039


 階段を降りた先に見えたのはそれは美事みごとな庭園だった(全体から漂う毒々しい色を除けばだが)。

 俺が降りてきた螺旋階段は途中で外の景色が見えるように壁の一部が消えており、そこからは次の階層を全景が高い部分より十分に見えるようになっていた。

 広い庭園とその先に見える神殿らしき建築物の威容。

 それを俺に見せることはダンジョンの配慮か。

 否、と首を振る。

「次の階層は庭園か。……そりゃ見下ろす場所も必要になるか」

 庭園の役割は侵入者に対する防壁の他に、見るものを楽しませたり驚かせたりすることである。

 未だ螺旋階段の途中にいる俺の視界一杯を占める迷路状の庭園。

 それは泣き虫姫エリザの話にも出てきた神殿前の大庭園だ。いや、話に出てきたそれよりも拡大しているのかもしれない。

 話の中では子供が走り回って迷子になる程度の大きさだったそれは、今や俺の眼下で広大な森となってこの階層攻略の困難さを示していた。

「……問題はどのタイプの森か、だな」

 森型の迷宮。デーモンが根城にするような遺跡が少ない辺境ではメジャーなタイプだ。とはいえ、庭園型の森型迷宮というのは結構珍しいが、その基本はあまり変わらない……と思う。

 そもそも俺は迷宮に挑んだことはない。爺から聞いた限りなのだ。

 だから知識だけはある。

 森型の自然迷宮。そこにあるのは、自然地形から生まれる不安定な足場(今回の庭園型なら整備されている方だとは思うが)。方向感覚を惑わす霧や、木々や大岩などの配置による障害。また花系デーモンによる植物由来の神経毒や猛毒による体内汚染。

 ガウンを開き、腰の袋に手を伸ばす。取り出すのは先ほど仕舞った仮面だ。

「早速使うことになるとはな……。しかし偶然か? 病耐性の指輪と鎧を失った後に、この環境で最も効力を発揮する防具を手に入れる。この巡り合わせ」

 息を吐く。まだ下の森の瘴毒はここまで届いてはいない。だがゆっくりと呼吸をすると俺は仮面を被る。

「なんにせよ。覚悟しなければな。ここから先は一筋縄ではいかないぞ」

 エリザの物語を思い出す。

 庭園であると同時にここは森だ。ならばあの男がデーモンと化しているだろう。

 今まで戦ったデーモンを思い出す。

 黒騎士、司祭、給仕女、料理人、修道女。

 どれも手ごわかったが、黒騎士を除き、彼らは戦闘職につくものではない。

 黒騎士。あれも十全な状態で俺と戦えたわけではなかった。あの場は狭く、ハルバードを使う相手に対しては地形の有利が俺の側にあった(それも微々たるものだったが)。

 あれが平原で、あれが馬を持っていたら、どうやっても死んでいたのは俺の方だっただろう。

 だがこの先にはアレがいる。

 森という環境を最大に活かし、なおかつ戦闘にも秀でた男のデーモンが。

「エリザを守った黒の森の狩人、か。できればデーモン化していないことを祈るが」

 今までの惨状を想えばそれだけはありえないだろう。

 どうやったって避けられるものではない。

 それに、ここが庭園ならあれがいる。

 姫の青薔薇。幼き頃より姫が愛でた魂持たぬ花。しかしその荘厳な美しさと、未だ人の手では作り出せぬ青色は薔薇単体だというのに、泣き虫姫エリザで章となっている。

 そう。ただの薔薇と侮るなかれ、水と生命の神の作り出した青薔薇はまさしく神の遺物アーティファクトであった。

 龍さえ汚染されるこの迷宮。神の遺物とはいえ、ただの花が抗えるものではない。

 だが、神の作り出したものがデーモンとなっていたならば、やはり強敵となって立ちはだかるに違いないだろう。

「……滾るぜ」

 静かに息を吐き、ぎぃ、と錆びた音を立てて扉が開く。

 強敵は恐ろしい。未だ未熟な俺では生きて帰れるかは怪しい。

 だがそれでもそれを打倒し、さらなる強さを得ることは楽しい。

 螺旋階段を構成する煉瓦で作られた石材から、踏み固められた土の道へと足を下ろす。所々煉瓦が埋まっているが、やはり森の迷宮なのだろう。土の割合が多い。ここで戦うなら地面の位置取りをしっかりと考えなければならないだろう。

 武のほぼ全ては地に足をつけていなければ真価は発揮できない。

 考え、少しだけ型の練習を行う。

「さすが月狼皮の装備だな。オーラの通りもいい。革鎧の時より動きやすい」

 司祭様からの贈り物は、辺境人がデーモンと戦うために作られた防具だった。

 この窮地である。司祭様には特大の感謝を捧げなければならない。

 仮面による呼吸の困難さだけが問題だが、そもそもが最初に呼吸量を減らし、肺の容量を増やすことから辺境人は武を始めるのだ。

 こうやって仮面をつけての戦闘はやりにくいだけで不得意というわけでもない。この仮面は視界も広く取られているし、視界のデメリットもない。

 安心し、歩みを再開する。暫く歩けば土の地面から草の地面へと変わっていく。

 そして目の前。視界に広がってくる巨大な生け垣。誰かが手入れしているのか、ブロック状にカットされた木々が通路となって目の前に存在していた。

 周囲を見る。

 うっすらと漂う瘴気や微かに毒の成分を含んでいるのだろう霧状の胞子や花粉が周囲には漂っている。

 だがヒカリゴケや微かに光を発する奇妙な花々。それらがあるせいで視界は薄暗いものの悪くはない。

 最終確認を行う。ショーテルを抜き出し、一閃。そして、もう一度拳打を型通りに行う。

 道具類。準備完了している。食料。先ほど腹に入れてきた。一日以上何も食べなくとも戦える。水。ここで飲むことはできないだろうが辺境人は渇きにも強い。ぶっ続けで戦闘を行っても半日は大丈夫だろう。あまり過信してはいけないが。

