036


 転移して現れた俺に向かって猫が話しかけてくる。

「キース、おかえりにゃ」

「お前、そんなところに寝転がってると毛に土が着くぞ」

 神殿前の広場でごろごろにゃんにゃんと転がっていた猫は自分の身体を見て、てしてしと小さな手で顔を洗う。意味があるのかないのかよくわからない行動だ。

 ふぅ、と俺は上を見る。浮遊の速度はそこまで早くはないがのんびりしていてはあいつらがここに来てしまうだろう。

「猫、悪いがショーテルを出してくれ」

 にゃんにゃんと俺を見る猫は俺の空気で急いでいるのを察したのか何も言わずに預けておいたショーテルを出す。俺はその間に聖印の入っている長櫃を開け、とりあえず3つほど聖印を袋に入れた。あまり多すぎても先の聖女の時のように全てを喪失した時が痛い。

 役に立つ道具であるから数を持っておきたいが、持ちすぎてもリスクが高すぎるのだ。

「それと猫、聖印を全て預かっておいてくれ。長櫃ごと頼む」

「わかったにゃ。他には何かあるかにゃ?」

「ああ、この前買った薬と聖域と転移のスクロールを頼む。他はいい」

 にゃんにゃんと猫が手のひらをふらふらとさせると宙空から薬やスクロールが出てくる。俺は猫が要求するギュリシアを渡すと、買ったものを袋に全て詰めていく。

 さて、神殿に潜るかというところで猫に一応の忠告をしておくことにする。

 商業神の眷属であるこいつにとっては客が増えるのは良いことなのかもしれないが、あの人間性を先に知っておけば何か対応もできるというものだろう。

「ああ、そうだ。今からここにゼウレの聖女が来る。が、聖女と言ってもその人間性は子供と同じ程度。いや、教育すれば直るだけ子供の方がマシか。ともかく神殿が甘やかして育てたせいで赤ん坊のまま大人になっちまった女が来る」

「にゃにゃ。ミィは誰にでも物を売るニャ。だからお客さんが増えるのは大歓迎だニャ」

「……それと――」

「もちろんキースのことは聞かれても答えないから安心するニャよ」

 頼もうと思っていたことを先回りされ、そうかい、と俺は肩を竦める。猫は素知らぬ顔でぺしぺしと尻尾で床を叩いている。

「……なんにせよ。気をつけることだ。大陸では商業神は明確にゼウレの下に位置づけられている。あまり油断するなよ」

 少しばかり悔しく思った俺の口から思わず、思いつきのような忠告が出てしまう。

 だが、間違いではない。

 辺境でもゼウレは偉大なる神で、最も徳は高く最大限に敬うべき存在だ。しかしゼウレを敬うが故に他の善神を貶すことは許される行いではないとされる。

 だが大陸では違う。主神たるゼウレこそ最も偉大であり、他の神々はたとえ善神であっても一歩引くべきであるとされていた。

 あの聖女たちは猫に対しても敬意のない威圧を持って接するだろう。

 そのことを言いたかったのだが、俺の忠告にも猫は素知らぬ顔で顔を洗っている。

 頭をぽりぽりと掻く、口にした瞬間しまったと思ったが、やはり、余計な言葉だったかもしれない。この猫はこれでも商業神の眷属なのだ。どう考えても対人能力は俺よりしたたかだろう。

