いものを呼び寄せる。

「……進むしかない、か」

 諦めたように俺は背後を振り返り、先へ先へと進むのだった。




 とはいえ全てが全て悪い方に転がっているわけでもない。

「ただ、今手に入れてもな」

 進む途中で見つけた長櫃より手に入れた筋力上昇、皮膚硬化の水薬に地上で貰った司祭様のものより強力な上位の加護のかかった聖水。

 武器を強化する聖言の刻まれた刻印もある。これは『刃』だろうか? どういった効果を発揮するのか俺にはわからない。貴重な品ということはわかるが。

 聖水以外今は使えないことに小さなため息が出た。今手に入れたものもそうだ。

「こいつは鍵か」

 開いた長櫃の中から取り出した獅子の装飾が成された鍵を袋に入れる。どこの鍵だろうか、今開いていない重要な扉は神殿二階への扉ぐらいだが……。

 いや、牢獄でも一部の扉は開かなかった。

 だが牢獄の鍵ではないように見える。獅子といえば王家の紋章にも使われているものだからだ。

 しかし、今は重要じゃない。

 長櫃を開けた際に襲いかかってきた石像のデーモンの破片を蹴り飛ばし、硬貨を拾いながら俺は歩き出す。

 もはや周囲に漂う瘴気は尋常ではなく、瘴気に耐性のない生物が踏み込めば一息で絶命しかねない濃度になっている。

 この奥にいるものを想像する。おそらくはボスデーモン。泣き虫姫エリザで庭園に関係するものとなれば話は2つある。

 一つは青い薔薇。

 そしてもう一つは……。

 濃い瘴気を抜けた先、そこそこの広さの広場にそれはいた。

 食肉植物に囲まれた広場。周囲に吊り下げられている人々の屍体。

 そして、それを鋏でやたらめったらに切り刻む二体のデーモン。

「ここのボスはお前らか……」

 そこにはかつて神殿の大庭園を任されていた庭師の兄弟がいた。

 彼らが世話をした色鮮やかな花々や、見事に剪定された木々の並ぶ大庭園は王族ですら感嘆する出来だったという。

 俺は誰にも聞こえない声で「畜生」と呟いた。

 予想はできていた。しかし胸に浮かぶ怒りは抑えきれない。

 いつかの庭師は今、哀れにもデーモンに囚われた人の屍肉を切り刻むデーモンへと変貌していた。

『アアア……綺麗に綺麗にしましょうねぇぇ~~』

『ヒッヒッヒ……姫様のために頑張りましょうねぇぇ~~』

 クロスボウを袋から取り出し、ショーテルを構える。

『ああ~~。誰かが来たよう兄者ァ』

『ひひひぃぃ~~。お客様が来たなぁ弟ヨォ』

 巨大な鋏で人の屍体を悪趣味に切り刻み続ける二体の庭師デーモンは、生きた人間の気配に気づいたのか。ぐちゃぐちゃに轢き潰された顔をこちらへと向け、巨大な鋏を振り上げた。

『『お客様は歓迎しましょうぅぅぅぅぅーーーーー!!』』

 全身からオーラを絞りだすと、俺も奴らへ向かって駆け出すのだった。


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