038


 金剛龍の魂と同化することで魂の欠落は埋められ、身体能力に多少の強化を得た。

 だが、それは、それだけだ。

 それだけで進めると思うほど俺は自惚れてはいない。

「やはりあったか」

 それを前にした俺はふぅ、と安堵の吐息を吐く。

 ボスクラスの料理人デーモンがいなくなったために探索できるようになった調理室を探索し、未発見の長櫃を見つけたのだ。部屋の隅に謎の肉塊に埋もれるようにしてあったそれ。開けば中には小さな工具が入っていた。

「なんだ、これは?」

 長櫃のなかにぽつんと置いてあったそれ。

「数もこれ一本だけ、か?」

 それは工具に見える。打刻に使うためのものだろうか? 先端に何か細かい意匠が見える。

「こいつは『炎』の聖言か? 聖言を刻むための道具に見えるな。微かに神秘も感じるが」

 この道具自体からは薄っすらとした神秘しか感じないが、これは確かにヤマを讃えるための道具のようだった。これを用いて武具に聖言を刻めばきっと炎の力を武器に宿したり、炎への耐性を防具に宿すことが可能になるのだろうと思われる。

 俺が知らないのはこれが鍛冶の秘儀につながるからだろう。あらゆる武具の知識は叩きこまれているが、こういった秘儀に伝わるものの知識はさすがにない。ただ貴重なものだということはわかる。

「が、俺には扱えん。鍛冶屋じゃないからな」

 指でつまみ、じーっと見つめる。

 道具だけあっても鍛冶のための技能を持っていなければ意味が無い。特に聖言を刻むような高度なわざともなれば特別な炎と特別な秘儀が必要になる。酒呑がその場で聖言を刻めたのは、あれが神の眷属だからだ。

 鍛冶師でも眷属でもない俺には使い道のない道具だった。

「こいつを使うには鍛冶に秀でたドワーフか巨人の助けが必要なんだろうが……」

 生憎と半人前の俺には伝手がない。無理に扱っても武器や道具を壊すだけだ。最悪、猫に売り払うことも考えておく。

 さて、貴重な道具である工具を袋に入れると俺は腰に両手をあてて、ふぅとため息を吐いた。

 道具は他に得られていない。一応はまだ探してみるつもりだが……。

「ないんだろうなぁ」

 首をぐるぐると回す。工具に刻まれた逆さの文字を識別するのに肩が凝ってしまった。

 このダンジョンが俺に与えてくる道具はどうしても必要なものばかりで、逆に言えば必要でないものは探さなければ手にはいらないのだ。

 そして、そういう手に入るものは恐らくリリーが回収していると思われた。

 俺がこの階層を後にして地上では一日の時間が経っているが、ここでは僅かな時間でしかない。しかし、こういったわかりやすい場所に何かが残っていることはないだろう。リリーも死に物狂いだ。探すならリリーでは入れない場所を探すべきだろう。