 それに商業神の役目は他者に物を売ることで、それは他者との繋がりによって維持されるものだ。

 そう考えれば、俺の言葉は商業神の領分に足を踏み入れすぎている。

 だが猫は俺を責めず、にゃししと笑った。

「にゃにゃ。キースこそ気をつけるニャ。前にキースが潜ってから少し瘴気が濃くなってるニャよ。――そんな装備で大丈夫かにゃ?」

 にやりと俺の領分たたかいに嘴を突っ込み、にゃにゃと笑う猫に俺は苦笑を返した。

「――大丈夫だ。問題ない」

 剣やメイスを失おうとも、辺境人には腕と足がある。極論、辺境人は拳で神すら殺すのだ。

 猫に心配など無用。猫に俺の強さを示すように拳を突き上げた俺は、神殿へと侵入するのだった。



 神殿内の瘴気は以前よりも濃く。現れるもどきたちはほんの少しだけ動きの良さとタフさが増していた。

「壁に汚れが……瘴気のせいか」

 以前に見た神殿の壁、その精緻な文様に少しだけ歪みは走っている。恐らく濃くなった瘴気の影響だろう。多少の禍々しさを感じた俺は急ぎ足で通路を駆ける。

 もどきたちは駆ける俺を追いかける素振りを見せるが、ある程度距離を離すと諦めたように元の位置に戻っていく。

 強くなったもどきに多少の興味はあったが、あいつらにはやってきた聖女の足止めをしてもらいたかったのだ。

 とはいえ、俺にも欲しいものはある。大広間に寄ると、ナイフを落とす痩身のもどき・・・たちを拳と蹴りで粉砕する。

「このもどき、強くなってはいるが、そこまで強いわけではない。いや、俺が強くなったのか?」

 自身が強くなっているという自信は未だない。だが身体能力は以前よりも跳ね上がっている自信はある。

 あの騎士の大剣、あれを地上で過ごしていた時の俺は持てなかっただろう。だが今は両手でなら持つことができる。

 俺の信仰や知識が足りないため、あの剣に秘められた力を扱うことは不可能だが、剣として使うこともできるだろう。

 多くのデーモンを殺し、俺は確実に強くなっていた。

「なら、もっとデーモンを殺せばいいのか?」

 デーモンを乗り越えよ。デーモンを殺すことこそが正義である。

 ゼウレがかつて辺境人へと語りかけたとされる言葉。爺から聞いたそれを思い出す。

「殺そう。デーモンを殺し、ゼウレに俺の戦士としての信仰を示す」

 それこそが辺境人の望みなのだから。

 さて、噴水脇の聖域で一度態勢を整えてもよかったが、あの聖女たちは大陸でも有数の英雄的存在である。聖女に関しては未知数だが、第三聖女と同等の奇跡を扱えるはずだ。また騎士の2人に関しても油断ならない力量の持ち主たちと思われる。

(急いで牢獄の階層まで降りるか……)

 残したもどき・・・どもでは足止めにもならないだろう。

 地下に降りる前に一度ショーテルの具合をしっかりと確かめたかったが、時間的余裕はないかもしれない。あいつらなら神殿の各部屋を確認すると思うが、まずデーモンを駆逐してからという考えに及ばないとも限らないからだ。

 その時に鉢合わせすれば面倒な目に遭うことは確かだろう。

 とはいえ、何もしないのも不安である。確認のために、服のベルトに挟んだ鞘からショーテルを抜き出す。

 こいつはドワーフ鋼製のものであり、柄や鞘もしっかりとしている。このダンジョンから手に入れたものだが十分に名剣の類である。

 更に言えば俺はショーテルの扱いに熟達している。いや、あらゆる武器に関してと言うべきか。

 とはいえ名剣と使える人間がそろっていても、実際に武器と身体を一致させるにはそれなりの準備というものが必要だ。

 武器と体の一致を見る前に危険地帯へと侵入することに少しだけイライラとした感情が湧き上がってくる。

「糞ッ、このまま降りるのは不安だが、聖女どもと顔をあわせないよう急がなくては」

 苛立ちのままに中庭へと入り、襲ってきた犬のデーモンを素手で引き裂き、足で蹴り砕きながら俺は昇降する絡繰に向かう。この程度の獣相手なら剣より素手の方が慣れている。

 あ、と言葉が漏れた。反射的に殺してしまったが、ショーテルの試し切りに一匹ぐらい残せばよかったと反省する。

 聖女に追われていて気が急いているのだろう。細かなことで失敗が出ている。

 仕方なく歩きながらだが、ショーテルを確認のために、二度三度振るった。

「良い剣だ。俺にはもったいないぐらいに」

 使わなかったのは黒鉄の剣の方が重く、長く、好みだったからで、この薄羽根を振るうような重さの剣も扱ってみれば中々に楽しい。

 何よりオーラの通りが良い。良い鍛冶師に鍛えられたのだろう。

 昇降機の中に入り、地下へと向かっていく中、俺はショーテルを再度確認する。刃の鋭さ、柄や鍔の強度、オーラを込める量の限界などだ。

 くるくると手の中で回転させる。宙に放り投げ、落ちてきた剣をキャッチする。狭いが小さく演舞を行い手に馴染ませていく。

 だがどれだけやってもそれは練習以上のものにはならない。

 剣を真に扱うには斬る実感を覚えさせなければならない。

「だがもうすぐだ……。落ち着けよ俺」

 自分でも口角が釣り上がる感覚がわかる。

 司祭様も俺のこの感情を見抜いていたのかも知れなかった。


 俺は、この地獄を楽しんでいる。


 時に置いていかれても、誰もが俺の戦いを知らなくとも。


 怒りはある。敵意はある。殺意はある。憎悪はある。


 だが俺は、この地獄で戦うことが、嫌いではないのだ。


 ガシャリと昇降機が目的地へと到着した。そこにあるのは下水道のような匂いのするレンガ作りの通路。

 そして昇降機から降りてきた俺と、子供の落書きのような顔を貼り付けたデーモンたちの視線が合わさる。

 俺は小さくゼウレの聖句を唱える。それは俺の戦いはゼウレだけが知っていればいいという祈り。

 肉斬り包丁を振り上げ走ってくるデーモンに対して俺はショーテルを振り上げ、異常な瘴気を纏ったデーモンへと躍りかかった。



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