「何はともあれ、まずは拠点を見つけよう」

 聖域を作れる場所をだ。それに、もしかしたらリリーに会えるかもしれなかった。先行しているなら、彼女が聖域を作っているなら助かるのだが……。

「しかし、あまり当てにはできないかもな……」

 強いとはいえ大陸人の尺度での話である。高位のデーモンと当たれば彼女ではどうにもならない可能性が高い。もちろんあの身体の内に巣食うデーモンを使う方法もあるだろうが、あまり多用していては精神を食われ、人ではなくなるだろう。故に彼女の奥の手はあまり使える類のものではない。

 だが上の階層では見なかった。どこかに隠れ潜んでいるのだろうか?

 あまり心配しても仕方がない。俺は仮面の中で小さく息を吐くと、庭園の入り口を覆う小さな門へ手をかけ、その中へと侵入を果たすのであった。



 森型ダンジョン。そこに現れる敵にはいくつか法則がある。

 鹿、狼、熊などの動物型デーモンが現れるタイプの森型迷宮。これは特殊能力のないデーモンが普通の森を占拠し、瘴気を垂れ流して現地の生物を汚染し作るものだ。そこまで脅威ではない。

 次に、歩くきのこ、木人、巨大な昆蟲、異形の植物が現れるタイプの森型迷宮。こちらは特殊な能力を持ったデーモンが普通の森を占拠した場合に作られる。この場合、ボスの多くは植物毒を扱うタイプのデーモンだ。難易度は前述した迷宮より高く、大量の解毒薬が必要となる。

 そして最後は森の中に作られた寺院などを司祭型のデーモンが拠点とすることで作られる森型迷宮。多くの配下型のデーモンなどが配置される。またゾンビとなった動物の死体などをデーモンもどきとして使役してくることもあるという。また、強力なデーモンならば昆蟲や木人、石人形ゴーレムなども使ってくるだろう。

 他にも巨人の死骸や、幻獣や神獣の類を汚染するもの。森全体をデーモン化し侵入者を飲み込むタイプの迷宮もあるが、それらは基本的に条件が厳しいので出現することはない。

 そんなわけで傾向をさっさと掴みつつ、攻略を進めるためにここがどんな迷宮かと数歩歩く。

「ま、わかってたけどな」

 胞子と花粉が舞っていた時点でいくらか予測はついていた。

「いや、それでもここまで醜悪なものは予想してなかったか」

 ブロック状の生け垣の他に植えてある幹の太い樹木。そいつの足元から上を見上げれば、原形を留めていない肉をいくつもぶら下げた食肉植物の花がいくつも咲いていた。

 そいつは一定の間隔で呼吸器のような蕾を膨らませ、萎むことで毒々しい色の花粉を吐き出している。

 その花粉は、今俺の周囲に舞っているものと一緒のものだ。

 臓腑を腐らせる病毒の花粉。

 だが、俺の注意はそいつが吊るしている肉塊に集中している。

 食肉植物の餌食になっていたのだろう。既に原形がわからなくなっているソレ。だが、上の階層で多くを見てきた俺にはわかってしまう。


 ――肉は人の形・・・をしていた。


 仮面越しに額を押さえる。

 目頭が熱い。上でも、ここでも、きっと下でも。

 彼らは苦しみ続けているのだろう。

 手のひらを見る。そこにはヤマの指輪がある。炎を発生させる指輪だ。体内の魔力を用いて浄化の炎を生み出すヤマの道具。

 以前は二発も使えば底の着いた俺の魔力も、龍の魂と融合し、容量が増えた現在なら5,6発は火炎球を使うことができるだろう。

 だが、俺は腕をぐっと押さえた。

 集魔の聖言の彫られた盾があれば、あの食肉植物を焼き払うことはできた。

 魔力を使っても回復することができればだ。

 だが、今の俺に魔力の回復手段はない。

 だから限られた魔力をここで使うことはできなかった。

 こんな階層だからこそヤマの炎は温存しなければならなかった。

「……すまん。いずれ必ず解放する」

 死体に向けて頭を下げる。

 弓に番えたオーラでも、司祭様から頂いたクロスボウでの攻撃でもあの食肉植物を破壊することはできる。

 だが、やはり俺にそれはできないのだ。

 あらゆる全てが俺にとっての生命線であり、それを無闇矢鱈と浪費・・するわけにはいかなかった。

 木を見上げる。

 あれは滅ぼすには少し位置が高すぎる。

 槍を持っても届かない、そんな位置から花粉を落としてきている。

「……糞ッ。これも俺の力不足か」

 そしてきっと、こいつはここだけではないのだ。

 この森に漂う花粉の量は異常だ。

 だから、きっとこいつらはこの庭園のあちらこちらにいるのだ。

 だから、ここでこいつだけを倒すことはできなかった。

「それでも、いずれ滅ぼす。必ず、それは、絶対に、だ」

 この人間を冒涜する化物どもを。絶対にだ。

 俺は仮面越しに清浄な空気を少しだけ吸うと、届かない敵から視線を逸らし、庭園の奥へと進んでいくのだった。


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