 そういう意味で、今の工具があったのは俺の武具不足を補うためにダンジョンが与えたものかもしれない。

 とはいえ、使えないものを与えられてもどうしようもなかった。

 ただ、何もしないわけにもいかず、俺は部屋の探索を続けるのだった。



 やはりというべきか。道具は何も見つからなかった。

 だが死者の念の残った死体が一つ見つかり、その意思ともいうべき最後の記憶を俺は継承する。

 それは名前も残らなかった誰かの記憶。ただ平和に暮らしていただけだというのに、デーモンに引きずり回され、拷問を受けて吊るされ、そのまま死んだ男の記憶。


 ――死を想え。そして乗り越えろ。


 何度もやっていれば慣れてもくる。魂にかかる負荷に耐え、俺は目を開いた。

 ただ消えるだけだった怒りも、苦しみも、辛さも、憎しみも、誰にも届かなかった悲鳴も、俺の魂に残される。

 それなりに強くなった俺の身体能力はもはや人一人の死ではそこまでは上がらない。

 それでも心に猛る戦意が溢れてくる。

 なんだか必死に探索していたことが馬鹿らしくなってくる。

 何がなくとも拳があるのだ。

「行くか……」

 真下を見つめる。その先にあるのは俺の知らない地獄。

 だが、もはや恐れる気持ちはなかった。

 古の龍の助力。死者たちの想い。そして俺が倒してきたデーモンとの戦いの記憶。

 それに、と腰を見る。

 そこにあるのは鋭い刃を持つ剣。

 多くを望みすぎてしまっている。これだけでも戦えるというのに。

 そもそも、あまり道具に頼りすぎても俺を弱くするだけだろう。

 目の前の死体だれかに向かって俺は拳を突き出す。

「安心しろ。全ての無念は拳に乗せて、地下の邪悪に叩きつける」


 故に、その魂に安息のあらんことを。


 だが、この地獄に囚われた多くの魂は未だに苦しみの中にある。

 早く解放してやらねばならない。



 さて、俺は以前の探索で使ったほぼ全ての装備を聖女に渡したが、あの後それを見かねた司祭様がこっそりと装備を渡してくれていた。

 以前リリーが皮鎧を渡してくれた聖域。そこで俺は司祭様から受け取った装備を広げる。

「司祭様は昔デーモンと戦った時に使った装備だと言っていたが……」

 それは辺境でもなかなか姿を見かけない月狼の皮で作られたズボンと長袖シャツだ。着てみると、足首と手首の部分をぎゅっと締め、外気を入れないための構造になっていることがわかる。

「辺境人でも心身に影響が出るほどに瘴気が強い地域で使う装備はこういう構造らしいな」

 爺から講義を受けたことはあるが、この服はかなりの貴重品なので実際に着てみるのは初めてだ。

 次に月狼の皮で作られたブーツを身につける。これも気密性が高いように作られている。ただ内側には月狼の柔らかい腹の皮が張ってあり、整備されていない道でも歩きやすいように作られている。どのような環境でも使えるようにとの配慮だろう。

 このブーツだけでも相当な高値のつくものだ。

「いや、確かこの手の装備は素材が貴重だから、神殿でも特別な地位にいる人間しか手にできなかったはずだ」

 金で買える品でもなく、ただの神官が手に入れられるものでもない。

 やはり司祭様は相当な修羅場をくぐり抜けていたのだろう。尊敬の念を改めて抱き、俺は身体を覆うガウンを身につける。

 ガウン、首から下の全てを覆うほどの大きい衣類だ。ゆったりとした作りになっている。隠しポケットがいくつもあり、そこに薬や道具を入れられるようにもなっているようだった。

 俺は緊急性の高い薬などをそこに入れていく。その中には剣の鞘を通す穴などもあり、通してベルトで締める。軽く動いてみるが鞘が滑り落ちるようにはできていない。かなり腕の良い職人が作ったのだろう。

 月狼は聖獣とも称される誇り高い獣だ。その皮は鋼を弾き、瘴気を通さない。またズボンやシャツ、ブーツやガウンの各所は聖別された銀で補強されている。銀は対人ではそこまで強い金属ではないが、聖別され、聖言の刻まれた銀はデーモン相手には特別に強い効果をもたらす。そのうえでオーラを通せば格闘でも十分に使えるだろう。

 この装備は鎧よりも重くなく、衣服は厚いが動きもそこまで阻害されない。素材の特性で刃にも強いが、鎧とは違い鈍器を直接受け止めるには向いていないだろう。だが、その辺りは使いようでいくらでも価値は変わる。

 要は俺が上手く使えばいいのだ。

 さて、いくらか身体を動かして装備に慣れさせた俺はそれを見る。

 そこには香草の詰められた嘴状の仮面がある。その香草は毒や瘴気に耐性を与えるものだ。また仮面の目元部分は大きく取られており、そこには辺境の森に棲む蟲の複眼から採取された破れにくく透明度の高い膜が貼ってある。

 試しに被ってみる。少しばかり窮屈さを感じる。視界も多少制限されているが、そこまでではない。ただし。

「仕方ないとはいえ、呼吸が少し難しいか……」

 格闘に限らず戦闘は呼吸が重要だ。このマスクは毒や瘴気には強いが、その辺りは厳しかった。いや、この手の道具のうちでもかなり考えられた造りにはなっているのだが、やはり限界というものはある。

 ふむ、とマスクはしまっておく。病耐性の指輪を失った以上はそのうち使うかもしれない道具だったが、今は特別必要ではない。更に言えば鼠の牙や爪もこの装備なら貫通しないだろうしな。

 さて、最後にグローブをすれば防具は完成だが、その前にもう1つの装備を取り出しておく。

 機械式の弓。所謂クロスボウだ。

 司祭様が使っていたもので、今の防具と同じようにもう使わないからと渡されたものだ。貴重な聖言の刻まれた太矢ボルトも一緒に渡されている。太矢は100本ほどだが、機械式の構造で打ち出す太矢は銃の弾丸と同じく込められた神秘を消費してしまうために再利用ができない。補給ができない以上、大事に扱うべきだろう。

 ただ、クロスボウが銃と違うのは太矢の木材部分がそれなりに長く太いためにそこにみっちりと聖言を刻み込めることだ。だからその分、銃弾よりデーモンに対する効果は高く、また貴重な聖銀を使わなくとも木のと鉄の鏃でそれなりの威力を期待できる。

 渡された神殿製の太矢にもしっかりと聖言が刻み込まれており、上のもどき程度ならば一撃で倒せると思われた。

 このような貴重な品を快く貸してくれた司祭様には感謝するしかない。

 最後に月狼の皮で作られたグローブを手にはめ、クロスボウを腰に下げる。

「おっと、一応腹に何か入れておくか……。次休めるのがいつになるかわからんからな」

 しかし満腹はあらゆる意味で危険なため、地上で買ったパンとワインを少量腹に入れると俺は聖域の外へと出るのであった。



 そこにデーモンは残っていなかった。

 あれだけ大量にいた芋虫のような修道女たちは全て俺に倒され、その後現れた王妃も去ったのだろう。ここにはいない。

 人の死体の乗った皿や机がダンジョンの作用によって元に戻されているだけである。

「俺が置いていった肉斬り包丁も落ちてないか……」

 更に言えばあの修道女のデーモンを倒した証であるチェスの駒もだ。

 あちこちも調べてみるがあったのは空の長櫃。リリーが中身を持っていったのだろうか?

 また、死体などにも何も念は残っていない。あまりに過酷な経験に魂が擦り切れたのだろう。先ほどのように魂の残っている死体の方が特別なのだ。

 何も見つからなかったために、ため息を俺は吐く。そうして少しの覚悟を決めて王妃が出てきた巨大な穴を覗き込んだ。

 この食事場の大半を貫通する巨大な穴だ。

 恐らくだが、酒呑は修道女を無視してここに飛び込んでいったのだろう。

 底の見えない穴。ただ邪悪な気配と濃厚な瘴気だけがそこに見える。

「――俺には、無理だな」

 以前に神殿に通じる穴に落ちた時と違い、明確な危険信号を身体が発している。

 この奥に落ちれば命はない。おそらくは、王妃のデーモンがそこにいる。


 ――ダンジョンの法則に従い、挑戦者を待っているのだ。


 今の俺ではまだ勝てない。それなりの手筈を整え、相応しい魂を身につけなければ殺されるだけではなく、それ以上の痛苦に満ちた責めを受けるだろう。

 如何に俺とて自殺趣味はない。

 グローブ越しに手のひらがじんわりと汗を流したのがわかった。

「地道に行くか……」

 地上ではどれだけの時間が経つかはわからないが、俺にできるのはそれだけなのだから。できることをしっかりとやっていくしかない。

 そして、壁にあった唯一の扉を開く。

 すでにリリーが通った後なのか。それとも最初から開いていたのか。

 その扉はきぃきぃと音を立てながら開いていく。

 そこにはじっとりと湿った、下に続く階段があり、誰がつけたのかわからない松明が行く手を薄暗く照らし出していた。



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